第4-23話 少年と魔術師
イグニは手を差し出して、雨を受け止める。間違いなく手に触れる感触は本物の雨。まるで幻覚でも見ているのかと思ってしまうが、後ろにいるエリーナたちも困惑していることからこれが幻覚ではないことが分かる。
4人同時に幻覚をかけられる魔術師は存在するが、それは相当の実力者であり使う魔術は高位の幻覚魔術となる。そんなレベルの幻覚を、イグニもエリーナも2人して見抜けなかったなどあり得ない。
だから、イグニは別の可能性を探りあてた。
「……疑似魔法か」
「疑似魔法?」
ラニアが尋ねてくる。
この中で魔術に最も詳しくないのは彼女だろう。
ならば、その質問も仕方ないと思いながらイグニは伝えた。
「疑似的な魔法だ。0から1を作るんじゃなくて、元からある基盤に重ねるようにして魔術を使うんだ」
「それって魔術と何が違うの?」
「……ん。厳密に『こう』と分ける方法は無いんだけどな、基準の1つって言われてるのは規模と威力だ」
「規模と威力」
ラニアがイグニの言葉を繰り返す。
「ああ。普通の魔術ではあり得ない規模の魔術。だけど、0から1を生み出して無いから魔法ではない。だから、その中間地点にある魔術のことを疑似魔法って呼ぶんだよ」
「はぇー。1つ賢くなっちゃった」
そういって手を打つラニア。
その後ろに控えているニエとエリーナは、この状況が疑似魔法によって生み出されたものだと知っているので、常に警戒中。
どこから何が襲ってくるか分からないからだ。
「姉さま、警戒してください。この状況はまずいです」
「ああ。全員警戒した方が良い」
そして、ニエとエリーナが同じタイミングで口を開いた。
当然、イグニもラニアもそれに気が付いている。
「……囲まれてるな」
ぽつりとイグニが漏らした瞬間、右後ろで魔力が熾る。
「『闇よ固まりたまえ』」
ニエの詠唱。一瞬遅れて、イグニの右後ろに生み出された闇が固まって壁になる。
そして、魔術が着弾。瞬きする間に闇の壁が蔦で覆われた。
「『浸食蔦弾』かよ……っ。すごい魔術使ってくるな……!」
イグニがそう声を漏らす。
『浸食蔦弾』は着弾した場所に根っこを張って、対象を内側から破壊する魔術である。完全にこちらを殺すつもりの魔術だ。
とりあえずイグニは『ファイアボール』を5発ほど『浸食蔦弾』が飛んできた方向に撃ち返しておく。
速度も威力も適当だが、爆発範囲をそれなりに広げたものだ。
それらが重なり合って爆発することで、隠れていようが逃げようが問答無用で吹っ飛ばす作戦である。
「俺はユーリを探す」
後方で爆炎が広がる中、イグニは全員に聞こえるようにそういった。
ここにいる4人ともユーリが闇に飲み込まれているところを見ている。
それはつまり、ユーリもこちらに来ているということだ。
「そ、それは良いんだけどさ! ここからどうやって出るの!?」
「それについては俺に案がある。ユーリを見つけたら、上空に花火をあげるから撃ち返してくれ」
「分かりました。姉さま、花火に関しては私がやるので大丈夫です」
ラニアの質問にイグニはすぐさま返すと、『装焔機動』で上空に跳びあがった。次の瞬間、上空に跳びあがったイグニに向かって無数の魔術が向けられる。
だが、イグニは空中でさらに加速するとそれらすべてを置き去りにして一気に空高くへと跳びあがる。彼についていけなくなった魔術たちが空中で激突しあって爆ぜる。だが、そんなものに目もくれず雨を切り裂いたイグニは途中で静止すると眼下を見下ろした。
「……どこにいるんだ?」
上から見下ろした光景は、異常という言葉で説明できた。
まず、イグニたちがいる空間は限定的だった。鉱山を中心に、山の裾までしか再現されていない。それよりも先は闇の虚空に消えている。そして、再現されている空間ぎりぎりまで伸ばされた呪刻が煌々としており、闇の中にわずかな光をもたらしていた。
「早いところ見つけだして、帰らないとな」
この疑似魔法がどういうものであれ、長居すればするほど良くないことになることは確かである。イグニは上空から白い髪の毛を探すが、そうそう見つかるものではない。そもそも坑道付近は木が伐採されているものの、それ以外は手つかずの自然が残っている。
空から見つける方が難しい。
「……降りるか」
「へぇ。あんた空飛べるんだ」
ふと、イグニの後ろから聞こえてきた少年の声。
そして、流れるような魔術の熾り。
イグニはとっさに身体をひねると、イグニの頭があった場所を『ウィンド・カッター』が抜けていった。
殺す気満々だが、あいにくと魔術のレベルが低すぎる。
「……誰だ?」
「アンタこそ誰だよ。勝手に村に入ってきやがって」
ふと、イグニはこの声に聞き覚えがあることに気が付いた。
先ほど、こちらに呼び出される前に『殺せ!』と叫んでいた声だ。
振り返った場所にいたのは黒い髪の少年。
歳のほどは10歳ほどだろうか。
「そういうことか。だんだん分かってきた」
イグニは何が起こっているのかを大まかに理解。
「なぁ、君たちはお互いにどこにいるのか知ってんのか?」
「知らねぇ」
イグニの問いかけに目の前の少年が答える。
「そうか。じゃあ、いいや」
イグニはそれだけ言うと『装焔機動』で、地面と水平に身体を飛ばした。ユーリの場所を知っているかと思って聞いてみたのだが、知らなそうなので無視。
「おい! 待て!! 逃げんな!!」
遅れて少年の方もイグニに向かって風を操作してやってくるが、魔術の行使はたどたどしい上に術の精度も高くない。はっきり言って、子供の魔術だ。
「流石に……これにユーリが負けることは無いか」
イグニは魔術を見ながらそう呟く。
攻撃魔術は使えなくとも、防御魔術や妨害魔術に関してユーリは一流だ。
「あ!? 俺がユーリに勝てないだと!!?」
だが、その言葉に逆上する少年。
イグニはスルー。
この子供たちが既に死んでいることも、そして呪いとしてこの世に縛られていることにも気が付いている。
これはきっと、あの日の再現なのだろう。
ユーリが人を殺し、そしてたった1人生き残ったその日の。
「俺は強いんだ! ユーリにだって勝てるんだよ! 適性だけが高いやつと一緒にすんな!! 俺の魔術は最強なんだ!!」
少年はそう叫んでイグニに『ウィンド・カッター』を撃ちまくる。
「前回の生き残りは俺なんだぞ!」
刹那、少年の魔術がイグニを掠った。
「……ん?」
イグニの感知している魔力の熾りが変わった。少年の中にあった、魔術を習いたてのたどたどしい熾し方ではない。十年以上、魔術の道に自らを投げ入れた者特有の熾り。必要最低限の魔力が、スムーズに熾されて魔術としての指向性を与えられる。
「おい」
それを不思議に思ったイグニは空中で静止。
「前回ってどういうことだ?」
「俺たちはあの日から、ずっと『蟲毒』を繰り返してんだよ! ユーリを殺すためにな!」
「……どうして?」
「あの日あいつが勝ったのは何かの間違いなんだよ! 俺の方が強かった! 俺たちのほうが勝ってた!!」
少年が嬉々とした表情で叫ぶ。
「俺だけじゃねえ。みんなが思ってる! だから、やり直すんだ!」
研ぎ澄まされた『ウィンド・カッター』がイグニに飛んでくる。
初級魔術でも、それを極めれば必殺になると他ならぬ彼自身が知っている。
けれど、1つ疑問に思った。
「……なら、俺なんかの相手をしてていいのか?」
数年もユーリを恨んでいるのであれば、イグニの相手をしなくてもユーリを探すものでは無いのだろうか。
「最後には1人になるんだからよ! ここでアンタを先に殺したって変わらねえだろうが!」
少年はそう叫んで、再びイグニを狙う。
「確かにその通りだな」
「それにアンタが一番弱そうだからだよ!」
イグニが相槌を打った瞬間、少年の言葉でイグニは心にダメージを負った。
「え……? マジ? 俺が一番弱そうに見えた? 何で???」
モテの極意その1。――“強い男はモテる”。
これは、強そうな男がモテるということも意味されている。
ということは、他人には強そうに魅せた方がモテるということであり、逆を返せばそう見えないとモテないということである。イグニは今後に直結する大切な事態に気が付いて少年に問うた。
「あ? そりゃあ、見て分かんだろ」
「は? 俺が一番強そうだろ」
肉体年齢はともかく精神年齢に関して少年より上と言えるかどうか怪しい馬鹿はそう言うが、
「はぁ、アンタ何にも分かってねえのな。まず、黒髪のねーちゃんは剣持って魔術の気配にもビンカン。ってことは、強いに決まってるだろ?」
エリーナのことか、イグニは頷いた。
「んで、次にちびっ子は魔術の組み立てが速かった。それに、エリィの『浸食蔦弾』も防いでたから強いに決まってる」
確かに一理ある。
「その姉の方は……そこが知れない。こんな状況だってのに、焦りもしねぇ。怖がりもしねぇ。底なしの余裕がある」
それは無知なだけだろ……。という言葉をイグニは慎んだ。
女の子の悪口は本人が居なくても言わないのがカッコイイ男である。
「んで、アンタだよ。最後に残ったのは、入った後焦ってどこかに行こうとする。魔術も『ファイアボール』しか使わねえ。つまり、アンタが一番やりやすい」
「……そうか。教えてくれてありがとよ」
イグニはぽつりと少年に返した。
「『装焔:極小化』」
そして自らの後方に後光のような魔力炉を生成すると、極小の『ファイアボール』をそれに預けて『加速』。
全くもって大人げない一撃で勝負を決めた。




