第6-33話 学長と魔術師
「やぁ、イグニ君。よく来てくれたね。そこに座ってくれ」
イグニは目の前にいる大きな帽子をかぶった魔術師の指示に従って、彼女の前にぽつんと置かれた椅子に腰掛けた。
「そう緊張しなくても良いよ。君の身に起きていることを説明するだけだ」
そういって、老婆はにやりと笑った。
イグニがいるのは学長室。つまり、目の前にいるのはロルモッド魔術学校長である“賢しき”アリア。未だに生き残る勇者パーティーの1人にして、最も年老いた魔術師である。誰も彼女の年齢を知らないが、彼女の実力は知っている。
だからこそ、魔女たちは彼女に憧れ、その大きな帽子を真似て被りたがるのだ。
それは、アリシアしかり、“白夜姉妹”のニエしかりだ。
「どうだい、イグニ君。何か普段と変わったことは?」
「いえ、特には無いです」
「そうかい」
アリアはそう言って、手元の資料に目を落とした。
外からは対抗戦の歓声が聞こえてくる。
恐らく、一年生の決勝戦をやっているのだろう。
そこにフレイはいない。
彼は心神喪失状態と判断され、現在治療にあたっている。
「何が起きたのか、端的に話そう」
「お願いします」
「君の血液は、全て人の澱みに置き換わっている。……いや、血液だけじゃない。君の内蔵や骨はぐちゃぐちゃだ。全て、汚染されきっている」
「……汚染、ですか」
「ああ。まったく、酷いものだよ。これで身体に異常が出てないほうがおかしいくらいだ」
「…………」
イグニはそう言って身体を少し動かした。
何も体調的にはおかしなところは無い。むしろ、普段よりも快調と言える。
「君が言うならそうなんだろうね。しかし、そうは言っても私も身体が澱みに汚染された人間なんて見たことがない。君が初めてだ」
「……初めて、ですか?」
初めてという単語に引かれるイグニ。
彼は男の子なのだ。
「そうだね。しかし、君の体調はともかくとして、身体の方が何も変わっていないわけじゃないだろう?」
「はい」
イグニはアリアの言葉に深く頷いた。
初めて気がついたのは、エスティアとともにフレイを追い詰めた時だったが、前兆としてはもっと前からあったのだ。それは、グレゴリーとクレーヌによって、身体をボロボロにされた時。そして、フラムの黒炎に身体を焼かれている時に、アリシアの魔術によって腕を切り落とされた時には、既にその予兆があった。
「傷の治りが、速くなってるんです」
「それはあの“咎人”たちからも聞いたよ。致死の傷が、瞬きするように治っていったってね」
「らしいですね。俺はその時のことを、覚えていないんですが……」
「自覚症状も無いってのは、怖いね」
アリアはそういって肩をすくめると、自らの長椅子に深くもたれかかってため息を付いた。そして、手に持っていた紙の資料を机の上に投げた。
「はっきり言おう、イグニ君。君の身体が変異した原因は、サラだ」
「……はい?」
イグニはアリアがなんと言ったのか聞き取れず、聞き返した。
「ウチで預かっている少女がいるだろう。紫の髪をした、少女だ」
「……サラ、ですか」
「そうだ。魔王の娘だ」
「けど、サラの一体何が……」
「悪いのかって? 生憎だが、サラちゃんは何も悪くないよ。どちらかと言うと、君に原因があるかもね」
「……俺に?」
「君はサラちゃんの適性属性を知っているか?」
イグニはアリアから貫かれるような視線を受けて、しばらく考えた。
そういえば、自分はサラの魔術属性を知らない。
そのことを言わずしてアリアは悟ったのだろう。ゆっくりとイグニに告げた。
「【固有:汚染】だよ」
「……【汚染】、ですか?」
「【固有】ってのは、厄介なものでね。他に類例が無い。だから、研究も難しい。だけどね、サラちゃんの属性はそれだ。ただ、そこにいるだけで周囲の土地を汚染していく。そこにある生き物の形を変えていくんだ」
「…………」
イグニはその出来事に、心当たりがあった。
それは、アビスによってサラの腕輪が壊された時。その時、サラを起点にして海が汚染され、直下にした魚たちが死んでいた。
「『魔王領』なんていう、人智の及ばぬ異形の地は彼女によって作られたものだ」
「でも、サラは悪くないはずじゃ……」
「そう。サラちゃんは悪くない。帝国の技術は素晴らしい。完全に彼女の魔力を抑えきっている。……たった一点を除いて」
アリアがイグニを指差して、イグニは自分の胸に手を当てた瞬間に気がついた。
「……あっ」
そうだ。彼女の魔力を受け取っているのは。
「聞いたよ。君が魔法を使う時、欠落している魔力を彼女から受け取っているのだと」
「……そうです」
「でも、君の魔法によって世界への汚染は起きない。なら、彼女の【汚染】はどこに作用している?」
そんなもの、火を見るよりも明らかだ。
「……俺の、身体」
「そうだ」
アリアは頷くと、「しかし」と続けた。
「ただ、イグニ君は人間という形をプラスに書き換えられたんじゃないかと私は思っているがね」
「どういうことですか?」
「言っただろう? 彼女の魔術は生物としての形を変えると。そして、彼女の【汚染】はあくまでも魔術だ。幼くとも、魔術を習っていなくとも彼女は魔術師だ。ならば、その祈りが魔術に届くこともあるだろう」
イグニは自分の身体を見つめた。
そこにはいつもの自分がいる。
いつも以上に調子の良い自分がいる。
「つまり、彼女は願ったんじゃないのか? 君が傷ついても『すぐ治るように』と」
イグニは、息を呑んだ。
「だから、俺の身体は」
「彼女の願いの通りに変えられた」
アリアはそう言うと、そっと微笑んだ。
「ま、私の推測だがね」
「……今度、聞いてみます」
「そうすると良い。しかし、魔術の“パス”か。理論では聞いていたが、本当に結べるもんなんだな」
「仲良しですから」
「……臆面もなくそう言えるのは良いことだ」
アリアは困惑しながらも続けた。
「しかし、パスをつなぐってのはどういう感覚なんだい?」
「言葉にすると難しいですが……。そうですね、意識すると心の中でいつも側にいるって感じでしょうか」
「素敵なことじゃないか」
アリアの質問に答えたイグニは、前から気になっていたことをアリアに尋ねた。
「あの、学長」
「どうした?」
「グレゴリーとクレーヌは、どうなるんですか?」
「ああ、あの二人か。言っている本人たちは大真面目だったね。私も、嘘だとは思えなかったし、狂っているとも思わなかった。そして、魔術による洗脳についてだが……あいにくと、その線も薄いね」
「な、なら」
「本当である可能性が高い。だから、コネを使って直々に現地調査をお願いしたよ」
「現地調査、ですか」
「勿論。だって、見てくるのが一番早いだろう?」
「……しかし、現地に行くまでは時間がかかるでしょう」
「ウン? その心配は無用だよ。だって」
アリアはにっと笑って、
「向かったのは、“極光”のルクスだ」




