セイレティアの婚約
皇族の寝室の隣には授印専用の部屋があり、寝床は魔物の種類によって変わる。
ジェラルドの授印である虎豹のクダラはふかふかクッション、隠鳥のリハルは綿を敷き詰めた大きな藁の篭、エレノイアの授印である金華魚のテスには人と同じベッドと大きな水槽の二つ用意されている。
カオウは優に三人は寝られるほど大きなベッドで寝ていた。
「カオウ、朝だよ。起きて」
ツバキがカオウの体を揺するが、朝と寒さに弱い彼は微動だにしない。
いつものことなので、いつものようにかけ布団を問答無用ではぎ取る。
夜着の小さなボタンを四つしか留めておらず、裾がめくれて腹筋が見えた。
カオウは元が大蛇だからかあまり手先が器用でない。それでも何か心境の変化があったのか、最近はボタンを留める練習をしているようだ。昨日は四つだけ留めて諦めたらしい。もっと大きなボタンの夜着を女官に用意してもらおうと心に留める。
「ほら、朝食できてるよ」
もう一度肩を揺すった直後、手を掴まれる。
「きゃっ」
引っ張られ、カオウの上に重なった。
慌てて起き上がろうとしたが強く抱きしめられている。
「ちょっとカオウ! 離して」
身をよじって声をかけても反応がないどころか、スースーと寝息が聞こえた。
「寝てる?」
無意識だったらしい。息が髪にかかり、耳がこそばゆくなる。
首をもたげると、間近にカオウの横顔がありドキリとした。長いまつ毛と綺麗な鼻筋、そして軽く閉じられた少し厚い唇に目が奪われる。
(初めてのキスだったのにな)
そんなことを考えていたとき、カオウがうっすら目を開けた。
「……ツバキ……?」
「んー!?」
突然後頭部を押さえられ、気づけば唇が重なっていた。唐突すぎて全身が硬直し頭が真っ白になる。
カオウはそのまま半回転して上になってから唇を離し、今度は頬にキスした。次はこめかみへ、耳へ、次々キスを落としていく。
「あ……だ、だめだったら! ……んっ…………やあ……」
呼びかけるとまた唇を塞がれて、反対側へ移動する。耳をなめられ甘い声が自然と漏れた。
(もう……いい加減に……!)
カオウのついばむような口づけは下へ降りていき、首筋に到達すると舌を這わせながら強く吸いつかれる。ゾクッとして力が抜け、心臓がどうにかなってしまいそうなほど激しく鳴り始めた。
「カオウ!! やめなさい!!」
魔力を込めながら強い口調で叫ぶと、ピタリとカオウの動きが止まる。
「どいて」
素直に体が離れた。
ようやく自由になり、乱れた髪を整えながら身を起こしてカオウを見たツバキは拍子抜けした。
カオウはまだ目を閉じていたのだ。
「……まさか、寝てるの……?」
こくり、こくりと頭が揺れている。
自分一人で焦っていたと思ったら無性に恥ずかしくなり、一気に怒りが込み上げた。手元にあった枕を投げつける。
「起きなさい!!!!!」
「え!? ツバキ!?」
ぱちりと目を開けたカオウは呆然とした。
起きたら涙目になり顔を紅潮させたツバキがベッドの上にいたのだ。怒っているのも謎。
なにより体の自由が利かない。
「正座」
低い声でツバキが命じると、カオウの体が勝手に正座する。
「ここで一時間正座してなさい」
「え? なに? なんで??」
何が起こったのか把握できないまま、カオウは千年生きてきて初めて正座一時間という苦行を経験した。
一時間後。
「ツ、ツバキ………助け、て」
寝室から瞬間移動してきたカオウは床で悶えていた。足がしびれて感覚がおかしくなっている。
助けを求めてもツバキは素知らぬ顔。
代わりに侍女のモモがにこにこしながら近づいてきた。
しかし助けるどころか足をつんつん突かれる。
「……ちょっ。モモやめろって! うわあああ!!」
じたばた悶え苦しむ姿をモモがぞくぞくした表情で見下ろしている。ふふふと微笑みながら不規則につつかれ、落ち着く暇がない。鬼畜の所業だ。
「た、助け……」
さすがに可哀想に思ったツバキがカオウのそばへ近づくと、やっとモモが下がった。
はあはあ息をあげるカオウの手をとり、右肩の印に触れさせる。
指先から金色の魔力が体の中を流れ、次第にカオウの足のしびれが消えていった。
「なんだよツバキ。俺、何かした?」
床に胡座をかいて非難がましい目で見上げると、ツバキは頬を染めて顔をぷいっとそらした。
何してたっけと思い返す。
(寝てただけだよなあ。……そういえば夢にツバキ出てきて…………。まさか)
やけに生生しい夢だった。カオウは恥ずかしくなり手の甲で唇を押さえる。
「あれ……夢じゃない?」
「知らない!」
ツバキはぷんすか怒ってソファへ勢いよく腰掛けた。
(やばい可愛い)
カオウも隣へ座り、ツバキの袖を引く。
「不可抗力だし仕方ないだろ」
「もういいから!」
ツバキはそっぽを向いたままカオウの手を振りほどく。
これは本当に怒ってると感じ、もう少しからかいたい気持ちを仕舞った。
「そういえば能力操れるようになったんだな。いつから?」
「え……気づいたら、かな」
そう答える横顔がわずかに強張り、カオウは訝しむ。
「何かあった?」
「別に何もないわ」
「そういえば俺がいない間、何があったのか聞いてないけど」
「ただ公務してただけよ」
じっとツバキを凝視する。長年一緒にいるのだから、彼女が何か隠していることなどすぐにわかる。
(今まで秘密なんてなかったのに)
嫌な予感がしてツバキの肩を掴んだとき、扉をノックする音がした。
侍女が答えるとトキツとギジーが入ってくる。
「カオウ、今から武器市場行くんだけど一緒に行くか?」
「え! 行きたい!」
カオウは勢いよく立ち上がった。ほっとした顔のツバキを視界の隅に捉え、もやもやした気持ちと共に部屋を出た。
カオウがいなくなるのを見計らったように、続いて女官が入室する。
「セイレティア様。陛下がお呼びです」
ツバキは気まずさが増すのを感じた。わざわざカオウを遠ざけてから呼びに来たところを見ると、彼に知られたくない話をするのだろう。
女官に従って皇帝の執務室へ行くと、予想通り兄は開口一番にこう言った。
「良い話と悪い話、どちらから聞きたい?」
ツバキは深い深いため息をついた。




