第4-24話 乗り越える魔術師
「夢……じゃない……」
ボクは地面に手をついて、土のやわらかさをいっぱいに感じながらそう呟いた。粘つくような魔力。呼吸をするたびに、肺の奥にどろりとたまる人の澱み。激しく振り続ける雨は、儀式の始まりの時とまったく同じだった。
「……なんで」
知らず知らずのうちに呼吸が浅くなっていく。現実でも夢の中でも歩きなれた森の中を、呪刻の光を頼りに歩いていく。激しい雨と、時折なる雷は夢の中とタイミングまで一緒で思わず吐きそうになってしまった。
「どうして……っ!」
ぱっ、と雷が光ると遅れて雷鳴が轟いた。
刹那、ボクは後ろの気配に気が付いて振り向く。
「ようやくだ! ようやくこの日が来たァ!」
大喜びでそう叫びながら、遥か後ろにいた少年が岩の塊を飛ばしてくる。それは、夢で見た時よりも強く、速い。ボクはそれを魔術で防ぐと、声の主を見た。
「ひっさしぶりだなァ! 天才!!」
「……なんで、君が…………」
忘れない。忘れられない。
ボクの友達を殺した子。
そして、ボクが殺した子。
「あ? 決まってんだろ。これが、魔法だからだよ」
「魔法……? これが?」
「んだよ。天才様なら分かるだろ?」
嫌味げに、少年が吐き出す。
「こいつはあの日をやり直す魔術。けどな、それだけじゃねえ! たった1人の生き残りが、生き返る魔法だ!」
死者の蘇生。
それは、命無きものに命を与える魔法。
人類が魔法を紡いできた100年という時の中でも、たった2人しか成し遂げていない奇跡。
「……生き返らせる、なんて」
「俺たちの恨みと執念がここまで来たんだよ! すげーだろ!!」
だが、それは。
「それは、『魔王』の魔法じゃないか!」
“殯”のセリアの魔法は自分1人だけにしか発動しない『不死の奇跡』であるが、それよりも先の時代において死なずを成し遂げた者がいる。
人類の9割以上を殺し、領土を奪った、最強最悪の厄災である『魔王』。
それが使うのは死した者に、命を吹き込む奇跡。
「だから、何だってんだよ」
だが、目の前にいる少年はそういって嗤った。
「『魔王』だろうが、なんだろうが関係ないだろ!」
そして、目の前の少年が手を宙に掲げる。
「『堕岩』ッ!」
ぎゅる、と魔力が形を作ると巨大な岩が上空に出現。そして、少年が腕を振り降ろすと同時にそれがユーリめがけて落ちてくる!!
「……っ!」
ユーリはとっさに地面を蹴って回避。巨大な岩が地面に激突すると、激しい衝撃音とともに地面にくぼみを作った。
「まだまだッ!」
少年は攻撃魔術をさらに練り上げると、ユーリに向かって連射。
それを避けて、防いで、再び避ける。
「……なんで攻撃してこないんだよ!」
そして、全ての攻撃を叩き伏せた神童に、苛立ちを隠さず魔術を使う少年。だが、 それがどれだけ練り上げられたものでも、どれだけ努力しようものでも。
我流と、本流の間には埋められないほどの差があった。
「……無理だよ。君じゃボクに攻撃できない」
ユーリが吐きそうになりながら、言葉を吐く。
彼らは『蟲毒』を続けた。自分たちの魔術を、自分たちだけで磨き上げた。
ユーリは学生だった。ロルモッドの学生であった。
世界最高峰の知識と、それを学ぶに相応しい学生たちの中で魔術を磨き上げた。
「ふざけんな! やってみなきゃ、分かんねぇ……」
刹那、空に一筋の光が走ったと同時に空が晴れた。
空を穿った一筋の火球は、雨雲を打ち払い空から月光をもたらす。
そしてそれは、その場にいる全ての人間がそれを見ていた。
見て、しまった。
「…………んだよ、あれ」
ユーリの前にいた少年が乾いた声を出す。
先ほどまでのやる気も、自信もそこには無い。
当たり前だ。その場にいた誰もが、その魔術を『ファイアボール』だと見抜いたのだから。
彼らには自信があった。
『蟲毒』が終わり、溜まりに溜まった人の澱みの中で終わらぬ殺し合いを続けていた。
だから、絶対にユーリに勝てると思っていた。
いや、ユーリだけじゃない。外にいる誰を相手にしても勝てると思っていた。
例えそれが“極点”であろうとも。
そう思うだけの殺し合いを続けてきた。
だが、空を駆けた一筋の『ファイアボール』が全ての現実だった。
誰もが使える初級魔術。
最初に習う基礎の基礎。
それが、天候を変えた。
この殺し合いの果てに、誰がそこまで至っただろうか。
一瞬、ほんの一瞬だけ、彼らの心の中に脅えが走った。
そして、疑いが芽生えた。
『本当に自分が生き残れるのだろうか』という、疑いが。
「イグニ!」
だが、その光が何よりの心の支えになる者もいる。
「……来て、くれたんだ」
空に浮かぶ少年を見て、ユーリがぽつりと呟いた。
そして、空を見上げて……イグニを見た瞬間に、ユーリはふとあることに気が付いた。
『また、イグニに頼ろうとしている』ということに。
イグニは強い。そして、とても友達思いだ。
だから、頼ればすぐに応えてくれるだろう。
だが、それは駄目だ。
そうやってイグニに頼り切った先にあるのは、ただの依存だ。
それは友情でも何でもない。
「……ダメ、だよね」
ユーリは吐き出す。心が締め付けられる。
恐怖で足が震える。『それ』を使おうとするたびに過去の出来事を思い出して、足が震えて身体が動かなくなる。
でも、
「……やるよ。イグニ」
これはいつか乗り越えなければならかったことだ。
これは必ず克服しなければならかなったことだ。
だから、ユーリはただ視野を狭めるだけの目を閉じて息を大きく吸い込んだ。
「天才! お前だけでも!!」
少年が魔力を熾す。
それを肌で感じながら、ユーリは深く思考を沈めた。
自分はイグニに黙って出てきた。
けれど、彼はここまで助けに来てくれた。
ここから先は自分で為さなければならない。
だから、歯を食いしばる。
ユーリは魔術師である。
そして、ロルモッド魔術学校で魔術を学んだ一流の卵である。
そこで学ぶのは魔術だけではない。
そもそも、日々研究が盛んで数年後にはがらりと変わってしまうような魔術を学んだところで、卒業後に役立たなくなるだろう。
故に、ロルモッド魔術学校では同じように考え方も教わる。
優れた魔術師の心得を。
優れた魔術師のあり方を。
だから、ユーリは目を見開いた。
「『混沌よ――』」
「『岩礫』ッ!」
「『溢れたまえ』」
ドバッ!!
と、ユーリの前から洪水のようにあふれ出したのは莫大な質量を持った闇。
それは目の前にあった全てを巻き込むようにして突き進んでいく。
ユーリの前にいた少年も、少年が使った魔術も、そして周囲の木々も飲み込んで土石流のように山をかけていく。
それは、街を消すことも出来る大規模魔術。
立派な攻撃魔術だ。
「……やるよ。イグニ、ボクだって!」
足はまだ震えている。
自分の魔術で誰かが傷を負っているという事実に心がくじけそうになる。
でもここまで迎えに来てくれた友人に頼って縋ってしまうのだけは、絶対に嫌だった。
「やっと見つけたぞ。ユーリ」
ふと、上空から聞きなれた声が降りてきてユーリは振り向いた。
そこには安心したように手を差し出すイグニがいて、
「……ごめん、イグニ。ここまで来てくれて」
「良いって、友達だろ」
イグニは笑って、空に花火を打ち上げた。




