第4-1話 夢と魔術師
ボクはこれが夢だと知っている。
手が生暖かい。どろりとした温かみが身体にまとわりついている。吐き気をするような人の澱みが周囲に満ち満ちているから、呼吸をするのさえも難しい。
「ハァ……ハァ……」
息が漏れる。いつもなら歩きなれているはずの森の中が、月の光の中では全くもって歩けない。闇の塊に先行させて、その後ろを歩く。打ちつけるような激しい雨と、雷だけ今の耳に響いた。
「嫌だ……。嫌だ」
目の前で起きたことを頭が理解することを拒否して、吐き気がこみあげてくる。死んだ。みんなが死んだ。
「死にたくない……。死にたくない」
誰かに後ろを追いかけられている。それは分かるのに、それが誰だか分からない。あの惨劇を引き起こした主か。それともそれから逃げだしたうちの誰かか。
「なんでボクたちが……」
パッ、と雷が光ると遅れて雷鳴が響いた。
その瞬間、ボクは後ろの気配に気が付いた。
「ヒハハハっ!!!」
パァン!!
雨の中、乾いた音とともに後ろから飛んできた岩礫をギリギリで避ける。それはボクの後ろにあった木に直撃すると、大きな穴を開けた。
「流石は神童!初めて避けられたぜ!」
「……どうして、こんなことを」
雨が2人を濡らしていく。
「決まってるだろ。やらなきゃ死ぬからだよ」
「だから、殺したの!?」
目の前の少年は、それを肯定することも否定することもしなかった。ただ、黙って魔力を熾した。この時のボクはそれに気が付かない。それを見る目も持ってない。
ただ、身体が勝手に動いた。
「『這い寄る者は闇より出でて』」
「『岩――』」
「『喰らえ』」
ずん、と少年の下が巨大な闇に染まって、そこから生まれるのは無限の乱杭歯。それが、少年の下半身に食らいついた。
目の前の少年が詠唱するよりも先。圧倒的な速度と、衝撃的な威力でもって地面の口が少年の下半身を食いちぎった。
「クソが……。クソクソクソ」
上半身だけになった少年が、何度も何度も毒を吐く。
「……やっぱ才能じゃねえか」
助けたい。でも、助けられない。
助けたら、自分が殺される。
倒さないと、自分が死んでいた。
目の前の命が失われていく中で、ボクはただ彼を見た。
「やっぱり噂は噂通りだったな。ユーリ!」
その言葉をきっかけに、ボクは目を覚ました。
2段ベッドの上。この間、壊された窓枠はすぐに学校が手配してくれた魔術師によって修復された。ベッドの下では、朝に弱い同居人がまだ寝ている。身体を起こして、着替える。
そして、下に降りると彼の寝顔が目に入った。
「……イグニ」
今日は顔が渋い。嫌な夢でも見ているんだろう。
起こそうかと思ったけど、いま起きても二度寝することをこれまでの経験で分かっていた。
「もし、君があそこにいたら」
意味の無いIF。
でも、そういうことを考えてしまうのは、人だから。
「ボクを助けてくれたかい?」
答えはない。
そしてユーリもまた、答えを求めていなかった。
――――――――――――――
「そろそろ夏休みだね」
「暑くなってきたよな」
夏服の制服に着替えた彼らは、学校まで歩いて向かう。途中で、箒にのった魔女とその横を歩く2人の少女たちと合流。
「ユーリは夏休みにどこかいくのか?」
「ボクは実家に帰省しようと思ってるよ。入学してから、一度も戻って無いから」
「実家か」
イグニには実家がないので、よく分からない感覚である。祖父のいる場所が実家になるのだろうかと考えたこともあるが、放浪癖が強すぎてどこかに定住できないルクスがどこかに住めるはずもない。
つまり、イグニには家が無いのだ。
「イグニはどうするの?」
「俺は……もっと研鑽を積まないといけないから。どっかで少し鍛えたい」
「凄いや。流石はイグニだね」
ここでイグニが言っているのは魔術に関する話ではなく、モテに関する自分磨き的な話だったのだが誰にもそれは伝わらなかった。いや、イグニはあえて伝わらないように言ったのだ。流石にモテたいから自分磨きやってくるなんて言うような男はモテないのである。
「アリシアはどうするんだ?」
「私? 私はどこにもいかないわよ。ずっとここにいるわ」
確かにアリシアの現状を踏まえると実家に帰るわけにもいかないだろうから微妙なところだろう。連絡は定期的に取っているらしいが、だからと言って気安く帰れるというわけでもない。
それはどちらかというと、アリシアの心境的な問題だ。
「リリィは?」
と、聞いたのはアリシア。
「私は一度、帰ります。ルーラとクララ様が待ってるので」
「そっか。イリスは?」
と、続けてアリシア。
「私? 何も考えてないけど」
イリスは日差しを鬱陶しそうに手で隠して、そう言った。
「夏休み中にサラとどこかに遊びに行きたいな」
「そうね。ずっと下にいるのも可哀想だし」
「でもどこ行くかなぁ。海には行ったし、森にも行ったから……。あれか、山にでも行こうか」
「山登り? 楽しそうじゃない」
「サラが途中でバテないと良いけど」
とか何とかいいながら登校。イグニたちは生徒会に用事があるので2手に分かれる。
学校の中は冷気を吐き出す魔導具のおかげで、涼しい。
「よォ、1年生。今日は遅いな」
「夏服探してたらこんな時間になっちゃいまし……」
イグニの言葉が尻すぼみに消えて行く。
そこには爆弾があった。
生地の厚い冬服の時から主張の激しかったミル会長のおっぱいが薄手の夏服になったことで強調されてるのなんの。
しかも夏服は半袖。半袖ということは何が起きるか!!
そう……! 二の腕だッ!!
――――――――――――
『じいちゃん。なにこれ!?』
『なにこれとは何じゃ。……あ? どこで買ったんじゃこんな絵』
『違うよ! 落ちてたの拾ったんだよ!!』
イグニの手元にあったのは二の腕ばかりが強調されたニッチな絵であった。
『凄いもん拾ったの。こりゃ高いぞ……』
『じゃなくて! なんで二の腕なの!? おかしいじゃん!』
『何がおかしいんじゃ?』
『だって……! おっぱいとおしりなら分かるけど二の腕だよ!? ただの腕じゃん!!』
バチン!!
『え、ええ……!?』
『……はぁ。呆れたぞ。イグニ』
『な、何が!?』
『ワシはお前に心底呆れた。二の腕がただの腕? 分かっておらんの。何も分かっておらん』
『……な、何だよ。何が言いたいんだよ!』
『二の腕がただの腕ならおっぱいはただの脂肪の塊。尻もただの脂肪の塊。違うかの?』
『……それは』
イグニは言葉に詰まった。
『だが、違う。おっぱいも尻もただの脂肪の塊じゃない。そこには詰まっておる』
『な、何が……?』
ルクスは沈黙。ただイグニを見つめた。
『――夢、がな』
『うおおおおおっ!!!』
『二の腕も同じこと! 男の者とは違って柔らかく肌触りが良いそこには夢が詰まっている!!』
『そ、そんなことが……!』
『イグニ! そのことを努々忘れるな?』
『夢だけに?』
バチン!!!
『つまらん!!!』
イグニはルクスの正論にぶっ飛ばされた。
――――――――――――
しかし……!
ただの二の腕だけならここまで興奮しない……!!
だが、二の腕が圧倒的最強になれる瞬間がある……!
それはおっぱいを二の腕で挟んだとき……!!
強調されるおっぱいに添えられるように白磁の二の腕が煌めく……!!
しかも、ここにいるのは生徒会2強を誇るミル会長のおっぱい……!!!
たまらん……!!
「じゃ、朝の見回りに行こっか」
ミルがそう言って立ち上がる。
「はい! やりましょう!!」
イグニのテンションは朝から高かった。




