再生 77 はじまる前の波紋
いつからだろう。
あいつが透遥学園に編入してきて、最初に会った時はただ似ているというくらいだった。
能力者だと知ったのは今年の二月の始め。思っていた通り、あいつはティムの力を持っていた。
ティムの境遇を考えると、能力者であってほしくないと願うのは皆、同じだ。無理に聞くのも酷だ。
最初は双子の姉と同じで、能力者になってほしくない、本の存在を知ってほしくないと願うくらいだったが、常に一緒にいることはできない。
実際に、あいつが覚醒したのは学園祭後、姉妹の間にわだかまりができたのは冬休みらしい。
二つ年が離れているし、大学生の自分にとって、たまに高等部に行くことはあっても頻繁に向かうことはない。
少しずつ、ふとした時にあいつのことを考えるようになった。
それは、物語と同じにならないように。それだけの気持ちだった。
けれど、今は気になる存在に変わった。
今、思えば、あの時も無謀だったが、気づいたら魔法を使っていたし剣を構えて走り出していた。
剣を振り上げた時、ようやく相手が誰なのか分かったくらい冷静ではなかったのは自覚している。
彰羅も物語に倣って師匠と呼んでいる人物だった。案の定、簡単に反撃されてしまった。
情けない姿も見せてしまった。
自分でも、どうして動いたか分からない。
放っておけない、むず痒いような気持ちはなんなのだろうか。
それが何か分からないし、胸の奥で小さくノックされているようだ。
気づいてるんでしょう?
誰かがそう言って微笑んでいるようだった。
十月下旬。
高等部では週末の学園祭に向けて、様々な場所で準備が行われていた。
校庭では屋台やステージの設営が行われ、校舎と講堂、体育館を繋ぐ通路は生徒が慌ただしく行き来している。
「週末か…」
大学部の校舎を出た滝河は、左に見える高等部を見ながら並木道を歩いていた。
大学部の学園祭は一週間後。もう少ししたら大学部でも大々的に準備が行われる。
「純哉!」
滝河がそう思っていると、背後から名前を呼ぶ声が聞こえる。
声に反応して立ち止まって振り返ると、鳴尾がこちらに向かって走ってくるのが見える。
「彰羅」
鳴尾が自分に近づくと、それを見てから再び歩きだす。
「久しぶりだな」
滝河は鳴尾の顔を見て、思っていることを口にした。
鳴尾とは家が近くて、小さい頃からよく一緒に遊んでいた。付き合いも長い。
歳も一つ違うし、受けている講義も違う。
校内で見かけることはあっても、こうして話すのことはあまりなかった。
「ああ」
鳴尾は犬歯を見せて笑うと、高等部を見る。
「もうそんな時期か」
滝河も鳴尾も高等部にいた時は生徒会に所属していた。その時は行事を把握していたが、卒業するとその感覚も薄れていた。
思っていたより大学生は忙しいのだ。
「俺達も来週になったら、こうなるさ」
鳴尾と一つ違う滝河は去年のことを思い出す。
一年生の時は授業の受け方や夏休みの長さに驚き、学園祭の規模の大きさにも驚いていた。
「なんか、ついこの前まで高校生だったのが懐かしいなー」
鳴尾が高等部を卒業したのは今年の三月だ。
月日の流れるのは早い。
「そういえば、去年の九月に高等部の屋上で師匠と火の精霊がいたんだっけ?」
鳴尾は高等部の校舎の屋上を見る。
屋上には複数の生徒が集まっている。
「ああ。先月も、暁さんとサラマンドラが屋上にいた。その時は、水沢の妹の特訓だったようだ」
校内で会うのは久しぶりだが、物語のことはメールで連絡をして情報を共有していた。
鳴尾は細かいところまで伝えなくてもいいと言っていたが、それができない性分なのか、滝河は何かあると鳴尾に連絡していた。
滝河は一ヶ月前のことを思い返して鳴尾に話す。
「師匠は水沢の妹も特訓したのか。…一度、手合わせしてみたいな」
鳴尾は何か期待に胸を膨らませているようだ。
高等部を卒業してから鳴尾が高等部に足を運んでいるかは分からないが、何となく、鳴尾は察しているようだ。
滝河は鳴尾に疑問を投げかける。
「彰羅、物語は読んでいるか?」
卒業してから頻繁に足を運んでいるつもりはないが、高等部の図書室にある本はいつ続きが書かれるか分からない。
最初は殆どが余白だったが、一定の間隔で物語の続きが書かれている。
「…あー、そういえば、いつ読んだかな。気にしてない」
鳴尾は空を見ながら少しだけ思い返す。
鳴尾も同じ物語に関わる能力者だが、いつ、どこで、誰が、どうなっているか深く気にしないのは知っていた。
「俺も最近は確認してないが、第六章の途中までは読んでいる」
「へえー、そんなに進んでるのか」
そう言うと、鳴尾は上着のポケットから携帯電話を取り出した。
ボタンを押して時間を確認すると、携帯電話をポケットの中にしまう。
「よし、今から高等部に行くか」
そう言うと、鳴尾は校門の手前で踵を返し、真っ直ぐ歩き出した。
「おい!高等部は学園祭の準備中だぞ?!」
滝河は鳴尾を止めようとする。
普段は高等部の生徒が授業を受けている時間や放課後に行くことが多い。
学園祭の前という慌ただしい時に行くのは迷惑ではないだろうか。
滝河はそう思っていたが、鳴尾は滝河の思惑とは関係なく歩いていく。
「俺らは学園の生徒だし、運良く水沢の妹に会ったら手合わせでもするだけだ!」
「あいつらにとって最後の学園祭だ。せめて、学園祭が終わってから手合わせすればいいんじゃないか?」
鳴尾とのつき合いの長い滝河は、鳴尾が一度言ったことを曲げないのは知っていた。それなら、せめて学園祭が終わるまで待つことはできないか。
滝河はそう思いながら、鳴尾の後についていく。
「手合わせしたいのは水沢の妹だけじゃねえし、来週になったら、大学部の学園祭の準備があるだろ?」
鳴尾は振り返り笑って答えると、また前を向いて歩き出した。
いつものことか。
そう思って一息吐くと、滝河は鳴尾に続いて来客用の入口に向かって階段を上っていく。
高等部の来客用の入口は二階にある。
一階は生徒と教師の下足場であり、大学部の生徒は来客用の下足場を利用する。
外の階段を上り、扉を開ける。
滝河と鳴尾は来客用のスリッパに履き替えると、学生証を取り出して受付に提示した。
中等部や大学部の生徒が高等部に入る場合、学生証を提示しなければならない。
学園内は守衛する人が常駐していて、怪しまれることをしなければ良いだけだが、防犯のため声をかけられることもある。
受付で学生証を返してもらうと、後方の階段を上がっていく。
来客用の入口や受付周辺は普段と変わらず綺麗だが、廊下や階段には幾つもの段ボールが重なっていたり、描きかけの看板が端に寄せられていた。
「もう、一年前なんだな」
それを見た鳴尾は懐かしみながら笑う。
たった一年。
高校三年生と大学一年生は違う。
制服と私服の違いだけではない。目に見えない大きなものがある。
「俺も去年は似たような感じだったな」
滝河が大学部に進学してから初めて高等部に足を運んだ時、違和感を覚えた。
少し前まで高校生だったのに、三月から四月の一ヶ月で大学生になった。高校三年間で染み付いた習慣や感覚は、中々抜けなかったのだ。
三階に着いた二人は扉が開かれている図書室に入ろうとする。
その時、近くで声が聞こえる。
「滝河さん?鳴尾さん?」
声に気づいて振り返ると、そこには段ボールを抱えた大野が立っていた。
「…大野?」
滝河の反応が少しだけ遅れたのは、大野が髪をまとめていたからだった。
いつも髪を束ねているが、髪をまとめていると、髪が短いように見える。
「お二人が一緒に高等部にいるのは珍しいですね」
大野は二人に近づくと、段ボールを抱えたまま一礼する。
大野と鳴尾は一つ、滝河とは二つ年が離れている。高等部を卒業した滝河と鳴尾が高等部にいることも、三人が揃うのも珍しい。
「彰羅が物語の続きを読みたいそうだ」
「水沢の妹と手合わせしたいからだ」
滝河の言葉に重なるように鳴尾が答える。
「…えっ?!この時期にですか?!」
大野は声に出して驚く。
高等部の学園祭は週末だ。
生徒も教師も忙しく駆け回っている。それを、滝河と鳴尾が知らないはずはない。
けれど、鳴尾の性格は真っ直ぐであり、嘘を吐いたことを見たことがない。
冗談と思いたいが、鳴尾の顔を見て冗談と思えなかった。
恐らく、彼の言っていることは本当だ。
それを分かっていて、滝河も大野もそれ以上は追求しない。
ふと、滝河は大野が抱えている段ボールを覗きこむ。
「…風船?」
段ボールの中にはたくさんのしぼんだ風船と、手動で空気を入れる道具が入っていた。
「はい。私のクラスはバルーンアートとクイズを掛け合わせたものをやるんです。三年生は今年最後の学園祭だから部活動で出し物をする人が多くて、その中でやれるものをやろうと思ったのです」
膨らませた色とりどりの風船を教室に飾り、風船には番号が書かれた紙が貼られ、その番号に振り当てられたクイズを答えるというものらしい。
「大野も三年生なんだよなー」
話を聞きながら鳴尾はうんうんと頷く。
自分が大学生になったということは、大野も進級したということだ。
「月日が経つのは早いな」
滝河も少し懐かしむように笑う。
二年前は三人は高等部の生徒会役員であり、その時にはすでに物語に関わり覚醒していた。
「三年生に進学して、一学期はそこまで感じなかったのですが、夏休みに入って、二学期になったら合唱会の練習に体育祭の準備、一息吐く間もなく学園祭の準備…。本当に月日の流れは早いですね」
全く休息を取らなかったわけではない。
毎日ではないが礼拝堂には顔を出すし、放課後に寄り道をすることもある。夏休みもオープンキャンパスはあったものの、生徒会企画の肝試しに参加したり大切な仲間と夏祭りも行った。
慌ただしく感じた日々を思い出しながら、大野はそう答えた。
合唱会は去年、初めて行われて今年で二回目。
競いあうというよりは、歌うことの楽しさを知ってほしいという趣旨らしい。
滝河は合唱会を知らなかった。
「…あ、申し訳ありませんが失礼します」
「呼び止めてすまなかったな」
その言葉で滝河も鳴尾も気づく。
恐らく、教室に戻るところだったのだろう。
大野は一礼すると、慌てて階段を上っていく。
階段を上り、大野が四階の廊下を歩いていると、横から悲鳴に似た歓声が聞こえる。
「…A組?」
去年、同じクラスだった人に聞いた時はA組はメイドと執事喫茶と言っていた。
何が起きているか気になったが、今は教室に戻ることが先だ。
足を止めて考えたが、大野は自分の教室に向かった。
「来年、卒業か…」
約四ヶ月後には高等部を卒業する。
滝河と鳴尾にも話したが、三年生に進級してから月日の流れがより早く感じるようになった。
一年生の一学期、ふと立ち寄った図書室で『WONDER WORLD』を見つけた。
それまでSFやファンタジーものはあまり読まなかったが、何故か惹かれるものを感じて本をめくったのがきっかけだった。
それから、トウマに出会い、理由も分からず膝をついて涙を流した。
物語に登場するターサと自分が重なったのかもしれない。
滝河や鳴尾達にも出会い、所属していた生徒会の役員について考察するようになった。
トウマと義理の兄弟である滝河と物語について話すようになり、物語の続きが書かれるたびに周りに能力者が増えていった。
「(物語はどうなるんだろう…?)」
あれから物語の続きは書かれていない。
進路について考えたり、行事が続いていたこともあり、授業以外で図書室に行くことが難しくなったのだ。
授業で図書室に行くことはあっても、本を読む時間があるわけではない。
大野が自分の教室に着くと、扉が開いていて、賑やかな声が聞こえる。
大野が教室に入ったと同時に、それまで女子生徒達と話していた麗が大野に気づいて振り返る。
「あ!大野さん、おかえりー」
大野が戻ってきたことに気づいた麗は椅子から立ちあがり、大野が抱えている段ボールを受け取る。
「見つけるの時間かかった?」
予定した時間より遅かった。
三階の空き教室から風船を取ってきてほしい。生徒に言われて、頼まれたのが大野だった。
「いえ、図書室の前で滝河さんと鳴尾さんに会って、少しだけ話していたんです」
大野は麗が聞こえるくらいの声で答える。
誰かと会うことはあっても長々と話していては、待っているクラスメイトに心配をかけてしまう。
しかし、麗には一応、伝えておこうと思ったのだ。
「滝河さんと鳴尾さん?二人がこの時期に高等部にいるの珍しいね」
大野の言葉に対して、麗も大野と同じような不思議な顔をする。
同じ敷地内だが高校生と大学生では授業の時間や行事が違う。
大学部の学園祭は来週末だ。まだ準備が始まった段階で余裕があるのかもしれない。
大野は麗に近づいて耳打ちした。
「物語の続きを読みたいと言っていましたが、…鳴尾さん、どうやら凛さんと手合わせしたいそうです」
「えーーーーっ!!」
内緒話だと思って耳を傾けたが、思わぬ言葉に麗は声をあげて驚く。
驚いた拍子に手を離してしまい、段ボールが床に落ちてしまう前に間一髪で大野が受け止める。
麗の声に驚いて教室にいる生徒達はいっせいに麗と大野を見た。
「あ!何でもない!何でもない!」
自分の声と周りの視線に気づいた麗は、周りを見て慌てて手をパタパタと振っている。
「ど、ど、どうして…!」
咄嗟に言葉が出てこない。
この時期に、週末の学園祭の準備中に、鳴尾は何を考えているのだろう。
鳴尾はヴィースの能力を持っている。
ヴィースのように骸霧という大きな剣を使い、魔法は使わない。というより、魔力は強いが魔法は使えないなしい。
自分が傷ついても立ち止まることを恐れず戦い、戦うということを身体全体で楽しんでいるような人だ。
「多分、鳴尾さんはそこまで深く考えていないと思いますよ」
麗が考えている間、それを察するように大野が苦笑して答える。
「それに、今日、凛さんと鳴尾さんが会えるとは思えませんしね」
「そ、そうだよね」
時計を見ると、四時を過ぎていた。
生徒の約半分が部活動に行っていて、教室に残っている生徒は話しながらそれぞれの作業をしている。
他のクラスでも学園祭に向けて準備をしている。
鳴尾と凛が会う可能性は低いだろう。
「学園祭、頑張ろう!」
「はい!」
何をしても高校最後の学園祭。麗達も自ずと気合いが入る。
二人は笑いあい、風船を膨らましているグループの輪に入っていく。
約三十分後。
滝河と鳴尾は図書室の奥にいた。
濃い青色の本を手にしていた鳴尾は本を閉じる。
「思った以上に進んでるんだな」
「…まさか第三章から読んでいなかったとは」
鳴尾の隣で滝河は少し呆れていた。
あまり細かいことを気にしない性格は知っていたし、本を読むのがあまり好きではないことも知っていたが、物語だけは少しは読んでいると思っていた。
鳴尾も物語に関わる人物の一人だ。
「学園内と言っても、高等部にしょっちゅう行く訳じゃねーし、本はそんなに読まないからな」
「そうだな」
鳴尾の言うことはもっともだった。
学園内と言っても、大学生には講義や部活がある。高校生と時間の使い方が違うし、本を読むのが好きではないなら図書室に行くこともあまりないだろう。
しかし、滝河はもちろん、トウマは何かないか高等部に訪れていたし、物語の続きが書かれていないか気にしていた。
物語は第六章の前半から書かれていなかった。
「ざっと読んで、大体は把握した。ヴィースと師匠は第一章以降、出てきてないし、第二章は火の精霊とスーマが出てきた」
「第二章に出てきたアーヴァは音楽の内藤先生、フィアは三年の佐月が能力を持っている。内藤先生は去年の合唱会の前に、能力を封印された。第三章に出てきたティアは中西先生、第五章に出てきたミスンは三年の橘という女子生徒が能力を持っている。橘は物語と同じ術を使って、マリスの能力を持つ月代に同化するように消えて…そこから消息は分からない」
「詳しいな」
「俺は水泳部の様子を見に行くついでに図書室に寄ってるし、水沢達からの連絡で情報を共有している」
滝河の言葉に鳴尾は関心を示す。
自分は鳴尾のように細かくできないし、水沢達と連絡を取ることはしない。
滝河とトウマの連絡先は知っているし、トウマが以前、自分と連絡がつかない時のためと言ってカズとフレイの連絡先を携帯電話のアドレスに登録していたことを思い出す。
「フィアとティアか」
鳴尾は物語に登場するフィアとティアに興味を示す。
フィアは大天使のユルディスに使えている巫女であり、ユルディスと同じ有翼人かは分からないが、物語の過去で、幽閉されていたスーマを助け、転移の魔法や見たことのない魔法を使う。
ティアはレイナが生まれ育った村を出て知り合った女性だ。魔法を使わない代わりに、魔力のこもったカードを使い、自らの身体を剣に変えることができる不思議な体質を持っている。
マーリの師であるブロウアイズを師と仰いでいる。
「フィアは佐月、ティアは中西先生だな」
何か考えると、それより先に滝河が声をかける。
「彰羅、水沢の妹と手合わせするのは今度にしたらどうだ?」
鳴尾が思った以上に読んでなかっため、思っていたより時間が経っていた。
壁に掛けられている時計を見ると、四時半を過ぎていた。
滝河は水沢達に、高校最後の学園祭を楽しんでほしい、準備の邪魔をしたくないという気持ちだった。
鳴尾も滝河の言いたいことに気づいていないわけではなかった。
「高等部を出るまで水沢の妹に会わなかったらな」
そう言うと、鳴尾は持っている本を本棚に戻す。
本棚に本を戻して図書室を出ようと歩き出そうとした時、何かに気づく。
「どうした…」
滝河が鳴尾に触れようとした時、滝河もまたそれに気づいた。
「声が聞こえない」
学園祭の準備で図書室にも人はいた。
それなのに、いつの間にか人の声も気配も消えていた。
滝河に背を向けていた鳴尾がくるりと振り返る。
鳴尾の瞳は紅色に変わっていた。
「覚醒してる」
周りをよく見ると、図書室は黒いもやで覆われていた。
「ん?」
鳴尾も滝河と同じように見た後、滝河の顔を見る。
「純哉、オッドアイだったか?」
「あ、彰羅は見るのは初めてだったな。二学期の終わりに、高等部で師匠…静さんと会って力をもらったんだ」
「へー」
それまで、覚醒すると瞳は薄い水色だったが、ブロウアイズの能力を持つ静に会い、右目だけ静と同じ深い青色に変わったのだ。
「結界が張られているということは、どこかに能力者がいるかもしれないな」
辺りを見ながら歩こうとする滝河に対して、鳴尾は気にする様子はなく入口に向かって歩こうとする。
『!!』
それはすぐに起きた。
それまで互いを見ていたが、本棚の影から何かが見える。
本棚が並ぶ場所から本を読む場所、そこから図書室全体にそれはいた。
長い体毛に尖った牙と耳、こめかみには太い角が生えた獣と、それより一回り大きく、大きな太い角を生やした獣が牙を剥いていた。
「これは…去年、食堂で遭遇したデビルデーモンとダークデーモン?!」
「なんか見たことあると思ったら、あの時か!」
鳴尾も思い出したように声をあげる。
「(…圧倒的に数が多い。俺と彰羅でやれるのか…?)」
滝河は考える。
自分と鳴尾以外に人の気配はない。
結界が張られているということは図書室から出られるとは限らないし、二人で太刀打ちできるか分からない数だ。
自分に不利な状況の時、少なからず慎重になってしまう。
判断を間違えると痛い目を見る。けれど、長く考えている時間はない。
滝河が考えていると、いつの間にか鳴尾の右手には大剣が握られていた。
「最近、動いてないから鈍ってたんだよな!!」
履いているスリッパを蹴るように無造作に放る。
犬歯を見せてニヤリと笑うと、大剣を両手で握り、獣の群れに向かって走り出した。
「ちょ…!彰羅!」
鳴尾は直感で動くタイプだ。
頭で考えるより先に身体が動く。滝河はそれを理解していた。
それが人でも、異形の獣でも、鳴尾はまるでずっと前から共にしていたような大きな剣を振り上げで戦うのだ。
彼は、きっと自分を信じている。
「仕方ないな」
だから、自分も思うがままに動くことができる。
滝河も履いているスリッパを脱ぐ。スリッパは激しく動くには不都合だ。
滝河の右手から青みがかった白銀の長剣が生まれる。
それを握ると、鳴尾がいる場所と反対側に向かって走り出した。
鳴尾は自分に襲いかかるデビルデーモンとダークデーモンの群れを次々に斬り倒していく。
デビルデーモンが大きく腕を振り上げ、鋭く尖った爪で引き裂こうとする。鳴尾はそれを避けると、ほんの僅かに空いた場所に下がり、机の上に上る。
「久しぶりだな、この感覚!!」
鳴尾はデビルデーモンとダークデーモンの群れに向かって勢いよく剣を振り下ろした。
剣を振り下ろすと、虚空から幾つもの鎌のような空気の刃が現れ、デビルデーモンとダークデーモンを切り裂いていく。切り裂かれた身体は、一瞬にして塵と化して消えていってしまう。
「へへっ」
それを見た鳴尾は笑う。
その時、鳴尾の背後に大きな黒い影が生まれる。
鳴尾の背後に一体のダークデーモンが大きな口を開けて襲いかかろうとしていた。
鋭く突き刺さる殺気に気づいた鳴尾が振り返るより先に、ダークデーモンの上空から幾つもの巨大な氷柱が天井から現れ、デビルデーモンとダークデーモンの群れの身体を貫く。
鳴尾が振り返ると、滝河と目が合い、何かを伝えるように頷いた。
「俺の楽しみを奪うなよ!」
滝河の行動が気に入らないから言ったわけではない。
滝河の性格を分かっていて、自分を助けてくれた。
二人の行動にダークデーモンの群れは僅かに怯んだが、ダークデーモンの群れが咆哮するようにいっせいに口を開ける。
口から黒く渦巻く光が現れ、光線が放たれた。
黒く渦巻く光線は加速しながら鳴尾と滝河に向かっていく。
鳴尾が黒く渦巻く光線に向かって足を踏み込んだ時、滝河が叫ぶ。
「鏡牙!!」
滝河が声を上げると、構えていた長剣と同じくらいの水晶が何本も現れ、それは滝河と鳴尾の周りを回ると巨大な水晶の壁に形を変えていく。
黒く渦巻く光線は、滝河の生み出した水晶の壁によって跳ね返り、滝河と鳴尾に襲いかかるデビルデーモンとダークデーモンに直撃する。
デビルデーモンとダークデーモンの群れは次々に倒され、音をたてて消えていってしまう。
消えていく間にも、鳴尾は机を蹴り、残っているダークデーモンの群れに向かって飛び込んだ。デビルデーモンが腕を振り上げて鋭い爪で鳴尾の背中を引っ掻く。
「ぐっっ!!」
背中に強い痛みを感じて、鳴尾の動きが一瞬だけ止まる。
引っ掻かれた場所が痺れ、血が溢れる。
鳴尾は振り返り、デビルデーモンを睨むと楽しそうに笑った。
「そうこなくちゃなぁっ!!」
目の前の異形の獣の群れにも臆することなく、自分に襲いかかろうとも大きな剣で受け止める。
剣から伝わる力の重さ、恐怖、殺意。
囲まれて襲われ、投げ飛ばされて傷を負っても体勢を整えてる姿は、物語の赤竜士ヴィースに似ていると思わせる。
「(その強さ、恐いとさえ感じる…)」
滝河は鳴尾の背中を見ながら、そう感じるのだった。
滝河が一息吐いて意識を集中させると、握っていた長剣は消え、滝河の真下に青い魔法陣が浮かび上がりると両足が白く輝き始める。
滝河の目つきが変わり、腰を落とすと、床を強く蹴りだした。
獣の群れに飛び込み、襲いかかるデビルデーモンとダークデーモンを蹴り倒していく。
やがて、二人が大きな息を吐いた時にはデビルデーモンとダークデーモンの群れはいなくなっていた。
「…終わったか」
肩で呼吸を繰り返す滝河は周りを見る。
気配も殺意も消え、視界に入るのは鳴尾だけだった。
「彰羅、大丈夫か?」
滝河は同じく肩で呼吸をする鳴尾の背中を見る。
けれど、自分がかけた言葉は意味をなさなかった。
デビルデーモンによって傷を負った鳴尾の背中は真っ赤で、シャツは血で滲んで広がっていた。
「後ろに立つからな」
滝河は一言だけ告げる。
戦いが終わった直後の鳴尾は危険だ。
興奮状態から覚めていないことがあり、気配を殺気と勘違いされて斬りかかられたことが何度かある。
それでも、まだ結界が消えていないということは、力が使えるということだ。
滝河は鳴尾の背中に触れる。
小さく呟くと、鳴尾の背中が淡く光り、破れたシャツの間から見える傷口が塞がっていく。
気分が落ち着いてきたのか、鳴尾の乱れていた呼吸は元に戻っていく。
背後から顔を覗きこむと、鳴尾の表情を確認する。
「大丈夫か?」
滝河はもう一度、同じ言葉をかける。
「……ああ」
ほんの少しだけの間の後、鳴尾は答える。
開いていた瞳孔も瞳の色も元に戻っている。
それを確かめた滝河は安堵する。
図書室を覆っていた黒い結界は徐々に消えていく。
「一先ず、図書室から出るか」
「そうだな」
再び結界が張られ、敵に襲われるかもしれない。
そう思った二人は、脱いだスリッパを履いてから入口に向かって歩き出す。
入口まで距離は短いが、歩いているだけで気分が落ち着いていく。
机と机の間を歩きながら、あることを思う。
「そう言えば、物語のことはトウマ兄に話してるのか?」
「兄貴?兄貴は、もう能力を封印されてるぞ?」
あの時、鳴尾は現場を見ていない。
連絡した覚えはあるが、もしかしたら鳴尾は忘れたのかもしれない。
確かにこの目で見た。
あれから、会っても前と変わらず話はしていてるが、物語や麗達の話をしても知らないという顔をされる。
能力を封印されたものは、覚醒してからの記憶を失ってしまう。
それまで漠然としていたが、久保姉弟や音楽を担当する内藤、トウマの封印を目の当たりして、次第に不安が大きくなっていた。
本当に何も覚えていない。
自分の記憶の中で曖昧になってしまっている部分もあるが、それまでの記憶や関係性が相手に無かったのだ。
どんなに願っても、トウマの記憶は戻らない。
入口に着いて扉を開くと図書室を出る。
「は?何、行ってるんだ?トウマ兄は…」
滝河が言い直そうとした時、視界の中で何かが動く。
二人が階段を見ると、そこには階段を上る月代がいた。
二人の視線に気づいたのか、月代は踊り場で立ち止まって振り返る。
月代は特に動じることもなく、二人を見た後、何もなかったように階段を上っていってしまう。
「月代?」
月代は高等部の生徒だ。どこにいても不自然ではない。
滝河は特に何も思わなかったが、その隣で鳴尾がボソッと呟いた。
「あいつ、あんな感じだったか?」
「??」
鳴尾の言葉に滝河は首を傾げる。
鳴尾は自分より高等部に足を運ぶ回数が少ないだろう。
「直接、月代と会って話はしていないから何とも言えないな。物語の第五章でマリスと、マリスの片割れだと名乗るミスンが対峙した…ことか」
物語で、ミスンは特殊な術でマリスと同化して消えていってしまい、マリスの漆黒の翼が抜け落ちた。
「それと同じようにミスンの能力者が同じ術を使って消えて、月代の翼にも異変が起きたが…それからは覚醒した姿を見てないから分からない」
たまに麗達と連絡のやり取りをしているが、あれから誰も覚醒した月代を見ていないようだ。
「彰羅も読んだが、死んだはずのラグマが生きていて、ラグマが持っていた玉によってマリスは背徳の王なる力を得た。真っ白な翼から六対の翼に変わり、首とかにに古代文字のようなものが浮かんだって書いてあったが…、もしかしたら、月代もそうなるんだろうか?」
物語の続きは書かれていないが、もしかしたら月代も背徳の王なる力を得てしまうのではないか。
滝河はそう考えていたが、鳴尾の顔を見て目を丸くして驚く。
「なんだ…あの力…?!」
鳴尾は眉をひそめて月代がいた場所を睨む。
自分自身が月代に対して生まれた気持ちに驚きを隠しきれなかった。
言葉にならない。
ほんの僅かだが、鳴尾は月代に恐怖という感情を抱いた。
その表情は、今まで見たことがなかった。
「………」
鳴尾の顔を見た滝河は、月代がいなくなった階段の踊り場を見上げることしかできなかった。