真実の姿
椅子の上でジェラルドにお姫さまだっこされたカオウは、咄嗟に天井まで飛んだ。
「うわっ。気持ち悪いことすんな!」
「それはこっちの台詞だ。お前から落ちてきたんだろうが」
心外だと呆れるジェラルド。
ゾワゾワする体を擦っていたカオウは、ふと窓の外の景色を見て血相を変えた。
「ちょっと待って。なんで桜が咲いてんの? もう春!? 俺、また長いこと空間の中にいたのか!?」
「いや、これは魔法で咲かせているそうだ。今は秋の終わり」
ジェラルドが答えるとカオウはほっと胸をなでおろしたが、今度は「そうだ!」と声を上げる。
「ツバキが捕まったってのは本当か!?」
「それもこちらの台詞だな。一緒にいたのではないのか」
咎めるように睨まれ、カッとなったカオウは宙に浮かんだままジェラルドの胸倉を勢いよく掴んだ。
「お前のせいだろ! お前があいつに婚約を命じたから……だから……!」
悔しそうに顔を歪ませたカオウを見て、ジェラルドはため息をつく。
「やはり知ったのか。だが勘違いするな。あいつから申し入れてきたんだ」
「そんなことするはずないだろ!」
「断じて無理強いなどしていない。国のためになるのならとあいつが決断したんだ。柄にもなくな」
そう告げると、カオウの手の力が弱まった。
ジェラルドはしわくちゃになった服を正し、同じ部屋にいる他国の者たちを見る。
宙に浮く人間が突然現れ、シルヴァンはただ呆然としていた。
だがハトシェプトゥラは極限まで目を見開き体を震わせてカオウを凝視していた。
その瞳の色は漆黒。
「…………大蛇? ……いや、違う。あれは……」
震える唇から声を溢す。
「まさか、そんな。その者は……龍か? それとも私の目がおかしくなったのか」
やはり知られてしまったかとジェラルドは苦いものを飲み込んだ。真実を視る目はカオウの本当の姿を映し出したのだ。
ジェラルドはクダラを見、彼が頷くのを確認してから口を開く。
「そうだ。この者は龍。始祖と印を結んだ龍の子だ」
シルヴァンとハトシェプトゥラは息を呑んだ。
六百年前、始祖と印を結びこの地に平穏をもたらした龍は、始祖の死後、空と天の狭間にある龍の国へ帰ったと言われている。
その龍の子がこの地にいたという事実も衝撃だが、一国を滅ぼす力があるとされる龍がバルカタルにいるなど他国の者たちにとっては脅威でしかない。
その気になれば、バルカタルは世界の覇者となれる。そんな恐怖が二人の身に巣くう。
「その者はジェラルドの授印か?」
ハトシェプトゥラの声は震えていたが明瞭だった。確認せずにはいられない、そんな響き。
「いえ。違うと思います」
否定したのはシルヴァン。ハトシェプトゥラと違いカオウの真の姿を視ていない彼の声はまだ落ち着いていた。
「先ほどその方はツバキとおっしゃいました。セイレティア様の副名ですよね」
ジェラルドは返答に窮し、それがシルヴァンに確信を与える。
「セイレティア様は以前、僕には見えない魔物と会話されていました。そのとき通り雨が降りましたが、セイレティア様はそれを予知しておられました。その魔物が天候を操ったのだとしたら、空の魔物ですよね。それほどまで高い魔力をお持ちの方がなぜ州長官にもなっていないのか不思議でしたが、これで合点がいきました。……公になどできませんよね、こんなこと」
狼狽えながら話すシルヴァンをジェラルドは冷静に見つめ返した。セイレティアの魔力の高さを知り臆するか、むしろ、より欲しいと思うのかと彼の表情を探る。
ジェラルドが口を開きかけたとき、「なあ」と横から苛立った声が割って入った。
「こいつら何? さっきからうるさいんだけど。それに、あんたは俺が龍って知られちゃまずいんじゃなかった?」
「致し方あるまい。こちらのハトシェプトゥラ女王は真実を視る目を持つ。ごまかしはできない」
「女王?」
「ああ。カルバルの女王だ」
「ふーん」
カオウは品定めするように全身を眺める。
「それなら殺してやろうか?」
「何!?」
「どうせツバキ以外の魔力に慣れなきゃいけないし。カルバルの女王なら少しはマシだろ、たぶん全部吸い取っちゃうけどさ。んで、そっちの男は?」
またもジェラルドは返答に窮した。
セイレティアの婚約相手が目の前にいると知られるのは非常にまずい。
「なあ、お前も王族?」
「……!」
シルヴァンの体が縦長の瞳孔になった金色の瞳に縛られる。
恐る恐る、シルヴァンは固くなった唇を動かす。
「は、はい。……サタールの……シルヴァンと申します」
カオウはレオに聞いて以来頭にこびりついて離れなかった名を聞き、瞠目した。
「…………お前が?」
ゾワッと一瞬で空気が変わった。
身も凍るほどの怒気を膨れ上がらせたカオウが、まさに獲物を食い殺さんとする獣のごとくシルヴァンへ飛び掛かる。
殺される、と誰もが覚悟した。
『カオウ!』
咆哮とともにクダラがカオウの横から体当たりした。
両者とも激しく転がり、互いに距離を取って身構える。激情が抑えきれないカオウの喉から唸るような音がし、クダラが身を低くして鋭い牙をむき出しにする。魔物たちの本気の睨みあいから発せられた空気は、脆弱な人間たちの肌をビリビリと痺れさせた。
「どけよクダラ」
『冷静になれ』
「どけ」
『セイレティアは皇女として生きると決めたのだ。この人間を殺しても何も変わらない』
はっきり諭されたカオウは苦しそうに固く目を瞑る。
「わかってる」
『ならば……』
「だけど!」
カオウの姿が消えた瞬間、シルヴァンが突然倒れた。馬乗りになったカオウに両肩を押さえつけられている。
「やっぱり悔しいんだよ! ツバキのこと何も知らない奴に掻っ攫われるなんて。俺がずっと守ってたのに! 一番近くにいたのに!」
歯を食いしばったカオウの口から荒く短い息が漏れる。
「俺が……これからも一緒にいるつもりだったのに……」
肩を強く掴まれたシルヴァンは、はっとした。
感情をむき出しにした魔物の目に涙がたまっていた。その瞳には怒りよりも深い悲しみが濃く映り、恐ろしい龍の気迫が徐々に薄らいでいく。
金縛りが解けたシルヴァンは思わず小さな声を漏らした。
「あなたがブレスレットの送り主?」
驚いたカオウは身を起こすと目元をぐいっと乱暴に拭った。
「だったら、なんだよ!?」
「セイレティア様はとても大事そうにブレスレットを身に着けておられました。大切な人からもらったとおっしゃっていましたが、人ではなく、魔物だったのですね」
カオウはぐっと言葉に詰まった。涙を見られたのも恥ずかしいが、魔物がブレスレットを贈ったことを改めて指摘されると妙に恥ずかしい。
「だ、だったら、なんだよ」
もう一度もごもご言うと、女性の柔らかい笑い声が耳に届いた。
振り返った先には穏やかな微笑をたたえるハトシェプトゥラがいた。
「龍が人間に恋をしたか」
冷静になったハトシェプトゥラは瞳を再び瑠璃色から漆黒へと変えた。
先程カオウにされた品定めを仕返すようにまじまじと全身を視て、本当の外面ではなく、彼の内面を読み取る。
「父親である龍神はかなりはっきりした性格だったと云われているが、そなたは内に秘める性格のようだね」
「喧嘩売ってんのか!?」
カオウはシルヴァンから離れ、女王を見下ろす位置まで飛んだ。
女王は緊張を見せつつも、恐怖で震えてはいない。
「私は視えたものを述べているだけだよ」
ふむ、と一呼吸おいて続ける。
「野生の魔物にしては忍耐強く、人間の生活に興味を持っていて、人懐こい面もある。本来そなたは、無闇に人間を襲うこともしないはずだ。よく言えば寛容だが、その実、何事にも関心が薄い。面倒くさがりで飽きっぽく、人間と知り合っても深入りはしない。何より束縛を嫌う」
そこまで言ったハトシェプトゥラは瞳の色を戻した。
「そんなそなたが授印となり、随分執着している。ここまで感情を乱すことも珍しかろう。それほど好いているのなら、なぜ諦めようとする」
カオウは不機嫌な顔で宙に浮いたまま胡坐をかいた。
自分の性格を分析されるのは癪に障るが、あながち間違いではない。
「どうせ人と魔物はうまくいかないんだろ」
「そう思うか?」
ハトシェプトゥラは口元に手を当てて目を細めた。品定めではなく、見守るような温かい眼差し。
「人と魔物の恋愛は古来よりあることだ。上級の魔物が転化した姿は人にとても近いからね」
カオウは耳を疑った。
「そうなのか?」
「非常に稀だが、無くはない。確かバルカタルでは、サイロス州長官の知人がそうだったのではなかったか」
驚いたカオウはジェラルドを振り返る。
ジェラルドは余計なことを、と言いたげな視線をハトシェプトゥラへ向けた。
「あれは結果として悲恋に終わった」
「それは他人の評価だ」
「だとしても、セイレティアは皇女だ。認められる訳がない。何より、婚約を望んだのは本人。カオウに変な期待をさせるな」
「まだ婚約とも言えよう」
ドン! と机を叩いてジェラルドが勢いよく立ち上がった。
「ハトシェプトゥラ女王。いくら貴女と言えど、我が国とサタールの政に口を挟むなど無礼に過ぎる」
ジェラルドは厳しい声で言った。表情も、他を威圧し大帝国をまとめ上げる皇帝の顔だった。
畏怖さえ感じさせる迫力に負けじとハトシェプトゥラも女王の貫禄を見せつける。
「もちろん決めるのは貴殿たちだ。私は助言しているだけだよ。龍が本気になれば、脅して奪い取るなど造作もなかろうに、己を律してこんなに苦しんでいる。応援したくなるじゃないか」
「いらぬ干渉だ。今はそんな話をしている時間はない」
「そうか? 今だからこそだと思うが」
ハトシェプトゥラはジェラルドを挑発するように見、ジェラルドも険しい目つきで見返した。
沈黙の中で無言の会話が交わされているような張り詰めた空気が漂う。
視線を先に外したのはジェラルドだった。
「心を読むのはやめてくれないか」
ふっとハトシェプトゥラが笑う。
「私の能力は心まで読めないよ。ジェラルドも、多くを語らずとも察しただろう」
「私の一存では決められない」
「おや、かわいい妹のために一肌脱いでやろうとは思わぬのか? シスコン皇帝」
「シスコンじゃない」
空気が一転して、カオウは目をぱちくりさせた。
「え? え? 何? どうした?」
カオウがきょろきょろすると、シルヴァンはいつ間にか立ち上がって難しい顔で考え込んでおり、クダラはやれやれといった表情でその場で寝そべっている。
「あれ? わかってないのって俺だけ?」
状況が飲み込めず困惑するカオウ。
するとジェラルドが宙に浮いたままのカオウをじっと仰ぎ見た。
何を考えているのかまったく読めない表情で黙考した後、ハトシェプトゥラとシルヴァンを見る。
「二人とも、少し時間をくれないか」
「でしたらこの方の着替えをご用意しましょう」
「すまないな。おいカオウ、行くぞ」
シルヴァンに礼を言ったジェラルドは有無を言わさぬ足取りで部屋を出ていく。
後ろからクダラに追いたてられ、カオウは釈然としないままついていくしかなかった。




