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番外編 皇女の影武者 5

「どうしよう。ツバキ様のお誕生日は明日なのに」


 寒さに耐えるように固く閉じた細長の蕾に向かって、サクラは白い息を吐いた。

 サタール国シルヴァン王太子から頂いた月瑠がまだ一つも咲かないのだ。


「月の光が足りないから?」


 月瑠は数日間月光を浴びると開花するが、昨夜は新月。つまりここ一週間、月はほぼ影に隠れていたことになる。


「殿下は明日ご覧になるはずよね」


 花弁は夜に美しく見えるらしいので、パーティーの後立ち寄るかもしれない。


「がっかりなさるかしら……」

「どうしてですか?」

「えっ?」


 驚いたサクラは座ったまま振り返る。

 シルヴァンだった。

 完全に油断していたタイミングでのキラキラスマイルに動揺を隠せないサクラだが、今日ばかりは赤くならず、真っ青になった。

 月瑠をシルヴァンから隠すように立ち、侍女らしく顔を伏せ、眼鏡を付けていることを確認する。

 シルヴァンが隣に並んだ。


「月瑠、植えてくださったのですね」

「申し訳ありません」

「なぜ謝るのです?」

「まだ咲きそうにないので」


 苗とともに届いた手紙には「花開く日に再会できることを楽しみにしています」と書いてあった。しかし今の月瑠は彼が期待していた姿ではない。


「おかしいですね」


 シルヴァンが花をまじまじと見る。

 サクラは何か言わなくてはと焦った。


「やっぱりまだ咲かないなんておかしいですよね。書いてくださっていた通りにお世話したつもりなんですが、この状態からまったく変わらないんです。水をやりすぎてしまったんでしょうか。肥料が合わなかったんでしょうか。それとも場所が悪いのでしょうか。月光がよく当たるところを選んだのですが、それだと陽もたくさん浴びてしまうから、よくなかったのかも」

「ま、待ってください」


 泣きそうなサクラを見てシルヴァンが狼狽える。


「夜に咲きましたよね?」

「え?」


 束の間の、沈黙。

 サクラは目をパチパチさせた。


「夜に、咲く?」

「月瑠は夜に咲く花です。ここに一つしぼんだのがあるから、昨夜咲いたんでしょう。きっと今夜も一つか二つ咲きますよ」


 よく見ると、確かに奥の方にしぼんだ花が隠れていた。咲き終わった証拠だ。


「で、では月瑠は夜咲いて朝しぼむ一日花なのですか」

「夕方から咲き始めますが。昨日は御覧になれなかったのですか?」

「昨日は昼前に世話したきり、来てなくて……」


 途端に恥ずかしくなり、サクラの顔が火が出そうなほど赤くなった。首回りにも変な汗が流れ始める。

 慌てるシルヴァン。


「サタールでは有名な話なので、夜だけ咲くと書くのを失念していました。申し訳ない」

「誤解した私が悪いのです!」

「お詫びに、というわけではないですが」


 シルヴァンが庭園の入口をちらと見ると、外に控えていた従者らしき男性が駆け寄ってきた。

 彼から楕円形の宝石箱を受け取り、サクラへ向けて蓋を開ける。

 変わった花飾りが入っていた。大きく膨らんだ蕾の花脈が紺青に色づいており、中に光沢を放つ銀の実が透けて見える。


「わぁ。月が咲いてるみたいです」

「面白い表現をしますね」


 シルヴァンがふっと微笑む。


「咲き終わった月瑠を加工したんです。気に入ったなら差し上げます」


 サクラは目を大きく見開いてかぶりを振った。


「畏れ多くていただけません」

「そんなにかしこまるものではないですよ。よければ作り方も紹介しましょうか」


 断ったらさらに畏れ多い申し出が返って来た。作り方は知りたいが、王太子に教えてもらうなど。


「あの、それは、えっと」

「僕では嫌ですか」


 貴公子の寂しげな笑みにサクラの心臓がどくんと跳ねる。

 「ぜひお願いします……」と消え入りそうな声で答えた。



 それから作り方を教わるため、庭園のベンチに二人で腰掛けた。

 このときもサクラは遠慮したが、なんやかんやとシルヴァンに押し切られる形で座ることになってしまった。

 しかも、やたらと近い。

 いいにおいがする。

 甘い声が心をかき乱す。

 緊張で冬なのに汗が出る。

 話が頭に入ってこない。


(うう。どうしよう。なんで従者様また消えちゃうの)


「…………をかけると完成です」

「は、はい。わかりまひた」


 緊張でかんだ。

 シルヴァンがくすりと笑う。


「後で作り方を書いて渡しますね」


 聞いてなかったとバレていた。


(うう。逃げ出したい)


 顔を背けて目をギュッと瞑り、羞恥に耐える。

 このときのサクラはどうすれば平常心を取り戻せるかに集中していたため、警戒を怠ってしまった。


「このドライフラワーを考案したのはソフィーさんなんですよ。貴女にまた会いたいと言っていました」

「ソフィーさんが! 私もお会いしたいです!」


 はっきり答えてから、しくじったと気づく。

 ソフィーと出会ったのは、サタールの建国記念式典の翌日に訪れた花農園だ。

 ツバキの代わりに、皇女として。


(今、貴女にって言ったよね。気づいてたの? しかも鎌かけた? 王太子が?)


 ちらっとシルヴァンを伺い見る。

 キラキラと満足気な笑みを浮かべていた。


「やはりあれは貴女だったんですね」

「いえ、今のは……ツバキ様ならそうおっしゃると思っただけで」

「その言い訳はさすがに苦しいかと」


 爽やかに苦笑される。

 サクラはばっと立ち上がり、深く頭を下げた。


「申し訳ありません。決して騙すつもりはありませんでした。ですがあの日は、あの日は……」

「事情がおありだったのですよね。構いませんよ、楽しかったですし。今のでおあいこってことで。まさかこんなに簡単に引っかかるとは思いませんでしたが」


 柔らかく目を細めるシルヴァン。

 怒っていないとわかり安堵したが、サクラは浅はかな自分を悔やんだ。


「どこで気づいたのですか。やはりあの日、倒れたのがいけなかったんでしょうか」

「セイレティア様は病弱だとお聞きしていたので、それが問題ではないですね。二日ともお会いしたのは僕以外にもいますが、入れ替わっていたと気づいた人はいません。外見だけでなく、立ち居振る舞いも前日のセイレティア様そのものでした」

「ではなぜ殿下は……」

「さあ、なぜでしょう」


 シルヴァンは、もじもじするサクラの手を取った。


(て、て、手ぇー!!)


 右手を凝視して固まる。

 手を取ったということはつまりシルヴァンの手と接触しているわけで。手を握られているわけで。意外とごつごつした剣士の手をしているのねなどと新たな発見をしながらも長い指が素敵だわと思いつつ、どうして彼の手が自分の手と同じ位置にあるんだろう。不思議なこともあるのね。あれ今何の話しているんだっけ――とパニックに陥った。


「改めて、貴女の名を教えてくれませんか」

「サクラ・タージスともも申します」

「素敵なお名前ですね」


 シルヴァンがサクラの手を握ったまま顔へ引き寄せる。

 サクラの視線も自然と上向き、目が合った。


「可憐な貴女にぴったりだ」


(キラキラスマイル王太子バージョン!)


 真正面からキラキラを浴びてよろけそうになったが、シルヴァンの瞳に僅かな変化を感じ、既のところで踏ん張る。


「もしかして、わざとやってます?」

「え?」

「私の反応を見て楽しんでませんか」

「そんなことは……」


 きょとんとしたシルヴァンからキラキラオーラが消えた。「ああ、そうか」と腑に落ちたような顔をしたかと思うと、立ち上がる。

 黒曜石の瞳が間近に迫り、サクラは動けなくなった。

 この瞳には今、主の姿をしたサクラではなくサクラ自身が映っていると思った瞬間胸がそわっとして、たまらず視線をベンチに置いた月瑠へそらした。


「あ、あの。私のことは秘密にしていただけますか」

「もちろん他言しませんのでご安心を」

「本当ですか?」

「約束しますよ」

「!!」


 手の甲にキスされた。

 サクラの思考が停止する。

 皇女の影武者をしているサクラにとって、手にキスする挨拶は初めてではないのだが、なぜこれほど動揺してしまうのか。

 突然吹いた強風がせっかく掃除した庭へ葉を落としても気にならなかった。むしろ過剰に反応してしまった体には気持ちいいかもしれない。


(でもどうしていきなりこんな風が?)


 と、不思議に思った矢先。


『ねえサクラ』

「うきゃあ!」


 真横に巨大な鳥が現れた。

 皇帝の授印であるリハルだった。

 茶色い羽毛に包まれた人型の魔物は、何の説明もないまま片翼を広げてサクラを抱える。


「何事ですか!?」

『モッフリが会いたいって言ってたから、迎えに来たんだあ。森まて連れてってあげる』

「今はダメです!」


 サクラは血相を変えた。

 モッフリとは、巨大な綿のような姿をした綿伝という下級魔物の名だ。

 綿伝は仲間内で意識がつながっており、手乗りサイズの子綿を介せば遠くの人とも会話が可能で、通常下級魔物は人の言葉を発せないが、子綿たちの母親であるモッフリとはカタコトだが直接会話できる。

 問題は、サクラがモッフリと始祖の森で印を結んだことだ。

 森は皇族以外立ち入り厳禁、侍女が魔物と契約するのもご法度。やむを得ない事情からリハルに連れていってもらったのだが、サクラは重罪を二つも犯しているのだ。


「今はお帰りください」

『でもお、印結んだなら魔力あげないとかわいそうだよお』

「で、ですからその話は!」


 さっぱりわかっていない様子のリハルは、サクラが小声で話したにも関わらず普通の声量で答える。


「リハル様、あれほど極秘だと念を押したのに」

『そうなのお?』

「まさか、陛下には言ってませんよね」

『ジェラルド様にはあ、話したいこといっぱいあるからあ』


 つまり話してはいないが、理由は秘密だと約束したからではなく話す価値もない瑣末事だからのようだ。

 魔物にとってはそうでも、侍女にとっては死活問題である。


「絶対絶対、秘密ですからね。今度好きな果物贈りますから、言わないでくださいね」

『んんー。僕はあ、ヤママオオルガの幼虫が好きだなあ』

「虫……」


 巨大な蛾だ。幼虫もしかり。

 リハルは体の割に小さな頭を傾げると『よくわかんないけど、たくさんくれるなら、ヒミツ? にするよお』と不穏な言い方をして飛び去っていった。


「………………」

「………………」


 強風に煽られた髪を押さえるサクラと、呆気にとられたままだったシルヴァンの目が合う。


「えっと……。始祖の森で皇族の魔物と印を結んだのですか?」


 完全に聞かれてしまった。サクラは先手必勝とばかりに地に膝をつく。


「このことは内密にお願いいたします!!」

「しかし、ジェラルド様もご存知ないのであれば、どうしたものか……」


 シルヴァンが躊躇うのは当然だ。

 皇族の魔物と勝手に印を結んだ侍女を匿うのは、犯罪者を匿うのと同じこと。他国の王太子が抱えていい秘密ではない。

 かなり身勝手なお願いをしているのは承知の上だが、これが明らかになればサクラのみならず、秘密を共有する他の侍女や女官までもが厳罰に処されてしまう。


「どうか、どうかお願いいたします。なんでもしますから!」


 祈るように手を組んで震える声で切実に乞うと、シルヴァンが目を(しばたた)かせた。手で口を覆い、サクラの直視を避けるように顔を背ける。

 どんな感情かはわからない。対処を考えあぐねているのだろうか。


「ひとまず、事情を聞かせてください」


 シルヴァンに促されて再びベンチへ腰を下ろすと、サクラは服をギュッと握りしめ、印を結んだ経緯――行方不明になった主を探すために手段を選んでいられず、リハルの協力で森へ入り、綿伝の母親と契約したこと――を説明した。本当は侍女三人で森へ入ったのだが、一人だったということにして。

 シルヴァンは時折質問を交えながら、深刻な表情で聞き入っていた。


「――それで、すべて落ち着いてから印を消してもらおうとしたのですが、断られてしまったので、まだ手首に残っているんです」

「では今も魔力を与えるため継続的に森で会っていると」

「……はい」


 印を結ぶと思念で会話できるため、しきりに催促されていた。先程のようにリハルも頻繁に会いに来る。

 シルヴァンが頷いた。


「印はつけるのも消すのも魔物次第ですし、綿伝の母親はかなり大きいですから、会いに来られても困りますしね」

「ご存知なのですか?」


 シルヴァンはそれには答えない。


「経緯はわかりました。ですがやはり、このままという訳にはいかない」

「そう、ですね」


 やはり報告するのだ。

 と、うなだれたが。


「とりあえず、他言しないようリハル様には僕からヤママオオルガを贈っておきます。印を消してもらえる方法はそれから考えましょう」


 意味がわからず、サクラは顔を上げる。

 シルヴァンがふっと目を細めた。


「このことは、秘密にしておきます」

「よろしいのですか?」


 予想に反してあっさり承諾された。

 (まばた)きをすると、それまで堪え続けていた恐怖からなのか安堵からなのかわからない涙がつとこぼれる。


「大丈夫。約束します」


 シルヴァンの長い指がサクラの涙をそっと拭う。


「……!」


 触れられた頬が一瞬にして熱くなった。心拍数も一気に上がる。


「これで僕は貴女の秘密を二つも知ってしまいましたね。先程の約束についてはじっくり考えておきます」


 何を約束したんだっけ、と束の間呆け、「なんでもする」と言ったことを思い出す。

 顔全体が赤くなった。なんてことを約束してしまったのか。

 ドキドキが止まらず、言葉も出ない。

 ただただ、縫われてしまったように黒曜石の瞳を見つめるばかり。

 動揺と緊張で固まったサクラを見つめ返していたシルヴァンが、今までにない笑みを見せた。

 優しそうだが、それ以上に、楽しそうな。

 ドキドキするが、それ以上に、ゾクゾクするような。

 シルヴァンは黒曜石の瞳を妖しく煌めかせて、サクラの耳に唇を寄せる。


「なんでもするなんて、他の男に言ってはだめだよ」


 甘い声が耳から全身へ駆け巡り、ばっと両手で左耳を押さえた。

 相変わらず二の句が告げず、口をパクパクさせる。

 翻弄されっばなしのサクラとは対照的に、シルヴァンは何事もなかったかのように立ち上がると、「咲きそうですね」と小声で告げた。

 その顔は品行方正な王太子に戻っていた。


「また会いましょう、サクラさん」


 返事を待たず爽やかに去っていく。

 サクラは呆けた顔で、夕陽を浴びる彼の背中を見送ることしかできなかった。


 月瑠の花言葉は、密かな恋心。

 ゆっくりと、咲き始めていた。

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