第6-25話 時の絶対者
止まった時の中でボロボロになった男が1人、少女を守るようにして魔法使いに向かって立ち向かっていた。だが、側に控えている少女の顔は真白に染まっている。
「もう諦めろ。それ以上は、お前のエゴだ」
「……お前に、お前に俺たちの何が分かるッ!」
イグニの問いかけに、グレゴリーは吠えるように反論する。
「だから、お前の相棒にそうして負担を強いるのか?」
「知ったような口を聞くなッ! クレーヌは俺の全てだ。俺とクレーヌは一心同体なんだ」
そういって魔術を使うグレゴリー。だが、イグニはその方向を見ていなかった。
彼が見ているのは、側にいるクレーヌ。
彼女は顔を白くしながら、それでも必死に魔術を紡ぎ続ける。
それは、自分のためだろうか。いや、違うだろう。
彼女は誰かのために頑張っている。それが誰かなんて明確だから、
「……ああ、そうかい」
イグニは短く息を吐いた。2人がどういう関係なのか、イグニは詳しいことを知らない。
だから、いま考えていることが全て推測でしかないことを分かっている。
分かっているからこそ、自分の頭の中の思考を全てぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に捨てた。そして、今の自分がどれだけ酷なことをしているのかということに気がついた。
「……すまん」
それは、誰への謝罪だったのだろうか。
イグニは一つ、小さく呟くと再び『小宇宙』を煌めかせた。
「……ッ!?」
その瞬間、グレゴリーたちの動きが止まる。
「俺の魔法は小さな世界を生み出す。生み出した世界と、この世界にいる物が持つ時間を共有させる」
「…………ッ!」
グレゴリーは何も言わずに、ただこちらを見る。
いや、言えないのだ。口が、動かない。
「だが、不思議なことに精神の時間と肉体がもつ時間は別なんだ。言ってる意味は分かるか?」
イグニはグレゴリーとクレーヌを見る。
そう、イグニがいま行ったのは。
「いま、お前らの精神時間と俺の肉体の時間をさらに加速させた。そっちの女の子の時間よりも、より内部の時間を無限点へと近づけた。その時間の差異で、止まっているように見えるんだ」
ただ、グレゴリーは動かない目でイグニを見る。
「……悪かったな、もっと早くこうするべきだった。そうすれば、長く苦しむ必要もなかった」
イグニの光り輝く『ファイアボール』がグレゴリーとクレーヌに向けられる。
イグニは甘かったな、と自戒した。魔法を使ったことで、勝った気でいた。だが、その認識はイグニだけだったのだ。グレゴリーも、クレーヌも頑張ればイグニに対抗できると思っていた。思ってしまった。
それは、魔法という領域に魔術で踏み込んだように見えたから。
だから、グレゴリーもクレーヌも足掻こうとした。
足掻けば何かがあると思ったから。
「俺はお前らが死刑になるほど悪いことをしたとは思えない。地下牢獄に収監されるほど悪いことをしたのだとは思っていない。……いや、最後の吸血鬼はやりすぎだな。あれが悪いか」
イグニは一切の反論を許すこと無く、言葉を紡いでいく。
もし、グレゴリーとクレーヌの表情が動くのであればどういった表情をしただろう。もしかしたら、絶望に染まっていただろうか。
……それで良い。
イグニはそう思う。それで良いのだ、と。
絶対に埋まらない実力差を感じ取った時、人は足掻こうとはしない。
だから、必要以上に傷つけることもない。
「……なんか勘違いされてると嫌だからだから言っておくけど、別に俺は誰かを傷つけたいわけじゃねえからな」
イグニはそう言って、グレゴリーを見た。
「ただ、やろうと思えばお前らは殺せる。だが、それはしない。ここはロルモッドだ。お前らを生きたまま、罪を償わせることができる」
絶望的なまでに埋まらない実力差をイグニは叩きつけて、言葉を紡ぐ。
「だから、諦めろ」
そう言って、イグニは2人の肉体時間を元に戻した。瞬間、クレーヌは力尽きたように魔術を解除。そして、再び2人の時間が止まった。
「……あー、そうなるのか」
イグニは2人を見ながら、【刻】属性を大まかに理解した。クレーヌの止めた時は、イグニの限りなく無限点まで加速した時と同じ領域にある。だから、止まった世界でも動くことができた。
だが、その魔術を解除してしまえば2人は普通の時へと戻される。
つまり、止まった時の中に彼らは居続けることは出来ないのだ。
イグニは深くため息をつくと、自らの時間を元の世界の時間へと戻す。
「……俺たちを、捕まえるのか」
「ああ、殺す必要がないからな」
そもそもイグニは人殺しに対して抵抗がある。
殺さずに捕まえられるなら、そうするべきだ。
そちらの方がより難しい、だからより強く見える。
強く見えるなら、モテるのだ。
グレゴリーの視線がイグニの手元にある『小宇宙』に向かう。そして、全てを悟ったように膝をついた。まだイグニは魔法を解除していない。グレゴリーが放った吸血鬼たちを狩らないと行けないからだ。
「いくつか聞きたいことがある」
「……なんだ」
「どうして、ロルモッドに侵入した」
「…………言っても、信じないだろ」
「言わなきゃわかんねえよ」
イグニの言葉で、観念したかのようにグレゴリーは口を開いた。
「……『魔王』が、出た」
「…………どこに?」
ただならぬ言葉に、思わずイグニも低い声で問い返す。
普通なら、狂人の戯言と流しただろう。だが、狂っているにしては、あまりにやっていることが必死すぎた。狂っているというのであれば、ロルモッドに侵入して中で吸血鬼なぞ放たない。
どこまでも、正気だから為せる技。
「『魔王領』だ」
「……証拠は?」
「行けば分かる」
「…………」
イグニはその言葉に、アビスの言っていたことをふと思い出した。
魔法使いも、稀代の天才も、今の時代にあまりに多すぎる。
それは、きっと何かに備えているのだと。その何かはまだ分からない。
だが、もし本当に再び『魔王』が現れたのだとしたら。
「……なるほど、な」
「……信じるのか?」
グレゴリーの『まじかこいつ』みたいな視線を払って、イグニは答えた。
「前に似たような話を聞いたからな」
イグニはそう言って、二人に背を向けた。
「なぁ、グレゴリー」
「……俺の名前を」
「そんなに大切なら、しっかり守れよ」
それだけ言って、イグニは校庭に散らばった吸血鬼を狩るために向かった。イグニが屋上の地面を蹴った時、校庭では綻びの光の花が咲いていた。