再生 9 幻と錯覚
期末テストも終わり、冬休みまで一週間をきっていた。
高等部と大学部を結ぶ中庭では、テストの緊張が解けて冬休みの話題をする生徒、舞冬祭の打ち合わせや練習に励む生徒が行き交っている。
それはトウマの一言から始まった。
『ライブ?』
麗と悠梨の声が重なる。
「ま、小さい場所だけどな。チケットは二枚ある」
「本当だ」
二人はチケットを受け取るとトウマのバンドの名前を見つける。
「…ところで、ゲームはどこまで進んだ?」
ゲームをしていないトウマは、二人に会うとゲームの状況を聞いていた。
「あたしは全然してない」
「私は第四章の途中まで。来週は舞冬祭だし…そういえば、ユーリ、舞冬祭に出るって本当?」
「うん」
麗が悠梨の顔を覗くと、悠梨は焦っているようにも見える。
「そっか、私も頑張らなきゃね」
「舞冬祭があるならライブは来れそうにないか?」
「ううん、一度行ってみたかったし、ユーリも行くよね?」
「…………」
「…ユーリ?」
いつもならノリのいい返事をしそうな悠梨が無言のまま俯いている。
「ごめん…補習」
「赤点だったのか?」
トウマは聞き返した。
「うん、情報処理のテストだけ赤点だったの」
悠梨は肩を下ろして溜息を吐く。
「神崎先生も結城先生も割と難しい問題が多いよね。私もぎりぎりだったよ」
情報処理の授業を担当する神崎も臨時教師の結城も、授業を聞いていれば分かるような問題でも応用が多く、一年生の間では難しいと評判だった。麗も苦笑している。
二人の話を聞きながらトウマは眉間に皺をよせて何かを考える。
「レイ、ショウは?」
「…ショウ?」
「そいつ、誰だ?」
トウマは首を傾げる。
「一年生の梁木翔君。カリルの力を持ってるんだよ」
麗が悠梨に梁木のことを紹介した時から、悠梨も梁木を愛称で呼んでいた。麗は梁木と出会い、覚醒するまでの出来事をトウマに話す。それを聞いたトウマは、何か考えるとにんまり笑って答える。
「まあ、チケットは二枚渡しておく。俺は打ち合わせがあるから行くぞ」
トウマは手を振り、大学部の方に向かって歩いていく。
「ごめん、あたし、用事があるんだ」
「じゃあ、私はショウを探して聞いてみるよ」
「分かった」
露骨に嫌な顔をする悠梨を見て、麗は苦笑した。
二人は一緒に高等部の校舎まで歩き、二階の階段を上ると左右に別れて歩いた。
梁木は階段の踊り場で見つけた。
カリルの力を持って覚醒した梁木は図書室に立ち寄ることが多くなり、本を読むようになってからカリルと思う記憶を感じるようになったと言っていた。
トウマのライブのことを話すと、梁木は不思議な顔をしながらも行くと答えてくれた。
一階で梁木と別れた麗は、舞冬祭の打ち合わせのために階段を下りて講堂へ向かう。
「来週は舞冬祭…緊張するなぁ」
渡り廊下を歩いていると、何かを思い出して立ち止まり、講堂の周りの木々を見上げた。
「桜の木…確か入学式の時に道に迷ってここで満開の桜を見たっけ」
高等部から編入した麗は見知らぬ場所や環境に戸惑っていたことを思い出す。
「誰かと会ったような気がするんだけど…」
そう考えながら歩きだすと、講堂の手前の曲がり角で何かとぶつかってしまう。
「わっ」
「きゃっ!」
誰かとぶつかった。そう気づいた時には麗はしりもちをついてしまっていた。
「大丈夫ですか?」
声をするほうを見ると、慌てた様子の男子生徒が手を差し延べていた。同じ高等部の制服を着ている少年の髪は横だけ跳ねていて、逆光のせいか暗い藍色に見える。
「はい…」
麗は思わずその手を握り、少年に引かれて立ち上がる。
「前にもこんなことあったような気がする…」
「…もしかして僕のこと、覚えているのですか?」
少年は驚いて目を丸くした。それを見て麗も少年を見て驚いた。
「あー!入学式の時の…!」
「やっぱり…貴方だったのですね」
少年は安心したように柔らかい笑みを浮かべる。
「私、入学式の時にも…」
「はい、僕とぶつかりました」
困ったように苦笑する少年を見て、麗は顔を赤らめる。
「名前」
「え………?」
「名前を聞いても良いですか?」
麗はちょっと考えて答えた。
「一年の水沢麗…」
「僕は二年の高屋雫です」
優しく笑う高屋に麗は俯き、ふと何かを見つける。
「指輪…」
その時、麗は生徒会のことを思い出す。高屋や右手の人差し指に黒い指輪をはめていた。
「生徒会ですか?」
何かに気づいた高屋は苦笑する。
「役職は関係なく、生徒会に所属する者は黒いアクセサリーをつけていますよ。まあ、僕はちゃんとした業務をしていませんけどね」
指輪を見ながら憂鬱な表情をする。
「……」
麗が何かを言いかけた瞬間、遠くから何かが聞こえ、高屋が声を上げる。
「危ない!!」
高屋は咄嗟に麗の頭を抱えるように強く引き寄せた。近くで何かがぶつかる。
「!!」
突然の出来事に麗は何もすることが出来ず、高屋の腕の中にいた。鼓動の音が大きく聞こえるくらい近くに感じ、顔が赤くなるのが分かるくらいだった。
我に返り、音のしたほうを見るとサッカーボールがフェンスの近くに転がっていた。恐らく、サッカーボールがフェンスに当たったのだろう。
「…………」
「あ、あの…」
麗が顔を上げて高屋の顔を見ると、高屋は何もせず苦しそうな表情で俯いていた。
「高屋…さん…?」
自分の名前を呼ばれてやっと我に返った高屋は、顔を真っ赤にして慌てて麗の身体を引き離した。
「す、すみません…わざとじゃないんです!その…失礼します…」
そう言うと、高屋は校舎に向かって早足で歩いていった。
麗は気が抜けたように立ち、落ち着けさせるために胸を押さえ深呼吸を繰り返す。
「…講堂に行こう」
そう呟いた麗の顔はまだ赤かった。
二日後。
ライブ当日の夕方、麗は欠伸が止まらず眠い目を押さえながら身支度をしていた。
「ちゃんと寝たのに…変な夢を見たからかな…」
期末テストも終わり、次の日は舞冬祭、緊張してるのかもしれない。
その時、どこかで指を鳴らす音が聞こえたような気がした。
「まただ…」
周りを見ても、いつも見る寮の部屋しかない。自分以外誰もいなかった。
「いけない!遅刻しちゃう!」
麗は慌てて鞄を持つと、上着を着て帽子をかぶると焦げ茶色のブーツを履いて部屋から出ていく。
寮の入口で壁にかけてある寮生の名札を見ると、裏向きにかけてあった。
悠梨は寮にはいなかった。
駅に向かうバスに乗り、駅に着くと地下鉄に乗り換えるために階段を降りる。休日の夕方、十二月の駅は鮮やかなイルミネーションとクリスマスの雰囲気でいつもより賑わっていた。
改札口を通ってホームに降りると、ちょうど電車が到着していたので地下鉄に乗り、空いている席に座る。
暖房が効いていて冷えた身体が暖まっていく。
「眠たい…」
瞼が重たくなり、目を閉じるとそのまま意識を失った。
鈴の音が聞こえたような気がして目が覚めると、黒に紫が一滴落ちたような暗い色の空間が目の前に広がる。
麗が辺りを見回すと、声が聞こえた。
「……レイナさん?」
そこにはゲームの登場人物であるルトが目を丸くして驚いている。瞳や髪の色が違うが高屋にも似ていた。
「高屋…さん?」
「タカヤ?それは…誰ですか?」
ルトの言葉に何かに気づく。自分が細い針金のような黒い鎖で縛られ、自由を奪われてること、そして…。
「私…レイナの格好をしてる?!」
ゲームの主人公であるレイナの格好をしていることに、驚きを隠しきれなかった。
「…どうやら、何かが起こったようですね。貴方は僕が知るレイナさんではなさそうだ」
「じゃあ、本当にルトなの?」
「僕のことは知っているのですね。面白い……確かに僕は幻黒師ルトです。貴方の名前を伺っても良いですか?」
ルトは緊張していたような表情をゆるめて苦笑する。
「……麗。水沢麗」
「ウララ?変わった名前ですね」
警戒する麗と反対にルトは首を傾げて眉間に皺をよせている。
「不思議な世界…」
「…え?」
「貴方の世界にも僕に似た人がいて、この世界にも貴方に似た人がいる。どこかで繋がってる、そう考えると楽しいかもしれません」
「じゃあ、ゲームの世界は実現したっていうこと…?」
「ゲーム?それは僕にも分かりません」
麗は俯いて小さく呟いた。夢を見ているような感覚だった。
「このまま…僕の結界の中に閉じ込めることができたら良いのに…」
苦しいような悲しいような顔をして麗に近づいてくる。身動きがとれない麗は何もすることができない。
ルトは膝をついて麗の頬に触れて笑う。
「……」
氷のような冷たい手に麗は息を飲む。
その時、麗の身体に痛みが走り睡魔が襲う。
「な、に…これ……」
「…ここは僕の空間。僕の術にかかったレイナさんと貴方は何か関係があるのかもしれないですね」
ルトが何を言っているのか分からない。
そう思うことはできても、麗は口を開くことができず意識が遠のいていく。
ルトの赤い瞳が意識に残る。
「貴方の世界に僕がいるなら………僕と同じ気持ちなんでしょうか…」
ルトの言葉も聞こえなくなるくらい、身体も重くなりそこで意識が途切れた。
誰かの声が聞こえる。
「レイ………!レイ!!」
声に気づいてゆっくり瞼を開くと、そこには今にも泣きそうな顔な悠梨がいた。
「良かった……」
麗の顔を覗きこんでいた悠梨は胸を撫で下ろす。麗はゆっくり身体を起こし辺りを見回す。ここは学生寮の麗の部屋だった。
「ここ…………私の部屋?」
「ショウから聞いたよ。会場で倒れたみたい…あたしに連絡があって、部屋まで運んだの」
「会場……そうだっ!」
麗はベッドの横にある机の上のパソコンの電源をつける。しばらくすると起動して、焦りながらゲームをつけ始めた。
「ちょ……レイ、どうしたの?」
「ユーリは第四章は終わったんだよね?」
「うん…」
話をしながらゲームを進めていく。ゲームはレイナが幻黒師ルトの術にかかり意識を失ったとこだ。
「これ、レイナがルトの術にかかって、意識を失って…気づいたら別の世界にいるっていうことだよね……?」
「…うん」
麗の考えが何か一致する。
「この時の世界…私達の世界じゃない?」
「そういえば、季節も…何があったか、一致する…」
二人は息を飲み、ゲームを進める。麗の右手が震える。
「レイナが意識を失ってる間、何が起きたか………私、電車に乗ったら急に眠たくなって…起きたらルトがいたの…」
麗の声が震えている。
「マジで?!」
悠梨が目を見開いて驚いた。
麗はルトと出会った時のことを思い出し、悠梨に話していく。
「ありえない。…じゃあ、ゲームの世界は実在したっていうこと?」
「私も分からない…ルトと目が合って、そしたら、急に眠たくなって……気づいたら、ここにいたの」
「レイはレイナの力を持って覚醒した。やっぱりゲームと関係してるかもしれない」
「覚醒…そうだ!ルトは高屋さんに似てた」
「高屋?」
麗の一言で悠梨の表情が歪む。
「二日前、私達がトウマと会った後に出会ったの。ユーリには話したけど、私、編入組でね、入学式の時に桜を見ていたら高屋さんとぶつかって…それで…」
悠梨の助けもあり、ゲームは第四章が終わり区切りがついた。
麗は二日前のことを思い出して顔が赤くなったが、何かを思い出し、独り言のように呟く。
「高屋さんがルトの力を持っているかもしれない…」
「え…?」
「学校…高屋さんを探して聞かなきゃ…!!」
セーブをしてパソコンの電源を切ると、急いで部屋から出ていこうとする。悠梨は麗の腕を掴み、それを止めた。
「レイ、待って。外出許可証が無いと寮から出れないし、もう九時を過ぎてるよ!」
「あ…」
悠梨の一言で麗は時計を見た。すでに九時を過ぎていた。
寮の決まりで、事前に許可を得ていないと学校に行くことも寮から出ることもできなかった。
「明日は舞冬祭本番。午後から始まるから、午前中に実月先生のとこに行こうよ…」
「うん」
だんだん落ち着いていく麗を見て安心したのか、悠梨は部屋を出て行く。
一人になった麗も部屋を出た悠梨も、何かを考えながら複雑な顔をしていた。
遡ること三時間前。
結城匠は生徒会室を出て、中等部に向かっていた。同じ敷地内とはいえ、学園は広い。結城は持っていたコートを羽織る。
中等部に向かう道を歩いていると、誰かが結城の前に立っていた。
「杏奈か…」
そこには長い茶色の髪、暖かそうな上着を着た女性がいた。右手の中指には黒い指輪を身につけている。杏奈と呼ばれた女性は複雑な表情で結城を見つめている。
「匠様、どうしても弟を……?」
「あの方の意思だ」
結城は表情を変えずに杏奈に近づく。
「………弟にも力があるかもしれません。けど、あの世界のことを考えると覚醒しないほうが良いかもしれません」
杏奈は何かを躊躇うように視線を反らす。
「満月は私達の力を増幅させる」
「………」
「お前も満月の日に覚醒した。私の血でもやれば、あいつも変化するだろう」
満月に近い月が二人を照らしている。
唾を飲みこみ杏奈は何かを考えた。
「なんだ?お前も私の血が欲しいのか?」
結城は冷たく見下すように挑発する素振りをする。自分の考えていることを見透かされた杏奈は、頬が赤くなり冷や汗を流す。
「そんなことは……」
「本当に飢えたら、その時はやろう」
結城は冷たく笑うと、杏奈の横を通り過ぎて何事もなかったように中等部に向かう。
それは中等部に向かう前に見つけた。
中等部の黒い学ランを着た少年は結城に気づくと駆け寄ってきた。
「結城先生」
「私は常任ではないから、結城で良い」
結城は中等部の特別講師として赴いてる時があった。高等部にいる時より、少しだけ態度を変えている。
「こんな時間に中等部に何か用事ですか?」
「いや…」
「じゃあ、姉が何か言ってましたか?」
少年は結城も姉の杏奈も生徒会に関わっていることは知っていた。
何も知らない少年は結城を見ながら笑っている。
その時、冷たい風が吹き、少年は目を閉じた。すぐに目を開くと、結城の背後に光る月を見た。それを見た少年は目を見開いて胸を押さえた。鼓動が大きく脈打ち、息が乱れる。
膝をついて胸をおさえ苦しむ少年は、ふと足元を見た。結城の影を見ると悪魔のような翼と尻尾が生えていた。
「結、城…先生……?」
「私が誰か分かるか?」
結城は、右腕の袖のボタンを外すと腕が見えるように袖をまくった。右手首には黒いブレスレットが見える。
「(近づくな…)」
少年の脳裏に誰かが声をかける。吸血鬼のように牙を生やした自分と似た少年が浮かぶ。
「何を怯えている?」
結城は少年の様子に動じず、少年を見下している。
「(…我慢できない!)」
今にも息が止まりそうなくらい苦しむ少年は何かを拒み、何かを求めている。
「セルナ…血が欲しくないのか?」
結城は違う名前を呼び、挑発するように笑う。
いつのまにか結城の瞳は金色に変わっていた。
少年は唾を飲み、ゆっくりと立ち上がる。
「や、めろ…」
いつの間にか少年の瞳の色が赤紫に変わり、吸血鬼のような牙が生えていた。右手の薬指には黒い指輪がはめられている。
誰かを拒むように、また、誰かに言いきかすように呟くと、結城にもたれ掛かるように倒れて意識を失ってしまう。
「血が無くても覚醒したか…」
結城は少年を見ながら複雑な表情を浮かべる。
背後から誰かの声が聞こえる。
「やっぱり、こうなってしまったのですね」
「杏奈か。まるで、望んでいないような言い方だな」
「…申し訳ありません」
杏奈の瞳の色が少年と同じ赤紫色に変わり、狼のような牙が生えていた。
結城と少年の様子が気になった杏奈は、最初は行くのを躊躇っていたが、月を見て何か不安が過ぎり結城の後をついていったのだ。
「私はあの方の仰るように、覚醒していない者を覚醒させる」
「生徒会は、あの方が支配する者が集まる場所…けど…」
「不要な者、恐るべき力を持つ者は排除するだけだ」
杏奈は、意識を失い結城にもたれ掛かる少年を軽々と抱き抱える。
「はい、匠様」
「閉ざされた部屋の鍵を見つけるのは…あの方だ」
氷のような冷たい目で睨むと、踵を返し高等部に向かって歩き出した。