第6-34話 魔王と魔法使い
そこにあったのは、死体の軍勢だった。
数にして、およそ数百万。
『魔王領』にいる死したモンスターと、その近辺に住んでいた魔族や“咎人”たち。いしなきそれらは、ただまっすぐに南下していく。
遠くから見ているものには、それは1つの生き物のように見えることだろう。
『魔王』の魔法によって、死なずの軍勢は南に向かっていく。
そして、その途中にある集落やモンスターたちを軍勢に飲み込み数を増やしているのだ。
既に、3つの村が『魔王』の軍に落ちている。
それも彼が見ている限りで、だ。
「王国だけ、というわけでもないじゃろうな」
それを高所から見下ろしていたルクスはそう呟くと、光の雫を『魔王』の軍勢に向かって落とした。
ルクスの手元からこぼれ落ちた光の雫は、まるで突如として出現したかのように圧倒的な光で周囲を刺すとともにゆっくりと地面に向かって落ちていく。
それは、純粋なエネルギーだ。
そして、それはゆっくりと地面に落ちた瞬間――爆ぜた。
中心部の温度は一瞬にして、数億度に達するとともに中心部から出現した爆風が半径数キロという範囲を吹き抜けた。当然、そこにいた魔王軍は蒸発。そして、衝撃波に巻き込まれるようにして粉々になる。
刹那、生み出された真空を埋めるようにして、はじき出された空気が元の空間に戻るとともに、空気はぶつかりあって空へ空へと伸びていく。さきほどまで晴天だった空を黒く染め、それはとても大きなキノコのような形を取りながら。
それは、ルクスの持つ天災魔術だ。
『魔王』の軍勢は死なない。
だが、跡形も残さず消し飛ばしてしまえばどうなるのだろうか。
その答えを、ルクスは見た。
数百万いた軍勢が、中心から崩壊した様を。
「……こんなものかの」
質量、というものがエネルギーであると気がついたのはルクスが年老いてのことだった。
世界に存在しているエネルギーは、常にその形を変えながらその場に存在する。魔術とて、その原則は変わらず魔力という媒体を介して世界に手を伸ばす。ルクスを含め、多くの戦略級の魔術師が悩む果てにあるのは『いかに魔力を使わず、効率的に魔術の威力をあげるか?』である。
それは、あまりにも偶然の産物だった。
ルクスが魔術を放つ瞬間、自らの魔術の内部に生じたありえないほどのエネルギー。
彼はイグニに魔術を教えながら、誰もいない『魔王領』を使って魔術の研究に明け暮れた。
そして、1つの結論を下したのだ。
物体のエネルギーは、質量と光の速さの二乗と等価であると。
答えが分かっているのならば、魔術師たちは容易にたどり着ける。
だからこそ、ルクスはわずか半年にしてその魔術に手を伸ばした。
空間に存在している質量の持っている何か。
その何かは何でも良い。どんなものでも良い。
ただルクスがするのは、その質量を解き放ってやるのだ。
純粋な、エネルギーに。
それはあくまでも1を1にしているに過ぎない。
1を10にも、そして0から1を生み出しているわけではない。
だからこそ、それはあくまでも魔術である。
「威力については、調整せねばなるまいて」
ルクスはそう行って、自らが作り出した巨大な雲の柱を見上げた。
火花を巻き込んで、鮮やかにも毒毒しげに桃色に光るその大きなキノコ雲を。
ひたすら南下していた魔王軍をたった一人で壊滅させたルクスは、自らを光に包んで北上。あくまでも彼の仕事は『魔王』の確認。『魔王軍』に構うのは、仕事ではないのだ。
そうして、自らを粒子化して北上しているルクスを出迎えたのは、巨大な闇の雲。
「ふむ」
見たことのない術式だった。
だが、既存の知識に当てはめて、ルクスはそれを妨害魔術だと判断して――光を放った。
刹那、雲を貫くように光の奔流が放たれて闇の雲を吹き晴らす。
だが、それを見計らったかのようにルクスの直上から、腐った肉を持ったドラゴンが墜ちてくる。
「ドラゴンゾンビかの」
退屈そうにそう行って、ルクスは自らの右足で払うようにドラゴンゾンビの鼻先を削る。それは、緩慢な態度のようにも見えたが、ルクスと比較してなお圧倒的な質量を持つドラゴンゾンビは、ただその蹴りで上半身が消し飛んだ。
「もはや、竜まで落としているとは」
『魔王領』にドラゴンは住まない。
賢い彼らは、それがどれだけのリスクになるのかを理解している。
だが、そんなドラゴンたちまでをも支配下に置いているということは、それだけの速度で大地を侵攻しているということだ。必然、ルクスの顔が厳しいものになっていく。
そのまま飛行を続けること数分。
ルクスは蠢き続ける『魔王軍』の中に、異質な魔力が熾っているのを見つけた。
「……ふむ」
ルクスの視線が、それを捉えた。
『魔王軍』の中にたった一人でいる生者。
この世全てに憎しみを向けるように、どこまでも憎悪に染まった瞳で南を目指し続ける。それは、どこにもでいそうな黒い髪に、黒い瞳の青年だった。
「……さて、帰還するかの」
ルクスは『魔王』を目視で確認し、踵を返す。
今の仕事はあくまでも“確認”。
この情報を国に持って帰って、それを報告するのがルクスの仕事だ。
「…………」
だが、『魔王』はそれを見逃さなかった。
空中に浮いているルクスに向かって――魔法を使った。
瞬間、ルクスのありとあらゆる生命反応が零になった。
心臓が止まり、瞳孔が開き、呼吸が止まる。
そして、ふらり……と空中から地面に墜ちた。
じぃっと、ルクスが地面に落ちていく様子を『魔王』は見た。
生きている者全てに憎悪を向ける彼にとって、空から見下されるということが一体どれだけの殺意に繋がるだろうか。
だが、ルクスの死体は地面に墜ちなかった。
それだけではない。死体は空中で消えた。
『魔王』の表情に驚きが走るとともに空中を索敵すると、既に戦線離脱していくルクスをギリギリ見ることが出来たが、しかし瞬きする間にルクスは『魔王』の感知範囲の外に出た。
光は波である。そして、波でありながら粒子である。
光子と呼ばれるそれは、観測されるまで位置や速度を確認されることはなく常に確率として存在しているという。
ならばこそ、若き光の魔術師は考えた。
自らの可能性すらも、観測すれば定まるのではないかと。
つまり、攻撃される瞬間――そこには攻撃を食らった自分と避けた自分がいる。
つまり、魔術を放つ瞬間――そこには、魔術を外した自分と当てた自分がいる。
観測して粒子を定めることが出来るのであれば、観測によって未来を定めることも出来るだろう、と。
攻撃を受けた瞬間に存在する攻撃を避けた自分を観測すればいい。
魔術を放った瞬間に存在する魔術を当てた自分を観測すればいい。
故にそれは、未来の確定である。
存在するはずだった1を0にして、新しく0から1を掴み取る。
存在しないはずだった0から1を掴み取り、不要な1を0にする。
それは人呼んで、『観測者の奇跡』。
「ふむ。これは、急がねばならんな」
老いてなお、“極点”たる彼はそう言って速度を上げた。
“最強”とは即ち、“極点”である。
だが、“極点”は1人ではない。
だからこそ、多くの者が口にする。
『誰が一番強いんだ?』と。
それは、斬るという過程のない斬撃を持つ“剣の極点”だろうか?
それは、命を粗末に戦って死して死なずの“生の極点”だろうか?
それは、起きた事象を無かったことにする“水の極点”だろうか?
だが、この談義には必ず最初に名前の上がる者がいる。
誰に聞いても、誰が答えても、彼の名前が外れることはない。
“光”という弱小の属性の認識をたった1人で書き換えた最強の魔法使いがいる。
貴族の名家に生まれながら、女遊びによって家を追放された魔法使いがいる。
唯一、2つ目の名前に“極”の一文字を入れることを許された魔法使いがいる。
“極光”のルクス。
それは、未だ生きる伝説である。
To be continued!!!
次回更新日は10月予定
けど変わるかも……




