『不幸7.修羅場開幕』
『不幸7.修羅場開幕』
「とにかく! アタシと拓人の関係にとやかく口を挟まないでもらえますか!? この、泥棒猫さん?」
「あのね、私と拓人はもうかれこれ十年も一緒にいるのよ? 出会ってまだ一週間も経っていないと言うあなたのほうこそ泥棒猫という愛称がふさわしいんじゃなくて?」
場所を変えて喫茶店。ここは外のテラスであるため本屋よりは人の目を引かないが、それでも論争を続けるゆずとリラは周囲から注目されていた。
「二人とも、もうちょっと静かに……」
「拓人は黙ってて!」
「はい……」
二人から勢い良くそう言われてしまうと、拓人は何がどうしてこうなったのかわけもわからず、ともかくヒートアップしている二人に合わせることしかできなかった。
『三潮くん、ほっぺ』
「ほっぺ?」
先ほどトイレに行って帰って来たあさひなが喫茶店を訪れ、四人席に座っている時のこと。
彼女は拓人が注文したチョコレートパフェ、そのホイップクリームが頬に付いていることに気づき、彼にそのことを教えてあげたのだった。
手で自分の頬を何度も触る拓人だが、一向にクリームが取れる気配がなく、あさひなはテーブルに置かれた紙ナプキンを用いて彼の頬を拭ってあげる。
「ありがとう、みどりさん」
ちゃんとクリームが拭き取られたことでキレイになった拓人の頬。
拓人は想い人に感謝の言葉を告げると、あさひなも彼に感謝されて笑い、喜びを笑顔で表現した。
「あーっ! なにイチャイチャしてんのよー!」
そこにリラの一声が入り、二人の幸せなひとときはあっという間に過ぎ去っていってしまった。
曲がりなりにも拓人とあさひなの恋を応援すると決めたゆずにしてみれば、二人の恋路を邪魔するリラの存在がおもしろくないので、すぐに彼女に向けて抗議する。
「ちょっとあなたねえ、もっと落ち着いて話すことはできないの? 何かにつけて叫んでばっかりで、他のお客さんに迷惑でしょ?」
「はあ!? あなたあなたって言うけれど、アタシにはリラっていう立派な名前があんのよ、この泥棒猫!」
「く……っ! わかったわ、リラ。あなたも何度もネコネコ言わないでくれる? 私の名前は黒木ゆず。……お願いだから拓人とみどりちゃんの時間を邪魔しないでよ!」
「邪魔してんのはそっちでしょ!」
「わからない人ね!」
ゆずとしては常識ある行動を心掛けてはいたが、リラが拓人を狙う新しい女の子だと気づいては、そう黙ってもいられない。
自分こそその気持ちを抑えてはいるが、一直線、直球で拓人に向けて好意をぶつける彼女に対して、どうしても腹が立ってしまった。
「みどりさん、次はどこへ行きたい?」
なぜだか三人の女子に囲まれることになってしまった拓人は、二人の論争を止められるとも思えなかったので、気にせず翠緑あさひなとの休日を楽しむことにした。
人々から注目されている女子二人をそのままに、おとなしくておどおどしているあさひなに問い掛ける。
『どこでも良いよ』
あさひなとしても拓人と一緒にいられればどこに行っても良かったので、素直にそう答えた。
「そっか!」
拓人は食後、またしても席を立ちトイレへ行ったあさひなを見計らい、彼女の分を含めた勘定を支払っては、席で想い人を待つ。
『おまたせ』
あさひなが席に戻って来たことで二人並んで喫茶店を後にすると、拓人と無口な少女は温水プールの看板を目にした。
「あれ行ってみる? みどりさん」
あさひなはプールとあって水着の持参が必要なのではと考えたが、ショッピングモール内にて見つけた看板に「水着レンタル可」と書かれていることを知り、快く頷いた。
そうして拓人のことで喧嘩していた二人は――。
「拓人? みどりちゃん? あれ、いつの間に……!」
「どうしてアタシたちのパフェ代はおごってくれないのよー!」
――と、各々拓人とあさひなの行動に対するリアクションをしては、彼らの後を追い掛けた。
「どうやら水着はたくさんある中から選べるみたいだな。みどりさんは、どれにするの?」
拓人とあさひなが午後四時頃に温水プール施設へやって来ると、ぜーはーぜーはーと息を切らしたゆずとリラも後から付いて来ていた。
二人の間にどのような論争が巻き起こっていたのかはわからないが、拓人はそれとなく良い雰囲気になってきたあさひなとの関係に心躍らせていた。
『三潮くんが選んで?』
また、温水プール施設内の受付にてあさひなからどの水着が良いか尋ねられると、拓人のテンションはうなぎ登りで上昇していった。
(みどりさんの水着かぁー! うーん……どれにしようかなー?)
レンタルできる水着はビキニタイプの物からセパレートタイプ、スカートタイプと様々だ。
淡い髪色をしたあさひなには白っぽい水着が似合うと思った拓人は、フリルの付いたスカートタイプの白色水着をカタログ内から選んでは、あさひなに意見を尋ねた。
『いいと思う』
それはお腹が隠れた控え目な物であったが、あさひなに清楚なイメージを持っている拓人としてはその水着がぴったりだと思い、彼女本人にも承諾してもらうことができた。
「アタシは断然黒ビキニね!」
リラもカタログからレンタルする水着を選ぶと、一人取り残されたゆずは悩みに悩んだ。
(私はビキニを着る勇気なんてないし、みどりちゃんのような物もちょっと子どもっぽいかなー。とはいえ――)
「ええい!」
ゆずもゆずで水着を選び終わると、三人は女子更衣室、拓人は男子更衣室へとそれぞれ別れて入って行った。
「みどりさん……」
拓人とあさひなはまるでいっときでも離れるのが名残り惜しいとばかりに視線を交わしながら別れたが、拓人としては彼女の水着姿をいち早く見てみたいという気持ちも相俟って、急いで着替えをおこなうことにした。
「……あっ、忘れてた」
と、自身のジャケットを脱いだところで、拓人はシャツの上に例の砂時計があることを思い出した。
「不幸を溜め込む砂時計」に注ぎ入れた千円分の不幸砂は、今やそのすべてが下段に落ちており、赤く変色しているのがわかった。
拓人としては今日この日、思い掛けず訪れた幸運にすでに満足していたものの、もしもこの砂時計を反転させてみたらいったいどうなってしまうのだろうと期待感に胸を膨らませた。
今回の不幸はリラのストーカー化や彼女の手によるエログッズの喪失であったが、ずっと片想いをしていたあさひなとのデートが叶うのならば安いものだ。
むしろお試し版の不幸砂の威力が凄まじ過ぎたのだ。
自分のミスという側面も強かったが失ったものも大きく、ゆずとあさひなの他には仲間を失い孤立無援、多くのクラスメイトから嫌われてしまった。
失ったものはあまりにも多く、またそれによって今こうして翠緑あさひなとのデートが叶ったのだからまだ救いがあるというものだが、そうすると今度は幸福がおそろしく感じてしまう。
――この砂時計は、いったいどのような幸運をもたらしてくれるのだろうか。
拓人はシャツを脱ぎ水着に着替えると、砂時計を反転させた。
砂時計の内側で重力によって少しずつ下に落ちていく赤い砂。
その砂が落ち切るまでに、かなりの時間が掛かりそうだ。
上段と下段を繋ぐ間孔はとても細く、砂がとてもゆっくりと落ちる仕組みである。
拓人は大きな期待と不安に緊張していたが、不幸を受けた見返りとして提示される幸福に、ワクワクドキドキする感情を抑え切れなかった。