番外編 皇女の影武者3
”皇女がすべきこと” の翌日
ツバキの代わりにサクラがサタールでの公務をする話
後悔先に立たず。
いや、後悔はしていない。
(してない……けど)
「ちょっとサクラ、顔しかめるのやめてよ」
サクラに化粧を施してた侍女のカリンが煩わしそうに目を細めた。
「目が怖いよ、カリン」
「ならじっとしてなさい」
サクラは少し顎を上げて軽く目を瞑った。
昨夜、主人のツバキが急遽帰国したため、影武者のサクラがサタール国での公務をすることになった。
公務の内容は、国内の複数の施設を視察すること。
それ自体は大変ではない。厳しい女官仕込みの皇女らしい所作を真似ればいいだけだ。サタール語も基本は通訳がついているし、簡単な受け答えはできるので今日一日くらいなら乗り切れるはず。
しかし、同伴する相手が問題だった。
相手は第一王子のシルヴァン。今回は皇女セイレティアの見合いも兼ねており、視察と同時に親睦を深めるため彼も付き添うらしい。
サクラは前回影武者として彼と会ったとき、彼のキラキラ王子スマイルと、泉のように湧き出てくる誉め言葉に照れてしまって、まともに会話ができなかった。
猛省し、二度とそんなことがないように城で働くイケメン衆に協力してもらって免疫を付けた。あれはあれで恥ずかしかった。危うく本当に口説かれていると錯覚するところだった。
「サクラ、鼻がひくひくしてるんだけど」
「あ、ごめん。ちょっと思い出しちゃって」
「あとはチークを……はい、できた。目開けていいよ」
言われた通り目を開けると鏡の中に敬愛するセイレティアがいた。出来栄えを褒めるとカリンは当然という顔で手際よく化粧道具をしまい、小さな貝殻のついたネックレスをサクラに渡す。
声を変える魔道具だ。これをつけてしゃべると、あらかじめ貝殻に吹き込んでおいた声音が口から出るようになっている。とはいえ結構魔力を使うので、つけている間はなるべく話さないようにしなければならない。
「じゃあ、がんばって。しゃべりすぎないように気を付けなよ」
「うう。ちょっと胃が痛い」
「あんだけ意気込んでたのに、今更怖気づくの?」
呆れたように言われ、しょげるサクラ。
今回、影武者をすると提案したのはサクラからだった。主人の役に立つならどんなことでもする気でいるから、代わるのは構わない。
サクラの胃を刺激するのは、主人が去り際に放った爆弾発言だ。
(シルヴァン様にプロポーズされたってどういうことだろう)
サタール国が役職のないセイレティアを望んでいることは知っている。それにしても突然過ぎやしないだろうか。
(まさか、ツバキ様を好きになったとか?)
昨日の建国記念式典も常に一緒にいたから、ありえない話ではない。お似合いだという声もちらほら聞こえたらしい。
(でもどういう顔で会えばいいのか……。返事を求められたらどうしよう)
せっかく出来上がった皇女の顔をしかめていると、またカリンの鋭い睨みが突き刺さった。
とにかくやるしかないと覚悟を決めて、サクラは貝殻のネックレスを付けた。
女性は化粧で印象が変わる。
これは、そういうことなのだろう。
昨日も昼間は我が国の民族衣装に合わせてかわいらしく、夜はドレスに合わせて大人っぽく印象を変えていた。そして今は清廉に。
シルヴァンは花農園の主人にたおやかな礼をする皇女を不思議そうに見つめていた。
態度が昨日より硬く余所余所しいのは、プロポーズしてしまったからだろうか。昨夜、シルヴァンには見えない魔物が現れてから様子がおかしかったから、それも要因かもしれない。
「シルヴァン様、どうされました?」
気づくと皇女が小首を傾げていた。
「いえ、なんでもありません」
シルヴァンはさわやかに微笑んで、皇女を水葵が咲く水路沿いの温室へ案内した。
そこで花を見ながら軽食をいただくことになっている。
農園の主人の娘だという女性がシルヴァンと皇女の前に湯の入ったカップを置いた。
「これはミチェル・ルビーという新商品です」
女は自分の前にも用意していた湯の中へ、深紅の小さな蕾を浮かべる。
すると蕾が開き、ふわっと花の香りが広がって、花が溶けて湯が紅茶へ変わった。
シルヴァンは女から花を受け取って匂いを嗅ぐ。紅茶と同じ爽やかな香りがした。
手折って湯に浮かべると紅茶になる花は、サタールで育てられている特産品だ。十年ほど前に開発し、すでに二十品種ほど売られている。
皇女も同じように蕾を湯に浮かべて花から紅茶に変わる様子を楽しんでから、一口飲んだ。
「見た目がかわいいだけでなく、香りが口の中に広がって幸せな気分になりますね。こちらのクッキーにも花が練りこまれているのでしょうか」
「こちらは茎を刻んでいます。甘い蜜を蓄えているので砂糖をあまり使用しなくてもいいんですよ」
「まあ、それなら蜂蜜の代わりにもなるのですか」
「はい。低カロリーなので大変人気なんですよ」
「それは嬉しいですね」
女は皇女の可憐な笑みと親しみやすさに感激したのか、他の品種も次々と紹介してくれた。
皇女も目を輝かせて聞き入っている。農園で咲く花にも興味深々だったし、花が好きなのだろう。
ふと、バルカタルの城で出会った侍女を思い出す。
皇女付きにも関わらず、庭園の手入れをし、さらに作業着まで自作するという変わった侍女だった。
ころころと表情が変わるのも面白かった。あの侍女もこちらに来ているのだろうかと考えてしまい、止まる。
(何を考えているんだ)
昨日皇女にプロポーズしたばかりなのに、他の女性のことを考えるなんて。
シルヴァンは気を取り直すように紅茶を飲む。
ようやく同盟締結の一歩手前まで来た。
隣にある大国のウイディラは王位継承者争いが熾烈だ。現国王の弟と第一王子は何者かによって暗殺され、現在は第二王子と第三王子が争っている。そしてどうやら先にバルカタル帝国の州を手に入れた者が次の王になるのではないか、手始めに第二王子はリロイを、第三王子はサタールを狙っているという噂があった。
その噂通り、第二王子がリロイを攻めた。
となると、サタールが攻められるのも時間の問題だろう。
援軍を得るためなら、昨日のように皇女に卑怯な言い方をしようと、例え彼女に想い人がいようと、同盟を確実なものにしなければ。
「花の中に何か入れることはできないのでしょうか?」
皇女の生き生きとした声で我に返る。
「夜に閉じる花がありますでしょう? その特性を活かして、中に何か……例えば一言書いた紙か何かを入れたら、湯に入れて蕾が開いたとき面白いのではないでしょうか」
女が感激したように目を見開き、皇女の手を取った。
「それは贈り物にぴったりの商品になります。交配させたらできるかもしれません」
意気投合した二人は、この花がいいとかあの花がいいとか、次々と花の名前を出し合う。
皇女は先に訪問した孤児院や病院では言葉少なだったのに、ここでは饒舌だった。
花の知識も豊富で、その語り口はやはり先日の侍女を彷彿とさせた。
最後の視察場所は、大きな樽が並ぶ倉庫。
そこで今年出来たばかりのジュースやワインを試飲する予定でいたが、昨日、皇女は酒が苦手そうだったのでシルヴァンはジュースだけを渡した。
観察していると、皇女はジュースを飲んだあとワインが入った樽を五秒ほど見つめ、そっと目を閉じた。
(飲みたいのか?)
首を捻るシルヴァン。
昨日は酒に目もくれず、食前酒も申し訳程度にしか飲まなかった女性が、あんな風に名残惜しそうに樽を見つめるだろうか。
「あ……あの、シルヴァン様?」
皇女がほんのり頬を染めてこちらを見つめていた。
違う、シルヴァンが皇女を見つめていた。
はっとしたシルヴァンはにこやかに笑う。
「お好きなジュースとワインのお土産をご用意しましょう。何がよろしいでしょうか」
そう言った瞬間、皇女の目の奥が喜々として光る。
そして、違いに気づく。
(そうだ。昨日は始終寂しそうな目をしていたのに、今日はそれがない)
昨日つけていた大切なブレスレットを今日はしていない理由も気になっていた。
こんな考えが浮かぶなどバカげている。
そうだったらいいという願望がそう思わせているのかもしれない。
問い詰めるべきか、否か。
黙考して、後者を選ぶ。
シルヴァンは同盟さえ上手くいけばいいのだ。
皇女の秘密など、取るに足らない。
サクラは今日は我ながら上手く皇女になれていると思っていた。
特訓のかいあってシルヴァンのキラキラ王子スマイルに動じずに隣を歩けているし、花農園では多少しゃべりすぎてしまったが、気づくほどではないはずだ。
主人や他の侍女のためのジュースと、女官と自分のためのワインを農園主の説明を聞きながら選んで満足したサクラは、シルヴァンのいる後ろを振り返った。
瞬間、目の前に光が走ったように意識が遠のき、頭に錘がついたようによろける。
「大丈夫ですか?」
どうやら立ち眩みしたらしい。
しっとりと甘い声が耳をくすぐり、目を開けると、温かいぬくもりの中にいた。
どっくんと大きく心臓が鼓動がして、スイッチが入ったように全身の血が沸騰する。
今、顔はシルヴァンの首元にあった。もし顔を合わせてしまったら、皇女の仮面はあっさり剥がれてしまうだろう。
(特訓を思い出すのよ、サクラ!!)
自分に言い聞かせても、赤く染まってしまったものは引いていかなかった。むしろ意識すればするほど、体が熱くなっていく。
「立てますか?」
吐息が耳にかかる。心臓が口から飛び出そうだった。
ゆっくり頷いて、顔を見られないように上半身を起こす。
(しゃべりすぎたみたい)
体に力を入れ辛い。魔力が足りない気がする。
「お疲れのようですね。ちょうどもう帰る時刻です。飛馬車まで歩けますか?」
無言で頷いて、シルヴァンに支えられながら歩く。後ろに付き従っている従者たちの視線が集まっている気がして恥ずかしい。
(ツバキ様なら、こんな醜態さらさないのに)
役に立ちたくて代わったはずが、主人の評判を落としてしまった。恥ずかしい上に情けなくてたまらない。胸の中に石が落ちてきたように気が沈む。
「セイレティア様?」
黙って歩いていたとき、不意に顔を覗かれた。
サクラの顔を見たシルヴァンの顔が急激に赤くなる。
照れているわけでも怒っているわけでもない。笑いを堪えていた。
「…………っ!」
手で顔を覆って、周囲に気づかれないよう声を殺して笑っている。
こんなに笑われるなんて、どんな顔をしていたのだろうか。恥ずかしくて情けなくて泣きそうなときだったから、きっとものすごくぐちゃぐちゃな顔だったに違いない。
それにしても。
「シルヴァン様。笑いすぎです」
「すみません。あまりに可愛らしくて」
屈託のない笑顔を向けられ、思わず赤面する。
しかし、可愛らしいなんて嘘に決まっている。
咎めるように上目遣いで睨んでみたが、横目で見返された。
「やはり面白いな、君は」
「え?」
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、シルヴァンは愛おしむような微笑みをサクラへ向けた。
「行きましょう、セイレティア様」
皇女の手を取り、再び歩き出す。
どきん、どきん、と鼓動がサクラの全身で響いていた。
一度入ってしまったスイッチは、なかなか消せないらしい。
(勘違いしちゃいけない。あの笑みは、ツバキ様に向けられたもの)
サクラはシルヴァンの横で歩きながら自分に言い聞かせる。
これ以上表情を見られないように、触れ合う手を見ないように、うつむいて。
こうして皇女病弱説が広まっていった。




