8 お母様の魔法
「お、お母様……私にこんな素敵なドレスは……」
「大丈夫よ、シェリル。今日だけ、私があなたに魔法をかけてあげる。誰が見てもあなたを素敵だと思う魔法。このドレスはそのための小道具にすぎないわ、アクセサリーもね」
私の自室に、今夜のパーティー用のドレスが運び込まれてきたとき、私はあまりの事に驚いてしまった。
今はスカートが膨らんだドレスが主流。ウエストを絞り、胸を押し上げて、大きくスカートを膨らませた物が好まれる。
しかし、お母様が選んだのは、胸を押し上げて美しく見せる形は一緒でも、ほっそりとしたエンパイアラインのドレス。少しマーメイドラインに近いように生地が捻ってあり、それでいて身体のラインが出過ぎない上品なもの。裾のスリットからは若さに合わせてか、ふんだんに白い絹のフリルが覗いている。
重たく見えないのは光沢のある絹だからだろうか。そして何より、私の瞳と同じアイスブルーのドレス。宝飾品も青くて深みのある大きな宝石に銀細工の美しいもの。
何もかも私には不釣り合いな気がしてしまう。それでも、お母様は私に嘘は言わない。魔法をかけてくれるというのなら、本当にそうに違いない。
メイドの手によってお風呂で肌を磨かれ、ドレス用の薄い下着を身につけコルセットを締め、髪を乾かされて梳られる。灰色の髪は大事に伸ばされて、香油をつけると銀糸のようになった。
私に不釣り合いなドレスを着せられて鏡台の前に座る。あいかわらず可愛くない私がそこに写っている。ドレスのおかげで少しは見られるような気もするが、きっとドレスに目がいって、私の顔を見て落胆するに違いない。
そこからはお母様の仕事だ。
不安そうな顔の私の隣に、30になってなお美しいお母様の顔が並ぶ。メイドを全て追い出して、お母様は言った。
「今から魔法をかけるわ。今夜、帰ってくるまで解けない魔法。そこで素敵な人を見つけていらっしゃい。それでダメだったら、私の用意したお見合い相手と結婚するの。……一度だけの魔法よ。そうでなければ、今夜、あなたを一生守ってくれる誰かを見つけられなければ、私の言う事に従う事。一人でパーティーには二度と行かせない。……大丈夫よ、シェリル。あなたは私の魔法で今夜だけは国中の誰よりも美しくなる。信じて目を閉じて」
お母様の言葉は重みがあり、私はお母様と重ねてきた年月の信頼を胸に目を閉じた。
顔の上をさまざまなパフや筆が走る。くすぐったくもあったけど、私の顔にこれだけ細工をする事は今まで無かった。髪も綺麗に編み込まれ、まとめあげられている感触がする。
どんな出来か気にはなるけれど、お母様がいいわよと言うまでは我慢だ。
最初に会ったときのお母様は本当に綺麗だった。その後も、ずっとずっと綺麗な人だ。そのお母様が本当に可愛くないと言い続けた私の顔を、魔法で今夜だけは国中の誰より……そう、お母様より美しくしてくれると言った。
「いいわよ、シェリル。目を開けて」
「……!」
そこには、生前の本当のお母様によく似た、私には見えない誰かが映っていた。
私の目はこんなに大きくなかったと思うし、顔色もいい。髪型もほつれの一つもなく、唇は艶やかでありながら私の色素の薄い顔を引き立てる薄桃色だ。
全くの別人に見える。これでは、ビアンカたちに会っても気付かれないのではないだろうか。彼女たちも今夜のパーティーに参加するのは知っているけれど、あまりに顔が違いすぎる。
本当に、魔法だ。最初は野暮ったくする魔法。今度は別人のように美しくする魔法。お母様の化粧は、魔法と言うのに相応しかった。
「きっとメイドも馭者もびっくりするわよ。みんな、綺麗と褒めてくれるわ。そうね……魔法にかかったあなたは本当に綺麗。シェリル、あなたは綺麗だわ」
「お、かあさま……」
まさか、お母様に綺麗と言われる日が来るなんて。
仕上げに首飾りと耳飾りをつけると、お母様は、いってらっしゃいと、私を廊下に出した。今日は玄関までは見送らないつもりらしい。
「いってきます。……お母様、ありがとう」
微笑んでお母様にお礼を言うと、パタン、と扉を閉じる。
待ち構えていたのは、家中の使用人たち。
「とっても美しいですわ、お嬢様!」
「絶対に男がほっときませんぜ! 絶世の美女でさぁ!」
「こら! 下品なことを言わない! それにしても、本当に女神のようです!」
かつて使用人たちにこれ程褒められたことはなかった。
私は使用人たちに玄関までずっと称賛され、見上げた二階にいる父と目があった。
父は驚愕の表情で私を見つめているが、何も言わない。
言わないことは、聞かれたくないこと。だから私は父を責めもしないし、期待もしない。
いってきます、の言葉の代わりに、淑女の礼をして馬車へ向かった。