第5-30話 燻りと魔術師
「……ッヅ!」
イグニはフラムの炎のあまりの重さに大きく歯を食いしばった。
……何だこれ!
両腕を浸食しながら燃え盛る黒い炎を振り払おうとするが、あまりに重たすぎて腕がびくとも動かない。
両腕にヘドロが巻き付いたみたいだ……ッ!!
「……ひゃははッ! どうだイグニ! 俺の澱みは……ッ! 黒炎は、人の澱みを燃料に燃やす呪術と魔術のハイブリッドッ! 必要な魔力は少なく、威力は大幅に跳ね上がんだぜッ!」
イグニは炎を消そうとするが、腕を焼き尽くしてなお止まることなくその炎がイグニの身体に移ろうとした瞬間、
「『風よ断て』!」
バヅッ!!
後方から飛んできた風の刃がイグニの両腕を斬り飛ばした。
「……ッ! 助かったぜ! アリシア!!」
黒い炎がまとわりついたイグニの両腕が炭化し、そのまま燃えて消えていく。
だが、フラムは一度血を吐くとゆっくりと立ち上がった。
「は……ッ! もう遅ぇよ……! 交渉は破棄だ……ッ! このまま帝都にいるやつら、皆殺しだッ!」
「『装焔』ッ!」
「遅すぎる……ッ! 俺はもう、既に魔法を使ってんだよ……ッ!!」
刹那、世界が暗く変じた。
イグニが反射的に空を見上げると、そこには太陽の横に並んで一つ同じように黒い球体がぽっかりと空に穴を開けていた。
「……俺の魔法を知ってるか、イグニ」
「さぁな」
イグニはそれを見上げながら、息を吐いた。
距離はおよそ数千メートル先。
だが、球体があまり大きすぎるが故に正しく大きさを計れない。
「何にも知らずに死ぬのも可愛そうだからよ。教えてやんよ」
フラムの身体が何らかの力で無理やり起こされると、そのまま空中に引っ張られていく。まるで、黒い球体に無理やり引っ張られていくような。
「『人の澱み』を燃焼させた黒炎を、圧縮し凝縮し1点に集中させる。そのエネルギー体を、さらに小さく凝縮すると、ある点を突破した瞬間に0になる。いや、負の次元に落ちると言った方が正しいな」
フラムの声が小さくなっていく。
遠くに消えていく。
「事象の内側に逆展開された俺の魔術は無限の重力を内包し、そして、負の無限としてのエネルギーの凝縮体に変貌する。時空間を捻じ曲げて、光すら飲み込む俺の魔法は絶対の破壊魔法だ」
「……はッ。大した魔法だな」
正直言っていることの半分も理解できなかったが、それはイグニの魔法も同じだと思って、彼は半笑いで流した。
魔法とは、他者が理解する必要などない。
そこに理解した強者がたった1人存在していればいい。
「死した星と同じ性質によって作られ、それ以上の破壊力を持つ俺の魔法は『燻りの奇跡』。良い名前だろ?」
くん、とフラムの動きが一瞬大きくずれると、そのまま勢いよく上に飛んでいったッ!!
「い、イグニ! あれ、止めないとやばいんじゃないの!?」
「やばいだろうな」
イグニの直感が告げている。
あれは、帝都を吹き飛ばすだけでは済まない。
下手すれば、この大陸ごと蒸発させかねない魔法だ。
だが、ここからではあの黒点に届かない。
だから、イグニは彼女に頼る。
「……アリシア」
「任せて」
アリシアはドレスのまま優雅にイグニの側にやってくる。
「セバスチャン」
「こちらに」
どこからともなく現れたセバスチャンがアリシアに箒を手渡す。
「頼んだ」
「誰に言っているの?」
「……愚問だったな」
アリシアのまたがった箒の後ろにイグニは座る。
「しっかり捕まっててッ!」
「ああ!」
「『風よ』ッ!!」
暴風が吹き荒れ、イグニたちの身体が上に押し上げられるッ!!
「どれくらい近づけばいい!?」
「……1000m。贅沢を言えば500mってところだ」
「そんなの、一瞬よ」
アリシアの口角が吊り上がる。
パレードの時、国民に見せていたような偽の笑顔ではない。
アリシアが持っている、彼女だけの獰猛なほほ笑み。
だが、イグニにはそれが何よりも彼女らしく……美しいと思った。
「『暴風よ』ッ!!」
ドウッ!!!
箒が悲鳴を上げ、イグニが両目を開けることすら難しくなるような暴風の中で2人の身体がさらに上空へと押し上げられるッ!!
刹那、それに反応するようにフラムの黒点が凄まじい勢いで縮小し始めた。
「……魔法が」
アリシアが呻く。
あの巨大な黒炎の塊の凝縮体の大きさが完全に0になった瞬間に、魔法が帝都に撃ち込まれる。そうなったら、全てが水泡と化す。故に、それよりも先にこの状況を覆さなければならない。
「『装焔:完全燃焼』ッ!!」
ぎゅるり、とイグニの体内にあった魔力の全てが吐き出されて手元に1つの世界が誕生する。それは、彼の世界。彼だけの世界。
0から1を生み出す、絶対の奇跡。
「『止まれ』」
魔法の有効範囲に入ったと認識した瞬間、イグニは黒点に向かって魔法を発動。魔法そのものの時間を停止させることによって、フラムの狙いを阻止するのだッ!
だが、イグニの魔法によってフラムの黒球は飲み込まれたというのに静止しない。
「……ッ! しまったッ!!」
「どうしたの!?」
「……もう中心部の重力が狂ってる! 止められないッ!!」
時間と重力には密接な関係性がある。
イグニの時間を静止させる魔法は、正しい重力下でこそ発揮されるのだ。
ならば、フラムの魔法によって無限の重力を手にしたあの黒点は。
「じゃ、じゃあ……」
アリシアが狼狽える。
だが、イグニは既に次の一手に手を伸ばす。
「いや、相殺するッ!」
イグニは魔法を解除。
サラから高濃度の魔力がどろりと流れ込んでくる。
心の中でサラに感謝しながら、イグニは魔力を熾した。
「『装焔:完全燃焼』ッ!」
無限には、無限をぶつけるしかない。
「『超球面』ッ!」
4次元に展開された『ファイアボール』を3次元空間に落とすことによって、無限を内包した『ファイアボール』がそこに誕生する。
「『消し飛べ』ッ!」
イグニの魔法が天に逆らうように直進して、黒球に激突。
どぷん、と飲み込まれるように黒球はイグニの魔法を飲み込んだ。
そして、世界が光に包まれた。




