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再生 79 白線のスタートライン

学園祭当日。

いつもの日曜日の朝ではない。

朝、寮の食堂で顔を合わせると、一緒に朝食を摂った。

顔を合わせた時から話題は今日のことばかりだ。

高校生活最後の学園祭だから悔いのないようにしたい。

そのために前日の夜は早くベッドに潜った。睡眠不足だと当日は楽しめない。

そのはずだったが、明日のことを考えると興奮して目が覚めてしまった。結局、寝つけたのは日付が変わってからだった。

そんなことを話しながら、一度、互いの部屋に戻った。


数十分後。

凛の部屋の扉が叩く音が聞こえる。

「開いてるよー」

凛はシャツのボタンを留めながら扉に向かって声をかける。

少しの間の後、扉が開き、麗が顔を覗かせる。

「準備できた?」

麗は凛の部屋に入ると扉を閉める。

「うん」

凛はベッドの上に置いてあるネクタイを取ると、ベッドの横に置いてある鏡の前に立つ。

「慣れたねー」

麗はネクタイを結ぶ凛を見て、にやにやと笑う。

去年、凛が編入した時はネクタイを結ぶだけでも時間がかかっていた。

「毎日、結んでいたらできるよ」

凛は麗を見て苦笑する。

凛が編入する前の学校はセーラー服だったし、二人が通っていた中学校もセーラー服だった。

麗自身も最初はネクタイを結ぶことが難しく、曲がっていることもあった。

ネクタイを結び終え、上着を羽織る。

「行こっか」

「うん」

机の上に置いてある鞄を取ると、二人は部屋から出ていく。

鍵を閉めると、二人は並んで歩き始める。

寮を出ると、校舎に向かう。

近づくたびに、飾りつけられた校舎が目に映り、慌ただしい声が聞こえはじめる、

「楽しみだね」

「うん」

去年は演劇部の舞台に立つことになり、当日まで台本に目を通していた。

緊張して、中々、寝つけなかったことを思い出す。

「一緒に見て回れたらいいな」

麗の隣で凛が無邪気に笑う。

「そうだね」

当番の時間は前もって決まっているが、人が賑わっていたら時間通りに教室を抜けられるか分からない。

それでも、こうして一緒にいることが嬉しいし、今年は一緒に見て回りたいと話していた。

ワクワクしながら、二人は校舎に入っていく。


午前八時半。

生徒達は校庭に集まっていた。

校舎は大きなパネルやポスターが吊り下げられ、校庭や並木道は色とりどりに飾りつけられていた。

校舎から一人の男子生徒が出てきて朝礼台に立つと、それまで校庭で雑談していた生徒達の声は止んでいく。

男子生徒の右腕には生徒会と書かれた腕章をつけている。

手にしている拡張器を受け取ると一礼する。

「これより、透遥学園高等部、学園祭を始めます!」

男子生徒の顔は生徒達と同じように、期待に胸を膨らませているような表情だ。

男子生徒の一声で、校庭にいた生徒達は拍手や口笛、歓声で返す。

教室の窓からも生徒や教師達の拍手や歓声が聞こえる。

麗は周りにいる凛、梁木、大野、佐月を見る。走る前の、スタートラインに立った時の気持ちのようだ。

長くて短い一日が始まる。



三年A組の教室は朝から女性の歓声が飛び交っていた。

廊下から教室を覗く人もいる。

「(まさか、こんなに人が集まるなんて…)」

月代はそれを見て目を疑っていた。

教室では窓や机に真っ白な布がかけられ、クラシックやオルゴールの音楽が流れている。

クラスメイトは皆で協力して作ったメイド服や燕尾服を着て接客している。

決して慌ただしく見せないように、落ち着いて接客すると話し合ったおかげで、賑わっているにも関わらず騒がしいとは感じなかった。

そこまでは理解できた。

月代は学園祭が始まる少し前から、ある一つのことから目が離せなかった。

「お待たせ致しました」

クラスメイトが接客する中、結城は目の前のテーブルにクッキーが盛られたお皿と紅茶が入ったカップを置いている。

「は、はいっ!!」

椅子に座っている女性は顔を赤らめながら結城を見ている。

「それでは、ごゆっくりお寛ぎ下さいませ」

普段、ほとんど聞かないような柔らかい声でそう言うと、結城は一礼して踵を返した。

教室にいる人の大半は結城を見て、まるでアイドルや好きな人に会ったような顔で結城を見ている。

自分も人のことは言えないが、結城が燕尾服を着てA組に来た時から目が離せなかった。

家庭科部が作った燕尾服を着た結城はさまになっている。まるで、前からそれを着ていたように似合っていた。

普段は冷たく、あまり笑ったところを見たことないのに、接客中はほんの少しだが笑みを浮かべている。それに、今日はやや長めの髪を結っていて、いつもの雰囲気とは違う。

それに驚いているのは月代だけではない。

接客しているクラスメイトも、カーテンで仕切られた場所の手前で待機しているクラスメイトも、常にではないが結城を見ていた。

「(似合ってる)」

それに加えて、視線が自分にも向いていることを知っていた。

肩の部分が丸い膨らみがあり、腰回りにはゆとりがある黒いワンピースは足の骨格が隠れるように丈が長めに作られている。白いエプロンとカチューシャにはフリルがあしらわれている。

クラスメイトが着ているものとは違う、月代のために作られたメイド服だった。

そこまで背は高くないとはいえ月代は男子であり、女子とは背丈や骨格が違う。

「(やると言ったのは自分だけど…、自分だけど…やっぱり恥ずかしい! )」

条件を飲んだのは自分だ。

けれど、恥ずかしさで奥歯を噛みしめながら俯いてしまう。

待機していても接客していても人の視線を感じる。

教室の外や中に、規約を書いた貼り紙をしている。無断で写真を撮られるということはないと思いたい。

「月代君、外の列を確認してきてもらえない?」

一人の女子生徒に言われて、月代ははっとする。

「…分かった!」

ぼーっとしててはいけない。

扉についているガラス越しに外の様子は分かるが、次に入るのが何人かは分からない。

席が空いたから案内をしなくてはいけないと思い、月代は教室の扉を開けた。

「次の方ー…」

入口で待機している列を見て、次に待っているのが何人か確認しようと口を開いたその時、待っている人がいっせいに月代を見ると列は崩れ、月代は囲まれてしまう。

「もしかして男の子?」

「嘘っ?!可愛い!!」

「へえー、本当に女みたいだな」

月代の姿が物珍しいのか、さらに好奇の視線を浴びる。

好奇の目で見られるのは分かっていたが、女みたいだと言われても嬉しくない。

慌てて声をあげようとしたその時、月代の肩に手が置かれる。

はっとして振り向くとそこには結城が立っていた。

「…結城先生?」

結城は月代の前に立つと右手を左胸にあてる。

「大変申し訳ございませんが、列を乱されませんようお願い申し上げます」

微笑して一礼する。

「あ…」

「はい」

結城の姿を見た人達は口を開けたままポカンとしたが、すぐにまた列が形成された。

それを見た月代もポカンとしていた。

自分だったら慌てたまま対応していたかもしれないし、こんなにスマートにはできない。

「戻るぞ」

結城は月代に聞こえるようにそう言うと結城は教室に入っていく。

その声は、いつも聞く声だった。

結城の背中を見た後、背筋を伸ばして振り返る。

先頭には二人の女子生徒が並んでいる。

「お待たせしました。中へどうぞ」

月代が右手を教室に向けると中へ入っていく。

その後に続いて二人の女子生徒も教室に入る。

その後、並んでいる列がなくなり、忙しい時が落ち着いたのは二時間後だった。

しばらくすると、結城は他の生徒やお客さんの邪魔にならないよう、クラス委員の女子生徒に声をかけると静かに教室を後にする。

少しして、月代は結城がいないことに気づく。

「(限られた時間って言ってたからな)」

元々、限られた時間の中で手伝ってくれるという約束だった。

他にもやることはあるだろう。

手伝ってくれて感謝の気持ちはあるが、少しだけ寂しいような気分だった。


普段より賑わう廊下を歩いて生徒会室の隣にある資料室に向かう。

扉を開けて中に入り、扉を閉める。

「ふう…」

人の気配と視線が無くなったことが分かると、結城は大きく息を吐く。

壁に掛けられている時計を見ると、もうすぐ十二時だ。

約束通り、午前中の手伝いを終え、人が少なくなった時を見計らって教室を後にした。

三年生の教室がある四階から生徒会室がある五階に移動するだけでも、何度も声をかけられた。

道案内や写真撮影は想定内だが、ただ立ち止まった自分の姿を見たいだけに声をかけられるということは考えていなかった。

「(生徒や来場者が楽しそうなのは良いが、やはり、私は表向きではないな)」

仕事は仕事で割りきるタイプだが、表に出て何かするよりは裏で動くのが性に合っている。

タイを緩めると、そのままを足を組んで椅子に座った。

「…たまになら悪くはないな」

腕を組んで目を閉じる。

表に立つのはそれに向いている人物だけでいいが、不快な疲れではなかった。

机の上には結城の私服が置いてある。

朝、燕尾服に着替えた場所もここだった。

着替えて校内の見回りに行こうとした時、扉をノックする音が聞こえる。

こちらの反応を待たずに扉は開かれた。

やってきたのは神崎だった。

「戻ってきていたか」

「神崎先生」

やって来たのが神崎だとわかると、結城は組んでいた足を直して椅子から立ち上がる。

生徒会室と資料室は一般の人は立ち入り禁止になっている。

生徒会役員や神崎がここに来ても何も問題はない。

「私に代わってやってもらいたいことがある」

神崎は笑っていた。



「はい、正解です!」

麗は手渡された紙を見て確認すると、笑顔を向ける。

「あちらで景品をもらってください」

入口付近に控えている大野を指すと、紙を返した。

麗と大野がいる教室はたくさんの風船に囲まれていた。色とりどりで形も色々なものがあり、バルーンクイズと名付けた。

様々な風船にクイズが書かれた紙を貼り、入口で受け取った紙に書いていく。答えを該当する場所に書いていき、最後の答えを書いていくと、それに応じて景品を渡すというシステムだ。

バルーンアートとクイズ、クロスワードを掛け合わせたものようで、クイズも歴史からスポーツ、生活の雑学など多岐に渡り、教室内には紙を見ながら頭を悩ませている人が多かった。

因みに、最後の答えまでたどり着けなくても、それまでの解答数に応じて景品はもらえる。

飾りつけは時間がかからなかったが、クイズとクロスワードの図式を考えるのが大変だった。

クラスの中にクイズやゲームが得意な人がいて、彼らから出てくる知識や情報に脱帽したことを思い出す。

入口を見ると、そこに立っていた大野が交代のためか、一言二言、言葉を交わしている。

「水沢さん、交代だよ」

気がつけば、自分の前にも男子生徒が立っていた。

「うん」

麗は上着のポケットに入れたクイズの答えが書かれている紙を取り出して、男子生徒に渡す。

時計を見ると、予定の時間だった。

「麗さん、行きますか?」

「うん」

事前に、休憩時間と交代する人を決めておいて、うまくいけば一緒に校内を見ようと話していたのだった。

麗と大野は教室から出ていく。

教室を出ると、朝よりもお客さんが増えていた。

「後は…」

麗が辺りを見ると、二つ隣の教室から凛と梁木が出てきた。

「姉さーん」

「お待たせしました」

麗に気づいた凛は手を振りながら近づき、その後ろを梁木が歩く。

「ちゃんと交代できて良かった」

「うちのクラスは、最初はそんなに人は多くなかったけど、段々と忙しくなってきたよ」

凛と梁木のクラスはフリーマケットだった。

使わなくなったものを持ち寄り、値段をつける。値札に誰が出品したか分かるように目印をつけ、売上は各個人に入る。

生徒は自分が出品したものと値段を紙に記し、他の人が不正をしないようにチェックするらしい。もしも、不正をした場合、相当の処置があると担任から言われている。

「佐月さんは部活のステージがあるから一緒には行けないって、直接、言いに来てくれたよ」

「三年間、ずっとダンス部なんですよね」

踊ることが好きだという佐月は、ダンス部の発表で校内のどこかにいるらしい。

ダンス部では幾つかのグループに分かれ、講堂や校庭の野外ステージ、または思わぬ場所でそれぞれ踊るらしい。

「引退して、後は二年生に任せてるみたいだけど、やっぱり踊るのが好きだから部活動のメンバーで何かやりたいって言ってたからね」

「時間が合うなら見に行きましょう」

梁木が腕時計を見ながら提案する。

「うん」

四人は頷くと、廊下を歩きだした。

「どこから見る?」

「せっかくだから、まずは何か食べたいな」

大野と梁木は通行の邪魔にならないように端に寄ってパンフレットを開く。

「三年生の教室ならA組のメイドと執事喫茶、B組の甘味処…。色々と食べるなら校庭に出たほうがいいですね」

「二年生の教室は三クラス分使ってお化け屋敷ですか…」

「お化け屋敷!」

梁木の言葉に凛の顔が引きつる。

「行かないから大丈夫だよ」

麗が苦笑しながら凛をなだめる。

「あ、私、食堂のおばちゃんのプリンが食べたいし、講堂のステージも行きたい」

食堂でたまに販売している自家製プリン。

その人気は教師の間でも広まり、販売する日は食堂には多くの人が集まるほどだ。

学園祭の時は、口コミが広まって卒業生や来場者も買いに食堂に集まっている。

「料理部との協力で早い時間に完売することはないと思いますが、早目に行きましょうか」

梁木の言葉に三人は頷くと、校庭に向かう。


靴を履き替えて校庭に出ると、多くの出店が視界に広がった。

様々な場所で呼び込みが聞こえ、食欲をそそられる音と香りが空腹を刺激する。

出店の看板やポスターも色とりどりで、まるで夏祭りのことを思い出すくらいだった。

「お腹すいた!」

「焼きそば、たこ焼き、クレープ、チョコバナナ…。あっ!ジュースバーだって!」

見ているだけで目移りするし、自然とテンションは上がる。

「色々買って少しずつ分けますか?」

梁木はその様子を笑顔で見ている。

麗や凛の気持ちが分からないわけではない。

お腹が空いているのは自分も同じだし、種類も被っていないとなると、選ぶにも限度がある。

「皆、食べたいものが違いますし、座って食べるなら早目に買ったほうが良いと思いますよ」

梁木の隣で大野も笑っている。

「じゃあ、それぞれ食べたいものを買おう」

「まだ椅子も空いてるし、買ったらあそこに行こう」

凛が指さしたのは、野外ステージの前に設置してある複数の椅子と机だった。

悩まずにぱっと提案するのは、麗も凛も待ちきれないのだろう。

「分かりました」

「じゃあ、また後で」

その一言で、四人は散り散りに分かれた。

約五分後。

野外ステージの前に設置してある机の上には、たくさんの食べ物と飲み物が並んでいた。

「いい具合にばらけましたね」

「割り箸もいくつかもらったので分けられますね」

大野と梁木の前にはから揚げとミニカステラ、焼きそば、イカ焼きが並んでいる。

「凛…それ、何?」

麗は隣に座る凛と、目の前に置かれている飲み物を見た。

凛の目の前には四つの飲み物が置いてあるが、明らかに複数の色が混ざったような色をしている。

「皆が食べ物を選ぶと思って、あたしは飲み物にしようとジュースバーにしたんだ。…そしたら、美術部の出店みたいで、見たこともない漢字の紙とか貼ってあって、そこから三つ選んでジュースを作ってくれるシステムで…」

不安な声で説明する凛を見た後、三人は出店を見た。

出店には数十枚の紙が貼られていて、見慣れない漢字が書かれている。

「何、あれ?」

麗も首を傾げる。

看板には『美術部の四季彩 ジュースバー』と書いてあるだけで、どんなものを使用するか分からない。

カラフルな紙に書かれている文字は見慣れないものもある。

「飲めない、食べられないものは思いますが、漢字から色や食べ物を連想させるのは、中々、難しいですね」

「紅、躑躅(つつじ)蒲公英(たんぽぽ)、橙、萌黄(もえぎ)、菖蒲、藍墨、乳白色、栗色…大体、どんなものか想像できますが、一瞬、悩みますよね」

麗と凛の反応とは違い、大野と梁木は紙を見ながら考えている。

『分かるのっ?!』

麗と凛の声が重なる。

書いてある紙が全く読めないわけではないが、見慣れないものもある。

大野と梁木は、それが何か理解していたのだ。

「ついてきてもらえば良かった…」

「まあまあ、食べ物も冷めちゃうし、食べよう?」

麗は落ち込む凛の肩をポンポンと叩く。

「…うん」

ジュースバーでよく分からず選んでしまったが、販売している美術部員のアドバイスのおかげで、ちゃんと飲めるものになったと思いたい。

気を取り直した凛は上着からカメラを取り出して構える。

「写真、撮ってもいい?」

カメラを三人に向けると、一言伝える。

「凛さん、朝からずっと撮ってますね」

「思い出はいっぱいあったほうがいいしね」

学園祭の準備をしている時もカメラは持っていた。

思い出はたくさん残したい。

そう思い、凛はできる限りカメラで撮影していた。

「いいですよ」

その気持ちが分かり、大野は了承する。

「じゃあ、いくよー」

麗、梁木、大野はレンズに向かって笑う。

「はい、チーズ!」

シャッターをきる音が聞こえると、カメラを上着のポケットに入れる。

「さあ、食べましょう」

梁木は割り箸をそれぞれの前に置く。

「あ、佐月さん!」

麗の声を聞いて、凛は麗が向いている方を向く。

周りにいる人達が拍手を送り、人気のアイドルグループの音楽が流れだす。野外ステージに何人かの生徒と佐月が上がり、音楽に合わせて踊り出した。

「この曲、最近、よく聞くよね」

「この前、テレビで見た。すごい…完璧!」

ステージの上で笑顔で踊る佐月らは、テレビで見るアイドルグループと全く同じ動きだった。

凛は周りと同じようにカメラを向けて、シャッターをきる。

曲が終わると、いっせいに拍手と歓声が沸き起こる。

佐月の笑顔は誰よりも輝いていた。


凛が選んだ飲み物も思いの外、悪くなく、食べ終わると、再び校舎の中に入った。

一階の廊下を歩いていると食堂が見える。

「去年も一昨年のプリンもおいしかったなあ」

「あたしは食べたことない。まだあるかな?」

プリンの人気は知っていたが、凛は去年の学園祭で食べることができなかった。

「去年も一昨年もトウマがいたから…今年もいるのかな?」

麗が呟いた言葉に反応したのは大野だった。

「トウマ様…」

大野の顔が曇る。

麗や梁木が抱く気持ちと、大野が抱く気持ちは違う。

大野がトウマに抱く気持ちは、物語でターサがスーマを思うような気持ちだった。

お昼から講堂で行われるライブに間に合えば、トウマに合うことはできるだろう。しかし、それはバンドのボーカルのトウマであり、麗達が知っていたスーマの能力を持っていたトウマではない。

しんみりした空気が流れ始めたが、食堂に近づくにつれて見えてくる人だかりに四人は驚いた。

食堂は普段と違って、生徒以外の人もいる。多くの人で賑わっていた。

カウンターの角には『食堂特製カスタードプリン』と書かれたきらびやかなポスターが貼られ、その下にはエプロンをつけた体格のいい女性が立っていた。

「あ、あれ!」

「今年もすごい人だねー」

食堂のおばちゃんという愛称で生徒から親しまれている女性の前には二十人ほど並んでいる。慌てる様子もなく、一人でてきぱきと動いていた。

その様子を初めて見た凛は、口を開いたまま驚いている。

「私が買ってくるから、皆は待ってて」

「あ、あたしも行く!」

麗は三人が返事をするより早く列に並び始め、凛も麗の隣に並んだ。

数分後、人を掻き分けて麗と凛が入口に近い場所に戻ってきた。

両手で器用にプリンと小さなスプーンを二つずつ持っている。

「あれ?」

梁木と大野がいる場所に戻ると、そこにはプリンを三つ持っているカズとフレイがいた。

「カズさん?フレイさん?」

凛の声に気づいたカズとフレイはにこやかに手を振っている。

「どうして食堂に?」

凛が二人に質問した隣で、麗がそれに気づいた。

「もしかしたら…、トウマですか?」

去年は一緒にプリンを食べたし、一昨年は人混みの中でプリンを食べているトウマを見た。

「そうだよ」

「本番も近いのに、トウマ様が買ってきて欲しいって言うからさ」

カズとフレイは苦笑する。

癖が抜けないのか、カズとフレイは今でもトウマに様をつけて呼んでいた。

「プリンを買って人混みを抜けたら、大野ちゃんと梁木くんがいたからさ」

「他に誰かいると思って」

「麗ちゃんと凛ちゃんも並んでいたんだ」

「僕達とすれ違ったんだね」

無事にプリンは四つ買えたが、人混みを抜けるのに周りまで見えていなかった。

「休憩?」

「時間があるならさ、僕たちのステージ見に来てくれる?」

カズとフレイはにっこり笑いながら麗と凛に顔を近づける。

「あ…!」

「ま、間に合うなら行こうかなって!」

顔が近い。

人のことは言えないが、カズとフレイもよく似ている。それにかっこいい。

麗と凛はたじろいでしまう。

『待ってるね』

二人同時にそう言うと、食堂を出て右に曲がっていった。

「見に行きますか?」

カズとフレイの背中を見ていた梁木は、顔の向きを麗達に戻す。

梁木からそう言われると思わなかったが、麗、凛、大野も同じ気持ちだった。

「プリン食べたら行こうよ」

凛は大野にプリンとスプーンを一つずつ渡す。

「そうだね」

麗も梁木にプリンとスプーンを渡す。

一昨日や去年と違い、今年のプリンには蓋がなく、クリームが乗っている。固めにできていて角がたっていた。

四人はスプーンを突き刺してすくい、口に入れる。

「おいしい!!」

一番先に反応したのは凛だった。

「生クリームが乗っているから甘いと思ったけど、プリンがそんなに甘くないからちょうどいい感じ」

「いつものプリンより柔らかくて、私はこのプリンも好きです」

「濃厚なのに食べやすいです」

普段、食堂で販売しているプリンとも学園祭用のプリンとも違う味わいに、四人はただ黙々と食べていた。

『ごちそうさまでした』

四人は食堂の角にある返却口に空の容器とスプーンを置くと、人混みを抜けて食堂を出る。

「二人に時間があるなら行こうか」

麗と大野は同じ休憩時間が組まれている。

今からトウマのライブを見てから戻っても問題はない。

「僕達も時間はあります」

梁木と大野も頷いて答える。

大野の表情が少し曇っているのは、トウマのライブを見たことがないのか、自分が知っているトウマがもういないことを悲しんでいるのか。

四人は食堂を出ると、カズとフレイと同じように右に進み講堂に向かう。


午後一時。

講堂では多くの人が集まり殆どの席が埋まっていた。

端の方だが、なんとか四人で見られる場所を見つけると、椅子に座った。

「席が空いていて良かったですね」

「うん」

梁木と凛の声を聞きながら、麗は一昨年のことを思い出して上を見る。

一年生の時は実行委員であり、二階の通路で見ていた。

二階の通路は照明や音響機材が配置され、実行委員の生徒が機材を動かしたり、他の生徒と打ち合わせをしている場所だ。

二階に行けるのは実行委員だけで、座れないが舞台を見渡すことができる。

「(あれから二年か…)」

二年前の学園祭をきっかけに、ゲームと同じ内容の本を見つけ、それと同じことが現実で起きている。

麗が考えていると、照明が暗くなり、放送が流れる。

「まもなく、午後の部を始めます。まずは『SPARK(スパーク)』の特別ライブです!」

放送の声と同時に拍手や歓声が沸き起こり、周りにいる人達がいっせいに椅子から立ち上がった。


舞台の幕が上がる。

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