再生 71 まっさらなキャンバス
見晴らしのいい広い草原に立っていた。
これは夢だ。
何となくそう思っていると、目の前に一羽の黒い蝶が飛んできた。腕を伸ばすと、黒い蝶は私の指先にとまる。
指先から黒い蝶が羽ばたくのを目で追うと、誰かがいることに気づいた。
高屋さんに似ていると思ったが、服装を見てその人が物語に出てくるルトだと分かる。
ルトも私に気づいたようだ。
「貴方は…ウララさんですね」
少し間があったのは、ルトも私とレイナと見間違えたのかもしれない。
「会いたかったです」
「……え?」
夢の中でルトに会ったのは一昨年の冬だ。
何があるか分からないから用心しようしようと思っていた矢先、ルトからそんなことを言われて私は軽く動揺してしまう。
「貴方にも興味があります」
異性にそんなことを言われたことがない。
自分でも顔が赤くなってると分かる。
そんな私を見てルトは戦う素振りもなく笑っている。多分、からかわれているのだろう。
ルトが私に近づきながら質問する。
「貴方の世界に僕に似た人はいますか?」
その質問に私はドキッとした。
確かにルトは高屋さんに似ている。
私は頷いて答える。
「それは、以前、言っていたタカヤという人物ですか?」
ルトの赤い目が光る。
赤い目は覚醒した高屋そのものだった。
夢の中だと分かっていても、その目を見ると意識がぼんやりとする。
ルトは笑っている。
夢でも操られるのではないか。
そう感じると、警戒して後ずさってしまう。
「僕の力は貴方にも効果はあるかもしれないですね」
ルトの言葉を聞く限り、完全に術にかかっているようではない。
現に、意識はちゃんとある。
夢でも覚醒できるか分からない。
悩んでいると、ルトは私に近づいて目の前で足を止めた。
「僕に似た誰かと僕、どちらが怖いですか?」
錯覚なのかもしれないけど、同じ人物にも別人に見える。
その時、どこからか風が吹いて花吹雪が舞い上がる。
ルトが手を伸ばして私の頬に触れる。
「えっ!?ち、ちょっと…!」
恥ずかしくなって私が離れようとした時、ルトは顔を近づける。
「…僕には貴方とレイナさんは同じにも別人にも見えます」
ルトの表情は何故か苦しそうだった。
「………」
ルトが何か言っているのに、花吹雪で何を言っているか聞こえないし、姿も見えない。
よく見ると、花びらは桜に似ている。
「ルト!」
目の前にいるルトを掴まえようとして腕を伸ばした。
目を開けると、見慣れた量の天井が見える。
「…あ」
伸ばしたままの腕を見て、やっぱり夢の中の出来事だったと胸を撫で下ろす。
夏の夜で汗をかいているはずなのに、夢で触れられた頬はひんやりしていた。
八月中旬。
厳しい暑さが続き、拭ったばかりの汗がすぐに出るほど外は暑い。
午前九時。
麗と凛は敷地内にある大学部の前にいた。
校舎の前には受付と貼り紙された机があり、私服の生徒が来場する人を迎えている。
「隣にあるだけなのに雰囲気違うね」
「…うん」
同じ敷地にあっても高等部と大学部ではこうも違うのか。
二人はいつもとは違う雰囲気に少しだけ圧されていた。
同じ敷地にあっても用事がなければ行くことはない。麗は凛について滝河に相談するために行ったくらいだが、凛は行ったことがない。
説明会の受付時間は始まっており、高等部の制服を着ている人の他に、別の学校の制服を着ている人や私服の人が次々に受付を済ませている。
「私達も行こう」
「うん」
立ち止まっていても仕方ない。そう思った麗と凛は一歩踏み出した。
受付を済ませた二人は校舎に入り、中にいたスタッフと書かれた腕章をつけている人からリーフレットやチラシを受けとる。
「凛、こっちこっち」
「うん」
慣れない場所は、なぜかキラキラしていて、空気さえいつもと違うと感じさせる。
二人は順路と矢印が示されている貼り紙を見ながら歩いていく。
三時間後。
二人は食堂から出てきた。
受付を済ませた二人は講堂で学校案内に関する映像を見たり、興味のある講義や部活の見学をした。
高等部とは全く違う授業の形式や専門分野に特化した勉強に驚き、一つ二つしか年齢が違わないのに、生徒達のやる気や熱意は思っていた以上に凄いものだった。
「凄いね」
「あたし達とそんなに歳が変わらないのに、なんか大人って感じでさ」
「あ、分かる気がする。制服着てないだけで違うし、部活や同好会でも高等部にないものがあって面白そうだったなあ」
説明会に参加すると簡単な食事が用意されていると聞いて二人が食堂に向かうと、簡単とは思えない食事が用意されていた。
食堂も思っていた以上に広くてお洒落だった。もちろん、味もおいしい。大学部も夏休みのはずなのに賑わっているのは生徒以外がいるからだと思う。
二人は見学した講義や部活について話しながら歩いていた。
大学部の校舎に入った時から行く先々で部活や同好会のチラシをもらっている。それだけでも二人にとっては新鮮なことだった。
「説明会ってもっと堅苦しいというか、難しいことだと思ってたけど、こんな感じなら他の学校の説明会も行こうって思えるね」
「そうだね。まだ興味がある学校はあるしね」
「麗ちゃん」
リーフレットを見ながら廊下を歩いていると、やや後ろから名前を呼ぶ声が聞こえる。
麗が振り返ると、そこにはカズとフレイがいた。
「カズさん、フレイさん、こんにちは」
「…こんにちは」
カズとフレイは二人に近づき、麗と凛は軽く頭を下げる。
「学校説明会に参加してたんだね」
「どうだった?」
「最初はどんなところか分からなくて不安でしたけど、講義や部活、高等部にないものばかりで新鮮でした」
麗は普通に話をしているが、あまりカズとフレイに会っていない凛はまだ少しぎこちない感じだった。
去年の八月に編入してきて、カズとフレイにも紹介してもらったが、最初は二人がバンドを組んでいるくらいしか知らなかった。麗から能力者と聞いていても、実際に力を見たことはない。
カズとフレイは凛を見てにっこり笑う。
「本当、似てるよねー」
「それ、僕達が言えることじゃないよ」
フレイがカズのほうを向いて苦笑する。自分達も周りに似ていると言われることが多い。それは分かっている。
「(…前にも会ったことあるけど、本当、そっくりだし二人とも格好いい!)」
カズとフレイに顔を覗きこまれ、凛は顔を赤らめて狼狽える。
顔の似ている端正の整った双子に見つめられている。それだけで凛も慣れていないことだった。
「これからどこに行く?良かったら、俺達が案内しようか?」
「大学部は高等部より広いから迷うかもしれないしね」
カズとフレイは凛に近づけていた顔を上げて互いの顔を見る。
大学部は高等部に比べると広い。複雑な造りではないが慣れない場所だと迷ってしまうかもしれない。
それは本心だったがもう一つ理由があった。
大学部にも能力者はいる。滝河や鳴尾は良いとしても、高屋や生徒会から麗と凛を守るためだった。
「いいんですか?」
「ありがとうございます」
カズとフレイの本心をよそに、麗と凛は知っている人に案内してもらったほうが心強いと思い、安心したような顔で答える。
『……』
二人の笑顔を見たカズとフレイは顔を見合わせて優しく笑った。
カズとフレイの案内のおかげで、麗と凛が見たかったものは全て見ることができた。
カズとフレイがいなかったら、全部見るのに時間がかかっていただろう。
階段を下りて、一階のテラスを横切る。
「こんなところにホールがある。広い!」
凛は珍しさにちらちらと見ている。
高等部にも自動販売機は幾つか、テラスにある自動販売機は種類が多い。
麗は思い返していた。
あの時は凛のことが心配で堪らなくて、大学部に足を運んで滝河に相談した。
ちょっと前のことなのに、随分前のことのように感じる。
自分の隣に凛がいる。
もしかしたら違う大学に行くかもしれないし就職するかもしれない。
それでも、ずっと一緒に歩いていきたいと思えるくらいだった。
説明会は終わり、大学部の校舎を出ると、四人は並木道を歩く。
「カズさん、フレイさん、今日はありがとうございました」
「ありがとうございます」
「気にしないで」
「レポートを提出するだけで暇だったからさ」
そう言いながらカズとフレイは視線を合わせる。
「そういえば、夜は生徒会企画の肝試しなんだって?」
「二人は参加するの?」
夜、生徒会企画の肝試しがある。
それを思い出した凛は、緊張を思い出す。
「はい。生徒会企画で肝試しって初めてだから楽しみです」
麗は笑って答えた後、隣にいる凛の表情が暗くなっていることに気づく。
「凛も参加するんだよね?大丈夫?怖くない?」
凛が怖いものが好きとは聞いたことないが、前に見た反応だと、あまり好きではないと思う。
そう思っていたが、寮長に外出許可を取りに行った時、凛も外出許可を申請していたのだった。
麗がそんなことを考えている隣で凛は慌てて振り向いた。
「な、な、何言ってるの?べ、別に怖いとか言ってないし!」
凛が強がっているように見えるのは、怖いとは言えないのだろう。
そう思いながら、分かれ道に差しかかった時、麗は何かにぶつかった。
「あ、ごめんなさ…」
横を向きながら歩いていたから誰かにぶつかってしまったんだ。
そう思って前を向いたが、そこには誰もいなかった。
「あれ?」
「姉さん、今、ぶつからなかった?」
隣にいた凛も麗が何かにぶつかったのを見ていた。
周りを見ても自分達以外、誰もいない。
その時、後ろから聞こえる声に二人はあることに気づく。
「俺達しかいない」
「瞳の色が変わってるよ」
カズとフレイの瞳が金色に変わっている。
それを見た麗と凛は顔を見合わせて、自分達の瞳も変わっていると知る。
麗は腕を伸ばして何かを探るように手を前に出す。
「何かある」
目には見えないが何かがある。
凛も同じように手を出して触ると、確かにそこに何かがあると分かる。
「本当だ」
目を凝らして見ると、透明な硝子のようなものが四人を覆っていた。
カズとフレイは手を握り、目の前を叩く。
「結界か?」
「ただ僕達を閉じ込める魔法かどちらかだね」
何か硬いものに覆われているだけで、それ以外は特に何も起こらない。
「何か起こる前に対処するか」
「そうだね」
麗と凛がここから抜け出す方法を考えていると、カズとフレイはそれぞれ手を伸ばしてもう一度、透明な壁に触れた。
『無の統制、果てない構築、双番の支配を廻れ。ヴォッソゾーン!』
二人が同時に呪文を唱えると、二人の手から格子状の直方体が振動のように広がり、透明な壁に亀裂が走る。
それを見た麗はもちろんのこと、それを初めて見る凛は何が起きたか分からないような顔をしていた。
硝子のように砕け散りながら消えていくと、四人の瞳の色は元に戻っていく。
「…消えた?」
凛がもう一度、手を伸ばして触れようとすると、さっきまでそこにあった硝子のような透明な壁はなくなっていた。
「今のは一体何だったんですか?」
凛はカズとフレイに問いかける。
周りに比べると覚醒したのは遅いが、それでも自分が見たことのない魔法だった。
「やっぱり凄いですよね」
一度見たことがある麗も、カズとフレイの魔法に驚いていた。
「姉さんは知ってるの?」
「うん」
冬休みに凛が追試を受けた日、そう言いかけて麗は口をつぐむ。
あの日を境に凛の様子が変わった。それが何かは分からないが、凛が言わないということは言いたくないことなのかもしれない。
そう思っていると、代わりにカズとフレイが答える
「無効化魔法だよ」
「うん、全てを無しにする魔法。…限界はあると思うけどね」
「息が合わないと発動しないけど、俺達にしか使えない」
「凛ちゃんも、麗ちゃんと同じ反応だね」
カズとフレイが笑うのを見て、凛は麗を見る。
「私も最初に見た時、びっくりしたよ」
火でも水でもないし、他のどれにも当てはまらないような気がする。
どの属性か分からないし、限界があると聞いていても無効にするっていうのが凄い。
カズとフレイがどんな能力を持っているか分からなかった凛は、その能力を目の当たりにしてそう感じた。
「うーん…」
カズが周りを見ていると、フレイが何かに気づく。
「やっぱりそう思う?」
「ああ」
「どうしたんですか?」
二人の会話が見えない。
麗と凛は首を傾げる。
「二人はもう帰るだけ?」
「念のために僕達が寮まで送っていくよ」
そう言うと、カズとフレイはそれぞれ麗と凛の肩を軽く叩く。
「えっ?」
「ち、ちょっと!」
その反動で麗と凛は再び歩きだし、カズとフレイはそのまま後ろをついていった。
その日の夜八時。
日が沈んですっかり暗くなり、高等部校舎の下足場には生徒が集まっていた。
部活のために夜まで学校にいる生徒もいるが、ほとんどの生徒は真っ暗になる前に学校を出ている。
下足場に集まる生徒は、夜に集まることと、これから始まるものに期待に胸を膨らませていた。
少しすると通路から二人の生徒が出てくる。二人の左腕には生徒会と書かれた腕章がついていた。
一人が集まっている生徒を見回してから、少しだけ大きな声を出した。
「これより、生徒会企画の肝試しを行います」
長い夜が始まる。