再生 8 心に抱く記憶
次々に起こる出来事に僕の日常は変わろうとしていた。
恐怖と懐かしい感覚が強くなっている。
乱れた呼吸を整えようとして言葉を失った。
声に気づいた梁木は目を見開いて驚いた。
「水沢さん……?」
そこには三日前と同じ獣の群れが麗を囲んでいた。
梁木の声を同時に図書室の扉が大きな音を立てて閉まり、獣が追ってこないことに気づいたのもその時だった。
獣の群れが扉の向こうにいるかもしれない、そんなことを忘れ、梁木は扉を引いた。力を込めても鍵がかかっているように扉は開くことはなかった。
「危ない!!」
麗の声に梁木が後ろを振り返ると、麗を囲っていた獣の群れの何匹かが梁木に向かって飛びかかった。梁木は咄嗟にしゃがんで避けると、追いかけてくる獣を避けながら麗との距離を縮めていく。
獣の群れは床を蹴り、さっきより速く梁木に向かって体当たりをした。
「梁木君!」
麗が梁木に近づこうとするも、囲まれて身動きがとれない。本棚にぶつかった梁木は倒れた本棚の上で横たわっていている。
「痛…………!!」
梁木はゆっくりと起き上がり、何かに気づいた。
「獣が、増えて…る?」
獣の群れから逃げている時から違和感はあった。さっき、廊下で梁木を追いかけていた獣の群れが集まったかのように図書室には獣が増えていたのだった。
麗は何かを唱えるように呟いていたが、気を取られていて背後から体当たりした獣に押し倒されてしまう。自分に牙を剥く獣を押さえるのに必死だった。
「…どうしたらいいんだ……」
追い込まれて動くことができない。
怖くて震えを抑えるのが精一杯だった。
立ち上がることはできても、獣の群れは梁木を見て威嚇し、じりじりと近づいてくる。梁木は後ろを見ずに一歩一歩後ろに下がる。
初めて見るものだらけなのに、どこかで感じたような感覚が強くなっている。
息を飲むだけでも意識を集中していないと襲われそうな空気の中、梁木の後ろから何か音がした。
ゆっくりと慎重に振り向くと、そこには閲覧用に置かれていたパソコンの一台が触れてもいないのに電源が入り、起動し始める。
「パソコンが……」
「動いた?」
麗と梁木は目を疑った。
獣の群れは警戒しながら様子を伺っている。パソコンの画面が暗転し、触れてもいないのに勝手にキーボードを叩く音が聞こえ、画面に文字が入力される。
ー鍵となる名前を入力してくださいー
「鍵となる名前を入力してください……?」
梁木は文字を目で追い、口にすると更に困惑した。
それを見ていた麗が梁木に向かって叫ぶ。
「本を開いて感じた名前を入力して!!」
獣に自由を奪われている麗の表情に、誰か違う女の子の面影が重なる。
動きやすい黒い服と肩を覆うプレートとマント。色素の薄い青い髪と瞳の少女…。
その時、梁木の身体が大きく震え、パソコンに近づくと虚ろな表情でキーボードを叩く。画面に一文字ずつ入力される。
空気が止まったような気がした。
「カリル…」
一文字ずつ音を発するように呟いた梁木は我に返り、自分の声を驚く。
画面が暗くなり、再び文字が入力される。
ー汝、輪廻に咲く革命者ー
次の瞬間、画面から強い光が吹き出し、梁木と麗、獣の群れまでも眩しさから目を閉じた。
少しずつ光が弱くなり、画面を見ると、そこには短めの剣の柄が埋まっていた。
梁木と麗は目を疑った。
「これは…?」
梁木は画面に吸い寄せられるように剣の柄を握り、画面から引き抜く。画面から風が吹いたようにゆっくりと姿を見せる。
「…短剣?」
歴史の教科書で見るような西洋の短い剣が梁木の手に握られている。戸惑いながらも今まで持っていたかのような感覚で短剣を見つめていた。
それまで身動き一つしなかった獣の群れが突然、雄叫びをあげると、一斉に麗のほうを向いて威嚇し飛びかかろうとした。
「レイナ!!」
危険を感じた梁木は咄嗟に名前を叫んだ。梁木の瞳の色は紫に変わっている。
短剣を構え、両手を前に突き出して頭に浮かんだ言葉を唱える。
「空の一雲薙ぎ払う瞬く光よ、輝く刃となり風を弾け…ライトエッジ!」
梁木の目の前に光り輝く魔法陣が描かれ、そこから無数の光の刃が飛び出した。光の刃は勢いを増して獣の群れ全てに突き刺さる。獣の群れは絶叫し、もがき苦しむと灰に変わり散っていく。
梁木は自分のしたことに驚いて呆然としている。麗の声が梁木の意識を戻す。
「カリルの力だったんだね」
彼女に違和感があった。少しの間があり、梁木が呟く。
「瞳の色が違う…」
「梁木君もね」
獣の群れに襲われた時は気にする余裕はなかったが、麗の瞳は深い水色に変わっている。
「え…?」
「これが覚醒。レイナって呼んでくれたよね?カリルなら私達の仲間…かな?」
自分の瞳の色が変わっている。それを確かめることができずにいると、麗は嬉しそうな表情で笑う。
「はあ…」
梁木は麗の笑顔を見て頬を赤らめ、曖昧な返事をした。
「同い年だし、レイでいいよ」
「…じゃあ、僕もショウで良いですよ。仲の良い人にはそう呼ばれています」
「うん」
二人の緊張が解けそうになったその時、何かを切り裂くような音が響き始めた。図書室を覆う赤いもやみたいな空間が裂けて、そこから誰かが姿を現す。
焦げ茶色のような髪に紅い色の瞳、高等部の制服を着て、左手首には黒いブレスレットを身につけている。大きな長剣を持つ少年は二人を見つけるとにやりと笑った。
「見つけたぁぁっっ!!」
突然の出来事に驚いた二人は剣を構えた。しかし、それより早く、少年は麗の背後に回って蹴飛ばすと、梁木に切りかかる。
「がぁっ!」
梁木は短剣を構えて少年の剣を受け止める。少年の鼻が動いて何かを感じると、何かを待っていたような好戦的な笑みで剣を握る力を加えた。
「この匂い………カリルだな?」
「…どうして、それを?」
少年の力と梁木の力でははっきりしている。梁木は驚きながら剣を受け止めるしかできなかった。
「…つまんねー」
少年は無邪気な笑みから退屈そうな表情に変わり、剣を押した反動で間合いをとると瞬時に梁木の腰を目がけて回し蹴りをした。
「ぐっっ!」
梁木は図書室の壁にぶつかり、痛みを堪え立ち上がろうとする。
「俺は鳴尾彰羅」
「え……?」
「強くなれ!俺を楽しませろ!」
そう言うと、鳴尾という少年は裂けた空間の中に入り、そのまま消えていった。裂け目も無くなり、図書室を覆う赤いもやみたいなのも消えていく。
梁木は咄嗟の出来事に理解できず座ったまま呆然としていた。
「…何だったんだ?」
「ん……」
梁木の隣で倒れていた麗が小さく呻き、頭を押さえながら起き上がる。
「み…、大丈夫ですか?」
梁木は麗の近くに寄り、顔を覗かせる。名前を呼び慣れないのか少し躊躇したみたいだ。
「あ…………うん、だ、大丈夫」
麗は間近で心配する梁木の表情を見て、驚いて顔を赤らめる。
「赤いもや…消えたみたいですね」
「本当だ」
「まだよく分かりませんが…僕はカリルの力を使うみたいですね。そして空間に消えた彼も瞳の色が違った…不思議なことばかりですが、ほんの少しだけ本に興味を持ちました」
慌てて起き上がった麗と、ゆっくり起き上がった梁木は辺りを見回す。さっきまで握っていた短剣がいつの間にか無くなっている。
「短剣が消えてる…」
「それは覚醒してないから。ほら、瞳の色も元に戻ってるでしょ?覚醒して意識を集中してると出てくるよ」
梁木が麗の目を見ると、確かに元の色に戻っている。
「それに…あの人も新入生歓迎会で見たことあります。生徒会と何か関係があるのかもしれませんね」
「生徒会?」
「ええ、確か講堂で見た覚えがあります」
「誰が来るか分からないし、移動しよう」
そう言うと、二人は誰もいない図書室から出て行った。
「だから、保健室はたまり場じゃねえって言ってるだろうがっ…!」
実月は舌打ちをして上着のポケットから煙草とライターを取り出すと、火をつけて自分の椅子に座り踏ん反り返る。鞄を机の上に置いて、白衣を着ていないことから帰る支度をしていたようだ。
「…で、次は梁木が覚醒したんだな?」
「はい」
「誰だ?」
「…カリルです」
「へー……お前、まだ実感してない顔だな」
実月は煙草をくわえながらポケットに手を入れ、不機嫌な顔をしつつ話は聞いていた。麗と梁木は思い出しながら話を続ける。
「なんか図書室にいた獣の群れは変な感じだったよね。ショウが図書室に来て、覚醒するのを待っていたような気がする…」
「どういうことですか?」
実月も梁木も麗の言葉に疑問を抱く。
「最初はユーリと様子がおかしいから図書室に行ったらショウが襲われてて…。今日、また図書室に行ったら獣の群れがいて、囲まれたらショウが図書室に来た。そしたら、いっせいにショウに襲いかかったの」
「僕は廊下を歩いていたら獣の群れが現れて、僕に向かってきたんです。逃げていて扉が開いている場所があって飛び込んだら図書室だったんです」
二人は顔を見合わせる。
「図書室に結界が張ってあったなら、誰かが仕掛けてきたのかもしれねぇな」
実月は短くなった煙草を灰皿で潰すと身体を起こす。
「そうだ、生徒会」
「生徒会?」
実月は麗の言葉を聞き返す。それに答えたのは梁木だった。
「前に見た生徒も、さっき見た鳴尾という生徒も生徒会の人だと思いました」
「実月先生、この学園の生徒会って変わってるよね?」
「そうだな。学園行事も大学部と高等部が一緒のことが多いし、生徒会も大学部と高等部で構成されてるな」
透遥学園は学園行事も多く、それらの行事の運営は生徒会が行っている。
「鳴尾なら生徒会副会長だ。生徒会に学年は関係ないみたいだな」
「そういえば、学園祭の時に見た生徒会長は大学部の生徒だったような気がする」
麗は何か考えて首を傾げる。生徒会のことは余り覚えていないようだ。
「生徒会と本は何か関係あるかもしれませんね」
「…うん」
「さ、今日はもう帰れ。俺は忙しいんだ」
実月は鞄を持つと部屋の電気を消そうとする。図書室でどれくらいの時間が過ぎたか分からないが、時計の針は五時半を指し、空は薄暗くなろうとしていた。
「はーい」
「…失礼します」
それに急かされるように二人は椅子から立ち上がり保健室から出て行く。
実月も部屋の電気を消して保健室から出ると、鍵を閉める。
「不思議な世界か…」
実月は小さく呟いて微笑した。
その頃、悠梨は校舎から学生寮に向かっていた。歩き慣れた道を歩いていると、何かの気配を感じ立ち止まる。
「あたしに何か用?」
悠梨の背後には、いつの間にか高屋が立っていた。
「よく分かりましたね」
「覚醒していなくても貴方の気配くらい気づくわよ」
悠梨は振り返り、強気な笑みを浮かべる。
「結界を張れば良かったですかね」
高屋はわざとらしく溜息を吐いて苦笑している。二人はどこか様子を伺っているようにも見えた。
「…で、何の用?レイならいないわよ」
「流石、ですかね。もうすぐ舞冬祭…貴方は何もしなくても良いんですか?」
「何が言いたいの?」
話が見えないことと高屋の様子に悠梨は少し苛立っている。
「舞冬祭の日は満月みたいですね。月の満ち欠けは力を変えてしまうかもしれません」
「………」
「僕も、ね」
その一言で悠梨は気づいてしまった。悠梨の瞳の色が変わっていく。
「ああ、貴方が本気を出したら僕は逃げなくちゃいけません」
いつの間にか二人の周りには半球形の風が覆っていた。それを見ながら高屋は笑っている。
「貴方こそ、ずっと彼女を見ているじゃありませんか」
「言う必要は無いわ」
「そうですか…では、失礼します」
悠梨が攻撃を仕掛けるより早く、高屋の姿は霧のように消えていく。
半球形の風も消えて、瞳の色も元に戻った悠梨は何かを察して校舎に向かって走りだす。
階段を上り、二階の廊下を早足で歩いていると、職員室から動きやすい服装の中西が出てきた。
「風村じゃないか?そんな顔して……どうしたんだ?」
大きく息を吐いて、悠梨は何かを決めたように中西に告げる。
「中西先生、あたし……舞冬祭に参加します!」
悠梨の眼差しに中西は一瞬、何があったか分からず戸惑っていた。
それは舞冬祭まで一週間をきっていた。