理想は幻想
元々カタルという小さな村から始まったバルカタルは数百年に及ぶ戦争の末巨大な帝国となっていた。
現在は一つの都と五つの州を設け、帝国全体と都は皇帝が、州は皇帝の兄弟姉妹らが州長官となり治めている。次期皇帝は皇帝の子の中から最も強い魔物と契約した者がなり、順に他州を治める者が決まる。
現皇帝には第一皇后との間に五人、今は亡き第二皇后との間に二人、合わせて七人の子がいた。つまり、役目を持てない子が一人いることになる。
本来なら、皇位や州長官の座を巡って争いが起きてもおかしくない。
しかし今代は異例の早さで序列が決まった。
第二皇后の末子である第三皇女ツバキが、授印の儀を禁じられたからだ。
帝国内では様々な噂が飛び交っている。トキツもカイロへ来るまでに嫌というほど耳にしていた。
「なあ知ってるか? ツバキ様が授印の儀を禁止された理由」
護衛が決まった翌日、親睦を深めろというロウの命令でカイロという街を案内してもらうことになったトキツは、ツバキとカオウの馴染みの食堂へ来ていた。
そこで昼食を待つ三人の耳に、隣席の会話が入ってくる。
「母親の第二皇后様も姉の第二皇女様も体が弱くて病で亡くなられたから、心配した皇帝が禁止したんだろ?」
「いや、実は魔力がなさすぎて下級魔物としか印を結べず、公表できないから禁止したってことにしたみたいだぜ」
「まさか。ツバキ様も体が弱くよく寝込んでるって聞いたことあるぞ」
「それも、城にいる上級魔物が怖くてよく気絶するかららしい」
甘辛いタレをからめた肉を頬張りながら話を続ける男たち。
トキツは向かいの席へ目を向け、声を潜める。
「あんなこと言われてるけどいいのか? ……いや、いいんですか?」
噂の本人、ツバキは涼しい顔でお茶を一口飲んだ。
「敬語はやめて。別にどうってことないわ」
「噂はデタラメなんだろう?」
「さあ? 儀式をしていないから自分の魔力がどれくらいかなんて知らない。魔物は怖くないけれど、もしかしたら小さい頃気絶したことがあるのかもね。とにかく、私も知らないのだからこのことで誰に何を言われても怒る理由がないのよ」
ようやく運ばれてきた野菜たっぷりのスープを上品なしぐさで口に運ぶ。本当に気にしていないようだ。
カオウはというと、器ごと持ち上げてズズっと音を立てながら飲み始めた。心なしかイラついているようなのは、トキツがいるせいか男たちの会話なのかはわからない。
「正直、皇族に関する噂話はよほどの田舎でなければよく耳に入ってくるけどさ」
トキツはつまみの豆を口へ放り込んだ。
「第三皇女様はたいそう美しく、それはそれは大切に育てられていて、滅多に部屋から出ないって聞いた。魔物どころか動物にさえ触れたことがない、とか」
「ぶはっ」
それを聞いて、カオウがスープを吹き出した。ツバキが汚いなあとボヤくもハンカチで拭いてやる。
「昔っから魔物と遊んでいたやつが?」
「そうよ、滅多にお城から出ないのよ」
ツバキもクスクス笑う。
「五歳のとき蠍の背に乗って空を飛んだだろ」
「彩豚に泥に色を付けてもらって泥んこ遊びしたりね」
「そんでその泥を熊鳥に投げつけて追いかけ回されたりな」
「隠れんぼしたり鬼ごっこしたり、楽しかったわね」
トキツの中で勝手に抱いていた皇女像が音を立てて崩れていく。
病弱ゆえに、毎日ベッドから窓の外を物憂げな表情で眺めているのではないか。
そんな彼女に他愛もない話をして気を紛らわせて差し上げれば、宝石のような笑みを返してくださるに違いない。
まさに、守ってあげたい女性の代表。
そんな想像をしていたのだが――。
蠍に乗って空を飛ぶ?
泥遊び?
熊鳥に泥を投げた?
しかも熊鳥といえば、巨大で気性の荒い上級魔物だ。
確かに外見は想像通り、いや想像以上に美しい。そこは間違っていなかった。
(けど!!)
「どうしたの? トキツさん」
様子がおかしいトキツに気づき、ツバキが不思議そうに声をかける。
隣に座っていたギジーが『キヒヒヒ』と笑い声を上げた。
『気にするなお嬢さん。理想と現実の差に頭が追いついてないのさ』
「……よくわからないけれど、とても失礼なことを言われている気がするわ」
『ひゃひゃひゃ!!』
トキツを放置し他愛もない会話を続けていると、ふくよかな女性がツバキたちのテーブルに近づいてきた。
「いらっしゃいツバキ、カオウ。おや、そちらさんは初めてかい?」
「こんにちはチハヤさん。こちらはギジー、それでこのぼーっとしている男性はトキツさん。今日からこの街で暮らすそうよ。二人とも、この方は店長のチハヤさんよ」
『おいトキツ、いい年したおっさんがくよくよしてんなって。気持ち悪い』
「おっさんじゃない! ……ってああ、これは失礼」
ようやく我に返ったトキツは慌てて咳払いした。
「ツバキさ……ちゃんから聞いてます。チハヤさんの食堂が一番おいしいって」
「まーうれしいねぇ。ようこそカイロへ。そうだ何かご馳走するよ。あ、アフラン」
チハヤは近くにいた店員に声をかけた。
濃紺の髪が印象的な十五歳くらいの美少年。店内の若い女性客がチラチラ彼を見て声をかけるスキを狙っている。
「鶏肉の黒酢あえを大至急頼むよ」
「はい、かしこまりまシた」
少年はぎこちない口調で言うと調理場へ向かった。
時折かけられる女性からの声にもぎこちない笑顔を向け、それがさらに女心をくすぐるらしく、店内が色めき立つ。
「あの子、最近入った子ですか? この国の人ではないような」
ツバキが問いかける。
「母親が外国の子でね。バルカタル語があまり話せなかったから、ずっと調理場で働いていたんだ。弟がいるんだけどね、その子はまだ接客は難しいだろうね」
バルカタル語は発音が難しい。
少し間違えるだけで正反対の意味になることもあり、片言で接客するには厳しい言語だった。
読み書きはさらに難しく、同綴異義語が多いのはもちろん、受動態、能動態が同じ綴りのこともあり、その場合間違えないようにアクセント符号をつけるのだが、母国語がバルカタルの人でさえ忘れたりする。
「まさかまた拾ったのか?」
カオウが呆れたようにつぶやくと、チハヤが慌てて手を振った。
「や、やだねえ。人を猫みたいに。ちゃんと身元保証書は確認したよ」
「だけど?」
カオウが上目使いで話を促す。その目に弱いんだよとチハヤはため息をついた。
「だってさ聞いとくれよ。母親が亡くなって身寄りがなく、小さい頃に別れた父親を頼って子供二人で旅をしてきたそうだよ。父親に迷惑をかけたくないから住み込みで働かせてくれって言われたら、もう涙が止まらなくてねぇ」
目元を押さえるチハヤを見ながら、トキツはアフランへ視線を向ける。
異国風の見た目。片言の言葉。
カイロは旧バルカタル王国の流れを色濃く残す土地だ。外国人の定住はあまり受け入れられない。
たとえ身元保証書があったとしても、ここへたどり着くまで、かなりの店で断られたはずだ。
おそらくチハヤには話を盛ったのではないか、と邪推してしまう。
ツバキも同じように考えたのか、チハヤを見て仕方なさそうに苦笑した。
「相変わらず人がいいですね」
「外国出身ってだけで働けないなんて可愛そうじゃないか。せっかく今の皇帝が戦を終わらせてくださったってのに」
バルカタルはこれまで領土拡大のための戦が続いていた。
外にばかり気を取られ、国内が衰退していく様を憂いていた現皇帝、つまりツバキの父親がそれに終止符を打った。
望んでもいない領土拡大のために夫や息子を戦に取られ、農業もままならず飢餓に苦しんでいた国民にとって、現皇帝は英雄だ。
それから税制を見直し、水や道路を整備し、荒れた国内を立て直した。
少なくともトキツが知る限り、平民からの人気は高い。
「次期皇帝のことはどう思います?」
ツバキは団子のような食材をフォークで転がしながら尋ねた。
「第一皇子のシュン様ね! そりゃあ皆歓迎してるさ。治安をよくするために自警団を組織化したって話だし、今の皇帝の意志を継いで、民のことを考えてくださるお方に違いないよ。それになんたってとびきりの美形だもの。ああ、祝賀パレードが楽しみだねえ」
ツバキとカオウが視線を交わし、二人ともなぜか口の端がもぞりと動いた。
ガチャン!
皿が割れる音がすぐそばで響く。
アフランが持ってきた皿を落としたらしい。黒酢が絡まった鶏肉が床に散乱している。
「も、申し訳ありまセん!」
「なにやってんだいアフラン。早く片付けておくれ。トキツさんすまないねえ、せっかくうちの新メニューを食べてもらおうと思ったのに。お詫びに今日のお代は結構だよ」
「いえ、そんな訳には……」
「さすがチハヤさん! じゃあおれはチョコアイス頼もうっと!」
「カオウったら調子に乗らない!」
「ははは、いいよツバキちゃん。他の二人にも出そうかね。じゃあごゆっくり」
チハヤはアフランの片付けに手を貸してやってから店の奥へ入っていった。
しばらくして出されたアイスを堪能し、店を出る。
その時にまたもや手を繋いで歩くツバキとカオウを見て、トキツは複雑な心境になった。
キョロキョロと周りを見渡し、近くに誰もいないことを確認してから、恐る恐る問いかける。
「なあ、二人はその……付き合ってるのか?」
キョトンとする二人。
「そんなんじゃないわ」
「だって恋人でもないのに手なんて繋がないだろ」
「小さい頃から一緒だもの。それに繋いだ方が楽なのよ。カオウの好きなときに魔力をあげられるから」
「魔力って……魔物でもあるまいし」
さらにギジーが加わってキョトンとする三人。
「昨日紹介したでしょ。カオウは私の魔物よ」
「……は?」
「おっさんは耳も遠いのか。じじいだな」
『どうせショックで昨日の話を聞いていなかったんだろ、ボケ』
今度はトキツがキョトンとする。
「てことは、カオウは魔物?」
「だからそう言ってんだろおっさん」
「カオウをなんだと思っていたの?」
トキツはまたも思考が止まるのだった。




