再生 89 うごめく闇
時間が止まった。
麗達がそのまま動かなくなってしまった中、動いているのは結城一人だった。
目の前に文字盤を模した魔法陣が現れ、そこから黒いドレスを着た女性が現れた。
自分以外に時間を操るものがいる。
結城は最初に感じたことだった。
黒いドレスを着た女性はにっこりと笑っている。
彼女の瞳は深い青色で、腰まで伸びた長い黒髪と着物をアレンジしたような黒い服を着ている。
「(見慣れない…。高等部の生徒ではないな)」
全てを把握しているわけではないが、高等部の中で見かけたことはなかった。
結城は彼女について考える。
自分と同じ時の力を持ちながら、物語に出ていて、まだ能力者の中で誰か分からない人物。
「お前は大天使ユルディスの能力者か?」
「いいえ、違います」
彼女はきっぱりと否定すると、ドレスの端をつまんでたくしあげると軽く頭を下げた。
「初めまして。私は伊夜と申します」
「伊夜…」
彼女、伊夜と名乗る女性の名前と声を聞いてもピンとこない。
しかし、会話に応じることはできるようだ。
以前、図書室で会った鳥のくちばしのような仮面をつけている人物は何も喋らなかった。
結界の中にいるということは能力者だろう。しかし、どんな力を持っているか分からないうちは不要なことは避けたい。
けれど、彼女が何かを仕掛ける様子もない。
そう考えていると、伊夜が口を開いた。
「この結界は貴方が作ったものではない。あの光の壁も貴方が作ったものではない」
伊夜は光の壁の中で倒れている凛を指差す。
「貴方が水沢麗達を目的の場所に連れていくためにやったことは、時間を早めたこと。魔法で迷路を作り、他者を辿り着かせないこと。そして、同じ力を持つ光の巫女の能力者を鳥籠の中に閉じ込めること」
伊夜は右手を上げて、その場所を指差した。
「時間を早めることにより今夜出るはずの満月の力を得る。月には不思議な力が宿っていますからね」
結界がどこまで広がっているかは分からないが、能力者の中で月の力に影響される者も多い。
「貴方がまだ強大な力を持っていたとして、力を分散させればどこかが綻ぶと思いますが…」
伊夜は、まるで自分がそれを見てきたように指摘する。
「それと、今、私に何かしようとしても力の無駄だと思いますよ?」
穏やかに話しているが、それは結城を挑発しているようだった。
それまで話を聞いていた結城は、伊夜が挑発しているだろうという予測を考えながら口を開く。
「言いたいことはそれだけか?」
伊夜の指摘が間違っているわけではない。
結城がラグマの能力を持っていることも知っているだろう。
けれど、自分の手の内を明かすということはしない。
「ええ、牽制しているつもりではありません。事実ですし、貴方の術を壊すことくらい容易ですから」
伊夜は結城を見て笑う。
それに反応して結城のこめかみがピクリと動く。
「私が挑発にのらないとでも?」
結城は笑う。
自分のことを挑発する人物がいる。それは結城にとって面白いことだった。
自分を挑発するとしたら神崎か、まだどんな力を持っているか読めない実月だろう。
その時、結城の足元から冷気が吹き出す。
結城が挑発に応じた。
それは伊夜にとっても面白いことだった。
しかし、伊夜は動じない。
「私の目的は彼女を連れていかせないことと闇を探すためです」
「自分の手の内を明かすとは…余程、自信があるんだな」
自分から話すということは、彼女に自信があるということだ。
結城は、ほんの少しだけ伊夜に興味を抱く。
冷気が揺れて伊夜の足元に広がってく。
結城の考えなど知らずに、伊夜は首を横に振る。
「堕天使の片割れも気になりますし、貴方の相手をする時間はありません。失礼します」
そう言うと、伊夜はドレスの端をたくしあげてお辞儀をする。
すると、再び伊夜の目の前に文字盤を模した魔法陣が現れ、伊夜はどこかに行ってしまう。
伊夜の言葉に何かを察したのか、結城ははっとする。
干渉されては計画に支障が出るだろう。
それに、たまには自分の感情と直感の通りに動いても良いだろう。
「逃がさない」
伊夜の後を追いかけるように、結城もどこかへ消えていってしまう。
止まっていた時が動き出していく。
時計の針の音が聞こえると、一同は驚く。
「えっ?!」
それが自分の声なのか誰かの声か分からないくらいだった。
梁木、カズ、フレイが放った魔法はぶつかった衝撃で消えてしまい、麗はそれまで自分の腕を掴んでいた結城がいないことに驚く。
「結城先生が、いない?」
「赤い雨も止んでいる…」
「どうなってるんだ?」
何が起きたか分からない。
血のような赤い雨も止んでいて、立っていることもできないくらいの苦しみも消えていた。
結城が消えたことにより、麗の腕は上がったままだったが、ゆっくりと腕を下ろした。
どうしたものかと考えていると、梁木はあることを思い出す。
「そういえば、結城先生は僅かにですが上を見ていました」
『上?』
あの時、どうして天井を見上げたのか。
結城の動きが気になった梁木は目を凝らして上を見る。
すると、黒い丸いものが鳥籠だと分かる。
麗達も天井を見上げる。
「鳥籠…?」
「あんなところに?」
いつからそこにあったか麗達も分からなかった。
天井に吊るされた黒い鳥籠は黒い鎖に繋がれていて、錆びているのか、動くとギイギイ音を立てている。
「様子を見てきます」
魔法を使って宙に浮くことならここにいる全員ができるだろう。しかし、自分達の体力や魔力は消費している。
今は少しでも力を残しておきたい。
梁木はそう考えると、翼を広げて羽ばたいていく。
天井に近づいていくにつれて、鳥籠の中に誰かがいることが分かる。
鳥籠の中にいたのは、気を失っている佐月だった。
「佐月さん!」
梁木が何かを言っているのは分かるが、距離が遠くて何を言っているか分からない。
「ショウ!どうしたの?!」
麗は梁木に向かって大声を上げる。
麗の声に気づいた梁木は下に向かって大きな声を出した。
「中に佐月さんが倒れてます!」
『えっ?!』
それを聞いた麗達は驚いて、鳥籠に近づくために飛翔魔法を発動させようとする。
「……う」
梁木の声に気づいたのか、佐月から小さな声が聞こえる。
瞼が動くと、ゆっくりと目を開ける。
その瞳は明るい緑色だった。
「佐月さん、大丈夫ですか?」
意識はある。
そう思った梁木は鳥籠に触れようとした。
梁木が鳥籠に触れる。
ぼんやりとする意識の中、それを見た佐月は悲痛な声をあげた。
「触らないで!!」
佐月の声に驚いて、梁木は鳥籠に触れる直前で手を止める。
その瞬間、視界の両端を何かが通りすぎた。
「……えっ?」
それが何か、何があったか分かる前に梁木の身体に激痛が走り、羽ばたかせていた翼は動かなくなってしまう。
鳥籠から黒く太い棘のようなものが現れ、それは梁木の背中にある翼を貫いていた。
「ぐああぁーーーーー!!!」
背中にある翼には神経が通っている。
痛みに耐えきれず、梁木は宙に浮いていることができずに地面に落下してしまう。
「ショウ!!」
「梁木さん!」
下から見ていた麗達には、誰かが魔法を放ったわけではなく、鳥籠から黒い棘が二本突き出したように見えた。
「罠に掛かったのはカリルの能力者か」
どこからか聞こえる声に、麗達は声の主を探す。
その時、周りの景色が歪み、空間が変わっていく。
西洋の城ではなく、そこは見慣れた場所だった。
「校舎だ…」
「僕達はずっと校舎の中にいたのか」
カズとフレイは辺りを見回している。
「結城の魔法が一つ消えたが…、まあいいだろう」
麗も辺りを見回して自分がいる場所に驚く。
そこは五階の中央階段の前であり、横を向けば白百合の間に続く階段があった。
結界に囲まれている時と変わらず、外は暗く、満月が出ている。
そして、周りの景色が変わり始めた時、今までそこにいなかった人物の存在に気づく。
「…神崎先生」
自分達とそう離れていない場所に神崎が立っていたのだ。
「あの声は神崎先生の…」
どこからか聞こえた声は神崎であり、罠を仕掛けたのは神崎だろう。
麗達は警戒する。
その時、大野の声が聞こえた。
それに気づいた麗は大野を見る。
「そんな…!」
「大野さん、どうしたの?」
梁木が地面に落下してしまった時、真っ先に梁木に近づいたのは大野だった。
梁木の翼が貫かれて血が流れている。
大野は傷を癒そうと考えたのだ。
大野は信じられないような表情のまま麗のほうを向く。
「…血が、止まらないんです。魔法が、発動しないんです…」
大野は狼狽えている。
それまで何もなかった。結城が現れた時、降り注ぐ赤い雨に当たっただけで、それ以外は力は使えていた。
傷を癒したり、状態を良くしたり、治癒や浄化魔法は大野が得意としている。
大野は、物語でスーマに仕えていた巫女であるターサの能力を持っている。
その大野の魔法が発動しない。
麗も信じられなかった。
「大野さん!」
麗が大野に近づこうとした時、それを見てしまった。
「…………!!」
神崎は麗の目の前、正確には光の壁の中で倒れている凛の前に移動していた。
神崎は光の壁に触れようとしていた。
麗は手を伸ばす。
届かないと分かっていても制したかった。
神崎が光の壁に触れた瞬間、光の壁から電撃が生まれ、触れようとした神崎の右手に絡みつく。
電撃が迸り、神崎の右手は切り裂かれる。
「っ!!」
痛みに耐えようと、神崎の顔が苦痛に歪む。
やがて、触れていることができないと分かると、神崎は右手を離した。
「駄目、か…」
不快な表情のまま呟いたが、想定内のことなのか気にしない様子だった。
少しの間の後、神崎は振り返って麗を見る。
「さて、君にはあの扉を開けてもらおう」
神崎は横を向くと、白百合の間を指差す。
「それだけでこの状況は変わるし、あの魔法も解かせよう」
神崎は顔を動かさずに右手の人差し指で黒い鳥籠を指す。
麗は天井を見上げる。
「麗様!!」
佐月は柵に触れないようにして身を乗り出していた。
「あの鳥籠には魔力を制御する力がある。それに外側から触れられないように罠を仕掛けた。彼女が力を出すことはできないだろう」
神崎は睨むわけでもなく、威圧するわけでもなく普通に話している。
反対に何かあるのではないかと疑うくらいだ。
「先生の目的は何なんですか?!」
麗は思わず声を上げる。
白百合の間はただの開かずの間ではないのか。
神崎は何事もないように普通に答える。
「私の目的はあの場所にある。それを叶えるために扉を開けてもらおう」
扉を開けること自体は簡単だろう。
けど、どうして神崎がそこまで固執するか分からない。それに、凛が開けようとした時は鍵はかかっていたようで扉は開かなかったと聞いている。
麗は白百合の間の扉を見る。
何があるか分からないけど、何故か懐かしいと感じる。
鍵がかかっていたり、立て付けが悪くなければ、ただドアノブを回せばいい。
けど、それ以上に扉を開けてはいけないと感じていた。
麗が答えを出そうとした時、それまで聞いたことのない何かを含んだような笑い声が聞こえた。
「目的のためには駒が必要であり、駒は多いに越したことはない」
赤い瞳が笑う。
「…!」
怖い。
麗が後ずさろうとした時、しびれをきらしたカズとフレイが声を上げた。
『バースト!』
カズとフレイの右手には赤い球が生まれ、それを地面を叩きつけるた。
そこからいっせいに煙が巻き起こり、勢いよく廊下に広がっていく。
「消えた…」
神崎は視線だけ線を動かし気配を探ろうとする。
すぐに何かに気づくと、鼻で笑った。
「姿を消しても殺気は消えていないぞ」
神崎の言葉遣いが変わる。
自分に向けられている突き刺さるような殺気。神崎はそうなることを理解していた。
神崎の目の前の煙が揺れて何かが飛び出した。
『ミラージュハイド』
カズとフレイの言葉が重なる。
神崎に向かって殴りかかろうとしていた二人は煙と混ざるように消えていってしまう。
煙の中で大野は集中していた。
「(皆を守りたい…。力を貸してほしい)」
自分に力を貸してくれている。
それは分かっていても、今、これほど強く願うことはなかった。
それくらい目の前の相手が危険だと感じているからだった。
大野の目の前に大きな鎌が現れる。
大鎌を構えてなぎ払うように大きく振ると、その場所が大きく揺れ、風の刃が生まれる。
風の刃は煙の中に向かっていく。
「ノーム!!」
大野はその名前を呼んだ。
すると、大野の頭上に緑に輝く魔法陣が浮かび上がる。
魔法陣からノームが現れると、一点を見つめて笑った。
「ヤレヤレ、都合ノイイ人ダ」
その瞬間、地震が起こり、大きな音をたてて地面は裂けていく。
裂けた地面の間から巨大な雷の球が現れ、それから稲光が流れて神崎を狙う。
「!!」
麗は巨大な魔力の存在に気づいていた。
神崎はロティルの能力を持っている。
物語の中でレイナを殺そうとしたり、ティムと戦わせたりした首謀者だ。
その力は強く、レイナやカリル、後から追いついたマーリでも歯が立たないほどだった。
凛は倒れたままだが、一対五なら何かできる。
まだ戦えるが、体力も魔力もかなり消費している。
煙を起こして視界を遮り、その間に一気に攻撃を仕掛けるつもりだったのだろう。
麗は神崎から離れようと、後ろを向いて走り出そうとした。
その時、誰かが左右の腕を引っ張った。
「大丈夫だ」
「僕達だよ」
急に腕を引っ張られて麗は驚いたが、左右から聞こえた声に麗はそのまま音をたてることなく後ろへ下がっていく。
大野が放った風の刃とノームの雷撃がその一点を狙う時、梁木の声が聞こえる。
「フレアトルネード!!」
梁木が地面に手をつけると、目の前の地面から渦を巻いた紅い球が生まれた。
渦を巻いた紅い珠は風の刃と雷撃と合わさって爆発を起こす。
「こんなものか」
煙の中から神崎の声が聞こえた。
煙が大きく揺れた瞬間、中から衝撃波のようなものが吹き出し、煙を散らしてしまう。
そこには神崎が立っていた。
シャツやズボンの一部は破れ、傷口から血が流れていた。
顔にも火傷を負っていたが、何事もなかったように立っている。
麗達は息を飲んで警戒する。
「いくら戦おうが、お前達には結界を壊すか、気絶させることしかない」
神崎は麗達を見て口角を上げて笑う。
「そう、私達を封印することはできない」
神崎は核心を突く。
能力を封印できるのはトウマと高屋だけで、そのトウマはいない。
「高屋がどう動くかは分からないがな」
神崎は白百合の間の扉を睨む。
「本当に扉は開くのだろうか」
神崎は疑問を抱く。
一歩踏み出すと、白百合の間に向かって歩き出した。
麗はそれをチャンスだと思い、梁木に近づく。
「ショウ、待ってて!」
麗も少しだが治癒魔法や浄化魔法は使える。
大野の治癒魔法が効かないなら、自分が魔法をかけても変わらないかもしれない。
それでも、翼を貫かれて動けない梁木を放っておくことはできなかった。
「キュアブレス!」
麗は梁木の翼に手をかざして魔法を発動させる。
しかし、言葉は虚しく響くだけだった。
麗は言葉が出なかった。
呪文を唱えずに使ったことのある魔法だ。
失敗するとは思っていなかった。
驚いたのは麗だけではなかった。
梁木や大野、カズとフレイ、神崎までも驚いている。
「呪いにどんな作用が働くかは実際に見てみないと分からないが…。成程、治癒魔法が効かないか」
梁木の右頬には呪印が浮かび上がっている。
神崎はくるりと振り返り、梁木を見て確認した。
神崎の呪いによって、梁木は治癒魔法や浄化魔法が使えなくなり、特殊な言葉を発動させない限り現れない翼が常に出てしまうようになった。
右には天使のような白い翼、左には悪魔のような黒い翼が生えている。
麗達の中で、一つの信じがたい可能性が浮上する。
それは、今までの効果に加えて治癒魔法が効かなくなってしまったのではないかということだ。
しかし、梁木が呪いをかけられてから傷を負っても魔法で傷は癒えていたはずだ。
警戒しながらも梁木の呪いついて考えていると、神崎が麗を見ていることに気づく。
どうして攻撃を仕掛けないのか。
それほど自分に余裕があるのか。
「何故、攻撃を仕掛けようとしないか、というような目をしているな」
神崎は麗が思っていることを言い当てる。
それを気にせず話しはじめる。
「どんなに壊そうとも、結界を解けば全てが戻る。ただ…痛みや記憶は残るがな」
神崎は光の壁の中で倒れている凛を見る。
自分も傷を負っているし、痛みを感じないわけではない。
けど、神崎にとっては、それよりも自分の目的を遂げることが大きい。
「それよりも、望むものを手にいれることが重要だ。そのためには手段を選ばない」
神崎は再び白百合の間の扉を見る。
「あの椅子を手にいれ、延いては私がこの学園を統べる。私がこの学園を支配するのだ!」
闇が笑う。
神崎が声を上げると、それに応えるように神崎の中で一つの言葉が生まれる。
それが何を意味するのか理解した神崎は確信する。
「破滅の闇…沈黙の影」
神崎がニヤリと笑った瞬間、生徒会室から重々しい空気と黒い濃い霧が吹き出した。
黒い霧は神崎の前に集まると、人の形に変わっていく。
霧が薄れていき、そこにいたのは闇の精霊シェイドだった。
黒い短い髪と尖った耳、左のこめかみ辺りには太い角が生えている。身体には黒いローブのようなものを纏っていたが、うっすらと透けている。
それはゆっくりと目を開いた。
「我、破滅ト絶望ヲ望ム心ニ住マウ闇ナリ」
全てを見下すような目で笑っていた。