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14 こんな私を愛さないで

 劇の内容はこうだ。


 マリオットの悲劇……悲劇とは銘打たれているが、どちらかと言えば群像劇に近い。


 マリオットという煙突掃除の男が服屋の下働きのリナという女性と恋に落ちる。リナはいつか自分の服屋を持ちたいと願っていて、マリオットとは話をするだけの関係。手を握るには、布地を扱う彼女の手は白く綺麗で、マリオットの手は炭で汚れすぎていた。


 そして、マリオットは夢を持って頑張るリナを応援したくて仕事を増やす。……やがて、少し危ない仕事にも手を出してしまう。


 マリオットは危ない仕事の身入りのよさに、炭だらけだった手で札束を握る。これを続ければ、リナに店舗を買ってあげられるかもしれたい。


 リナはリナで、店主にメインデザイナーに取り立ててやってもいいが、と身体の関係を求められる。忙しくしていてマリオットにも相談できないリナは、有耶無耶に流されるまま体を許してしまう。


 マリオットには多額の貯金ができた。命が危ないこともあったが、手の炭汚れはなくなり、服も仕立てのいい物を着るようになった。


 久しぶりに会ったリナがメインデザイナーに取り立てられていると知り喜ぶマリオット。店を買ってあげる、と言うマリオットに、リナは「私にそんな資格はない、こんな私を愛さないで」と突き放し距離を置く。


 マリオットは呆然とした。なぜ、こんなに……時には命さえ危うい思いをして、時には相手の命を奪ってまで、リナのために頑張ったのに、リナに突き放されるのか。理由がわからない、とマリオットは深夜でも明かりのついているブティックの窓からそっと中を覗いてしまう。


 そこには店主を自ら誘うようになったリナと、彼女の美しさにお願いを聞く店主の姿があった。


 かくしてマリオットの手は炭ではなく血で汚れ、二度と取れない汚れと共に、本当に必要だったのはずっとリナのそばにいる時間だったのだと悔いる。


 リナは心の中に煙突掃除のマリオットをすまわせながら、やがて店主を意のままにして金を手に入れてブティックを開く。


 紳士服も扱う店だ。マリオットもいつか来てくれるかもしれない。しかし、その時にはマリオットは汚れた自分の手をどうする事もできず、街を去っていた。


 ——本で読んではいたが、劇として見ると俳優の役作りに圧倒される。


「……こんな私を愛さないで」


「シェリル?」


「いえ、なんでもないんです。いい劇でしたね、泣いてしまいました」


 ハンカチで目元を拭いながら、ポツリと自然に出てきた言葉を流す。


 専用の油でなければ落ちない化粧だが、それにしたって心にくるものがあった。


 本を読んでいた時にはまだ、夢を見ている余裕があった。しかし、夢が現実になった今、こうして話を突きつけられると胸にくるものがある。


 私は誰かに手篭めにされたわけではない。しかし、生まれながらに可愛くない……美しくない。


 隣の人はどうだろう。とても美しい男性。身分も高く、私が釣り合うところなんてあるだろうか。


(ダメよ、シェリル。今は劇につられて感情が揺さぶられているだけ。卑屈になってはダメ)


『あなた、本当に可愛くないわね』


 お母様との初対面が、よりによってこんな時にフラッシュバックする。


 ユーグに促されて席を立つ。外は街灯が頼りなく灯るだけの暗闇の中で、少し夜風が寒い。気持ちが落ち込んでいるせいだろう。


 ユーグが肩に上着をかけてくれた。夏とはいえ、些細な変化に気付いて優しくしてくれる。


 劇場の入り口から少し離れたところで迎えの馬車を待った。ユーグはあれこれと話しかけてくれたが、私は生返事になってしまっている。


 こんな私を愛さないで。


 口に出してしまえたらどれ程楽だろう。私はそれを飲み込むのに精一杯で。


「シェリル」


 そんな私を、ユーグが抱きしめてくれた。


 暗くて人の往来も無いとはいえ、こんな街中で。はしたないとは思ったけれど、彼は私の悩みごと、私を抱きしめてくれている。


「何をそんなに心配しているのか、私には分からない。だけど、シェリル、私が君を好きになったのは、……ずっと心に君しか望めなかったのは……、君が美しい人だからだ」


「な、何を……」


「見目だけの話ではない。君の所作、そのための努力、もちろん見た目もとても素敵だけれど……会話も楽しいよ。君の全てが本当に美しい。……お願いだ、シェリル。あの日のように、私に君を諦めさせるような事は言わないでくれ」


 ユーグの甘い言葉が、私の中の暖かいロウソクの火を揺らす。広い背中に手を回して、私も彼を抱きしめ返した。


 素直に、はい、と言える強さはない。今は、これが私の精一杯だった。

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