第6-26話 仮説と魔術師
イグニが校庭に入った時、目に入ったのは互いに殺し合っている吸血鬼の姿だった。
「……エレノア先生か」
考えられるのは、それしかない。
“操“のエレノアの最も得意とする魔術によって、吸血鬼たちが彼女によって操られ、戦っているのだ。だとしたら、自分はこの場にもう必要ないな、と思いイグニはグレゴリーとクレーヌの元に戻った。
「……どうして戻ってきたんだ?」
「もうあらかた片付きはじめた。俺はお前らが逃げないように戻ってきたんだよ」
「片付き始めた……? 何を言ってるんだ。相手は吸血鬼で……」
グレゴリーは信じられないといわんばかりに、狼狽えていたのでイグニは大人しく校庭を見せた。そこには吸血鬼たちがなにかに取りつかれたように殺し合っている。
「……何が」
「“操”のエレノアって聞いたことないか?」
「……名前、だけなら」
「その魔術だよ」
「…………」
吸血鬼たちは驕ったのだろう。
自分たちが最強だという認識が、きっと考えを歪めたのだ。
だから、エレノア先生の魔術に取り込まれた。
「グレゴリー、『魔王』の話を聞かせろ」
「……分かった。時系列順に、話そう」
グレゴリーは震え続けるクレーヌを抱きしめて、ひどく疲れ果てた顔でイグニを見た。
「一ヶ月ほど前だ。急に『魔王領』からやってくるモンスターがおかしくなりはじめた」
「おかしく?」
「アンデッド系のモンスターが増え始めたんだ」
「…………」
「おかしな話じゃないと思うか? そうだろう。『魔王領』にはアンデッド系のモンスターが多いんだから。だから、俺もそう思ってた。けど、しばらくしてだ。話が変わってきた」
魔王の奇跡は死んだ者を蘇らせて、自らの配下に置く術。
故に、『魔王領』にはまだ『魔王』の忘れ形見たちが数多く残っていると言われている。
それに、イグニも二年間『魔王領』にいたからこそ、その事実をよく知っている。
確かに『魔王領』にはアンデッド系が多い。
だから、グレゴリーがそう言い出した時、本当におかしな話だとは思えなかった。
「モンスターの中に混じって、人が出始めた。死んだ人間が襲ってきたんだ」
「…………人間?」
「なんだったと思う? それが、魔族だったんだ」
魔族。それは、かつて『魔王』との大戦で魔王の側についた者たちだ。
故に、人類から忌み嫌われ未だに差別されている。
それが、死んだあと襲いかかってきた?
イグニはふと、公国で出会った少女のことを思い出した。
彼女は『死霊術』を使い、かつての魔王軍の四天王の死体を操っていた。
だったら、グレゴリーの言うそれも『死霊術』じゃないのだろうか。
いや、しかしいくら魔族と言っても同族を操ることなどするだろうか……?
「俺たちは、『魔王領』と人類の領土の間……。誰も住まない、枯れた土地に住んでる。狭い分、コミュニティもある」
「“咎人”か?」
その言葉に、グレゴリーはこくりと頷いた。
「もちろん、一匹狼もいるがな。でも、俺たちにはコミュニティがあった。そこにいる奴らが、戦ってんだが……。あいつが、現れた」
「……あいつ、って」
そんなもの、聞くまでも無いだろう。
だが、イグニは聞かざるを得なかった。
「『魔王』だよ」
グレゴリーの言葉に、イグニは周囲の温度が下がったかのように感じた。
だが、現実は何も変わっていない。
イグニの中にある数々の『魔王』の伝説が、イグニにそう感じさせた。
「……俺は、ちょっと見ただけだった。すぐに逃げ出した。勝てないと、本能的に思った」
「…………」
「そして、どうしてもあれを許してはならないと思った。なんで、そう思ったのかなんて……言葉じゃ、上手く説明できねぇけど……それでも、どうにかしないと、と思ったんだ。俺だけじゃねえ、あれを見たやつら……全員、だ」
「どうにかってのは……?」
「殺さなきゃ、倒さなきゃ……まぁ、そんなところだ」
「…………“咎人”は、『魔王』に憧れた者たちだろ?」
イグニはそうとしか聞けなかった。
何故、『魔王』に憧れた者たちが『魔王』をどうにかしようと思うのだろうか。
その疑問に、グレゴリーは首を横に振った。
「ちげーよ、全員が全員。そう呼ばれてるわけじゃねえ……。中には、ちゃんとした国で生きていけねえやつだっているんだ」
グレゴリーはそういってクレーヌを抱きしめた。
「……確かに、“咎人”の中には『魔王』に憧れてるやつもいる。それで、魔法にたどり着いたやつもな。でも……全員が、そう思ったんだ。あいつを『殺さないと』って、な」
……殺さないと。
その場にいる全員がそう思うというのもおかしな話だ。
イグニはそれに対して、考える。
アビスの言葉が頭の中で響きつづける。
もし、人類という種族が来たるべき災厄――『魔王』に備えて、人類は自らのうちに天才を生まれ続けさせたのだとしたら、何が考えられるだろう。
その仮設を、イグニは自分の中に置いてみた。
『魔王』に備えて人類が天才を生み出す――それはつまり、人類は『魔王』に対抗しようとしているということだ。つまり、次世代の『魔王』を人は既に“敵”だと判断している。それは、なんのためだろう。
決まっている。人類を存続させるためだ。
人類は百年よりも前、その数を数万人にまで減らした。
絶滅の危機だったのだ。
だから、二度とその災禍を起こさないように、既に備えているのだとしたら。
全ての人類が無意識のうちに『魔王』のことを倒すべき“敵”だと思っているのだとしたら。
見たときに、『殺さなければ』と思うのではないか?
それではまるで、アビスの言っていたことが正しかったかのようで。
「……まさか、な」
イグニは首を振った。
まさか、ありえない。
そんなものは、おとぎ話だ。
そもそも、どうやったら人が無意識のうちに『魔王』のことを倒すべき相手だと思うのか。
そんなもの、全人類の心でも操らなければ不可能だ。
「どうかしたのか?」
急に一人で呟いたイグニを訝しげに見ながら、グレゴリーはそう聞いた。
だが、イグニは「なんでもない」と返した。
何しろ、この考えには一つだけ欠点がある。
それは他ならぬ、イグニ自身だ。
人類が『魔王』のことを敵だと思ったとしよう。
人類はそれで数多くの天才を生みだす。そこまではイグニも納得できる。だが、だとしたらどうして『術式極化型』なんてものを人は生みだすのか。
それだけは、イグニの中で納得がいかない。
確かに『術式極化型』に秘められた可能性は無限大だ。
鍛えれば優れた魔術師になる。だが、それは鍛えられなければならない。
だから、おかしな話なのだ。
そもそも『術式極化型』は単一の“適性”が『F』。それ以外は全て『none』と鑑定魔術では表記される。だから、そうと気が付かれることはめったにない。
それこそ、イグニのような幸運がなければ、だ。
イグニは自分が『術式極化型』だからこそそう考えた。
だが、『術式極化型』に関して全ての可能性が零というわけではない。
もし……もし、『術式極化型』が『魔王』を倒したのであれば、それも考えられる話だが、イグニは勇者が『術式極化型』という噂を信じていなかった。
もしそれが本当なら、『術式極化型』の存在がもっと一般化していただろうから。
「終わったみたいだな」
イグニはそういって校庭を見た。
そこには、互いに殺し合って最後に残った吸血鬼が力尽きて、倒れるところだった。
「今の話、俺から先生たちに言ってみる。上手く行けば、許されるかもな」
「本当に……!?」
「あまり期待すんなよ」
イグニは身を乗り出したグレゴリーを静めて、ミラを探し始めた。
イグニの思いつく限り、彼女が教師の中で一番話が通じるからだ。




