踏みにじられてきたものvs踏みにじりし者
ブタってとんでもないハイスペック動物ですからね。まず、人間さまが到底及ばない嗅覚、人間さまがどうして今の今まで生存競争の頂点に立てていたんだろうかなあ。この世界では、盟主を人間に討たれてきたので、人間の世界に盟主を関わらせないように、自分から関わらないようにしてきたという裏設定がございます。
「おい、シェフ!今晩の料理は何だ?」
「はい!坊ちゃま。今宵の料理は最高位地竜のムネ肉のウェルダンステーキ、味付けはバターソイソース味と、砂麦パンでございます」
「おい、砂麦か……大丈夫か?アレ、レンガに使う材料であろう。食用に本当に出来るのか?魔神様もゲラゲラと大笑いしなさっていて、答えてはくれんしなあ。まったく、智慧の魔神さまより譲られているこの食べ物が全部こういうクセのある食物なのが容易に推測されるのが、レッドドラゴンブレス・チリペッパーを使用した激辛カレーを食べた時のようなインパクトを与えてくれるなあ」
それは原初の主君と交わした遠き日の約束のお話。
原初の主君の無能を補うために、大いなる混沌の祖に産み出されたのが我らを含めた神の眷属、“原初の獣”である。原初の主君は、全ての智慧と引き換えに全ての才能を喪った。元よりあった王としての才も、神に捧げる武器を産み出す才能も、ありとあらゆる職業に成り得る可能性を自らの手で放棄した。金輪際、このようなものなど必要のないことだと……皆と共に暮らすために、そのような突出したものなど不要である、皆の食べられるもの、皆の好き嫌い、噛み合い、ありとあらゆる共生の方法をあのお方は我らのために必要とした。あのお方は我らに助けてもらうからといい、日輪の獅子には王の才能があったとはいえ、あのお方にこそふさわしい玉座を自らの手で倒しなさった。ああ、そんなことをしてしまうから、あのような下劣な支配主義者にあなた様は奪われたのであります、殺されたのであります。
我らは人を敵とみなしたことは一度たりともない。森に暮らす偉大なる友や、主君のために才を補うための礼装を作ろうと日々奮闘している土の精霊、全てを歯牙にかけない傲慢の塊である龍種。それらすらも勝利を許させないように作り、混沌より直接権能を与えられて、主君の死によって歪みが起きた我ら八つの獣にとっては障害にすらもなり得ない。
エルフたちは、主君に森の中で隠れて生きていく術を伝えたご恩に報いて、主君の意志をこれまで送り届けてきてくださったので、尊敬に値する友人として我らは接している。
ドワーフたちは主君の奪われた眼球の代わりに魔力や害意を見る神の瞳を生み出したので、コイツのおかげでたくさん助けられてきた……コイツらには我ら獣の方がご恩があるだろうなあ。
龍種は肉として生かされている。龍種の鱗は、人の世では高く売れて、我らが偉大なる主人にして友たるウィルファさまの名声を、否が応でも高めさせてくれるだろう。ウィルファ様の予言の七割は、この龍種やその眷属に関するものあたりで構成されているからだ。龍種は人が立ち向かうにはあまりにも恐ろしく、容易く人の子の命の根を掴み、抜き取ってしまう。ああ、なんと、知性を不要とし、混沌から全能の恩寵を与えられた、人への憎悪に凝り固まった全能の魔神の眷属らしい行為であることか。その力は、彼を奪った人間への憎悪に凝り固まっている。人間種の絶望、人間種への破滅を乞い望むその姿は、まさしく滑稽よな。主君は人間種にしか生まれ変わることができない。そのせいで、我らとて、人間種への憎悪と報復に向けたいという心を封じている。ああ、全てを可能とする力を手放した時に、あのお方には、最もおろかしき種族へとなったからだ。
最も弱い種族である人間のままである呪いを背負いたりし我らが主。呪われた主は、なぜ、どんなものでも、簡単に殺されてしまうような薄い皮膚、言葉を使えるだけで、かえって、孤独になって悲しみ、絶望に包まれるようなことになり死んでしまうような種族となるのか。人間は簡単に死ぬ。寿命で死ぬ、密林の樹林の刃のような葉で死ぬ、主君を護るために生み出された八百万の病の王、彼に殺されてしまうような弱き種となった……なぜ、人であっていいことがあるのか。
しかしながら、全能は何も知らない、異種族へと生まれ変わるための術を持たず、前世の記憶を受け継ぐ術を持たず、それなのに、前世と同じようなことをしてしまう。
彼を護りたかった、彼が護られる世界になって欲しかった。なのに……どうして、アレがまた幸せを奪うのか。
「幸せとは裏表があるものなんだ。シェフ、オレは偉大なる友と呼ばれてはいるが、それを不幸だと、暗闇から救い出してくれたフー姉は言うがね、私はあの暗闇の世界も幸福だったのさ。だって、一人じゃなければ、ユグリナよりも先に死ぬという天命に号哭せずにはいられなかったからね」
「坊ちゃま、人の世とは理不尽がいたるところにございます。人の世に、呪いあれ。そうですなあ。闇夜に潜む偉大なる者がなぜ人に仕えているのか。なぜならば、坊ちゃまに救われる時を、掬われる時を待ち望むからです。いつか、坊ちゃま、この土地だけでも闇夜の眷属も、日輪の眷属にも、光が降り注ぐ楽園とさせてくだされ」
そう言った我らの約定は二千年の時を経て、ついに成就した。
その主君を犠牲にするわけにはいくまい。
忠とは主君に従順であるだけではあってはならない。主君の愚行を、間違いを、命を賭けてでも止めてやることでもあるだろう。
さて、それにしても、そう目前に迫る敵の姿をよく見る。その敵は、二頭の狼、左右に向き合い、線対称となった二頭の狼が描かれたエンブレムが描かれた鎧は帝国の高位武官であることを示す。帝国は、主君の献身によって建てられた国である。それなのに、常に主君に仇をなす国でもある。だからこそ、この国の歪さにも気がついていながら、主君はこの国の歪さを正すことをしようとはしなかった。主君は、火中の栗を拾うようなことは、好きではない人。主君は愚かな行いをしたくなかったが、愚かな行いを好む人だった。確定された未来をせせら嗤い、変化していく現状を愛する。常に移り変わる世界の楽しみを探すのを愛した人だったのだ。それにしても、今のところは、双方ともに不利である。なぜならば、シェフにとって、戦いは得意ではないのだ。シェフは後ろで支援をするのが主な仕事であり、敵を倒すのはもっぱら、サルやクマなどだったからだ。だからこそ、自分の巨体で動きやすい場所で戦いたかったのだが、密林へと逃げられたのだ。密林へと逃げられたならば、この鈍足な身体では追いつけない。普通ならばそう思うはず。自分たちは、勇み足で木々を伐り倒して、進み出す。自分たちは呪いをかけられている。そのため、この身体を変えていく。人の姿として、戦う意義を見出せない。
暴食の王は、戦いによっては決して目覚めない。なぜなら、彼らの戦場は調理場であるからだ。調理場で戦うから、シェフと呼ばれている。食卓であるからこそ、彼の本領は発揮できる。
暴食王の目覚めはまだだ。まだ目覚めないように、二重三重の封印をしている。しかしながら、ビリビリと封が破られる音が聞こえ出す。王は怒り出すと、主でさえも止められない。だからこそ、彼は念入りに重い鎧を着せていた。されども、王にかけられた封印を知らない愚かな者は虎の尾を踏む。
「なあ、お前さん、どうして、ここのことをよく知っているのだ?この密林に、何回足を踏み入れた?」
「ああん、そんなもん、手の指で数えきれるわけではないに決まってんだろ。あのご当主様は、森のことをあまりにも気にしなさすぎなんだぜ。だから、こんな俺の狩りを“知らない”からね」
「“知らない”と言ったのか。この密林の狩られる獲物とは……そうか、なるほど、お前さんら、密林の中の獣たちを討ったのだな。ならば、良かろう!仇討ちをせねばなるまい。主君は何もかもを知る。知らないと言った奴らは……ああ、愚かなこった」
そう言うと小屋の中から、“呪い”が出てくる。それらは、怨恨である、それらは裁きという概念であった、それらはこの世全ての智慧と呼ばれたものだ。痛みと苦しみに相応の報いを。無知といえば、無能となったあのお方を何も得ることができない愚者と堕ちることだろう。
その瞬間、魔神が主人の身体を乗っ取る。突如として、密林から、無限の闇が、巨大な土くれの人形の姿を作り出す。巨大な人形は、地面をポンと叩く。すると、そこから生み出されたのは、黄泉の淵に押し出した獣たちが、人が開拓の際に、蹴落としてきたはずの獣たちが蘇ってくる。
その踏みにじられた獣たちが、踏みにじった者たちに報復をしだす。徐々に踏みにじられた存在たちは、世界をグチャグチャと歪めていく。歪められた願いは、人々が裏切り、見捨ててきた願いは、ゴロゴロとした塊となった。その塊は、ひとりの願いを守るための“悪”。
さあ、足掻けよ。足掻いてみせろよ。世界から排斥され続けてきた土の塊は、勢いを増していくぞ。
“暴食王”は、まず岩くれを齧り出す。岩と共に土塊を齧り出す。すると、暴食王の皮膚がよりその呪いの岩と合わさって、凶悪無比な鎧となる。どんどんと強くなる、強く、より強く、誰も止められない。