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アモルの休日2

 男たちに絡まれた動揺がまだ収まらないツバキは、赤い髪の男に連れられてレイシィアにある喫茶店で休むことになった。


「助けてくださってありがとうございました」

 

 ツバキはベールで顔を隠して頭を深々と下げた。最後まで上げず、目を合わせないようにうつむく。

 ケデウムで会った栗色の髪の少女だとバレないようにしなければ。皇女であることも知られたくない。しかし、珍しい白銀色の髪をすでに見ている相手の視線がチクチク痛い。


「…………」


 心なしか、視線が近寄ってくる気がする。

 ちらりと目を上げると、身を乗り出した男の顔がすぐそばまで迫っていた。咄嗟に顔を逸らす。


「……あんた、どっかで見たことある気がする」

「さあ、初めてお会いしたと思いますけれど」

 

 男は浮かせていた腰をどかりと下ろした。

 そして懐からきらりと光るものを取り出し、ぶら下げる。


 スリに取られたブレスレットだった。


 今度はツバキが身を乗り出して奪い取ろうと手を伸ばす。

 すぐさま男は手を引っ込め、ツバキの右手がむなしく空を切った。


「…………」


 ばっちり目が合い、顔をはっきり見られてしまった。男はにかっと笑う。


「それ、どこで」   

 

 ぶつかって来た男は赤黒い髪をしていたから、盗んだのはこの男ではない。スリから取り返してくれたのだろうか。


「あんた、すごく目立っていたから。何か盗られたのに気づいて取り返しといた」

「目立ってた?」

「ああ、だって男を土下座……」

「あれは私がさせたわけじゃない」


 げんなり言うと、男は笑った。

 その後ツバキを探してくれて、男に絡まれていたところを助けてくれたのか。ケデウムでも困っていた時に助けてくれたし、ただの親切な人なのかもしれない。


「ありがとうございます。返していただけますか?」

「あんたが何者か教えてくれたら返すよ」


 男はブレスレットを懐にしまった。

 ツバキの目が悲愴で揺れる。


「何者って、ただの観光客です」


 土下座を見られたなら、グレゴリーがセイレティアと呼んだのを聞いたかもしれない。それでも念のためしらばっくれようと心を落ち着かせる。


「白銀色の髪と言えば、第三皇女様だよね」

「そうでしょうか。珍しいけれど、他にいないわけではありません」

「皇女がアモルに来るっていう噂が出回っていたし」

「そうなんですか」

「じゃあこれ」


 なかなか認めないツバキを面白がるように目を細め、男が懐から何か取り出した。

 それはツバキの欲しい物ではなく、一枚の紙だった。そこに、新皇帝即位の祝賀パレードのときのセイレティアが描かれていた。だが似顔絵にしては気持ち悪いくらい実物そっくりだ。

 ツバキは紙を受け取りまじまじ見入る。


「それは絵じゃない。写真だよ」

「写真?」

 

 聞いたことがなかった。見たものをそのまま紙に写す念写能力のある魔物なら知っているが。


「カメラっていう道具で写したものだ。よく撮れてるだろ?」

「ほんと。すごいのね、これ」

「な? そっくりだろ、あんたと写真に写ってる皇女様」

「他人の空似でしょう」

 

 実際、このパレードのときの皇女はツバキではなく変装した侍女のサクラだ。


「頑固だなー」

 

 男が呆れた目をツバキに向ける。

 確実にバレている。だが今更後には引けない。

 微妙な沈黙が流れ、男は諦めたようにつぶやいた。


「土下座した男がセイレティアって叫んでいたじゃないか」

「…………どうしてそれを最初に言わないの」


 男が豪快に笑った。周囲の人の視線が集まりツバキは顔を伏せ、わなわな震える。

 訂正しよう。親切な男ではない、意地の悪い男だ。名を聞いたなら最初から言えばいいのに、いつまでしらを切るか揶揄っていたのだ。


「第三皇女は病弱だって聞いていたんだけどな。男に土下座させたり、喧嘩したり、話と随分違う」

「だから、土下座させたわけではないし、喧嘩した覚えもありません」

「様になっていたぜ、最初の男二人を倒したときは」

「見ていたの?」

「ああ。本当はもっと前に助けられたんだが、つい見とれちまった」


 男がくっくっくと肩を揺らす。ツバキは忌々し気に手を差し出した。


「早く返して」

「どうしよっかなー」


 ブレスレットを取り出し、ぶらぶらさせる男。

 ツバキは目を細めた。


「あなた、そんな写真を持ってるなんて、私を探していたの? ……まさか誘拐する気?」

「そんなつもりがあったらとっくに攫ってる。皇女が来るって知って、興味持っただけ。でもそうだな、うん。デートしよう」

「は!?」

「あんた美人で面白いし、思い通りにいかなそうなのが気に入った。これでもう少し肉付きがよかったらドンピシャなんだけど」


 男の視線がツバキの顔から下へ下がる。いつも窮屈そうにツバキの服を着るサクラの胸が頭に浮かび、ツバキは咄嗟に腕で前を隠した。


「最っ低!!」


 意地が悪くて失礼な男だ。


「早く返してください」

「いいだろ。あの小説の王女みたいじゃん」

「興味ありません」

「年頃の女の子なら憧れそうなのに」

「早く返してってば」

 

 だんだんイライラしてきた。ツバキが睨むと男の口角が上がる。余裕そうな顔が憎らしい。


「でもこれ、留め具が壊れてるんだよな。盗むときに引っ張ったんだろう。近くに修理してくれる店があるから、修理が終わるまで、な?」


 意地が悪くて失礼でしつこい男だ。

 とはいえブレスレットをよく見れば、確かに留め具が一部欠損している。


「修理が終わったら、必ず返してくれるのね?」

「ああ」


 グレゴリーたちが探しているはずなので早く戻りたいが、あれを手放すことだけは絶対にしたくない。


「……わかったわ」


 口をとがらせたツバキを見て、男はにかっと笑った。




 多忙のため修理には三時間ほどかかると聞き、ツバキは男に向かって深いため息をついて露骨に嫌な顔をした。アベリアが見たら泡を吹いて倒れてしまうくらい露骨に。

 だがそんなひどい顔でも男の目を楽しませたらしく、笑われてしまった。

 

「俺はレオって言う。あんたは副名で呼んだ方がいいよな。よろしく、ツバキ」

 

 呼び捨てにされ眉をピクリと動かす。名前と顔からケデウムで会った少女だと気づかれないか心配したが、今のところバレていないようだ。


「それで、どこへ行くの?」

「そうだなあ、とりあえずこの辺で有名な菓子でも食いにいく?」

「お金持ってきていない」

「いいよ、それくらい」


 そうやって案内されたのはレイシィア発祥にも関わらず最近モルビシィアにも出店し話題になっているケーキのお店だった。そこでツバキはブルーベリーが乗ったケーキとコーヒーを注文する。 

 

「おいしい。このケーキ、チーズと生クリームと、あと何が入ってるのかしら」

「メレンゲってやつらしいよ」

「ああ、なるほど」


 初めての味と食感に感激するも、レオがケーキを注文せずコーヒーだけ飲んでいるのを見て首を傾げた。


「あなたは食べないの?」

「俺は甘い物苦手だから」


 ますます首をかしげる。それなら、ここへ案内してくれたのはただツバキを喜ばせるためなのだろうか。性格は難ありだが根はいい人なのかもしれない、いやいや甘い物でほだされてはいけない。


「何か企んでる?」

「なんだよそれ」


 ははっと笑う顔は純粋にこの時間を楽しんでいるようだった。


(なんだか調子が狂うわ)

 

 ツバキはコーヒーをごくりと飲み込んだ。


 その後は古代の遺跡や彫刻が見事な宮殿を見たり、街並みを歩いたり、途中逃げ出そうとして捕まったり、からかわれたり嫌味を言ったりして過ごし、最後にキャメロン運河でゴンドラに乗ることになった。

 高い運賃を払えば魔法で動く二人乗りのゴンドラがあるという。レオはものすごく嫌がるツバキを無理やり乗せた。

 真夏なので水の上は気持ちがよかった。肩が触れるか触れないかという位置にレオがいなければもっと楽しめたのに、とツバキはそわそわする気持ちを抑える。

 彼は基本ツバキに意地の悪いことを言うが、時折大人の表情を見せ居心地を悪くさせた。なんだかんだエスコートもきちんとしてくれるので、女性には困らないだろうに、なぜ構うのか不思議だ。


 なんとなく、まだ日が高くて良かったと思った。


 ちらりとレオの横顔を見やる。涼しい風を受けて気持ちよさそうだ。視線に気づいたレオがこちらを向き、ツバキはぱっと前を向く。


「どうした?」

「別に。……あ、ちょっと気になることがあるのだけど」

「何?」

「カメラ、だっけ。どこで売っているの?」

「欲しいのか?」

「興味はあるわ。魔力は必要ないの?」

「いらないな。俺の商会で売ってる」

「え、そうなの? レオは社長ってこと?」

「なんだその意外そうな目は。このゴンドラの運賃がいくらするか知ってるか?」


 確かにバカ高い。チハヤの店で毎日バイトしたとして賃金三か月分に相当する。それを気兼ねなく出せるのならレオはお金持ちということだ。


「お店ってどこにあるの?」

「……知ってどうする」


 警戒心が含まれた声だった。不審に思って横を向くと、レオはにかっと笑った。


「俺に興味が出てきた?」

「それはないわ」

「あっそ。そういえば白い猿の魔物は元気?」

「え?」


 ツバキの顔が強張った。白い猿の魔物とはギジーのことか。ふいをつかれてとぼけることができず、レオに確信を与えてしまったと彼の目を見て悟る。

 

「やっぱりどっかで見たことあると思ったんだよなあ。ケデウムで会ったよな、金髪の子と帯刀してる男も一緒に。あれは護衛? いつもあんな堂々と街に出てるわけ? 皇女様が」

「…………」

「噂と大違いだな。男に土下座させるだろ、酔っ払いと喧嘩するだろ、平民の街を気兼ねなく歩くし、変装して街へ出てるし、あと、あのときは銃にも興味持っていたな」


 レオは皇女らしからぬ行いを指折り数えていく。二つほど解せないものはあるが。


「この国の皇族って、もっと傲慢で魔力にしか興味ないと思っていたのに」


 レオは、面白いおもちゃを眺めるような目ではなく、女性を愛でるように微笑した。今までにない眼差しに、ツバキの視線が囚われる。

 互いに何も言わなかった。

 ただ、相手の想いを探るように、でも自分の想いには気づかれないように、静かに視線を絡ませる。

 彼の指先がツバキの頬まで伸びた。 

 触れられる直前で、ツバキは顔をそむける。

 レオがふっと笑った。


「取って食いやしねえよ」

「あなた好みの肉はついていないのでしょう?」


 胡乱な目で睨み返し胸元を隠す。

 レオは、また予想外の反応をされたと豪快に笑った。ひとしきり笑って無言になると、ツバキの髪を指に絡ませ口づける。


「……欲しくなる」


 獲物を狩るような目をして吐露される。

 狭い空間に二人きり、近くに他のゴンドラはなく、水面が太陽の光で煌めいている。

 ツバキの胸がざわざわした。ギリギリ日が明るくて良かったと心から思った。

 

 ここで、ゆっくりゴンドラが停止する。 


「残念」

 

 レオが手を離してするりと髪が流れた。

 ツバキは急いで立ち上がってゴンドラを降り、レオにバレないように呼吸を整える。

 

「もう直っただろう。取りに行くぞ」

「やめてよ」


 頭に置いた手をツバキに勢いよく掃われ、レオは愉快気に微笑んで先に歩き始めた。



 

 修理が終わってもすんなり返してくれないかもしれないという心配は杞憂に終わ……らなかった。

 店から出てきたレオは、硬い紙のケースに入ったブレスレットを開けてツバキに見せ、ツバキが安堵して嬉しそうに顔を綻ばせた瞬間、閉じて頭上に掲げた。


「返してくれるって言ったじゃない!」

「そのつもりだったんだけどなあ」

「あっ。ちょっと!!」

 

 レオが急にツバキの手を取って走り出した。強い力で引っ張られ、転ばないようについていくのがやっと。ようやく止まってくれたときには、ツバキは息も絶え絶え足はがくがくで汗だくだった。対して男はほんのり汗をかいているだけで涼しい顔だ。


「……やっぱり…………さい………てい……」


 はあはあ言いながらついた悪態もまったく効いていない。

 着いたのは道が左右対称に整備された緑豊かな公園だった。

 ベンチに腰を下ろして赤く染まりつつある空を眺めながら息を整える。

 グレゴリーたちはきっと探し続けてくれているだろう。レイシィアまで捜索範囲を広げてくれるといい。早く見つけ出してくれないと、大変なことになる気がする。


「お願い。早く返して」

「そんなに大事なもの? 見たところ、安物っぽいけど」


 それは彼が皇女セイレティアではなく、平民の娘に扮するツバキのために買ってくれたからだ。


「大事なもの、なの」


 懇願するように手を差し出す。


「悪かったな」


 立ったままのレオはポリポリと頭をかき、ブレスレットを慣れた手つきでつけてくれた。

 ツバキはやっと自分の元へ返ってきたブレスレットを愛おしそうにさする。


「恋人からもらったとか? ケデウムで一緒にいた金髪の子?」

「……カオウは、そんなんじゃ、ないわ」


 無表情になるツバキ。ポツリポツリ言葉を紡ぐ。


「そういうのじゃないけど、ずっと一緒にいてほしい人。そばにいると約束してくれた人。……でも、今は……」


 かつて印があった場所を強く握り、うつむいた。

 レオが短く息を吐く。


「第三皇女は最近授印を持ったって情報があったな。もしかしてあいつがその魔物? そうかー、異性と契約しちゃったわけか。そりゃあ難儀だな。でも今は印がないってことは、フラレちゃった?」


 ツバキが顔を上げてレオを睨む。こぼれそうな涙を必死に耐えて。こんな男の前で泣きたくなかった。

 早くここから立ち去りたい。モルビシィアへ通じる門までたどり着けば、きっと帰れるだろう。

 しかし、すっと立ち上がった瞬間、レオに抱き寄せられた。


「完全に人に化けていても、そいつは魔物だ。どうせその感情は色恋じゃないだろ」

「……」

「俺がそばにいてやる」


 さらに強く抱きしめられる。たくましい腕に、ツバキの頭の位置にある厚い胸板。鼓動がいつもより強く打っている気がした。早く離れなければ、大変なことになる。


「私は、カオウにそばにいてほしいの」

「人と魔物は結ばれない」


 無理やり顔を上げさせられた。がっちり顎を掴まれ、逸らせない。

 レオの顔が近づいてくる。


「嫌! 離して!」


 必死に抵抗してもびくともしない。

 我慢していた涙がこぼれてしまった。

 唇が触れそうになり、目をギュッと瞑る。

 

「…………」


 何も触れてこなかった。からかわれたのかと思いゆっくり目を開けると、レオは険しい表情で公園の木の方を睨んでいた。

 顎を掴む手の力が緩み、ツバキに背を向けてかばうように左手を横に広げる。


「誰だ」


 レオの声で男が五人現れ、すぐさま横一列に隊形を組んで走ってくる。明らかにプロっぽい集団だった。頭上でレオの舌打ちが聞こえた。

 

「レオ?」

「離れるな」


 よくよく相手が持っている物を見ると、見覚えがあり戦慄が走る。

 全員銃を持っていた。


「あの人たち、何者?」

「俺の敵ってとこだな」

「あなた、何したの?」

「いろんなところに恨みを買っているもんで」


 こんなときにまで軽口を言う度胸は大したものだが、近くに隠れられる場所はないのでこのままでは二人とも死んでしまう。

 一定の距離を取って集団が止まった。銃を両手で持ち狙いを澄ましている。

 冷や汗が背中を伝い落ちた。

 

 動物の遠吠えが聞こえたのはその時だった。

 声がした左の方を見ると、公園の入り口から狼が駆けてくる。集団とツバキたちの間に立って、もう一度遠吠えをした。


「…………!」


 集団が全員銃を落とし、頭を抱えて悶え始めた。膝をつき、嘔吐する者や耳から血を流す者までいる。訳が分からない恐怖でレオの腕を握ると、彼の体も震えていた。


「レオ?」


 集団ほどではないにしろ、頭痛がするらしく片手で頭を押さえている。平然としているツバキを見て、目を見開いた。


「あいつを……止め……ろ」

「私? 私は何も……」


 と言って、はっと気づいてしまった。


(まさか。私の力?)


 ツバキが半信半疑のまま、狼に向かって「やめて!」と叫ぶと、苦しんでいた集団の動きがぴたりと止まった。頭痛から解放された集団は逃げるように去っていく。


(やめてくれた?)


 狼はツバキに向き直り、足元にちょこんと座る。なでてくれと言わんばかりの目で見つめてくるので頭をなでてやった。


「あははははははっ!!」 

 

 突然レオが笑い出した。狂気に満ちた顔でツバキを見下ろしている。

 ぞくり、と背中が凍えた。


「あんたか、やっぱり! 魔物を操る少女ってのは!」


(やっぱりってどういうこと?)


「栗色の髪の少女に、金髪の少年、ぼさぼさ頭のおっさんってしか、聞いてなかったからなあ。ケデウムではおっさんがいなかったから違うと思ったが、髪を切ったあいつか」

「……な、なにを言っているの?」

「しかも印を結んでいないのに使えるってことは、ツバキがそういう力を持っているのか。おもしれえ。知れば知るほど、興味が湧いてくる」


 ツバキは後ずさりした。


「来いよ、俺のモノになれ」

 

 大きく首を振り、さらに後ろに下がる。目配せすると、狼がレオに飛び掛かった。だが。


 バン! と破裂音が響いた。

 飛び掛かった狼が倒れ、その先に銃を持ったレオがいた。


(え……どういうこと……?)


 レオが銃を持っていた。商会もやっていると言っていた。ケデウムで強盗が怯えた先にいたのも、この男ではなかったか。そして、なぜトキツがぼさぼさ頭だったことと、ツバキの力のことを知っていたのか。


「レオが……ロナロの協力者? 彼らを連れ出して、武器を与えた人?」


 レオがにやりと笑う。狂気じみた目はまだ少し残っていた。


「察しがいい。だがこれで、ますますツバキを帰せなくなった」


 一歩一歩近づいてくる。ツバキは驚きと恐怖で腰が抜けてしまい動けない。

 また魔物が助けに来てくれないか、必死で願う。

 

「ツバキちゃん!!」


 聞き覚えのある声が遠くから聞こえた。

 トキツだった。

 小刀をレオに投げつける。飛びよけたレオは銃をトキツへ向けた。

 しかし何発撃っても、トキツは見事に見切って避けてこちらに近づいてくる。走りざま鎖を鞭のようにしならせてレオの手から銃を叩き落とした。


「レオ様!」


 と叫んだのは、ケデウムでも見かけた分厚い眼鏡の男。レオの元へ駆け寄り剣を構えて守るように立つ。

 トキツも跳躍しツバキの前に降りた。


「待った。降参、降参」

 

 張り詰めた空気の中、レオが小さく両手を上げる。


「あんた、俺の部下の中で一番の手練れとやりあって互角だった男だろ。そんな奴に敵うわけない」


 レオの目は元に戻り、にかっといつものように笑った。


「ツバキ。今日のところは引き下がる。だが必ず攫いに行くから」

「……来なくていいわ」

「ははっ」


 愉快気に笑って、レオたちは素早く走り去った。




 

 トキツが安堵してへたりこんだツバキに手を差し出す。


「大丈夫か?」

「ええ、なんとか」


 ツバキはトキツの手を取って立ち上がろうとするも、腰が抜けてしまっており動けない。

 仕方なくおんぶされて帰ることになった。


「来るのが遅くなってごめん」

「私が悪いのよ。ごめんなさい」


 聞けば、グレゴリーたちが大騒ぎして公爵家は大混乱に陥っているらしい。

 こんな長時間いなくなった理由をなんて説明すればいいのだろうか。


「今日は本当に散々な日だった」


 スリにあって、酔っ払いに絡まれ、レオに振り回され、銃を持った集団に殺されかけ、挙句レオに連れ去られそうになった。


「……私、一人で歩くとろくなことがないって身に染みたわ」


 夕陽が作る二人の長い影をぼんやり眺めながらツバキがぼやくと、トキツが明朗に笑った。

かわいそうな狼は街の獣医に引き取ってもらいました。

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