第5-32話 絆と魔術師
「『風よ』ッ!」
アリシアの詠唱とイグニたちの身体が上空へと押し上げられる!
……これは!?
イグニはそのとき、不思議なものを見た。
大気中に流れる不可視の道。
それをイグニは魔力の熾りと同じように両目で捉えていた。
「……そうか。これがアリシアには」
見えているのだ。
それはきっと風の通り道。
イグニはその道に沿うように『ファイアボール』を生成すると、フラムに向かって『発射』。
それはぎゅん、と風に乗って移動すると弧を描いてそのままフラムのわき腹を穿った!
「……はッ! なるほどな!」
イグニの体内にドロリとした魔力が注ぎ込まれる。
「フラム。最後に言い残すことはあるか」
アリシアを抱きかかえ、そしてアリシアに抱きかかえられるようにしてイグニは上空に立っていた。先ほどまで帝都の上空を抑えきっていた魔法は既にない。
「……俺の勝ちだ」
「いいや。お前の負けだ」
イグニがそういった瞬間、両腕を生み出していた『ファイアボール』が消えた。
そう。彼は魔法を使う時に魔術を使えない。
「お前は俺に魔法を教えてくれた。だから、俺もお前に魔法のネタバラシだ」
モテの作法その4。――“常に紳士たれ”。
「俺の魔法はただの『ファイアボール』。だが、そこには決定的な違いがある」
「……あ?」
アリシアはイグニが上空から落ちないように必死になって抱きしめる。
その柔らかさと、暖かさにイグニはただ感謝を伝えながら絶対の魔法を用意していた。
「なぁ、フラム。この世界がどうやって始まったか知ってるか?」
「……神が作ったんだよ」
「そう。神のたった一言によって生み出された世界の始まりは小さな小さな『火球』なんだ」
「……お前の魔法はそうだと?」
「俺の魔法によって生み出される『小宇宙』のルールは1つ」
かくて『始まりの奇跡』は発動する。
「俺が、絶対だ」
刹那、フラムを巻き込むように展開されたイグニの魔法領域がフラムの時間を停止させる。
正確には、イグニの所有する世界の時間を極限まで0に近づけることによって時間の相対性により止まって見えるのだ。
「……ふぅ」
イグニはため息をつくと、アリシアに身体を預けた。
「……お疲れさま。イグニ」
「ありがとう。アリシア」
「降りる?」
「そう、だな」
イグニは魔力切れの鈍い頭を、わずかにアリシアの肩に預けた。
どろりとした魔力がイグニに注ぎ込まれるが、その量はいつもと比べてわずかに少ない。
流石に無尽蔵の魔力を持つとは言っても、3回も魔法を使ってしまったのだ。
その分、魔力も減っているだろう。
「いや、しばらく。このままいても良いか」
「……もちろん」
帝国を救った英雄はそう言って、皇女に抱きしめられた。
皇女は豊穣のごとき慈しみをもって、英雄を迎え入れた。
――――――――――
「……アンタ。“殯”のセリアだな」
「何者だ」
静かな荒野。
吸血鬼を狩りつくし、帝国に帰還しているセリアの目の前に黒髪の青年が殺気とともに立ちはだかった。
「……ソル。“音断ち”のソル」
「“咎人”か」
黒髪の青年がすべきは、フラムが帝都を落とすまでの時間稼ぎ。
即ちもってセリアの足止めである。
トン、と音が鳴った瞬間、ソルの刃がセリアの首を刎ねていた。
「……音よりも速く」
「動くからこそ、“音断ち”だろう?」
断ち切られた首がそう言って獰猛に笑った瞬間、光がセリアを包んで再生。
初めから何もなかったかのようにそこに立つ。
「……それが噂に名高い『死なずの奇跡』か」
「そうとも。さて、問おう。“死ぬ”か、“投降”するか」
「いや? ここで倒れるのはアンタだぜ」
ソルが再び消える。
遅れて、ソルが地面を蹴った音がセリアの耳に届いた。
いかに身体を鍛えようとも、いかに5感を鍛えようとも。
音には音の速さがある。
ならば、それを超えてしまえば良い。
そうすれば何者にも悟られることなく、敵を葬れる。
「軽い剣だな」
だが、次にソルの手に伝わったのはセリアの首を刎ねる感触ではない。
己の剣を掴んだまま、牙を向くセリアの姿。
「『身体強化』」
ソルの叫ぶような詠唱。
パン! と全身の筋肉が肥大化して、人の身からはかけ離れた膂力を得れる。
「弱い」
だが、セリアによって掴まれた刃はびくとも動かず、ソルはそれを手放した。
「……しッ!」
「ふッ!」
そのまま蹴り技に移行したソルに、セリアは左の拳で応える。
ソルの蹴り技よりも先に、セリアの一撃がソルに叩きこまれると地面を水平に吹っ飛んで、地面を水きりの石のように何度も跳ねた。
「知っているか。“咎人”よ」
セリアが剣を構える。
「斬撃は飛ぶのだ」
ヒィイインン!
冷たい金属の音とともに、セリアの剣が振り下ろされると、数百メートルは離れていたソルの両足をセリアが叩き斬っていた。
「素早い馬は脚を断つに限るな」
「……クソ! 『治癒』ッ!」
ソルは自身に治癒魔術をかけることで、身体を修復していく。
だが、それよりも先にセリアがソルの頭を掴みあげた。
「さて、目的を聞こうか。言わないのなら、殺す。言えば許してやろう」
「『甦れ』ッ!」
刹那、ソルの詠唱によってボコリと地中より白骨の腕が生まれ出でるとそのままセリアの両足を掴んだ。
「ほう?」
セリアがそれに注意を払った瞬間、ソルの身体が後方に引っ張られてセリアから離れる。
「ははッ! 命を冒涜しているのはお前だけじゃねえのさ!」
「……なるほど。同じ【生】の属性。魔法も同じというわけか」
それが他者なのか自分なのかという違いはあるにしても、ソルは剣を持った魔法使い。
何故なら彼が“咎人”なのだから。
セリアが1つ息を吐いた瞬間、先ほどまで静かだった荒野から無数の白骨死体が出現し剣を弓を槍を構える。
「これで私の足止めのつもりか」
「そいつら全員が歴戦の戦士ッ! 死んでもなお、技量は生前のままだぜッ!」
ソルは骸骨に引っ張られながら、最後とばかりにそう伝える。
それを聞いて、セリアはほほ笑んだ。
「ほう。ならば、見せてやろう」
ぎゅるり、と大気に含まれている『人の澱み』が渦巻く。
どろりと重く、濃いそれを飲み込むようにしてセリアの全身に呪紋が浮かび上がった。
「獣人の呪術に、命を燃やして身体能力を押し上げるものがある」
骸骨がセリアに剣を振るう。
「これを使う獣人の戦士たちには苦労させられたよ。何しろ、命の灯が消えることを厭わないのだから」
骸骨がセリアに槍を突き出す。
「命、というのは最高級の燃料だ。特に呪術にはな」
骸骨がセリアに弓を撃つ。
「だからこそ、この呪術は強い」
一閃。
セリアの剣が輝いた瞬間、セリアの前方にいた骸骨の全てが吹き飛んだ。
「それに、私は死なないしな」
セリアはそう言って、獰猛に笑った。
ソルはその時、相手を間違えたと、心の底から確信した。




