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不可侵領域

 その日の話題は、専ら一組の男女についてだった。

 

 舞台はモルビシィア(貴族の街)にある国軍の演習場。

 二つの師団による大規模な軍事演習が行われており、貴族たちは観覧席からその様子を見守っている。

 話題の中心にいる二人は、その観覧席のさらに後方にある、外を一望できる特別席にいた。


 女性は、エメラルドグリーンの優美なドレスを着た白銀色の髪の皇女。

 相変わらず美しいと人々は感嘆のため息を漏らす。しかし同年代の若者は、あまりのショックに声も出ない様子で彼女の隣を睨んでいた。

 視線の先にいるのは、金の髪が光を受けて輝く男性。

 力強い目元に端正な顔立ち。だが初めての公式の場で緊張しているのか、表情には少しあどけなさが残り、人懐こい印象を受ける。


 話題の中身はこうだ。

 まだ特定の相手がいないはずの皇女の隣にいるのは誰か、という話から始まり、彼が皇女の授印だと知ると、完全に人に転化できる魔力の高さに驚く。

 皇女は魔力が低いのではなかったのか。これほどまで高いのなら、なぜ授印の儀を禁止されていたのか。あらゆる憶測が飛び交う。


 さらに、二人の関係にも注目が集まる。

 黙って演習を見ているはずなのに、同じタイミングで顔を綻ばせることがあった。

 視線が絡み合うと、彼の力強い目元が和らぎ、いつも控えめで美しい笑みの皇女が可愛らしく笑う。

 数か月前に契約したと発表があったはずだが、長年連れ添っているかのような空気を感じた。

 見ていると温かな気持ちになる一方で、異性の魔物と契約した皇女を奇異の目で見て邪推する者がいるほど、二人の周りには独特の空気――優しく甘い不可侵の領域があった。

 



 特別席には皇帝と第一皇子、クダラとリハルもいた。

 第二皇子はまだ赤子で、皇后は公務に出られる状態にないため欠席している。

 鋭い双眸で演習を観察しているのはジェラルドだ。

 馬や虎、大隼などの動物、もしくは自身の授印に乗る攻撃魔法の使い手たちの動きは悪くない。

 回復魔法も的確。その合間を縫って剣、槍、弓などの武器を使う兵がいるが、その中に銃を持つ者はいない。


 調査によると、ウイディラはリロイとの戦の際、赤い結晶で相手の結界を解き、直接的な魔法攻撃は盾で無効化したという。

 完全に隙がないわけではないが、もし防がれた場合、銃と剣では銃が圧倒的に有利だろう。

 かといって銃を入手しようにも、銃の製造国はウイディラとリロイ、もしくはさらに東の国で、あいにく今は経路がない。

 サタールを通じて買うこともできないではないが、手間と時間がかかってしまう。


(いっそ本当に謀反を企てていて、大量の銃がどこかに隠されていたら面白いんだが)


 などと不謹慎なことを考えつつ、演習で気になった点を側近へ伝えていった。




 そんなジェラルドの左隣に座っているのがツバキだ。

 戦闘なんて痛々しいものはあまり好きではないが、王に見立てた旗を奪うために大勢の人と魔物が号令に従って動く光景は圧巻だった。

 初めての公務で緊張していたカオウも、その迫力に魅入られ、今はやや興奮気味だ。

 演習中は必要最低限しか話してはいけないので、先ほどから二人は思念で会話している。


<俺もああいうとこで戦ってみたい>

<え。危ないからやめてよ>

<せっかくトキツから剣とか弓の戦い方習ったんだぜ。やってみたいじゃん>

<遊びじゃないのよ?>

<わかってるよ>


 ツバキは小さくため息をついた。

 カオウは最近やけに好戦的だ。

 暇があるとすぐトキツに稽古をつけてもらい、しかも能力を使わずに勝とうとしている。

 どうしてそんなことをするのか、ツバキにはさっぱり理解できない。


 十歳のときも似たようなことがあった。

 ロウと出会ってから、しばらく彼が率いる自警団に入ったのだ。そのときはロウや自警団の仲間たちに教えてもらっており、最終的にはロウ以外の人には勝てるくらい強くなった。

 それ以降はトキツと出会うまでカオウが倒れたところを見たことはなかったので、カオウは強い部類に入るのだとは思う。

 しかしだからといって、鍛え抜かれた軍で通用するかは疑問だ。わざわざ危ない所へ自ら行って欲しくもない。

 好戦的なのは男の性なのか、魔物の性なのか。


<なあツバキ。ここにいるのって皆貴族なのか?>

<大体そうだけど、歩兵隊は平民もいるわよ。魔力が高いと認められれば爵位をもらえる。ロウみたいに>


 平民の中にも魔力が高い者はおり、魔力の基準を満たして軍へ入り、功績を立てれば男爵になれる。

 ただし男爵は一代限りだ。

 子爵以上になるには二代続けて軍へ入り、魔力が安定して遺伝する必要がある。

 反対に魔力が遺伝せず基準を満たさなければ、爵位は容赦なく降格もしくは剥奪される。それは現在子爵以上であっても当てはまる。


 一方、カオウはツバキからロウの名が出て複雑な気持ちになった。

 カオウはツバキと出会うまで喧嘩らしい喧嘩をしたことはなかった。

 能力を使えば相手を殺す方法ならいくらでもあるからだ。姿を消したり瞬間移動して後ろから一気に刺す、空高くから相手を落とす、一瞬で魔力を吸い尽くすことも、空間へ放り投げて気を狂わせてからどこかへ捨てることだってできる。

 喧嘩の仕方を教わるようになったきっかけは、盗賊に絡まれたところを助けてくれたロウにツバキが一目惚れしたからだった。

 嫉妬が芽生えたと同時に、盗賊を一撃で倒していく姿はカオウが見ても格好よく、同じように倒せるようになりたいと思った。

 今は純粋に楽しいからトキツに教わっている。いつか能力を使わなくてもトキツやロウに勝てるようになりたい。

 もはやツバキのためというより、自分のため。

 そんな回りくどい戦い方をしたがるのは、人の矜持に近いのかもしれない。

 

---


 演習が終わり、城へ帰ってきたツバキとカオウは、ツバキ専用の庭園のベンチで休憩していた。

 ツバキはサクラほど花に詳しくないので、何の花が植えてあるのかはわからない。小さな花びらがたくさんついた、淡い色合いの花が並んでいる。

 最近、徐々に日が短くなってきた。空はもう赤く色づき始め、等間隔に置かれた明かりがじんわりと灯り始める。

 

「今日はありがとう。公務へ出席してくれて」


 授印と公務へ参加するという長年の夢が叶い、ツバキは嬉しいような、照れくさいような心地ではにかんだ。

 

「見てて楽しかったし、今日みたいのなら行くよ。舞踏会とか言われたら行かないけど」

「それは魔物は呼ばないから大丈夫よ」


 くすくすと当然のように笑われ、カオウの胸がチクリと痛んだ。


(魔物は……か)


 明確な線引きがツバキの中にあることを痛感する。

 カオウはツバキの両手をそっと包んだ。

 冷たい指先へ息を吐き、温まったところへ口づける。


「あのさ……」


 指先に触れたままつぶやくが、その先が続かない。

 ツバキも何も言わず待っている。


「あの……」

 

 また言えず、口をつぐむ。

 西陽がやたらと眩しい。

 数秒待って、決心したとき。


『ツバキ様、カオウ。お夕食の準備できましたよー』

 

 カオウの襟に隠れていた綿伝が、この場にそぐわない軽いノリでしゃべった。

 

「…………行こっか」

 

 カオウはきまりが悪そうな、ほっとしたような表情で立ち上がると、ツバキの右手を握ったまま歩き始める。

 

 ツバキはカオウに手を引かれ、彼の背中を見つめる。

 彼が何を言おうとしたのか、以前のカオウ相手だったらしつこく問い詰めていたはずだ。しかし今は曖昧にしておきたい問題がある。それについてだったらと思うと、どうしても踏み込めなかった。

 彼の背中が少し切なそうに見えたのは、自分がそうだったからかもしれない。


 ツバキはカオウの手を強く握り返した。

 振り返ったカオウは優しく微笑み、後ろを歩いていたツバキの手を引いて真横を歩かせる。


 二人だけの優しく甘い不可侵領域。

 その中に少しだけ、互いに割り込めない領域が生まれていた。 

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