再生 83 沸き上がる赤い情動
十一月も終わりが近き、色づいた葉が落ち始めて風が冷たく感じるようになる。
薄手の上着だけでは肌寒い。
そう思いながら廊下を歩いていると、中央階段から足音が聞こえる。
神崎が階段を上る前に右を向くと、高屋が階段を上っていた。
「高屋か」
高屋も神崎に気づくと、足を止めて頭を下げる。
「ちょうど良かった。聞きたいことがあります」
高屋は階段を上り、神崎の前に立つ。
その表情は僅かに不安を覗かせている。
その一言で神崎は高屋が何を言いたいか理解して、それと同時に、一瞬にして周りに黒い結界が張られる。
高屋は結界が張られたことに驚かなかった。
自分が高等部を訪れる時は物語に関することが多い。神崎もそれは分かっていることだろう。
結界のおかげで、今、ここには神崎と高屋しかいない。
高屋は神崎に問いかける。
「神崎先生は物語の続きは読んだのですか?」
神崎にとってその質問は想定内だった。
神崎は普通に答える。
「高等部の学園祭の後、物語の続きが見つかった。結城は知っているし、恐らく、月代や水沢麗達も知っているだろう」
学園祭が終わってから半月が過ぎた。
全ての生徒の行動を把握しているわけではないが、半月もあれば高等部にいる能力者が図書室に行くことは可能だろう。
いつ物語の続きが見つかったか分からなかったが、半月も経てば大学部にいる能力者にも知られているだろう。
「そうですね」
高屋は頷く。
物語の続きを読んだ時、予想外の結末に驚いたのは記憶に新しい。
あくまで推測だが、結末を変えるために足掻いている人物がいるかもしれない。
「(特に彼女は辛そうだ…)」
その顔を思い浮かべると、自虐するようにフッと笑う。
高屋は物語の結末に大きく関わる人物を思い出した。
「ところで、蒼飛は?」
無意識か意識しているかは分からないが、高屋はルトと同じように他の能力者を称号で呼ぶことがある。
「学園祭の後、生徒会室にいた。…物語に登場する背徳の王に意識を取り込まれてな」
神崎の言葉に僅かな間がある。
それは、学園祭の後のことを思い出したのか、まだその事実を認めたくないのかは分からない。
「見た目や声に大きな異変はないが、魔力は…底が見えないと感じた」
神崎が不安な表情を見せる。
神崎の表情を見て、嘘を言っているとは思えなかった。
高屋は眉をひそめる。
物語の続きを読んで思ったのは、背徳の王の力を得たマリスの力だった。
街一つを破壊させるほどの魔力、高等魔法を呪文を唱えず発動し続ける精神力、そして、その力でレイナの息の根を止めた。
その後、禁呪を使い、自らの命と引き換えに街を壊滅させた。その後、マリスがどうなったかは書かれていない。
「背徳の王は一時的に月代に身体と精神を返すと言い、消えていった。それからは特に変化はない。月代のままだ」
そう言うと、神崎は高屋の横を通り過ぎて階段を下りようとする。
「月代について気になる部分はあるが、計画に変更はない」
そう言うと、神崎は振り向くことなく階段を下りていった。
結界は解かれ、再び、普段の景色に戻る。
「(蒼飛にも警戒しないといけない、か)」
高屋は去っていく時の神崎を思い出す。
神崎の口角は上がっていた。
「(本当に、恐いですね)」
高屋はその表情を見逃さなかった。
期末テストと舞冬祭が近づいている中、麗と凛は大学部の一階にあるホールにいた。
八月にオープンキャンパスで訪れ、その時には大学部の生徒は少なかったが、今、ホールには多くの人がいる。高等部の制服を着ているのは麗と凛だけだった。
学生証があれば高等部の生徒でも中等部や大学部に入ることは可能だが、制服を着ているだけで居心地が違うような気がする。
そんな二人をカズとフレイは微笑ましく見ていた。
「急に呼び出してすまない」
「そんなに緊張しなくていいよ」
約一週間前、カズとフレイから連絡があり、大学部を指定した。
物語の結末を知ってから不安を拭うことはできなかった。仲間の気遣いやテスト勉強のおかげで、少しだけ気持ちを切り替えることができるようになったのだ。
カズとフレイは話し始める。
「滝河君から聞いたよ」
「無効化魔法を使ったんだって?」
カズとフレイの言葉を聞いて、麗と凛は滝河が伝えてくれたんだと知る。
「一週間前、高等部の職員室の近くで結界が張られた時、私は滝河さんと武器が使えない空間で戦いました」
「あたしは、梁木さん、大野さん、佐月さん、中西先生と魔法が使えない空間で戦いました」
「私達がいる場所には白く輝く巨大な鎧、凛達がいる場所には大きな虫の群れが現れて、最初は攻撃したんですけど、いつまで立っても倒すことができなかったんです…」
麗と凛は、それぞれに起こったことを交互に話していく。
あの時は目の前の敵を倒すことに集中していたが、後からそれぞれ苦手な状況で戦ったのではないかと考えていた。
「あたしも姉さんも、カズさんとフレイさんの無効化魔法のことを考えたんです。そしたら、使うことができたんです」
麗と凛の話に区切りがついたとこで、カズとフレイは考える。
「俺とフレイ以外に使える人がいるとは思わなかったな」
「うん。トウマ様と滝河君が試してみてもできなかったから僕達だけの魔法だと思ったけど、麗ちゃんも凛ちゃんも双子だから波長があったのかもしれないね」
カズとフレイは麗と凛に向かってではなく、二人だけで話を進めている。
「俺達のやりたいことができたな」
「うん」
カズもフレイも普段見る顔ではない。恐らく、これが普段の顔つきなのだろう。
麗も凛もその感覚はよく分かっていた。
誰かがいると言葉遣いや間の取り方など考えながら話しているが、二人きりだと言葉を省いても伝わることが多いので気を遣うことは少ない。
「あ、ごめんね」
二人だけの会話をしていると気づいたカズは麗と凛を見て苦笑する。
「いえ」
「あたし達もよくあることなので」
麗と凛も顔を見合わせて苦笑した。
「そうそう、麗ちゃんと凛ちゃんに大学部に来てもらったのは理由があるんだ」
『え?』
フレイの言葉に麗と凛は同時に声を出す。
カズとフレイから連絡があった時、大学部を指定した時には、ただ二人が忙しくて、大学部なら会えるのだろうと思ったくらいだった。
「絶対じゃないと思うんだが、大学部にいると結界が張られないし覚醒しないんだ」
カズは周りの様子を見ると、麗と凛に顔を近づけて話す。
「中等部を歩いた時も何もなかったし、大学部の校舎にいても覚醒したことはない。もしかしたら、これから起こるかもしれないけどね」
フレイも顔を近づけて声を押さえて話す。
その言葉を聞いて二人は思い返す。
今年の冬に凛について滝河に相談しに行った時も、夏にオープンキャンパスに行った時も他に能力者はいても覚醒することはなかった。
オープンキャンパスの帰りに覚醒した時は、高等部と大学部を結ぶ並木道にいた。
「だから、二人に来てもらったんだ」
「高等部で話すと結界が張られるかもしれないから、僕と兄さんで考えて、試してみたかったんだ」
カズとフレイの言う通りなら、物語の出来事や現象が起きているのは高等部だけになる。
それと、麗と凛は中等部を知らない。
並木道から中等部の校舎を見たことはあるが、校舎の中やどこに何があるかは分からなかった。
思い返すと、学生寮に向かう途中で覚醒したことはあっても学生寮の中で覚醒したことはなかった。
麗と凛が考えていると、カズとフレイは何かを見つけて手招きしていた。
「カズさん、フレイさん、どうしたんで…」
後ろから聞き慣れた声が聞こえる。
その声が聞こえたほうを向くと、相手も自分達に気づき、三人は同じ言葉を口にする。
『あ…!』
カズとフレイに手招きされてやって来たのは滝河だった。
「滝河さん」
「こんにちは」
「あ、ああ…」
滝河が来て二人は驚いたが、ここは大学部だ。高等部より広いが、大学生の滝河が大学部にいることは普通のことだった。
「どうして、お前らが大学部にいるんだ?」
滝河は疑問を口にする。
麗と凛が答える前にカズとフレイが答える。
「前に滝河君が麗ちゃんと凛ちゃんについて連絡くれただろ?」
「それについて話すために大学部に来てもらったんだ」
「大学部に、ですか?」
滝河はカズとフレイを見て言葉を返す。
互いの都合があると思うが、麗と凛が大学部にいるということは他にも何かあるのだろう。
カズは二人に大学部に来てもらった経緯を話す。
「…成程。確かに、大学部にいる時に覚醒したことはないですね」
カズの言葉を聞いた滝河は納得して頷く。
大学部の中で鳴尾や高屋、カズ、フレイを見かけることはあっても、覚醒したことはなかった。
「この前、麗ちゃんと凛ちゃんが無効化魔法を使ったって聞いて、どういう条件で発動したのか詳しく聞きたかったんだ」
「今のところ、双子だからぴったり息が合ったんじゃないかって思うけどね」
いつだったか、滝河もトウマと無効化魔法が使えないか試したことがあった。その時は、息が合っていないとか魔力の質が違うとか色々、考えていた。
双子だから、という考えは今までの考えの中で何故か一番しっくりくる。
「あの時、俺も見ました。水沢…あ、レイと一緒にいましたが、その場にいないはずなのに、妹…凛の声も聞こえました。呪文も魔法の効果もカズさんとフレイさんが使うものと同じです」
滝河は普段、麗も凛も苗字で呼んでいる。一人でも二人でも苗字を呼べば気づいてくれる。しかし、今は二人いて、別々の状況の話をしている。滝河は少し言いにくそうに二人の名前を言う。
「俺達以外にも無効化魔法が使えるなら、俺達がいない時に何かあっても対処できる手段が増えるだろう」
「そうだね」
何かあっても対処できる手段が増えるのは良いと思う。いつ、どこで、どんな状況で覚醒するかは分からない。
できることなら危険や不安は少ないほうがいい。
そう言うと、カズは身につけている腕時計を見る。
「意外と時間が経ってたか。テスト前に呼び出してごめんね」
「誰かに狙われるかもしれないから僕達が寮まで送るよ」
本当に無効化魔法を発動させたのか、どういう状況か聞くだけなのに思っていたより時間が経っていた。
三十分も経っていないが、高等部はテスト前だ。テスト対策をしたいのかもしれないし、この後、用事があるかもしれない。
「あ、いえ…」
「あたし達だけで帰れますよ」
そんなカズとフレイの申し出を麗と凛はやんわり断ろうとした。
実際に、今日は寮に帰ったら期末テストに向けて勉強をする予定だ。けれど、大学部に行って話を聞く余裕はある。大学部と寮まで時間はそれほどかからない。
カズとフレイが椅子から立ち上がった時、滝河が口を開く。
「…俺が送る」
滝河の思わぬ一言に麗と凛は驚いて、言いかけたことを止めてしまう。
「滝河君」
「僕達が送る…」
「俺が送ります!」
カズとフレイの言葉を制止するように、滝河はやや強く言いきった。
何かを言いたいような不安な表情だ。
「あ、その…!田中教授に頼まれて、高等部の柴田先生に持っていくものがあるので、つ、ついで、です」
滝河は年上のカズとフレイに強く言ってしまったが、驚いたのではないかと考え、慌ててやんわりと理由を告げる。
ここに来た時は気づかなかったが、手にしている鞄の口から大きな封筒が見える。
「(どう思う?)」
「(滝河君が嘘を言っている訳じゃないし、今はそういうことにしてあげたらいいんじゃないかな?)」
カズとフレイは顔を合わせて目だけで互いの考えを読み取る。
滝河は困っている表情だ。
自分の意見を主張したからか、僅かに麗と凛を見たからかは分からない。
「分かった」
「じゃあ、滝河君に頼もうかな」
何となく滝河の気持ちを察したカズとフレイは、二人を送ることを譲ってあげることにする。
その様子に気づいていないのは麗と凛だった。
「ありがとうございます」
ここでカズとフレイが譲らなければ、自分は引き下がろうと思っていたが、二人が譲ってくれたことに胸を撫で下ろす。
「(あれ?どうして、俺は意地になってるんだ…?)」
それと同時に、自分自身の中で疑問が生まれる。
高等部の生徒を学生寮まで送るだけなのに、意地になったりしなくてはいけないのか。
そう思いつつ、滝河は椅子に座っている麗と凛を見る。
「行くか」
「あ!」
「は、はい!」
どうしてカズとフレイの申し出を制してまで滝河が送ってくれるか分からなかったが、二人は椅子から立ち上がる。
「また何かあったら連絡するよ」
「何かあったら連絡してね」
カズとフレイは、後ろを向いた麗と凛に手を振って優しく笑う。
麗と凛は笑顔で一礼すると、滝河の後について歩いていった。
「あ、ありがとう」
大学部を出て、麗は少し先を歩く滝河の背中に声をかける。
滝河は歩きながら後ろを振り返る。
「高等部に用事があるのは本当だ。それに、この前のことが気になるからな」
一週間前、麗、凛、滝河は二階にある進路指導室の前にいた。
近くにいたはずなのに、転移した先でばらばらになってしまった。
麗と滝河は武器を封じられ、凛は召喚術を封じられた。
後から話し合い、それぞれが得意なものを制限されたのではないかという考えに至る。
見送ると言ったカズとフレイが心配なわけではない。寧ろ、二人がいたら心強い。
けど、何故か分からないが自分が見送りたかったのだ。
この前のことと聞き、凛は歩きながら考える。
「皆がばらばらになった時、あたし達は魔法が使えなかったんだけど、大野さんは鎌が出なかったし、中西先生もカードがでなかったの。その時は武器がない大野さんを守ることで必死だったんだけど…」
校門に差し掛かろうとした時、凛の足が止まる。
「…大野さんはノーム、中西先生はシルフの力があるはずなのに、ノームもシルフも呼び出せなかったみたいなの」
その言葉を聞いて、麗と滝河の足が止まる。
振り向いたその顔は、信じられないような表情だった。
大野と中西は、自身を媒介にする代わりに精霊の力を得た。初めは大幅な魔力の消費に身体が耐えきれずに、突然、眠くなったり意識がぼんやりすることが多かったが、身体が同調してきた時には魔力の消費も少なくなっていたらしい。
大野と中西からそう聞いていて、二人はどんな時でも召喚できると思っていた。
けれど、大野と中西が精霊を呼び出せなかった。
強大な魔力の源である精霊を呼び出せなかったという事実は、三人にとっては考えられないことだった。
結界を張った人物、そして、伊夜という人物がノームとシルフの魔力と同等、もしくは、それ以上という可能性が浮上する。
三人が足を止めて顔を見合わせていると、どこからか声が聞こえる。
「純哉ー!」
その声に気づいて振り向くと、高等部側の並木道から鳴尾が滝河を呼んでいた。
「彰羅!」
滝河が鳴尾に近づき、麗と凛も距離を縮める。
「高等部に行ってたのか?」
大学生の鳴尾が高等部側の並木道にいるということは、高等部に何かあったのだろう。
「ああ、物語の続きを見てきた」
物語の続きが見つかってから半月以上経った。多分、学園内にいる能力者全員が物語の結末を知っているだろう。
その度に周りが心配してくれた。
麗の考えなど知らないように、鳴尾は凛を見て笑う。
「なあ、俺と手合わせしねー?」
「…えっ?」
凛が驚いたのと同時に、並木道を中心に赤いガラスのような壁が現れ、鳴尾達を囲っていく。
「今がチャンスだしな!」
紅色の瞳は凛を捕らえている。
「(チ、チャンス?!)」
凛は不思議に思う。
何のチャンスか分からないし、今日は帰ったらテスト勉強をしようと思っていた。断りたいが、すでに結界は張られて覚醒している。
困った凛は麗と滝河に助けを求めようとする。
しかし、麗も滝河も諦めたような渋い顔をしている。
「多分、鳴尾さんが納得しないと帰れないと思う」
「すまない、付き合ってやってくれ」
麗は、手合わせした経験とヴィースの師であるファーシルの能力を持つ暁の特訓を受けた経験で察し、滝河は長い付き合いで鳴尾の性格を分かっていた。
「えーーっっ!!」
暁の特訓の時も感じたが、あまりにも突然だ。
心の準備ができていない。
それでも、やらなきゃいけないし、断ることはできない。
結界から出るには手合わせをしなければならない。
痛いほどの視線を感じ、凛は意を決して振り向く。
首から下げている黄金色のネックレスが揺れる。
「やる気になったな」
凛は鳴尾を見る。
「(鳴尾さんはヴィースの能力者…、ヴィースは魔法は使わず剣のみ…)」
ファーシルの能力を持つ暁の特訓は受けてるし、ブロウアイズの能力を持つ静にも会っている。
「(弓矢じゃだめだ!)」
鳴尾が握っているのは大きな剣であり、接近戦になるだろう。
「考える時間なんてねーよ!!」
鳴尾は意識を集中させて手を広げる。すると、その場所が光り、赤と黒の混ざった幅の広い剣が現れた。
それを両手で力強く握ると、凛に向かって走り出す。
「速い!!」
大きな武器は威力はあるが、その分、動きが遅くなる。
けれど、鳴尾はそれを感じさせないくらいの速さで動いている。
それに驚いて一瞬だけ出遅れたが、凛はすぐにその名前を呼んだ。
「ゴーレム!!」
声をきっかけに凛の目の前の地面が盛り上がり、そこから人の形をした大きな岩が現れる。
ゴーレムは両腕を伸ばすと、跳躍して斬りかかる鳴尾の動きを止めようとする。
鳴尾は立ち止まることなくゴーレムを斬りつけ、ゴーレムの腕に着地すると足に力を入れて更に跳躍する。
ゴーレムの巨体の後ろで、凛は弦を引いて矢を構えていた。
矢を引くと矢の回りに雷が生まれ、一直線に鳴尾に向かう。
ゴーレムの後ろで何かを仕掛ける。
そう考えていた鳴尾は、剣を構え直すと凛に目掛けて剣を振り下ろした。
すると、剣を振り下ろした場所から衝撃波のような黒い刃が幾つも現れて、凛に襲いかかる。
「(きた!!)」
骸霧という剣から出る黒い衝撃波は体力を奪われる。
鳴尾の戦い方は麗や暁から聞いていた。
凛は黒い衝撃波を吹き飛ばそうとする。
手にしていた弓矢が剣に変わっていくと、その名前を呼ぶ。
「シルフ!」
しかし、何も起こらない。
「(嘘っ?!)」
ゴーレムは呼び出せたのにシルフは呼び出せない。
前みたいに精霊を呼び出せない状況ではない。凛はもう一度、名前を呼んだ。
「シルフ!!」
何も起こらない。
焦った凛は考えようとしたが、黒い衝撃波は目の前まで迫っていた。
「(防がなきゃ!)」
凛の考えを読み取るように、黄金色の剣は形を変えようとする。
しかし、形成は間に合わずに衝撃波は直撃してしまう。
「きゃーーーっっっ!!」
凛は吹き飛ばされ、地面に転がっていく。
「凛!!」
吹き飛ばされて地面に倒れる凛を見て麗は叫ぶ。
麗は凛が弓矢の他に剣も使えるのは知っていたが、精霊を召喚するのを見るのは初めてだった。
「(本当にティムと同じように精霊を召喚してる。でも、シルフ…どうして…)」
精霊を召喚できるのならシルフの姿を見ることができる。
風の精霊シルフと分かっていても、麗の中ではずっと一緒にいた彼女の姿が残っていた。
「(手助けしたいけど、多分、鳴尾さんの反撃が来るし…、どうしよう?)」
鳴尾は手合わせであれ戦いであれ、手を出されることを嫌う。
自分が楽しめなくなる。前にそう聞いたことがあった。
たとえ、自分がどんなに傷ついても戦うことに意味を見出だしている。
それは、物語で見るヴィースそのままのようだった。
「………うっ」
麗が考えている間に、地面に倒れている凛の身体がピクリと動く。
身体が動くと膝をついてゆっくりと立ち上がろうとする。
「あ、れ……?」
両手を地面について立ち上がろうとした時、力が入らずにそのまま膝をついて動くことができなかった。
「身体が動かない…。それに、貧血…?」
呂律は回っていないが、身体は微かに震えているし、眩暈がして貧血に似た感覚が襲う。
それが何か気づいた凛は、顔を上げて鳴尾を見る。
「早く立てよ」
鳴尾はただ凛を見て笑っている。
「(本当に骸霧そのものの力なんだ!)」
物語の中でヴィースが持つ骸霧は、斬りつけた相手や衝撃波の効果で、毒に冒されたように身体が動かなくなる。
「(シルフが呼び出せないなら…)」
凛は踏ん張るように力を入れて立ち上がる。
黄金色の剣は、いつのまにかネックレスに戻っていた。
「ケットシー!!」
「おうっ!」
凛の声に反応してネックレスが強く光り、応える声が聞こえる。
その強い光に、鳴尾はほんの僅かに目を細めたが、気にせずに剣を構える。
ネックレスから茶色の毛並みのケットシーが現れた。
「凛、大丈夫か?」
「うん」
ケットシーは凛の腕から肩によじ登り、そのまま頭に移動していく。
「猫が喋ったあ?!」
それを見ていた麗は声に出して驚く。
声に出していないものの、滝河も人間の言葉を喋るケットシーに驚いている。
凛が呼ぶということは精霊か妖精の類いだろう。少年のような声で喋る猫は不思議な感覚だった。
「あれ?眩暈が治まった…?」
ケットシーが頭によじ登った時、それまで身体がふらふらしていたのが治まったような気がする。
『!!!』
凛の様子を見た鳴尾、麗、滝河は声が出なかった。
骸霧の攻撃を受けると、呼吸が乱れ、眩暈に似た感覚が襲いかかる。衝撃波を浴びても同様だ。
治すには鳴尾の結界を壊すか、覚醒を解かなくてはならない。
それ以外に方法はない。
だが、凛は鳴尾の結界の中、苦しそうな素振りもなく立っている。
ケットシーが凛の頭によじ登った。
それが何かの力が働いているのかは分からない。
初めは驚いたが、今までに感じたことのない感覚に心臓がドクンと脈打つ。
「おもしれえ」
鳴尾は犬歯を見せてにやりと笑う。
戦いたいという欲がどんどん沸き上がってくる。
鳴尾は再び剣を振り下ろした。剣を振り下ろした場所から衝撃波のような黒い刃が幾つも現れる。
「!」
黒い刃が凛に向かっている。
ネックレスが剣に変わり、両手で剣を構えると黒い刃を弾こうとした。
「来るぞ!」
ケットシーが叫び、体毛が逆立つ。
迫り来る複数の黒い刃の後ろには、鳴尾が剣を構えたまま凛に向かっていた。
鳴尾は剣を二回振り下ろし、そのまま凛に向かっていた。
凛は黒い刃を避けると、剣を構えて鳴尾の剣を受け止める。
「…重い!」
鳴尾の剣を受け止めたが、剣の重みに顔を歪ませる。
暁と特訓した時に、剣の構え方、剣を振り上げた位置から剣を受け止めて弾く方法を教わった。あの時はどんな状況からも剣を受けとめ、そこから反撃する術を徹底的に教わったが、今、実際に受ける重みや痛みは桁違いだった。
「(暁さん…あたしに合わせて力を抑えていたんだ…)」
そう思えるほど特訓と実戦は違っていた。
剣を弾こうと横に避けると、黒い刃が凛の目の前を通りすぎ、胸が痛くなり眩暈が起こる。
「…ぐっ!」
身体がふらついて、剣を落としそうになってしまう。
「凛!」
ケットシーは両前足を上げると、ケットシーの頭上に光り輝く球が現れる。
凛が握っている剣が光り輝き、ケットシーの頭上にある光り輝く球が放たれた。
「その猫、かなりの魔力だな!」
鳴尾はケットシーと凛を見て推察する。
鳴尾は走りながら剣を振り上げる。今までは複数だったが、目の前に現れたのは一つの巨大な黒い刃だった。
「(骸霧の力でふらふらするし、このままケットシーを呼び出す魔力が少なくなっているかもしれない…)」
凛は意識を集中して考える。
全力で走ったような疲れと、胸を締めつける痛みが止まらない。
骸霧の効果もあるが、自分の魔力の消費が大きいことに気づく。
「(ケットシー!力を貸して!)」
凛は願う。
それに応えるように、ケットシーが放った光り輝く球は加速した。
迫り来る巨大な黒い刃を飲み込み、鳴尾に向かう。
「甘ーよ」
巨大な黒い刃が光り輝く球に飲み込まれたことに感心を示す。
そして、鳴尾の目が鋭く光った。
鳴尾が剣を持ち直すと、全身から炎のような蒸気が噴きだし竜の形に変わっていく。
次の瞬間、鳴尾に迫っていた光り輝く球は真っ二つに割れ、目に見えない速さで凛に接近していた。
そして、次に見たものは、吹き飛ばされる凛とケットシー、剣を振り終えた鳴尾だった。
『凛!!』
麗と滝河は叫び、滝河は瞬時に地面を蹴った。
滝河の両足は風と氷に包まれていた。
「つまんねーの」
ケットシーは消え、地面に叩きつけられた凛の身体は動かない。
それを見た鳴尾は明らかに不満そうな顔で呟いた。
ざっと足を開く音が聞こえ、鳴尾がその場所を見る。
「もういいだろ」
倒れている凛の前に立ったのは滝河だった。
滝河は険しい顔で鳴尾を見ている。
「……」
滝河が凛の前に立ったこと、手合わせの間に入ったことに驚いたが、凛に立つ力が残っていないと察したのか、鳴尾は溜息を吐いた。
「そうだな」
滝河の言葉に納得したわけではないし、滝河が間に入ったことが嫌なわけでもない。
ただ、これ以上、相手が戦えないと判断したからだった。
鳴尾達を囲っていた赤いガラスのような結界が消え、瞳も元に戻っていく。
「う…ううっ……」
滝河の背後で呻き声が聞こえる。
それに気づいた滝河は後ろを向いて膝を着く。
「大丈夫か?」
凛に触れることなく、落ち着いて声をかける。
麗も凛に近づいて膝を着く。
「…滝河さん?姉さん?」
ゆっくりと目を開き、意識がぼんやりとする中、凛は視界に映る滝河と凛を見る。
意識がはっきりとしていくと、自分に何が起きたかを思い返す。
「ケットシーは?!」
凛は身体を起こしてケットシーを探そうとする。
けれど、覚醒が解かれていることに気づくと口唇を噛む。
「…ごめんね」
悔しい。
自分が強かったら。
自分が暁との特訓をもっと活かすことができていたら。
結果は違っていたのかもしれない。
「鳴尾さん!もう一度、お願いします!」
次はもう少しうまくできる。そう思い、凛はゆっくりと立ち上がって鳴尾を見る。
しかし、鳴尾は凛を一瞥すると凛達の横を通り過ぎる。
「嫌だ。つまんねーし、もっと強くなったらな」
そう言うと、鳴尾は真っ直ぐ歩いて去っていってしまう。
その態度だけで凛は痛感する。
手合わせと言えど、鳴尾の殺気と強さは本物であり、特訓で暁は手加減していたことを。
もっと強くなったらな。
それは、自分が弱いということだ。
鳴尾との手合わせが終わったら帰ることができる。
そう思っていたはずなのに、悔しい気持ちは胸の奥に残ったままだった。