11 魔法のちから
「あ……」
「お手をどうぞ、美しいレディ」
私がお母様の魔法でたどり着いた美しさの上を地でいく綺麗な男の人は、腕を差し出したまま微笑んでこちらを見ている。
あの野暮ったい私の所作を見て探してくれた男の子。野暮ったい顔を見ても、瞳を輝かせてくれた男の子。
「もう、ジェントルですから」
まさか会話内容まで覚えているとは思わなくて、その言葉に思わず笑ってしまった。
この綺麗な人を待たせるのはよくない。私は彼の腕に手を乗せて、階段を降りた。
会場はやっと、波のようにさざめき始める。ホッとした。あの静寂は心臓に悪い。
私の安堵した様子に、エスコートしてくれたユーグ様は小さく笑っている。一体何がおかしいのだろう。
「わかりませんか? みんな、あなたの噂をしている。あんまり綺麗だから、私も見惚れて迎えが遅くなりました」
「そんな……、これは、お母様の魔法です。今夜一晩きりの。私の内面を見てくれる男性を探すために……今日だけは、私は綺麗なんです」
私の言葉の意味は果たして伝わったろうか。彼は少しよく分からないという風に首を傾げてから、少し考えて言葉を放った。
「あなたは最初に出会った時から美しかった。確かにあの化粧はどうかと思いましたが、所作の綺麗さや立ち居振る舞い、優しさは更に磨かれているのでしょう。今もほら、自分では分かりませんか? とても綺麗な立ち姿だ」
そう言って壁を指差すと、そこは灯りを反射させるために一面の鏡の壁になっていた。
金髪がシャンデリアに赤く煌く、美しくも背が高く肩の広い男性の隣に、見覚えのない女が立っている。
それが自分だと理解するのに、少し時間がかかった。
シャンデリアの光を反射する艶のある灰色の髪に、アイスブルーの瞳。普段の可愛くない私とは別人にしあげられた顔。姿勢良く、隣の方の腕に手を置く姿は、確かに美しい。
そうだ、今日の私は、今日だけとても美しいのだった。卑屈も謙遜も忘れて……、楽しまなければ。
しかし、いきなりエスコートされてしまったけれど、ユーグ様は私を他に渡す気は無いとでもいうように離れようとしない。
やがてまた誰かが入ってくる。そちらを見て、そして会場はさざめいてを繰り返す。
ユーグ様はその間、ずっと私について話してくれていた。気恥ずかしかったけれども、この会場にこの方以上に私の内面を見てくれる人がいるとは思えない。
「最初に会った時から、あなたは礼儀正しく綺麗だった」
「あの化粧ですら、自分がどれほど整った顔をされているか分からないと? それに、あの野暮ったい顔での堂々とした振る舞いは、あなたが真にあの化粧の意図を理解している証だったと、ずっと考えていました」
「食べ物は何が好きですか? 先に会場に入ったので、どこに何があるかは分かっています。今のうちに少し何かお腹に入れておきましょう」
こんな具合に、初対面の私と今の魔法にかかった私。どちらも私として見てくれる。顔の美しさだけじゃない、可愛さだけじゃない。それも褒めてはくれるけど、ユーグ様はお母様のようだ。
私は軽食よりもケーキが食べたいと言うと、腕を組んだままそこまで連れて行ってくれた。何種類ものケーキに私が目を輝かせていると、皿の上にいくつものせてくれる。
が、こんなには食べられない。残してしまうのはもったいないし、失礼な事だ。
「あなたは食べたい分だけ食べてください。残りは私がいただきます」
「えっ、いえ、ダメですそんな。残り物を食べさせるだなんて……」
「私が皿に取ったのです。それをあなたが味見して、美味しいものを教えてください。さぁ、フォークをどうぞ」
そうまで言われてしまえば受け取らないわけにはいかない。
彼の手の上に乗ったお皿には、装飾にも凝ったケーキが色々と乗っている。
コルセットで締められているのもあって、どのケーキも美味しいけれど、2口ずつ食べてお腹いっぱいだ。
「どれが美味しかったですか?」
「どれもとても……あぁでも、この緑色の、ピスタチオのクリームのケーキは一番美味しかったです」
私が示したケーキに、ユーグ様は自分のフォークを使ってそれを口に運ぶ。まさか、食べかけのケーキを男性に食べさせるなんて……。
本当に美味しい、と言って残りのケーキも全てたいらげました、この方。細身に見えるのに、どこにそんなに入るのかと感心してしまう。
やがて、音楽が流れ始めると会場の中央にあったテーブルが避けられ、場所が出来る。ダンスの時間のようだ。
「一曲、踊っていただけますか?」
「……はい。もちろんです」
私とユーグ様もダンスフロアに進み出ると、そんなに難しい曲では無いから笑ってお喋りしながら踊ることができた。
「ダンスも上手ですね。他に趣味は?」
「ふふ、ユーグ様こそ。そうですね、趣味は読書で、あとは刺繍も好みます。新しく出たマリオットの悲劇という本はご存知ですか? 演劇が今度上演されるんです」
「おや、奇遇ですね。私も最近それを読みました。演劇のチケットもあります。よければご一緒に行きませんか?」
「え……」
私は困ってしまった。今日限りの魔法だ。お母様は、私を守ってくれる男性を見付けなければ、お見合いで婚約させると言っていた。
それでは二股になってしまう。私が返事に詰まっているのをどう取ったのか、お互いに顔だけは笑いながら踊りを続け、そして踊り終えて。
そして、ユーグ様はその場で私の手を取り跪いた。
「私は最初に見たときから、あなた以外を望むつもりはありません。どうか、結婚を前提にお付き合いをしていただきたい、シェリル・ミュゼル伯爵令嬢」
お母様、魔法の力はすごいです。
本当に、私の内面を見て、私を守ってくれて、顔の美醜で……それは今日だけではなく最初に会った時の顔の私でもいいと、言ってくださる方があっという間に見つかった。
私はこの申し出に、はい、と答える以外の事はできなかった。