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リタとツバキ

 中庭の南東の角に四つ、土が盛り上がった箇所がある。


「後で迎えに来るからね」


 リタはその小山を一つ一つ触りながら、下に眠る子たちへ語りかけた。


「必ず故郷へ帰れるようにするから」


 冷たい風が体を撫でる。

 くしゃみをすると、肩にふわりと薄手のコートがかけられた。ほんのり甘く漂う花の香り。


「礼は言わないからね。……あれも」


 中庭に植えられたリンゴの木の下で「うわ!どこにいる!来るな!助けてくれえ!」と呻きながら走り回る副長官を目線で示した。


「あれは私が勝手にやったことだもの」


 汚物を見るような目をその物体へ向けたツバキがリタの隣に座る。

 ツバキは本当に副長官を魔物の棲家へ放置したわけではなかった。黒い蝶の鱗粉は魔物を呼び寄せるのではなく幻覚を見せる。彼は今、見えない魔物たちに声で脅されたり転ばされたり腕を噛まれたり弄ばれている幻覚を見ていた。


「あれじゃ足りないくらいだわ」

「私が言うのも何だけど、恋人の父親にあんなことしていいの?」

「…………ふぁい?」


 あまりに突拍子もない質問をされ、ツバキの声が裏返る。


「副長官の息子が恋人だって言っていたけど」

「違います!」


 ツバキが憤慨すると、リタは「そんな気はしてたけど」と素っ気なく答えた。ツバキは中庭で未だ気絶しているエドワードをキリキリと睨む。


「あの人にも幻覚を見せなきゃ。どんなのがいいかしら」

「あなたの綺麗な顔がだんだん醜く腐っていく夢がいいと思うわ」

「…………リタっていい性格してるのね」


 予想外の返答に呆れたような目を向けると、ムスッとしていたリタの口の端がわずかに動いた。だがすぐに戻り、しゃがんだまま地面をボンヤリ見遣る。


「私たちに霊力があるというのは本当だったのね」

「知っていたの?」

「大昔は精霊と住んでいたらしいわ。今も村人は精霊を守護していると云われてる」

「何から守っているか知ってる?」

「精霊王の遺跡が壊れないようにってことしか知らない」

「精霊王?」

「そう。だからロナロはすべての精霊の加護がある」

「ロナロが滅びればすべてが滅びるという村長の言葉と何か関係があるのかしら。精霊王の遺跡が壊されたら何かが起こるってこと?それなら、守護者はロナロの人じゃなくてもいいのかな」

「それは違うと思う。父は、ロナロの人の祈りが遺跡を守るのだと言っていた。特に祭司である村長はロナロから離れてはいけないって」

「村長には特別な力があるの?」

「さあ?父なら知っていたでしょうけどね」


 大切なことは教えられないままだった、とリタは悲しく呟いた。


「そう……。水の精霊が私に霊力を貸すほど守護者を村へ帰したがっていたから、特別な理由があると思うけれど」

「水の精霊が!?」


 ばっと顔を上げたリタにたじろぐツバキ。二人とも目を丸くして見つめあうこと十秒。

 睨めっこに負けたのはツバキだった。


「な、何……?」

「水の精霊はとても気難しくて大の人間嫌いって伝わっているのよ」

「うん、知ってる」

「人が苦しむところを見るのが好きって」

「うーん、心当たりある」

「そんな水の精霊から霊力を借りるって、あなた本当に何者なの?」

「私がというより、ロナロやリタがそれほど重要ということじゃない?リタも知らないなら、アフランが調べてくれるのを期待するしかないわね」

「アフラン?」

「うん。今、隣のエイラト州で暮らしてる。リタたちを助けてって頼まれたのよ」


 リタの顔に少し影が落ちた。ツバキが気遣わしげな視線を投げると、逡巡してから口を開く。


「私は彼らが騙されていると知っていながら、助けなかったのに。……それなのにアフランは村のことを恨んでいないのね」


 村から出ていった父親に会えると信じて利用された彼らを、リタは小バカにしていた。バルカタルの血が流れているという理由だけでいじめられていたときも、見て見ぬふりをしていた。


「村人を守るべき立場の私は彼らを守らなかった。父の愚かな考えを止めなかった。そんな私が、これから村を守れるのかしら」

「大丈夫よ」


 肩から落ちかけていたコートをかけ直され、リタは隣に座る皇女へ顔を向ける。


「まだ仲間はいるじゃない。一人でやろうとしないで、頼ればいいのよ」

 

 優しい微笑みの皇女の言葉が、沈みかけた気持ちをそっと支えた。けれどもその笑みはリタにはまだ眩しい。視線をそらし、小さく息を吐く。


「皇族にもあなたみたいに変な人がいるって父も知っていればよかったのに」

「……それ、誉めてるの?けなしてるの?」

「そのままの意味よ」


 それは結局どういう意味なのだろう?とツバキは顔をしかめた。リタはそんな皇女を無視して話を続ける。


「復讐するより話し合いをすべきだったのかもしれないわね」


 やろうと思えばできたはずだ。恨みで目が霞み、その道を探そうともしなかった。見つけたとしても、父は選ばなかったかもしれないけれど。

 そう思いを巡らせていると、ツバキが明るい声を出した。


「リタがやればいいわ」

「私?」

「うん。皇帝と話す機会を作るから、リタが村長として生活の改善を要請するの。強気に出ていいわよ。皇帝は下手に出る人よりちょっと反抗的な人を好むから。そして、私にしてくれた精霊の話や、ロナロの歴史について話してほしい」

「精霊の話も?」

「必要な気がするから」

「……わかった」


 リタは中庭でまだ呻いている副長官と、気絶している息子を一瞥した。彼らは憎いし許すことはできないが、彼らをどうこうする気にはなれなかった。村長としてこれからやるべきことをやらねばならない。

 決意するように手を強く握りしめ、そして左にいる皇女を目の端で捉える。本当に変な皇女だ。まさか皇族に助けられるとは思わなかった。

 三百年前ロナロを滅ぼしかけた皇族の子孫に。


(一応、礼くらいは言うべきかしら)


 そう思い顔を上げたとき。


「ありがとうね、リタ」


 何故か先に礼を言われてしまい、首を傾げる。

 すると皇女は柔らかく微笑んだ。皇女というよりも、年頃の少女らしい親しみやすい笑顔で。


「生きていてくれてありがとう。アフランとルファにいい報告ができて嬉しい」


 リタは瞬時に俯き、長い髪を左手で撫でて顔を隠す。

 ずっと不安で、怖くてたまらなかった。生きてここを出られると思っていなかった。あと何回中庭に穴を掘れば自分の番になるのかと考えていた。

 父親の罪を背負って生きていくよりはいいかもしれないと、そんなずるい考えが頭をもたげたこともあった。


 目頭が熱くなる。

 でももう皇女には見せたくなかった。それくらいの意地はある。


「……やっぱり私、ツバキが嫌いだわ」

「えっ。お礼言っただけで?」


 解せない、と眉間に皺を寄せるツバキ。

 案外鈍感なのねとリタは心の中で軽く悪態をついた。


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