再生 74 秋風吹く予感
二学期が始まり、半月ほど経ったある日。
放課後、麗がいつものようにクラスメイトと話していると、入口にいる生徒が麗のほうを向いて声をかける。
「水沢さーん、お客さんだよー」
「はーい」
その声に気づいた麗は、話していた相手に一声かけて入口に向かう。
入口には小柄な女子生徒が一人で立っていた。
「(この子…どこかで見たような)」
目の前に立つ女子生徒は見たことがあったような気がする。しかし、誰だかはっきりしなかった。
「(生徒手帳のカバーが赤だから、二年生か)」
麗は女子生徒の胸元を見る。
高等部は学年によって生徒手帳のカバーが違う。麗達三年生は青色だが、二年生は赤色だった。
麗が考えていると、女子生徒は麗に頭を下げる。
「あ、あの、水沢麗さんですか?」
「はい」
女子生徒が自分を訪ねてきたことには変わらないので、麗は頷いた。
「私は演劇部に所属しています。うちの部長が水沢先輩を呼びに行くようにと言われました」
それを聞いた麗は、彼女が演劇部に所属していて、部長に頼まれたから自分の教室に来たのだと理解する。
「あれ?演劇部の部長って…」
麗は去年のクラスメイトのことを考えながら、女子生徒の後をついていく。
階段を下りて、女子生徒が空き教室の扉を開けると、そこには何人かの生徒と柿本がいた。
「部長、水沢さんをつれてきました」
「ありがとう」
柿本はにっこりと笑って答える。
「やっぱり、柿本さんだったんだね」
柿本は去年のクラスメイトであり、今は演劇部の部長である。
「(あっ!この子、王女様の衣装を合わせている時にいた)」
麗は、扉を閉めて柿本の隣に立つ女子生徒を見る。
去年、怪我をした柿本の代わりに劇に出た。柿本に連れられて家庭科室に行った時に、侍女の衣装を着ていたのが彼女だった。
そんなことを思い出しながら、麗は何となく教室を見回した。
「…えっ?!」
見慣れない生徒がいるのは分かる。
年度が変われば卒業した生徒もいれば、新しい生徒もいる。
しかし、その中でただ一人、こちらを向いて眉をひそめている人物がいる。
「…高屋さん」
そこには、大学生である高屋がいた。
それが分かった途端、麗は警戒した。
大学生である高屋がどうしてここにいるのか考えるが、高屋は驚いたり警戒もせず、扉が開いた音に反応して振り返っただけのようにも見える。
「水沢さん、良かったら空いているとこに座って」
柿本に促されて、麗は空いている席に座る。
人が集まったことを確認すると、柿本は話し始める。
「高屋さんも水沢さんも、わざわざ来てくれてありがとうございます。今日、来てもらったのは二人にお願いがあるからです」
この空気、前にも感じたことがある。
そう思いながら話は続いていく。
「去年、二人に我が演劇部の舞台に出演してもらいました、おかげで舞台は成功しました。その後、予想以上に劇の反響が大きく、もう一度、二人を見たいという声が多いのです」
「え…」
何か嫌な予感がする。
麗が高屋を見ると、高屋は眉間に皺を寄せている。
「お二人にもう一度、学園祭の舞台に立ってほしいのです」
柿本が麗と高屋に頭を下げて、ようやく呼び出された理由を知る。
「えーーーーーー!!!」
麗は声を上げて驚いたが、高屋は予想していたのかあまり驚いていなかった。
「学園祭まで一ヶ月半、台本はまだ選んでいませんが、ある程度候補はあります。お二人の答えで台本、衣装、セットや構造などを行います」
去年と同様、合唱会は行われる予定だが、学校説明会や模試などを考えると学園祭まで一ヶ月半は短いだろう。
麗にしても柿本にしても高等部最後の学園祭だ。
早いうちから手を打とうと考えたのかもしれない。
それまで話を聞いていた高屋が手を上げる。
「ここに来た時から予想はしていましたが、僕は生徒会役員です。高等部の行事とあれば高等部の生徒会役員が主体となりますが、僕も生徒会の仕事があるので、この件を引き受けるかどうかは現状では答えられません」
高屋の言うことはもっともだった。
まだ学園祭について会議は行われていないが、生徒会役員という立場上、学園祭の仕事はある。話を聞く限り、演劇部の部員が足りていないということではなさそうだ。
演劇部ではないし、あれ以来、芝居の経験はない。
高屋はできることなら避けたいと思っていた。
しかし、柿本は高屋を見るとにやりと笑う。
「生徒会役員のお仕事については、神崎先生から許可を戴いています」
柿本からの予想外の言葉に、高屋は驚いている様子だ。
「前回、好評であったのならば、今年も学園祭の舞台に立ってもらおう、と楽しげに言ってました」
楽しげに、という言葉は、高屋にとって安易に想像できることだった。
「(やられた)」
高屋は表情には出さないものの溜息を吐く。
柿本は先回りして、生徒会の顧問である神崎に高屋を学園祭の舞台に出演してもらうことを交渉していた。
「水沢さんは?」
高屋の表情を見て得意気な顔をしていた柿本は、思い出したように麗を見る。
「私は…」
麗は少し俯いて考える。
去年、色々あったが、お芝居をするというのは新鮮だったし、全くやりたくないわけではなかった。
まだクラスで学園祭について何をやるか決めてない。けれど、相手は高屋だ。何かあると思って警戒してしまう。
麗が考えていると、柿本はそれを悩んでると思う。
「まあまあ。 私も引退前にやりたいけど、今日で決定というわけじゃないし」
柿本は演劇部の部長というより、同級生としてあっけらかんとして笑っている。
難しく考えないでいいと言われているようで、麗はほっとする。
柿本は再び、演劇部の部長の顔になる。
「十日…、一週間後、また答えを聞かせて下さい。勿論、強制ではありません。脚本の候補はたくさんあります」
麗は演劇部ではないし、高屋も大学のことがある。あくまでも検討してほしいということだ。
「ありがとう」
「分かりました」
麗と高屋はそう答えると、一礼して教室を後にする。
二人は教室を出て、高屋が扉を閉めた時、麗の後ろから名前を呼ばれる。
「水沢さん」
麗の肩がピクリと揺れる。
ただ名前を呼ばれただけなのに緊張してしまう。
麗はゆっくりと振り向いて高屋を見る。
「…恐らく僕を警戒しているのは分かっています。また何かあるのではないかと思われても仕方ありません」
否定できなかった。
高屋はルト能力者であり、襲われたこともあれば操られたこともある。
高屋も知らなかったみたいだが、学園祭当日もどこからか現れた敵に襲われている。
安心して答えを出すことはできない。
「…先に神崎先生に手を打たれているので、余程のことがなければ断りませんが、生徒達の希望であれば、僕は生徒会役員としてそれに臨もうと思います」
それと同時に、高屋が前向きに検討しようとしているのも伺える。
「水沢さんは演劇部でも生徒会役員でもないので、そこは自分の好きなようにしてもいいと思いますよ」
高屋は能力者としてではなく、生徒会役員としての顔をしている。
「それでは、失礼します」
高屋はそれだけ伝えると、麗の横を通りすぎて足早に去っていってしまう。
「……」
廊下を歩いていく高屋の背中を見つめていた。
麗が教室に戻ると、教室にはまだ何人かの生徒が残っていた。
「麗さん」
「大野さん。まだ残ってたんだ」
「はい。何かあったのですか?」
教室を出てから約十五分、短い時間ではあるが、この時期だから合唱会について何かあったのかもしれない。
大野はそう考えていた。
「実は、演劇部の部長に呼ばれて、今年も学園祭の舞台に出てもらえか声をかけられたんだ。去年の劇が好評だったみたい」
麗は自分の机に戻り、呼ばれた経緯を話す。
隠すことではないし、まだ決まったわけではない。
「どうするんですか?」
「どうするも何も、先に合唱会もあるし、私は演劇部じゃないから断るつもり。それに、高屋さんもいるから、やっぱり不安かな」
麗は苦笑して指で口元をかく。
「高屋さん…」
麗が去年の学園祭で何があったかは聞いていた。
たとえ、麗が自分の意思で学園祭の舞台に出るとしても、高屋がいるならまた話は違う。
そんなことはないと思いたいが、麗といる時間ができるということは、いつ結界を張られて操られるか分からない。
「一週間後に答えを出しにいくだけ。さ、帰ろう」
「はい」
麗は自分の机にかけてある鞄と布製の鞄を持つと入口に向かって歩きだした。
大野も麗の後をついて教室を後にする。
約二十分前、結城は三年A組にいた。
担任の教師からホームルームに教室に来てほしいと言われ、教室に入るといっせいに視線を向けられる。
授業の補足や連絡で教室を訪れることはあっても、今はその雰囲気ではないと察する。
ふと、窓際を見ると、月代の姿を見つける。
それまで結城を見ていた月代は、結城と視線が合うと気まずそうに顔を反らしてしまう。
そう考えていると、教壇に立っていた女子生徒が結城に一礼する。
「わざわざ来ていただきありがとうございます」
結城より先に教室に入った教師は、黒板近くの椅子に座る。
「結城先生にお願いがあります。学園祭の出し物でA組はカフェをやりたいと思っています。クラスの要望で、少しの時間でもいいので先生と一緒にやりたいのです」
学園祭と聞いて、結城は先に行われる合唱会が頭によぎる。
合唱会は高等部だけの発表会だ。家族や校外の人を招待するわけではない。今のうちに交渉しようとするのだろう。
親しみのある感じはしないが、一部の生徒達には好意を持たれている。それは結城自身も気づいていることだった。
「まだ決定ではありませんが、女子には黒いワンピースにフリルエプロン、男子には裾の先が尖った上着…っと、つまりメイド服と燕尾服を着てもらいたいのです!」
教壇に立つ女子生徒は、やや興奮気味に拳を握って説明する。
「つまり、私に燕尾服を着て一緒に接客をしてほしいというわけだな?」
「はい!A組女子たっての希望です!」
視線を感じて結城が教室を見ると、半分以上の女子生徒が期待に胸を膨らませたような眼差しでこちらを見ている。
結城は背が高く、切れ長の目に顔立ちも整っている。
着れば生徒にもお客さんにも人気は出る。そういう考えだと読み取れる。カフェは学園祭の出し物では定番だし、メイドや執事というのも手を出しやすいのかもしれない。
「準備がかかると思い、今のうちに提案することは良いが、私は前に出て行動する性格ではない。それに寸法を測って服を用意したり、必要以上の時間がかかるのだろう?」
服を用意するにも作るにも時間はかかる。
服飾のことは詳しくないが、今から必要とするものを用意するのは難しいだろう。
「それに関しては家庭科部で作ります。肝試しの時に作った衣装の型紙を利用するので問題ありません!」
それまで座って話を聞いていた一人の生徒が手を上げながら席を立つ。
「部長は目測できるのが自慢ですし、今、サンプルもあります!」
その言葉に続くように、別の席に座っていた女子生徒が手を上げて席を立つ。
女子生徒は机の上にある紙袋を手にすると、中に手を入れて黒い上着を取り出した。それを結城に渡すと、期待の眼差しで結城の顔を見る。
「……」
結城は二人の女子生徒に見覚えがあった。
先月の肝試しの時、人数分の衣装を納品した家庭科部の生徒だった。
正直、ここまで準備をしているとは思わなかった。結城は差し出された黒の上着を受け取ると袖を通す。
「…ぴったりだ」
身体をひねったり、袖を曲げたり肩を動かしても突っ張った感じはしないし違和感はない。
結城は声に出して素直に驚いた。
透遥学園は個性や特技を伸ばす方針だ。
生徒の中にはプロとしてやっていけるくらい、またはそれ以上の才能を持っている者もいる。卒業したら専門の道を志すものもいるし、在学中に開花する者もいる。それは喜ばしいことだ。
結城は上着を脱いで一息つく。
「生徒の才能や個性は大事だ、そこは認める。この上着も着やすい。しかし、私は教師である以上、生徒会運営の補助や準備などがある。いくら生徒からの要望があったとしても、引き受けるわけにはいかない。それに、神崎先生が動けない時は私が代わりを勤めなくてはいけない」
結城は黒い上着を女子生徒に渡しながら説明する。
学園祭以外でも生徒会の副顧問としてやるべきことはあるし、普段の授業の準備や他にやるべきこともある。
結城は断ろうとした。
「あ、神崎先生には結城先生に私たちのクラスの出し物に参加してくださるって許可をもらっています」
結城の言葉に対して、最初に意見を述べた女子生徒が答える。
「!!」
表情には出さなかったものの、生徒の言葉に流石の結城も驚く。
先回りされていたのは想像できたが、すでに神崎に協力を得ているとは思わなかった。
「…検討しておこう」
自分は乗り気ではないが、神崎に先回りされているとなると逃げるのは難しい。
それに、まだ決定ではない。
結城が答えると、生徒たちから歓声や拍手が飛び交う。
その中で、月代だけは驚きと不安が混じったような複雑な顔をしていた。
教室を出た結城は職員室に向かっていた。
ただ確認したい。それだけだった。
彼は顧問だからと言って、いつも生徒会室のにいるわけではない。
階段を下りている途中で、前を歩く高屋を見つける。
声をかけるかどうか考えたが、高屋も目的の場所が同じだと分かると声をかけずに後ろを歩いていく。
「失礼します」
高屋は職員室の扉を開けると、その人がいる場所に向かう。
高屋は神崎の机に向かっていた。そして、神崎は椅子に座って何かに目を通していた。
結城が近づくと高屋の声が聞こえる。
「どういうつもりでしょうか?」
焦っているわけでも怒っているわけでもなさそうだ。
神崎は顔を上げると、結城の存在にも気づいたようで、高屋の後ろを見て笑う。
「結城先生も一緒でしたか」
それに気づいた高屋は後ろを振り返る。
「結城先生」
「どうやら、私と高屋は同じ目的のようですね。説明していただけませんか?」
高屋も結城も、どうしてそうしたか気になって職員室に行ったのだった。
神崎は特に驚いた様子もなく、まるで、それを待っていたように答える。
「始業式の日、演劇部の部長と家庭科部の部長が私を訪ねて来たんだ。演劇部は高屋に学園祭の舞台の出演、家庭科部は学園祭の出し物で結城先生の協力してほしい、と」
始業式ということは半月前だ。その間に顔を合わせていたはずなのに、神崎は一言も言っていなかった。
「合唱会もあれば他のこともある。あくまで答えは二人に出してもらうが、先に私から許可を出しておくことによって、学園祭の可能性を増やしたいし、生徒と生徒会を身近にしたい」
ごく一部だが、生徒会の役員は文武両道で優秀な人間が集まり、どこか人を寄せ付けない雰囲気があると言われているらしい。もちろん、全ての生徒がそう思っているわけではないが、生徒会役員も普通の生徒である。
見えない境界線ができているなら、それは見過ごせない。
「神崎先生の話は分かりました。しかし、計画はどうするのですか?」
結城は理解した上で、神崎の目的について質問する。
職員室には他に教師や生徒がいる。怪しまれる言葉は避けたい。
「私も動きたいところだが、授業の準備や合唱会などの行事、やることがたくさんある。他に誰かやってくれる人がいれば別だけどな」
神崎の言うことはもっともだった。
情報処理の授業を受け持ち、生徒会の顧問を勤めている。計画を忘れることはないと思うが、二学期は何かと忙しい。
「…それは、僕に協力しろということなのでしょうか?」
それまで話を聞いていた高屋も質問する。
大学部に進学したとはいえ、生徒会の仕事があれば協力はするし、神崎の目的がどんなものか興味はある。
「以前、君に提案したことをやってみるには良い機会だと思うが」
約三ヶ月前、神崎は高屋に凛を操ることができるか聞かれた。
高屋が麗を操るのは、物語の能力ではなく家の力である。誰か一人を標的にし、対象になった人物は身体の一部には桜を模した模様が浮かび上がる。物語の力とは関係ないので、覚醒していなくても操れるだろう。また、ルトの能力を持っているのでどちらにしても操ることができる。
神崎はそう考えていた。
凛が持つ召喚術は今まで見たことがなかった。それを見たことがない神崎は凛を操り、力を利用しようと考えている。
「…この件と学園祭については考えさせていただきます」
高屋は神崎が何を言いたいか理解した上で、自分がどうしていくか考えて答えを出す。
「私も現状を考えて、検討します」
衣装の用意はしてくれるとはいえ、表に立つことはあまり得意ではない。生徒の要望に応えないわけではないが、やるべきことはたくさんある。
「では、話は決まりだな」
うまく丸め込まれたような気がする。
そう思いながらも、話が終わったので高屋と結城は一礼して職員室を後にしたのだった。
月代は考えていた。
結城がA組の教室に来た理由は知っていた。
二学期が始まってすぐの頃、一部の女子生徒が学園祭の出し物について雑談していた。聞く気は無かったが、近くで話していると、どうしても耳に入ってくる。
学園祭の出し物でカフェをやりたい。それは理解できる。
問題はその後だった。
はしゃぐ声で一部しか聞き取れなかったが、どうやら結城に燕尾服を着てもらいたいらしい。
燕尾服がどういうものか分からなかったので聞いてみたかったが、女子生徒達から執事と聞こえて、何となくだがやりたいことは分かった。
しかし、問題は結城だ。
結城はたまにだが、情報処理の授業を受け持っているし、生徒会の副顧問だ。その他にも中等部や大学部に足を運ぶと聞いたことがある。学園祭までまだ日にちはあるが、そんな忙しい結城が了承するとは思えない。
月代が思っていることなどお構いなしに話は進んでいく。
なんと、発案者である女子生徒はクラスにいる家庭科部の女子生徒二人に協力を求めていたのだ。趣旨を理解した女子生徒二人は、迷わず承諾すると、三日後には結城に試着してもらう上着を用意したのだった。
話を聞いていると、どうやら家庭科部の二人が授業後に作ったらしい。更に家庭科部の女子生徒は事前に神崎に説明して、結城と一緒に出し物をやりたいと相談していたのだった。
行動の早さはもちろん、神崎や結城に交渉しようとする考えに驚いた。
自分が生徒会役員ではないが、他の人が知らない関わりがあった。神崎や結城と話すだけで緊張したり、恐怖を抱く月代は、物語にか関わらない人物が羨ましいと思うこともある。
かくして、A組に呼ばれた結城は一部の女子生徒によって、学園祭の出し物について検討してもらえるようになった。
女子生徒は期待に胸を膨らませている。まだ先なのに、学園祭の出し物はカフェで決まりなのかもしれない。
「今年も学園祭で歌いたいな」
考えていても仕方ない。
結城が自分のクラスの出し物に参加するのは嬉しいが、今年の学園祭も叶うなら講堂で歌いたい。
大勢の人の前で歌うのはまだ慣れないが、歌う気持ち良さに比べれば苦ではない。
「(衣装、どうしよう?)」
背が伸びたおかげで、今まで学園祭の舞台で着ていたスーツが小さくなった。着れないことはないが、できるなら新調したい。
「(…と言っても、お金はないしメンバーに聞いてみるか)」
そう思いながら帰ろうとすると、月代の目の前に五人の女子生徒が立っていた。
「月代君、ちょっといいかな?」
「お願いしたいことがあるんだけどー」
その声をきっかけに、女子生徒達はいっせいに月代を囲む。
「…えっ?」
女子生徒はお願いと言ってにっこり笑っているが、その笑顔にはなぜか迫力があり、複数の異性に囲まれればたじろいでしまう。
「…ち、ちょっと」
何か企んでいる。
じりじりと近寄ってくる女子生徒の笑顔が怖く感じる。
それが何か分かるのは、もう少し先の話である。