アフランとルファ 1
昼でも肌寒いこの季節、夕方に近づく頃には寒さが体の芯まで通り歯がカタカタ鳴る。アフランとルファは身を寄せ合って人気のない倉庫に隠れていた。
使用済みでボロボロの酒樽から染みついた酒の匂いがする。チハヤ食堂の酒臭い客と温かい食事を思い出し、ぐうとおなかが鳴った。
「兄ちゃん、お腹すいた」
ルファはアフランにすりより、肩に頭をのせる。
「父さんはいつ帰ってくるのかなあ」
そう問われ、アフランは抱えていた膝にギュッと顔をうずめた。
──父さんなんて帰ってこない。僕たちはきっと騙されたんだ。
三百年前、ロナロはまだ旧ケデウム王国の領地だった。バルカタル王国との境にそびえる山の中腹にあり、当時は気候もよく、村人も穏やかで、狩りや畑を耕して暮らすいたって普通の村だ。
ただ一つ、山を降りられないことを除けば。
降りられない理由は、ロナロ人にはなぜか魔力が皆無だったからだ。魔力がなければ魔物が見えない。魔物が見えなければ、狩り場より遠くへ行くと出没する魔物に気づけず食われてしまうため、村から出られなかった。
それでも、両国からやってくる旅人や商人から外の情報は得られたし、ここでしか育たない野菜が高く売れるので生活には困らなかった。
状況が一変したのは、バルカタルがケデウムへ侵攻を始めたとき。
経路上のロナロは兵士により田畑は踏み荒らされ村人の多くが殺された。
また、当時のバルカタルは魔力がすべてで、強い者が生き残り弱い者は淘汰される時代。ケデウムが統治されると、魔力のない者は穢れているとしてロナロは完全に隔離されてしまう。
それから再び旅人や商人が来るようになったのは、今から五十年ほど前。隔離されてから二百五十年もの年月が流れた後だ。彼らの話では、帝国は長年の戦いで疲弊し、かつてのような威力はなく、どうやらロナロを気にする皇族などとうの昔にいないばかりか、存在自体伝説のようになっているらしい。
これには、再び旅人や商人が訪れるようになり素直に喜ぶ者と、外の世界との文明の差に愕然とし、長年辛酸を嘗めてきたのに忘れ去られていたという事実に憤りを覚え、さらに帝国を憎む者とに別れた。
そして今から十六年前。
ケデウム州産の野菜を帝都へ運ぶため度々ロナロに立ち寄っていたバルカタル人のレント・ボナージュと、ロナロ人のジーナが結ばれ、アフランが産まれた。
しかし、立ち寄ることは許してもバルカタル人との子を周囲は拒絶し、三人は村の端へ追いやられる。最低限の生活はできそれなりに幸福だったがルファが産まれて約二年後、生活が苦しくなってきたレントは帝都で稼ぐため村を去る。
アフランとルファが大きくなると、村の大人からロナロの歴史──どのようにバルカタル人がロナロ人を殺したか、当時監視として派遣されたバルカタル人にどんな扱いを受けたのか等──を教わった。
それにより同じ年頃の子供たちからいじめを受け続け、村の恥だ・裏切り者だ・お前らは父親から捨てられたんだ・バルカタルの血が半分流れたお前らは穢れている・早く村を出ていけなどの罵声を浴びせられた。生活の糧である畑を荒らされたことも度々あった。
父親も村に戻ることはなく、もう顔も忘れてしまっていた。
それでも母親は言う。
あなたたちのお父さんは素晴らしい人よ。確かに過去にバルカタルはひどいことをしたけれど、大事なのは今。あなたが何を感じるかは自分で決めなさい、周りの言葉に惑わされないで、と。
それにバルカタルの商人や旅人たちはみんな優しく、面白い話を聞かせてくれたり、珍しい野菜や果物を分けてくれたので、アフランたちにとって”ひどい”のはバルカタル人ではなくロナロ人だった。
父親が帰ってこないのは胸のしこりのように残っていたけれど、きっと何か理由があるのだろうと信じていた。
ところが昨年、無理がたたった母親が亡くなり、途方に暮れる二人の前に初老の逞しい男性がやってきた。ロナロの村長だった。
「父親を捜してやるから仕事を頼みたい」
帝都へ行き言われた通りに手紙などを人から人へ渡すだけの簡単な仕事だという。
なぜ突然そんな親切なことをするのか不安だったが、村を出たい、父親に会いたいという欲求にあらがえず従うことにした。
見知らぬ人に案内され、十人ほどの同郷者とともに山を下り、数週間かけてカイロに着く。
生まれて初めて村を出た二人は、舗装された道路、高い建物、活気ある街、土まみれじゃない清潔な服に身を包んだキラキラした人々、そのすべてが新鮮で、これからきっといいことがあると予感させるような高揚感に包まれた。
同時に二人は自分たちにも魔力があると知る。
街の中を魔物が当たり前のように歩いているのに、一緒に来た同郷者たちは全く見えないというのだ。自分の体に初めて父親を感じ嬉しさがこみあげたが、彼らに汚らわしいものを見るような目つきをされ、高揚感も、嬉しさも一瞬で消え去った。「化け物が」とつぶやいた男の声がいつまでも耳に残った。
とある場所についた二人は、父親を探し出したという男から、父親は今は別の州で働いていて、一年後戻ってくる予定だからそれまで住み込みで働いて待っているように命じられた。
身元保証書を渡され、用意された筋書きを話して仕事をもらいに数か所の店を訪ねる。
バルカタル語は片言しか話せず、見た目もあって難航したが、ようやく食堂で雇ってもらえ、以後、食堂で働く傍ら、当初頼まれていた通り手紙や物を仲介する生活が始まった。
同郷者から同郷者へ、その人から渡された別の手紙をさらに違う人へ。見知らぬ人へ渡すこともあった。
ロナロ人だということがばれたら帝都では何をされるかわからないからと、故郷のこと、同郷者のこと、仲介のことは絶対に漏らさないよう、脅しと言ってもいいほどきつく命じられていたから、故郷について聞かれると気まずい思いをしたものの、それ以外は充実した日々を過ごせた。
一日中働けば明日の食事に困ることもない上に給金でお菓子も買える。共に働く子たちから意地悪な言葉を浴びせられる心配もなかったし、バルカタル語も丁寧に教えてくれる。母親が恋しくて泣きそうになったときは、チハヤがそっと抱きしめてくれた。
だが。
一年経ったとき、ついにとんでもないことを知ってしまう。