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再生 96 盤上の螺子巻き駒

二月に入り、寒さが厳しい日が続く。

冷たい風が肌に染みて、外に出るとその寒さに思わず身体が縮こまりそうになる。

そう思いながら、並木道を歩いていた。

「えっ?凛様の背中に翼が?!」

その一言に佐月は驚いて、歩きながら後ろを振り返った。

「うん」

麗の隣で凛は頷く。

約二週間前、覚醒した凛の背中に翼が現れた。

本物で神経は通っている。触ってそれを実感した。

佐月の隣で大野も驚いた顔をしている。

「その時に大野さんと佐月さんに連絡しようと思ったんだけど、模試や推薦入試があってバタバタしてたからさ」

メールでも電話でも伝える手段はあるが、模試や推薦入試の直前ということもあり連絡するのを止めたのだ。

「今は受験が大切ですし、麗様の気持ちは分かりますよ」

希望する学校は違っていても、一月下旬は推薦入試が重なるところが多い。

佐月も入試まで毎日、身体を動かして課題の確認をしていた。

「それと、気になるのは実月先生ですね…。かなり注意していないと分からないくらい結界を作るのが早く、先生が結界を張ると、外部から誰かが侵入することってなかったような気がします」

佐月は眉間に皺を寄せる。

麗達と一緒にいることは多くはないが、佐月は自分なりに実月を警戒していた。

「…先生が時の精霊って分かった時、頭の中で言葉が浮かんだの。でも、先生は言っても無駄だって言ったんだ」

「改めて考えると、今までどこまでが先生の力だったか分からないし、…きっと、先生は私達が思っているより強いんじゃないかな」

凛の言葉を聞いて麗も考える。

自分が覚醒する前から気にかけてくれ、相談に乗ってくれたのは実月だ。

麗達の身近にいながらその力は不明だった。

歩きながら話していると、それまで話を聞いていた大野は疑問を投げかける。

「でも、 どうして凛さんだけに翼が現れたのでしょう?」

何かのきっかけがあったとしたら麗も翼が現れるのではないか。

大野はそう思ったのだ。

「んー、正直分からないんだよね。突然、肩甲骨辺りが痛くなったと思ったら、姉さんが特殊な言葉を言ってて…」

ケルベロスがネックレスの中に消えたと思ったら、急に肩甲骨辺りが痛くなって立っていられなくなった。

麗が翼を出すための特殊な言葉を発動させると自分の背中に翼が現れ、それまで立っていることもできなかった痛みが消えていたのだ。

「… 何か悩んでることとかない?」

「悩み、か… 」

麗の言葉に凛は考える。

翼が現れたきっかけと自分の悩みが関係してるかは分からないが、それなりに悩みはある。

「本当に悩んでることはない?」

重く受け止めず考えている凛に対して、麗は心配そうな顔で凛を見ていた。

麗は真剣に聞いている。

麗が心配するのには理由があった。

去年のクリスマスイブ、凛は今まで黙っていたことを麗に打ち明けた。

どうして滝河に話したのか今でも疑問に思うが、滝河が後押ししてくれたと思っている。

麗に話している時、凛は思い出してまた泣いていた。

麗は自分が思っていた以上の反応だった。

顔が真っ赤になり、苦しそうな顔をして自分と同じくらいボロボロと涙を流していた。

どうして、もっと早くに言ってくれなかったのか。

麗がそう言った後、首を横に振り、言えないよねと言葉を付け足した。

神崎に押し倒されて触られた。

そんなこと言えるはずがない。

そう言って麗は思いきり抱きしめてくれた。

怖かった。

また、姉妹が離ればなれになるんじゃないか。そう頭に浮かんだ。

でも、もう大丈夫だ。

これからの進路で離れることはあっても、心はずっと繋がっている。

凛は、一ヶ月半前のことを思い出して凛は胸が暖かくなった。

「…凛?」

思い出に耽っていたが、自分の隣ではまだ麗が心配そうな顔でこちらを見ている。

「大丈夫、大丈夫!確かにバレンタインのことで悩んでるけど…って、あっ…!」

言った後、凛はしまったというような顔をした。

それを聞いた三人は微笑む。

「高校最後のバレンタインだもんね」

「こうして四人で集まれたのは良かったですね」

「まだ試験は残ってますけど」

四人とも推薦入試も一般試験も残っている。

一息つきたかったし、授業ではあるが、高校最後のバレンタインを楽しみたかった。

調理実習の前に集まれるなら四人で集まって、バレンタイン用のラッピング袋や小物を買いに行こうと前から話していたのだ。

「来週の調理実習だったよね?」

毎年、この時期になると調理実習の授業でお菓子を作っている。

授業ではバレンタイン用とは言っていないものの、チョコレートを使ったお菓子や包装できて渡しやすいものになっている。

「うん、来週の授業だよ」

製作、試食、片付け、レポート、時間内に終わらせることができればどれだけ作っても問題ないと予め言われている。

しかも、その時だけは女子限定で行われ、男子は別の授業が行われる。

試験はまだある。しかし、一部の女子の中では、すでに気合いの入り方が違っている。

それは、同じ女として分からなくはなかった。

高校最後のバレンタイン、思いをぶつけたい気持ちがあるだろう。

「一年はチョコチップクッキー、二年はカップケーキを作って、今年はスノーボールだったよね?」

スノーボールは、丸く焼いたクッキー生地に粉砂糖をまぶしたお菓子だ。雪の玉に似ているからスノーボールと名付けられたと授業で教わった。

「一度にたくさん作ることができるかもしれませんが、時間に制限があるのであまり多くは作れませんね」

佐月も手のひらを向けて指を折りながら数えている。

大野は話を聞きながら微笑んでいる。

ふと、凛は大野に質問する。

「大野さんって、あまり怒らないよね?」

「えっ?」

急にそんなことを言われて大野は後ろを振り返る。

去年、同じクラスだった時も怒っているところをあまり見たことがなかった。

「話して伝わるならそれがいいと思いますし、なるべく怒らないようにしていますね」

同じクラスだった時、確かに怒らずに話していた。

それは断れないということではなく、ちゃんと意見を持って相手に伝えるということができるのだと思う。

「(大野さんは大人だなあ)」

凛はそう思いながら、駅前のショッピングモールに向かっていた。



その頃、梁木は大学部の一階にいた。

この時期になると、大学部の校舎でも高等部の生徒を見掛けることが多い。

もちろん、自分もそのうちの一人だった。

用事を済ませて校舎を出ようと廊下を歩いていると、後ろから声が聞こえた。

「ショウ」

声に反応して振り返ると、そこにはトウマと滝河がいた。

「トウマ、滝河さん」

梁木は二人に近づくと軽く頭を下げる。

「大学部に用事か?…なんて、ここにいるだから当たり前だよな」

トウマは苦笑する。

高等部と大学部は同じ敷地にある。それに、この時期に大学部にいるということは、目的は限られていた。

「必要な書類に不備があったみたいで、その手続きをしていたんです」

「梁木も大学部を受けるのか?」

トウマの隣にいる滝河は梁木に尋ねる。

「はい。推薦ではなく一般ですけどね」

推薦入試の他に幾つかの学校も受験する。

最初は進路に大学部は入っていなかった。最近になって、一般枠で大学部を受けてみようと思ったのだ。

「確かレイや凛はこの前、推薦入試を受けたみたいだな」

「大野も一般で大学部を受けるって言ってた」

その名前に梁木は反応する。

麗、凛、大野が大学部を希望しているのは知っている。

「凛さんと同じクラスなので、推薦入試のことは聞きました。…今日は息抜きだって言って皆でショッピングモールに行くんだって言ってましたけどね」

それを思い出した梁木は笑う。

数十分前、教室を出た時に麗、凛、大野、佐月に会った。

四人で集まるのが久しぶりだなと思うのと同時に、四人から聞こえた単語で、梁木は四人に挨拶だけして大学部に来たのだ。

「ショッピングモール?」

事情を知らないトウマは首を傾げる。

滝河は凛の名前とショッピングモールに反応した。

「……来週、調理実習の授業でバレンタインに向けたお菓子を作るそうですよ。授業は女子だけなので、何を作るかは分かりませんが、今日はその準備のためにショッピングモールに行くんだと思います」

バレンタインと聞いて、トウマと滝河は納得する。

「なるほど」

「もうそんな時期か…」

妙に納得できるのは、トウマと滝河も経験したのかもしれない。

バレンタインの前になると、男子も女子もどこか落ち着きがない。

「バレンタインとは言ってないが、それに向けたお菓子を作るっていうのも面白いよな」

トウマは楽しそうに笑う。

女子だけで授業を行い、バレンタインとは言っていないがハート型やチョコレートを使用したお菓子を作る。

黙認なのか公認なのか分からない。

「あ、兄貴は気になるのか?」

それに対して、滝河は少しだけ不安な表情を浮かべる。

大学部でもバレンタインの話で盛り上がる男女はいるが、トウマは周りのようにバレンタインで盛り上がるイメージがなかったからだ。

「特に気にしているわけではないが、貰えるなら嬉しいぞ」

トウマは気にしていない様子で笑っている。

トウマとは違い、梁木と滝河は何か気にしている感じだった。

梁木も滝河も少しだけ誰かを意識しているようだ。

「兄貴は心配しなくても、毎年、ファンの子からも貰ってるだろ?」

トウマはインディーズで音楽活動をしている。

そのおかげもあるのか、毎年、バレンタインになると学園内の女子や学園外からの人からもチョコやお菓子をもらっている。

「誰かが俺たちの音楽を聞いてくれるのは嬉しいことだ。それに、好意があってバレンタインにお菓子を渡してくれるんだ。俺達はその気持ちを音楽で返したい」

トウマは笑っているが、その目は真剣だった。

トウマは音楽も歌うことも好きだ。

歌うトウマは男から見てもかっこいいと思うし、本当に歌うことが好きなんだと分かる。

ただ、毎年、たくさんのお菓子を貰っている。

男から見ればそんなに貰わなくても、と思ってしまう。

「まあ、俺達がどう思おうと、貰えたらラッキーっていうことだな」

バレンタインのお菓子が欲しいと言えば貰えるだろう。

しかし、そんな勇気は持ち合わせていない。

梁木も滝河も、ただ貰えたらいいなと願うばかりだった。



すれ違う女子生徒の楽しそうな声が聞こえる。

何人かは自分に気づいて会釈をしていく。

体制も変わり、もう生徒会役員ではない。高等部を卒業してもうすぐ一年になるのに、まだ自分は顔が知られている。

そう思いながら、高屋は高等部の二階にいた。

「いて良かった」

二階の受付で用件を告げて、頼まれた書類を渡してもらう。

それだけで用事は終わるのだが、わざわざ相手は職員室から出てきてくれた。

在学中からお世話になっていた教師だった。日常の話や他愛の話だけでも自然と笑みが零れる。

教師の人柄のおかげだろう。

用事は終わり、後は帰るだけだ。

そう思いながら来客用の下足場に向かう。

「…もうそんな時期か」

さっきのことを思い出して、高屋はポツリと呟く。

すれ違った女子生徒の手にはチョコレートやお菓子作りの本があった。

それを見て、もうすぐバレンタインだと気づく。

「……」

一昨年は、何故か一つ多く作ったから、助けてくれたお礼にと言われた。

去年は中西が食べようとしていたのを一口もらった。

どちらも偶然だ。

それに、授業とはいえ今年は受験生だ。余裕があるとは思えない。

「(考えるだけ無駄だ)」

考えるだけ無駄な時間だ。

雑念が生まれ、それを意識すると、よりその雑念が大きくなる。

雑念を取り払うように、高屋は階段を上がり始めた。

図書室の扉を開けると、カウンターの中にいた男子生徒がこちらを見て頭を下げる。

こちらも軽く頭を下げると、ゆっくりと奥へと進んでいく。

「(物語は完結したはずなのに、まだ余白が残っている…)」

大学生になると、用事がない限り高等部へ足を運ぶことはない。

同じ敷地にあるので来客用の受付で学生証を提示すれば、いつでも高等部に入ることはできる。

高屋は講義や予定などが重なり、物語が完結してから本の内容を確認していなかったのだ。

「(高等部に来たのは…、神崎先生が封印された時以来か…)」

神崎が能力を封印されて一ヶ月半以上が過ぎた。

トウマがまだ能力を持っていることにも驚いたが、どこかで神崎は物語の内容を覆すと思っていた。

「(あの双子を封印できたことだけでも大きい)」

機会を見ていた。

トウマが能力者であったことが分かり、どこかで油断をするはずだと考えた。

結果、神崎が封印され、張りつめていた空気が緩くなった隙を狙って双子の能力を封印した。

そのまま、もう何人かに致命傷を与えて能力を封印することはできた。しかし、神崎が封印され、トウマにかけていた呪いが解かれた。

今までは呪いによってトウマの動きや魔力に制限がかけられていたが、それがなくなったトウマの力は未知数だ。

それに、トウマは自分と同じく能力を封印する力を使える。下手に動いて、自分が能力を封印されたら元も子もない。

覚醒してからの記憶をなくしたら、彼女が自分を認識していたこともなくなってしまう。

何故か、それは嫌だと感じた。

そう思いながら、目的の場所にたどり着くと、高屋は腕を伸ばして本を手にした。

本を開いてぱらぱらとめくると、物語が完結したページで手を止める。

気分を落ち着けさせるように息を吐くと、ページをめくった。

「…あった」

高屋は驚いてその事実を呟く。

完結したはずの物語に続きがあったのだ。

「どうやら、続きというよりは短編のようだ」

この時期、図書室を利用する生徒が少ないのか、静かに読めそうだ。

そう思うと、集中して読み始める。

それから、どのくらいの時間が過ぎたのか。

ページをめくると、単語や用語の一覧という文字が見え、物語を読み終えていたことに気づいた。

残りのページはあとがきだった。

「…なるほど」

物語は完結したが、まだ話は続いている。

二つの物語はどちらも高屋にとって興味深いものだった。

彼が誰の力を持っているかようやく分かった。

それに、もう一つの力も気になる。

高屋は本を閉じて保健室に向かおうとしたが、あることを思い出して踏み出そうとした足を止める。

「(念のためにやっておくか)」

幸い、図書室にはほとんど人がいない。

それでも高屋は人の目につかないように、少しだけ部屋の奥に移動した。

夢幻(むげん)桜花(おうか)、捕らえた印はどこにいる?」

そう呟くと、高屋の手のひらから桜に似た花びらが現れ、高屋はそれに息を吹きかけた。

ふわりと花びらが舞うと、花びらはそのまま消えていってしまう。

「今日はもういない、か」

それがいないと分かると、高屋は苦笑する。

「(物語の能力とは関係なく使えるこの力も、彼女が卒業したらどうなることやら…)」

家の力、もとい、血筋の力は正確かつ大きくなっている。

「(あの時、彼女は気づいていなかったけど、やはり、術をかけておいて良かった)」

彼女が学園にいないのならば、ここにいる必要はない。

次の機会を狙おう。

それに、確認したいことはまだある。

そう考えた高屋は、図書室を後にした。

図書室を出た高屋は階段を下りていた。

来客用の下足場は二階だが、二階を通りすぎて階段を下りていく。

一階に着くと、それを確認する。明かりはついている。

高屋は保健室の扉をノックした。

彼はここにいる。

そう思うと、返事を待たずに扉を開けた。

「返事くらい待てよ」

扉を開くと、実月は入口を向いて座っていた。

「返事をしなくても、先生がいることは分かっていましたから」

高屋は笑う。

実月の瞳の色が変わっていたからだった。

その時、突然、保健室全体に歯車が現れ、一つ一つゆっくりと動き始める。

「最近は、本来の目的以外で来るやつが多いな」

実月はわざとらしく溜息を吐く。

本来の目的というのは、恐らく、保健室としてという意味だろう。

実月の仕草を見て、高屋は怪訝な顔をする。

「その口振りだと、物語の続きを読んだのは僕だけではないようですね」

どのタイミングで物語の続きが書かれるか分からない。

自分が初めてではなさそうだ。

「最初に言っておくが、この場所で俺に攻撃を仕掛けようと思うなよ」

「!!」

高屋は驚いた。

瞳の色が違うということは覚醒して結界が張られている。

もし、彼がその力を持っているとしたら傷を与えるのは難しいだろう。

それでも、やってみる価値はあった。

「結城といい相良といい、せっかちなやつばかりだな」

教師である結城を呼び捨てにしている。

それが確かな事実だ。

「それは、貴方が時の精霊だからですよ」

今までは確証がなかった。

高屋にとって実月は注意すべき人物であることには変わらないが、はっきりとしなかった。

けれど、物語の続きを読んで、それしかいないと思ったのだ。

「お前は驚かないんだな」

「物語を読めば納得できます」

「最初に言っておくが、三年生と相良、滝河はもう知っているからな」

三年生と一括りにしたが、麗、凛、梁木、大野、佐月の五人のことだろう。

本は高等部の図書室にしかない。

やろうと思えば、毎日、図書室に行って物語の続きが書かれていないか確かめることかできる。

それに誰かが知らなくても、伝える手段はある。

もしかしたら、物語の続きがあるのを知ったのは自分が最後なのかもしれない。

「それで、何の用だ?」

実月は見下ろすような視線で高屋を睨む。

実月は警戒する様子はなく、椅子に座ったまま足を組む。

「貴方が時の精霊と分かり、今までの疑問や不可解だったことが納得できたような気がします。満月の力で増幅した僕の結界に簡単に侵入したこともありましたよね」

一昨年の舞冬祭の時の、結城の力で時間を早めてもらい、満月の力で高屋の力は増幅していた。

高屋が作った結界の中にいとも簡単に侵入したのは実月だった。

「それに、物語の通りなら、この場所に蒼飛(そうひ)の片割れが隠れていると思いましてね」

実月は睨んだまま答えようとしない。

蒼飛というのは、物語の中でマリスを指す称号であり、片割れというのはミスンのことだ。

マリスの能力を持つのは月代で、ミスンの能力を持つのは橘だ。

「なるほど」

実月は頷く。

「…それと」

先程から、自分と実月以外の力を感じている。

保健室の外の木を指差す。

「あのカラスは、一体、何でしょうか?」

いつの間にか、木の枝には大きなカラスが留まっていた。

カラスの瞳は燃えるような赤色だった。

「鈴丸のことか?」

鈴丸というのは、あのカラスの名前のようだ。

高屋が木の幹に視線を移すと、鈴丸というカラスはいなかった。

「えっ?」

高屋は目を疑う。

ほんの少し見ていなかっただけで、カラスは保健室の外から保健室の中、実月の肩に留まっていた。

しかし、それほど驚かなかったのは、それが高屋にとって想像できることだったからだ。

「先生の力を使って、あの木の幹から先生の肩に移動させたんですね?」

「いや」

高屋の質問に対して、実月は即答する。

「俺の力を使わなくても、これくらいは容易なことだ」

瞳の色が変わっているということは、あのカラスは物語に関係していると考えられる。

自分でもなく実月でもないなら、保健室に隠れていると思われる人物かカラスの力だろう。

「では、そのカラスが無の精霊の力を持っているとでも?」

時の精霊が実月ならば、残りは無の精霊のみだ。

カラスの瞳の色が変わっている。可能性はあった。

「目に見えるもの全てが本物ではない」

それに対して、実月は答えになっていない答えを出す。

「高屋、俺からの質問だ。 もし、俺も能力を封印できる力を持っているとしたら、お前はどうする?」

高屋にとって、その質問は想定内だった。

「僕が出せる力を全てを使って貴方を倒すか逃げますね」

時の精霊の力を持っているとしたら、時間を操ることは可能だ。

けれど、そこから連想できるものに気づくと、高屋の顔に僅かに焦りが見える。

「物語を封印されたものは覚醒してから記憶を無くしてしまう。それを決めたのは、貴方ということですね?」

「そうだ。面白いだろう?」

実月は動揺せずに笑って答える。

元凶が目の前にいる。

それに、重要なことのはずなのに、当の本人は面白いと答えた。

「面白い?」

自分が覚醒した時には、すでに神崎や結城から聞かされていた。

物語を封印されたものは覚醒してから記憶を無くしてしまう。

誰が最初にそう言ったか分からないが、そういうものだと思っていた。

覚醒してからの記憶が消えるというのは、どこまで消えるか分からなかった。

「覚醒してからの全ての記憶や関係性が消える。良いことも悪いことも、最初からなかったことになるんだ。中々、面白いと思うぞ」

覚醒してからの記憶がなくなるのは構わないが、一つの事柄が消えてしまうのは嫌だ。

「お前も相良も使う言葉、分かるだろう?」

実月は少しだけ高屋との距離を縮める。

それを見て、高屋は後ろに下がり実月との距離を保つ。

「…交差する世界で眠れ」

その言葉も、実月が考えたものなのか。

疑問が解決され、新たな疑問が生まれる。

「分かりやすい言葉を選んだつもりだ」

その言葉を決めたのも実月で間違いないだろう。

現実の世界と物語の世界、その真ん中に能力者達がいる。

「まさか、能力を封印する力を僕と神竜に与えたのも、貴方の仕業ですか?」

封印の言葉を発動させることができるのは自分とトウマだけだ。

もし、それが本当ならば、能力を封印する力を誰に与えるか選んだのも実月だ。

「さあな」

実月は答えをはぐらかす。

もしも、能力を封印する言葉が使えるのが自分とトウマ以外の人物だったら。

自分の立ち振舞いは違っていただろう。

「では、別の質問にします。 対価を払えば願いを叶えてくれる、ということですか?」

物語の中で、時の精霊は何かをする代わりに対価を求める様子が書かれていた。

「対価と願いが釣り合うかどうかは俺が決める。お前が願うとしたら…一度、失敗した相良の封印か…」

実月は何やら思案している。

「まあ、健全な青少年らしく、バレンタインのことか?」

実月が悪い顔をしている。

からかっているような企んでいるような顔をして笑っている。

その単語に、高屋の眉がぴくりと動く。

探るつもりが探られている。

「時期的に考えそうなことだと思ったが、図星のようだな」

実月は面白そうな顔でにやりと笑う。

「馬鹿らしいことを対価にしませんよ」

もはや、虚勢を張っているようにしか見えないか、それでも高屋は冷静を装う。

話していると自分のペースを崩されそうになる。

前にも、そんなことがあったような気がする。

「お前にも言ったが、俺達は傍観者だ。何かない限り動かないし、精霊は過度な干渉はしない。無謀なことをするのはお前の自由だ」

俺達ということは、実月の他にも傍観する人物がいるということだ。

けれど、言葉を鵜呑みにしてはいけない。

「物語に関係ないことは別だがな。例えば… 相良の護影法(ごえいほう)や、お前の幻桜術(げんおうじゅつ)とかな」

高屋の表情が変わる。

「相良も高屋も有名な家だからな」

高屋の表情が変わったのを実月は見逃さなかった。

「否定はしません」

知る人は少ないかもしれないが、トウマの名前も高屋の名前も歴史は長い。

どちらも珍しくない名字だし自分から家のことを話していないが、ごく稀に気づかれることがある。

高屋も護影法は知っていた。

護影法は、トウマの家に代々伝わる術で、自分の影に身代わりを宿すことができるというものらしい。

影があればどこにでも移動できて姿を変えることができるもので、実際に影が別の人物に変わった時はよく見ないと分からないくらいだ。

「何か俺に頼みたいことがあれば対価を考えろ。…それと、俺達は平等に力を与えるつもりだ。優しいだろう?」

余裕がある。

というより、自分には手がつけられない。

目の前にいるのに、手が届かないくらいの錯覚を覚える。

「何かあれば教えてやるし、お前にも力を貸してやらないこともないぞ?」

実月が自分に力を貸してくれる可能性がある。

だが、それには自分が予想する以上の強大な魔力を対価にしなければならないだろう。

高屋は理解した。

疑問を投げかければ教えてくれそうだが、もう、ここにいる必要はない。

疑問は解決されたが、非常に納得がいかない。

これ以上、話していると余計なことが露呈してしまいそうだ。

ほんの少し視線を移しただけなのに、周りに映っていた歯車が消え始め、実月の瞳の色は元に戻っていた。

「その機会があれば、ですかね」

その力を見てみたいと思う反面、その機会が訪れる時がどんな時なのか。

今、考えても意味はない。

「楽しみにしてるぞ」

高屋と実月は笑顔を交わす。

本心を隠すために。

「(本当に…大人は怖いですね)」

高屋は一礼すると踵を返して保健室を後にした。

奥歯を噛みしめて。

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