再生 92 言の葉のぬくもり
それは、突然起こった。
麗の目の前にいる男性は喜ぶように、持っていた大きめのベルを上に向けて振った。
「三等ー!大当たりー!」
ガランガランと鳴るベルの音を聞いて、周りの視線が集まるのが分かる。
麗は横に立ててある看板を見て確認する。
「…あ」
「おめでとうございます!!」
麗が驚いていると、もう一人の男性がテーブルの反対側から麗に綺麗に包装された封筒を手渡した。
「あ、ありがとうございます」
麗は驚いたまま封筒を受け取った。
後ろには列が作られている。麗は、一先ずその場所から離れることにした。
少し歩くと、麗はその場所を見てほうっと息を吐く。
駅前のショッピングモールの一階に作られた福引き会場。
大きなクリスマスツリーが飾られ、クリスマスイブということもあり、朝から多くの人で賑わっていた。
「当たったのは嬉しいけど…、どうしよう?」
福引きの景品一覧は確認している。
商品券が当たればラッキーだし、はずれがないので参加賞のティッシュでもいい。そう思っていた。
三等の景品が良くないわけではない。
しかし、困ったのはその条件だった。
「一人だし…今から誰かに連絡してみようかな?」
考えていて、思わず独り言が口に出てしまう。
どうしようか考えていると、背後から声が聞こえる。
「レイ?」
それは聞き慣れた声だった。
「本当、助かったよー」
席について上着を脱ぐと、麗は安心したように笑う。
「家族に頼まれてショッピングモールにきた早々、レイがいたからびっくりしましたよ」
麗の目の前に座る梁木もマフラーを外すと鞄の上に置いた。
「私も帰省するために必要なものを買いに来たんだけど、福引き券でペアのお食事券が当たってさ」
「当たったのは嬉しいけど、期限が明日まで、ということだったんですね」
「明日は帰省するから、今日のうちにどうしようか考えてたんだ」
福引きの三等の景品は、四階にあるレストラン街エリアで使えるペアのお食事券。クリスマスに因んだメニューのみに使用できるが場所は問わないというものだ。
四階は多くの飲食店が並んでいる。
クリスマスイブのお昼前とはいえ、どこも列ができていた。
その中で、運良く待たずに入ることができたのだ。
メニュー表を持ってきた従業員に食事券を渡して注文を済ませる。
「一人だったから、誰を呼ぼうか、誰かに譲ろうか考えてた時にショウに声をかけられたんだ」
「凛さんはどこかに出掛けたのですか?」
いつも一緒にいるわけではないが、同じ学生寮に凛も生活している。
梁木は凛の名前を挙げる。
「凛は出掛けてるよ。滝河さんから参考書を借りに行くみたい」
約十日前、滝河から自分が使った資料や参考書を見るかどうか聞かれた。
麗と凛は少しでも参考になると思い返事をしたが、都合がつかず、イブなら空いていると返事が来たのだ。
帰省するために買い物しようと思っていたので、日にちをずらそうか考えたが、凛が先に滝河から参考書を受け取り、麗が買い物するということで話はついた。
「年末年始は叔母さんの家で過ごすから、その前に色々買い物したかったんだ」
「透遥学園に来る前は、叔母さんの家にいたんでしたよね?」
麗は高校一年の一学期から、凛は高校二年の二学期から透遥学園に編入した。
「うん。私達が小さい時にお仕事で遠いところに行っちゃってて…、手紙やプレゼントはもらうけど、もう何年も会ってないんだ」
そう言うと麗は苦笑する。
「寂しくないって言ったら嘘だけど、仕事なら仕方ないし、私は一人じゃないからさ」
叔母と仲が悪いわけではない。
些細なことでも気にかけてくれるのは、叔母自身が麗達の親代わりになっているからだろう。
「お待たせしました、クリスマスペアセットです」
暗い雰囲気になりそうだったが、料理が運ばれたことによりそれはなくなった。
「わあっ!」
麗は思わず声をあげて喜んだ。
大きな皿にはオムライス、サラダ、唐揚げが乗り、別の皿には麗の拳より一回り大きい薄茶色の丸いパンとバターが添えられている。
湯気が立っていて、いい匂いに空腹が刺激される。
「これに飲み物とデザートがつく…」
「豪華ですね…」
麗と梁木は驚く。
クリスマスに因んだメニューというのも福引き会場に書いてあったし、店頭にもそのメニューが載ったポスターも貼られている。
しかし、普通のセットとほとんど変わらなかったからだ。
「レイのおかげですね」
そう言いながら梁木は笑う。
一人で外食することはできるが、これを無料で食べられ、一人ではなく誰かと食べられるのは麗のおかげだろう。
「でも、ショウはオムライスで良かったの?たまたますぐ入れたし、私はオムライスは好きだけど…」
他の店はすでに列ができていて、好きな店が空いているのを見て、麗は足早に入店したのだ。
「僕もオムライスは好きですし、…この時間帯はどこも並ぶので早めに入ることができて良かったです」
梁木は言いかけた言葉を飲み込み、視線を反らした。
「いただきまーす」
麗は手を合わせると、嬉しそうにスプーンを手にする。
「いただきます」
その嬉しそうな顔を見ながら梁木もスプーンを手にした。
それから、暫く二人は食事を楽しむ。
黄色い玉子の部分をスプーンで割ると、チキンライスが湯気を出して現れる。それをスプーンで掬って口に入れると、ケチャップとトマトの酸味、よく炒めた玉葱や鶏肉の旨味が広がる。
サラダにはシャキシャキとした葉野菜と粗く潰したじゃがいもが乗っている。
薄茶色の丸いパンは上部に切り込みが入っていて、それを手でちぎるとほわっと湯気が立つ。
そこに添えられているバターをナイフで塗って頬張ると、口の中いっぱいにおいしさが広がる。
「おいしいー!!」
このお店はオムライスが有名だが、麗はこの丸いパンも気に入っている。
持ち帰り用にパンも販売しているが、そんなに頻繁に買うことはできない。
「(帰省用に買っちゃおうかな…)」
買えば、叔母と凛と三人で食べられる。
揺らいでしまうくらい好きなんだと改めて思う。
そう思っていると、梁木は食べながら周りを見ていた。
それに気づいた麗も周りを見る。
ショッピングモールに着いた時も、店に入った時も感じた。
家族連れもカップルも多い。
今日はクリスマスイブである。
「今日はイブだし、家族連れやカップルも多いね」
麗は思ったことを口にする。
「えっ?!あ、はい…。そうですね」
それに対して梁木は慌てて答える。
一人や同姓のグループもいるが、それ以上に家族連れやカップルが多かった。
「今は恋愛より受験かなー。叔母さんにも相談しなきゃいけないこともあるしね」
もうすぐ一年が終わる。
恋愛したくないというわけではない。
クラスメイトにも彼氏彼女がいる人もいる。
でも、今は大事にしたいことがある。
「年が明けたら遊べなさそうだし、こうしてショウと美味しいものが食べられて良かったよ」
麗は梁木を見てにこやかに笑う。
その笑顔がまぶしくて、梁木は少しだけ頬を赤く染めて笑い返した。
「(…あれ?)」
麗は視界の端に映ったものに反応する。
窓際の席からは店内の様子は勿論のこと、ガラス越しに外の様子も見ることができる。
「(凛と、…滝河さん?)」
麗の視線の先には、凛と滝河が笑いながら歩いていた。
約一時間前。
それは滝河の一言から始まった。
「ショッピングモールに?」
凛が駅に向かうと、すでに滝河は改札口で待っていた。
挨拶して、少し話して参考書を受け取る。それだけだと思っていた。
「ああ、ちょっと見たいものがあるんだが、良かったら行かないか?」
駅で待ち合わせすることは姉の麗は知っている。
麗は午前中にはショッピングモールに行くと事前に聞いていた。
「いいですよ」
凛はあっさりと答える。
麗は帰省のために必要なものを買いに行く。
もしかしたら、どこかで会うかもしれない。
それくらいの気持ちだった。
ショッピングモールに着くと、多くの人で賑わっていた。
「すごい人だな」
「今日はクリスマスイブですしね」
休日のショッピングモールは朝から人が多いが、それに加えて、学生達にとっては冬休みである。
「姉さんもショッピングモールにいますよ」
凛は会話の一つとして麗の名前を挙げる。
「明日から帰省するんですけど、そのために買い物をしてくるって話してたんです」
去年も今年も冬休みに二人で帰省している。
手土産や必要なものは、まとめて買うようにしている。
「…合流するか?」
それを聞いた滝河は確認する。
同じ場所にいるなら合流して買い物した方がいい。そう思ったのだ。
しかし、凛は首を横に振る。
「そんなに多くないから大丈夫って言ってましたし、滝河さんから参考書を受け取ることは姉も知っているので、何かあったら連絡があると思います」
帰省のために何を買うかは分からないが、目的と行き先が分かっているなら心配はないだろう。
「姉さんのことだから、叔母さんとあたしのために何か買いそうですけどね」
そう付け足して、凛は笑う。
恐らく、その状況を想像したのだろう。
滝河が思っているより気楽なのだろう。
二人は人にぶつからないように歩いていく。
歩けないほどではないが、普段より人は多い。
「気をつけろよ」
滝河が歩きながら振り向くと、凛はすれ違う人にぶつかってよろめいていた。
「凛!」
滝河は、思わず手を伸ばして凛の手首を掴んだ。
「!!」
男の人の手の感触。
今、掴んでいるのはあの人じゃない。
凛は驚いて、咄嗟に腕を振って滝河の手を離してしまう。
「あ…」
「すまない」
滝河は立ち止まって謝る。
凛は驚いたままだった。
「(触られたのに、怖くない……?)」
あれから一年が経ち、神崎の能力も封印された。
少しずつ恐怖は薄れているが、まだ不意に触れられると思い出す時がある。
しかし、今、滝河に触れられても怖いと感じなかった。
凛の考えをよそに、滝河は困った顔をしている。
その表情に、凛はどうしてか胸が締めつけられるような感覚になる。
「本当にすまない…!嫌だったよな?」
どうしてそこまで謝るか分からない。
滝河は慌ててズボンのポケットに手を入れると、ハンカチを取り出した。
凛が疑問に思っていると、滝河は言葉を付け足す。
「涙…、これで拭いてくれ」
そう言われて、ようやく気づく。
涙を流して泣いている。
凛が頬に触れると、滝河は辺りを見回した。
「それに、ここだと人が多い。移動しよう」
凛も同じように周りを見ると、周りの何人かは滝河と凛を見ていた。
「はい…」
凛はハンカチを受け取ると、急いで滝河の後について歩き出した。
人の通りが少ない場所に移動すると、二人は息をつく。
歩いて気分が落ち着いたのか、涙はおさまっていた。
「ごめんなさい」
凛は滝河に頭を下げた。
理由は分からないが、人が多い場所で泣いていたら誰だって驚くだろう。
「いや、俺の方こそ。泣くくらい嫌だったんだな」
「違います…」
凛は首を横に振った。
嫌ではなかった。
怖くなかった。
でも、どうして泣いたのか自分でも分からないのだ。
「……」
滝河は言葉をつまらせる。
黙っているのは、どうしたらいいか分からないのと、自分のせいで泣かせてしまったからだった。
沈黙が続く。
「……」
人の通りが少ないとはいえ、全く人が通らないわけではない。
自分も困るし、滝河も困らせてしまう。
「(分からない…)」
どうしていいか分からない。
何か話題を作った方がいいのか。
手を振り払った理由を話した方がいいのか。
誰にも言えなかった過去の事実を、彼は受け止めてくれるだろうか。
意を決すると、凛は思っていることを伝える。
「…滝河さんに触られたのが嫌じゃないんです…。あたしが触られて怖いと感じるようになったのは、前に…神崎先生に触られた、から、です」
言い出したら後戻りはできない。
音が聞こえそうなくらい心臓が脈打つのが分かる。
神崎と聞いて滝河の表情が一変する。
「…去年の冬休み。追試の後…、あたしは、本を読んでティムの過去を知りました。…その後、神崎先生がきて、…生徒会室に移動したと思ったら、…押し倒されました…」
声が震えている。
瞳が潤んで瞬きをすると大粒の涙が零れる。
「…途中で意識を失ったから、どうなったか分からないけど…気がついたら、寮にいて…」
知らないうちに凛は持っていたハンカチを強く握っていた。
身体も震えている。
滝河は驚いたの同時に、行くあてのない怒りが生まれた。
麗達が望まなかったことが起きていたのだ。
今年の一月、麗から凛の様子が変だと相談を受けた。あれは、自分が物語に関わっていると知り、それを誰にも言えずに抱え込んでいたからだと思っていた。
悔やんでいても、過ぎてしまった時間は戻らない。
もっと、凛のことを見ていれば良かったと痛感する。
それと同時に、今、自分に話してくれたのは何故だろうかと考える。
考えようとしている気持ちより先に、滝河は凛の肩に触れると、そのまま引き寄せて抱きしめた。
「もう、言わなくていい…!」
滝河の声が震える。
怖かったんだろう。
悔しかったんだろう。
血の繋がっている姉の麗や、梁木達にも言えなかったんだろう。
その気持ちが痛いほど伝わる。
「ずっと一人で悩んでいたんだな」
滝河は力強く抱きしめる。
「…うん、うん!!」
触れられても怖くない。
滝河の言葉がスッと胸に染みていく。
涙が止まらない。
言ったら嫌われるんじゃないか。
何故かそれが怖いと感じた。
自分の口から何があったかを話すのは辛いことだ。
けど、それ以上に、苦しい過去を抱えているのが辛かった。
気づけば凛は声をあげて泣いていた。
滝河は何も言わずに抱きしめていた。
少しの時間が過ぎ、ひとしきり泣いた後、滝河の声が聞こえる。
「落ち着いたか?」
「…はい」
凛は答える。
それを聞いた滝河はゆっくりと身体を離した。
「…ごめんなさい」
凛は泣き出したことと、それによって滝河の服が涙で濡れてしまったことを謝る。
「気にするな。…泣いている最中、ずっと見られていたがな」
滝河は苦笑する。
気分が落ち着いて、改めて考えることができる。
人通りが少ないとはいえゼロではない。
抱きよせられて泣いていたとなると、周りの視線が向くのも想像できる。
しかし、その視線より、滝河は凛の気持ちが落ち着くまで待ってくれたのだ。
「ごめんなさい」
凛はもう一度、謝った。
「だから気にするな。お前の気持ちが晴れたならそれでいい」
「そんな…」
滝河に話して気分は軽くなった。
けど、滝河は泣いている自分を見て嫌ではなかったのだろうか。
そう言うより先に、凛のお腹が答えた。
「あ…」
キュルルと小さく鳴ったお腹の音に、凛は顔を赤らめながらお腹をおさえ、滝河は気が抜けたように笑った。
「落ち着いたら、昼ご飯食べに行くか?」
こんな時にお腹が鳴らなくてもいいのに。
照れを隠すように凛は手の甲で涙をぬぐった。
「だ、だ、大丈夫です!行きましょう!」
凛はくるりと振り返ると歩き出した。
外は寒いはずのに、心は暖かかった。
歩いていると、遠くで見慣れた人を見つける。
「姉さんと、…梁木さん?」
麗がショッピングモールにいるのは分かる。
だが、梁木が一緒にいるとは聞いていなかった。
「(ま、いっか)」
知らない異性ならともかく、相手は梁木である。
凛は特に気にすることなく、エスカレーターを上がっていった。
「……野、大野!」
自分を呼ぶ声が聞こえる。
聞き慣れた声に、意識が戻される。
「…ん」
ゆっくりと目を開けると、そこにはトウマが立っていた。
心配そうに顔を覗きこんでいる。
「…トウマ様?」
まだ意識がぼんやりとする。
やがて、そこにいるのがトウマだと認識して自分を呼んでいたと分かると、大野は声をあげた。
「ト、トウマ様っ?!」
「良かった。何度呼んでも反応がなかったから、どうしたのかと思った」
大野が目を開けて意識が戻ったのを見て、トウマは胸を撫で下ろす。
このまま目を覚まさなかったら、誰かを呼ぼうとしていたのだ。
どうしてトウマがここにいるのだろう。
突然のことに大野は驚いたが、それと同時に今までのことを思い出そうとする。
家族に頼まれてショッピングモールに来たのはいいが、買物の途中で気分が悪くなってベンチに腰を下ろしていたのだ。
「どうした?」
トウマは心配そうに大野に聞く。
「家族に頼まれて買い物しにきたのですが、途中で気分が悪くなって…」
嘘をついても仕方ない。
大野は思ったことを口にする。
「一人か?」
「はい」
家からショッピングモールまでは遠くない。
家族にも都合はある。大野は一人で来ていた。
それを聞いたトウマは、このまま一人だと、また何があったか時に大変だと考える。
「大野、買い物なら手伝うぞ?」
「そんな…。トウマ様は何か用事があるのではないのですか?」
自分と同じで、何か用事があってショッピングモールにいるのだろう。
誰かといるなら待たせてしまう。
しかし、トウマはあっさりと答えた。
「いや、別に。暇だから何かないか見に来ただけだ」
何かを持っているわけでもなく、誰かを待たせている様子も見当たらない。
「わ、私は大丈夫です」
少し気分が悪くなっただけだ。
そう思った大野は慌ててベンチから立ち上がった。
しかし、急いで立ち上がり、立ちくらみを起こしてしまいよろめいてしまう。
「っと」
トウマは慌てる様子もなく、大野の肩を持って身体を支える。
「あ、ありがとうございます…」
驚いたものの、大野は顔を赤らめた。
「大丈夫じゃないだろ?俺も暇だし、買い物についていく」
トウマは困ったように苦笑する。
「ええっ?!」
「そんな調子だと俺が心配だからだ。さ、行くぞ」
最初はついていこうか尋ねたが、次はついていくと断言した。
このまま遠慮しても、トウマはもっと心配してしまうんじゃないか。
そう考えると、大野は申し訳ない気持ちと、トウマに会えたことが嬉しい気持ちで微笑んだ。
「はい」
トウマは大野がどこに向かうか分からない。
自分が先に歩こうと足を踏み出した。
大野の隣を歩きながらトウマは辺りを見回す。
「人が多いな」
「クリスマスや年末年始のショッピングモールは人が多いですからね」
今日はクリスマスイブ。
至るところでクリスマスツリーやイルミネーションが飾られている。
トウマは歩きながら少しだけ後ろに下がって大野を見る。
トウマは大学生で常に私服だが、大野は制服ではない。普段は一つに束ねている髪も、今日は下ろしている。
「(当たり前のことだが、制服の時と違うよなあ)」
大野と学園以外で会うことはほとんどない。
駅で何度か見かけて話すことはあるが、大野の私服は新鮮に映る。
服一つで雰囲気は違う。
クリーム色のコートとニット帽は暖かそうだし、鞄も小物がついていて、それだけで女の子らしいと思える。
全ての人が当てはまるわけではないが、男は鞄がなくてもどこでも行ける。
彼女は学園の後輩であり、同じ境遇を持つ人物だ。
高等部の図書室にある本を読んでから、本の中の出来事が現実に起こるようになってしまった。
最初は空想の話が現実に起こるなんて信じられなかった。
けど、目の前に映るもの、触るもの、感じるもの、全てが現実だった。
現実を受け入れなきゃいけない、受け止めたくないと悩んでいた時に出会ったのが大野だった。
「(最初に会った時は泣かれたな)」
初めて大野に会った時、突然、泣き出して目の前に跪かれた。
後になって聞くと、自分でもどうしてそうしたか分からなかったらしい。
恐らく、自分が誰の能力者か話す前に、ターサの能力を持つ大野は気づいたのだろう。
トウマがそんなことを思っているなど知らずに、大野は買い物をしている。
レジから離れた場所で待っていると、それに気づいた大野は早足でトウマに近づく。
「お待たせしました」
「ああ」
大野は大きめの紙袋を手にしている。
「あの…、福引き券をもらったのですが、後で一階に行ってもいいでしょうか?」
大野の右手にはカードくらいの大きさの紙が二枚ある。
ショッピングモールでは、今日明日で福引きが行われている。
各店舗や壁に告知するポスターが貼られていて、はずれがなく、クリスマスのためなのか景品は豪華だった。
トウマは少し考えると通路に立つ時計台を指した。
「いや、後からだと人が増えるかもしれない。今から行こう」
時計を見ると、十二時に差し掛かろうとしている。
トウマの言う通り、後に回せば人が増えるかもしれない。
「はい」
大野は答え、二人は一階に向かう。
一階の特設会場に着くと、係の人に抽選券を渡した。
トウマは大野の代わりに荷物を持っている。
六角形の箱の真ん中についたハンドルをゆっくりと回す。
箱の側面につけられた穴から緑と橙色の玉が一つずつ転がって落ちた。
大野の目の前にいる男性はそれを見ると、持っている大きめのベルを上に向けて振った。
「二等!六等!大当たりー!」
ガランガランと鳴るベルの音が聞こえ、周りの視線が集まる。
「二等と」
「六等…」
大野とトウマは横に立ててある看板を見て確認する。
「二万円分の商品券…!すごいな!」
二等の景品は二万円分の商品券だ。
二万円という大きな金額にトウマは大きく驚く。
「はい…」
大野もトウマほとではないが驚いている。
「おめでとうございます!!」
もう一人の男性がテーブルの反対側から大野に綺麗に包装された封筒と赤と緑のリボンがついたビニールの袋を手渡した。
「ありがとうございます」
大野は封筒を受け取ると、先にその場所から離れたトウマの元に近づく。
「六等は何だったんだ?」
二等は確認したが、六等を確認する前に別の場所に移動したために何を受け取ったか見ていない。
「…あ、えっと、ペアの携帯ストラップ、です」
大野は赤と緑のリボンがついたビニールの袋をトウマに見せる。
ビニールの中には色違いの首輪がついた犬のストラップが二つ入っている。
商品券は嬉しい。
家族へのお土産になる。
しかし、ペアの携帯ストラップはどうしようか考える。
家族にあげてももらってくれるかどうか分からないし、特にあげる人がいない。麗や凛、佐月の顔が浮かぶが、それならもう二つあったほうが公平だろう。
「犬か、可愛いじゃないか」
トウマは笑いながら興味があるようにストラップを見ている。
「犬も好きだなー」
リアルなものではなくデフォルメされたシンプルなデザインだ。
大野の中で一つの考えが頭に浮かぶ。
それを言ったらどんな反応があるのだろう。
不思議な顔をされないだろうか。
それを言おうと考えるだけで胸がドキドキする。
大きく息を吐くと、勇気を出して口を開いた。
「あ、あの…!もし良かったら、か、片方、もらっていただけませんか?家族ももらってくれるかどうか分かりませんし、その、買い物に付き合っていただいたお礼に…!」
そう言ってビニールの袋をトウマに差し出した。
顔を赤らめてる大野を見て、トウマは少し驚く。
大野は控え目な性格だと思っている。
大野にしては珍しく自分の意思を伝えている。
断る理由もないし、それが大野の気持ちだと汲み取ることができた。
トウマは笑うと、大野が持っているビニールの袋を受け取った。
封をあけると、緑の首輪がついた犬のストラップを取り出す。
それを左手で持ち、右手をズボンのポケットに入れて携帯電話を取り出すと、その場で器用にストラップを携帯電話につけた。
「ありがとうな」
トウマはそれを見せながら優しく笑う。
断られると思っていた。
けれど、トウマはその場でつけてくれた。
それだけで嬉しくて、大野は泣きそうになってしまう。
もう一つの携帯ストラップを受け取ると、大事に鞄にしまった。
嬉しさと緊張で、その場でつけられそうにない。
今日は大野にとって、一番幸せな日だった。
午後三時。
寮に帰ってきた麗は廊下で凛と遭遇した。
『あ』
凛も麗の顔を見て声を出す。
その場で立ち止まると、二人は同時に話した。
「姉さん、梁木さんと一緒にいたでしょ?」
「凛、滝河さんとショッピングモールにいたでしょう?」
二人は驚く。
どうして知ってるんだろうという表情だ。
「滝河さんと駅で待ち合わせしたら、欲しいものがあるからってショッピングモールに行くことになったんだ」
「私は買い物したら福引きがやってて、お食事券が当たったんだ。で、たまたまそこにいたショウとお昼を食べたんだ」
麗と凛は説明する。
ショッピングモールは広いし、多くの人で賑わっていた。
どこかで見たのかもしれない。
二人は買い物袋を握っていて、その中で似たような白い箱を見つける
「もしかしたら?」
「もしかして?」
それを目にした二人は笑いあう。
『クリスマスケーキ!』
同時に同じ言葉を口にする。
今日はクリスマスイブ。
寮生だけのささやかなクリスマスパーティーはあるが、二人は同じことを考えていたのだ。
何故かそれが面白くて、吹き出して笑ってしまう。
「と言っても、ホールケーキは無理だけどね」
「あたしは、もしかしたら姉さんがケーキにするんじゃないかと思ってて、四階のお店のプリンにしたんだ」
凛は去年の今頃、神崎について悩み苦しみ、クリスマスパーティーを楽しむことができなかった。
麗もまた、凛に何かあったと分かっても踏み出すことができなかった。
今年は二人で過ごすことができる。
パーティーでケーキは出るかもしれないが、二人でケーキを食べたかった。
「今年のパーティーはどんなのだろうね?」
「楽しみ!」
「どっちかは先に食べようか?」
「うん」
そう言いながら笑いあい、どちらかが話すわけでもなく、凛は麗についていく。
その動きだけで、麗は自分の部屋に来るということを理解する。
廊下を歩いていると、凛は少し前のことを思い出す。
駅の改札口で別れる前、滝河が言った言葉。
「話してくれたのは嬉しいが、一番身近にいるのは姉であるレイだ。話すか話さないかはお前次第だが、身近で心配してくれている人には話した方がいい」
ずっと言えなかったこと。
麗にも言えなかったのに、何故か滝河には話すことができた。
それを話したのは滝河が初めてだった。
滝河は話を聞いてくれた。
胸の奥でつっかえていたものが、ようやくほどけていくようだった。
「姉さん、…話したいことがあるんだ」
凛は少しだけ口唇を噛む。
話したら、その時のことを思い出してまた泣くだろう。
麗も怒ったり涙を流すだろう。
けど、滝河が背中を押してくれた。
やっと顔を上げることができる。
笑いあいながらケーキを食べたい。
受験はあるけど、楽しい気持ちで帰省して、冬休みを過ごしたい。
カチカチと、自分の中で止まっていた時間がようやく動き出した気がした。