見える少女と見えない少年
苔むした屋根の隙間から落ちた雨粒が、ぽつんぽつんと薄藍の傘を叩く。
ゆるやかな山道に建てられた東屋。
湿ったベンチにタオルを敷いて座るツバキは、ぼんやりと空を仰いでいた。
そこには金色の巨大な蛇と、白い衣をまとったこれまた大きな鞠のような生き物が、楽しそうに飛び回っている。
「もうすぐ一時間か」
そろそろ頃合いかと思ったところで、山道を下りてくる気配がした。
傘を傾けてそちらを見ると、向こうもツバキに気づいたらしい。
「こんなところに女の子が一人で何してるんだ?」
春が近づいているとはいえ、まだ肌寒いこの季節。
小綺麗な服を着た少女がいるには不釣り合いな山道だ。
待ち人でもいるのかと男に問われ、ツバキは曖昧に首をかしげた。待っていることは待っているが、相手は人ではない。
「あなたはどちらへ?」
「この先のカイロって街でしばらく世話になるつもり。なあ、ちょっと隣に座ってもいいか? 疲れてるんだ」
ツバキは快く頷いた。
昼前に山を越えたということは、普通の人なら昨夜は野宿をしているはずだ。
髪はぼさぼさで無精ひげもひどいが、これは野宿をしたからなのか元々の性分なのか、ツバキには判断がつかない。
ただ、荷物は必要最低限で、腰の鞘は使い込まれている。
どう見ても、ただの商人や旅人ではない。
男は男でどさりとツバキの隣に座ると、「あー」と呻きながらコリをほぐすように首を回す。
その目の端で少女を観察した。
整った顔立ちに長い手足。栗色の髪は平民に多い色だが、どことなく品のある佇まいがちぐはぐで少し気になった。
「俺はトキツ。あんたは? カイロの人?」
「私はツバキと言います。カイロの外れに住んでいます。……それより、そこの木にいる魔物はトキツさんの授印ですか? ハクエンコウ、ですよね」
ツバキは、トキツの左後方の枝に座るサルの魔物をしげしげと見つめた。
白く長い毛並みは手入れが行き届き、瞳も大きくて愛らしい顔。
魔力は個体にもよるが平均して高いはず。
「ハクエンコウは賢くて、人をよく選ぶと聞きます。すごい方なんですね、トキツさん」
魔物と精霊と人間が共存するこの世界では、魔力を持つ人間は珍しくない。
魔力がわずかでもあれば魔物が見え、安定した魔力があれば魔物と契約し、自分の魔力を与える代わりにその魔物の能力を使えるようになる。
契約の証として魔物が人間の体に刻む印を授印と呼ぶ。 また、契約した魔物そのものも、野生と区別するため授印と呼ばれていた。
ここ、バルカタル帝国では魔物が見える者は多いが、印を結べる者は少ない。
しかもトキツの授印は、平民向きで慣らしやすいとされる下級ではなく、山奥にしか生息しない中級クラスだ。
魔物を見慣れているツバキでさえ、碧い大きな瞳を輝かせずにはいられなかった。
『よせやいお嬢さん、そんなに見つめられたら照れちまうよ』
サルの魔物は木からトキツの肩へ飛び乗ると、キヒヒと笑った。
『おいらはギジーってんだ。よろしくな』
「よろしくお願いします、ギジーさん」
にっこりと微笑むツバキ。
そのやり取りを見て、トキツも驚いた。
「ツバキちゃん、だっけ。君もなかなかの魔力を持っているんだね」
「あ。もしかして、姿消してました?」
少しでも魔力があれば魔物の姿は見える。
しかしそれは、魔物が姿を消していないときだ。
姿を消した魔物を見るには、その魔物よりさらに強い魔力を必要とする。
つまり、ツバキはギジーより魔力が上ということ。
やっちゃったという顔でツバキは居住まいを正した。
珍しさからつい興奮してしまった。こっそりついてきている様子だったから、少し考えれば姿を消していることは容易に気づけたはずなのに。
話題を変えなければ、と一つ咳をする。
「あの、トキツさんはしばらくカイロに? お仕事ですか?」
「ああ。なあ、中央警察署の署長ってどんなやつか知ってる?」
「署長ってロウのこと?」
「知り合い!? どんな人?」
ツバキは言葉に詰まった。
帝都全体を取り締まる中央警察の署長は有名な人物だ。
元々帝都の辺境で自警団をしていたところ能力を買われ帝都の自警団団長となり、自警団が組織化されて警察になったとき署長に抜擢された。
そう説明するとトキツは首を振る。
「そういう上っ面じゃなくてさ。機嫌を損ねると氷漬けするって本当?」
今度はツバキの目が泳ぐ。
署長について聞くということは、彼に用があるのだろう。もしかしたら警察官かもしれない。
慢性的な人手不足のあそこに来てくれる貴重な人材が、ツバキの説明でやめられては困る。
人手不足の原因はほぼ署長のせいではあるのだけれど。
そう答えに窮していると、突然トキツが大きな声で笑った。
「大丈夫。俺はロウの遠縁だから奴が小さいときからよく知ってる。たださすがに氷漬けってのが意味不明でさ。しかしその様子だと本当みたいだな。授印でも持ったか」
トキツは今まで用心棒として旅をしていたこと、そろそろ貴族からの紹介状が欲しいと思っていたところロウから貴族の護衛を頼まれたことを話した。
「護衛って誰の?」
「どこぞのじゃじゃ馬娘の護衛だそうだ。融通が利いて腕の立つ奴が欲しいんだと」
「じゃじゃ馬ねえ」
ツバキの綺麗な顔が歪んだ。
何事かとトキツが訝しんだとき、ふいにツバキが空を見上げた。
じっと一点を見つめていたかと思うと、トキツに向き直る。
「もうすぐ雨があがるようです。中央警察署まで案内しますよ」
しかしトキツが見る限り変化はない。雨は相変わらず降っており、空には分厚い雲がある。
「案内は助かるが。まだ止みそうにないけど」
「道すがら、ロウの街での呼び名や噂話について教えますよ」
いたずらっぽい笑みを浮かべるツバキ。
どことなく怒っているようだが、理由を聞ける雰囲気ではなさそうだとトキツは腰を上げた。
「ツバキ、誰? そいつ」
突然目の前に金髪金眼の少年が現れた。
トキツが少女から目を離したほんの一瞬でだ。
ツバキよりやや年下に見える少年は、二人の間に割って入るようにして立つ。
「この方はロウの遠縁のトキツさん。これから中央警察署まで案内するの」
「ロウの遠縁? うーん、似てなくもない……か? タレ目だけど」
「カオウ!」
「ほら行こうぜ。用は済んだし」
カオウと呼ばれた少年はツバキの手を取りスタスタと歩いて行った。
その二人の背を、唖然として見つめるトキツ。
用心棒をしていると、周りの気配を嫌でも察知する。
殺気はもちろん、誰かが、ましてやあんな子供が近づけば必ず気づくはずだ。
しかし目の前に来るまでまったくわからなかった。ギジーも同じようで、興味深げにじっと少年を見つめている。
そして、さらに驚くべきことに、二人が東屋を出ようとした瞬間、黒い雲の隙間から光が差し、雨がぴたりと止んだのだ。
背中に一筋の汗が流れる。
「とにかく、あいつらについていかなきゃな」
不気味さと好奇心を抱きながら、トキツは荷物を持ち上げ二人のあとを追った。




