再生 70 積乱雲と夏の空
強い日差しが窓から差し込む。
蝉の鳴き声が、夏の始まりを知らせようとしている。
いつもと違う。
生徒会室にいる高屋と月代はそれぞれそう感じていた。
何かが増えたり無くなったりしたわけではない。
結城もそれに気づいていながら、何も知らないようで神崎が話し出すのを待っている。
円卓に集まる視線は神崎に向いている。
「すでに気づいていると思うが、生徒会室に異変が起きた。…先日、この場所に闇の精霊シェイドが現れた」
『…え?!』
神崎の言葉に三人は一瞬、言葉を遅らせる。
「シェイドは私に興味を持ってやる、光は闇に飲み込まれると言ってここに消えていった。それから違和感は起きた」
シェイドが消えてから神崎の身体の違和感はなくなった。しかし、不穏な空気は変わらない。
まるで、ここにいない誰かが常に監視しているようだった。
「……」
結城は天井を見上げてから神崎を見る。
「神崎先生は何もされてないんですよね?」
怪我をしていたり体調が悪いようではない。
見た目は何も変わっていない。
「シェイドを前に何かできるとでも?」
「いいえ」
神崎は結城を一瞥する。
結城がそれ以上何も言わないのは、自分がもしシェイドを前にしたらどうなるか分からないし、それより先に自分の身を守るのに精一杯だろう。
それは、約一年前にシェイドがトウマの身体を乗っ取った時にそう痛感していた。
「(…この場所に闇の精霊シェイドが?)」
一年前の出来事を見ていない月代は三人の様子を不思議そうに見ていた。
神崎と結城の話を聞いてた時、突然、月代の耳元で声が聞こえる。
「見つけた」
その声は脳裏に張りつくように重く低く、背後から聞こえた声に驚いた月代は耳を押さえながら椅子から立ち上がって後ろを振り返る。
「…月代、どうした?」
急に椅子から立ち上がった月代を見て、結城は少しだけ驚いた様子で声をかける。
「い、いいえ…何でも、ないです…」
背後には誰もいない。
でも、確かにはっきりと声が聞こえた。
神崎も高屋も月代を見ている。
月代は慌てて椅子に座る。
「(…結城先生達には聞こえてない?)」
声は聞こえなくなったものの、心臓の鼓動は速かった。
「(今、確かに俺の耳元で声が聞こえた。それに…見つけたって…)」
冷静を装うとしても、膝の上に置いた拳が震えている。
あの声を思い出すとそれだけで寒気を感じて鳥肌がたつ。背後に立たれて肩に触れられるくらいの近さだった。
ねっとりして脳裏に身体に張りつくような声は月代に恐怖を植えつけた。
神崎は、うろたえている月代を見ている。
その視線に気づいた月代は慌てて神崎を見る。
「……っ!」
いつも自分を見る目つきとは違う。何かを企むような顔ではなく、信じられないものを見るような困惑している顔だった。
「分かりました」
結城の声が聞こえる。
自分のことに気をとらわれていて周りの声を聞いていなかったが、高屋が椅子から立ち上がったのを見ると、いつの間にか話は終わっていたようだ。
月代も椅子から立ち上がって一礼すると、高屋に続いて生徒会室から出ていった。
結城は二人がいなくなったことを確認すると、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「闇の精霊は月代には何もしていないのですか?」
突然、月代が椅子から立ち上がったと思ったら、何かに怯えるようにうろたえていた。
結城はシェイドと月代が何か関係しているのではないかと思う。
それに対して、神崎は首を横に振る。
「それについては私も分からない。しかし、闇の精霊シェイドによって何か起きていることは間違いないだろう。しかし…」
「しかし?」
「月代の背後に黒いもやのようなものが見えた」
ほんの一瞬、月代の背後に黒いもやのようなものが見えた後、月代は何かに怯えた表情になった。それを見た神崎はあることが頭をよぎる。
それは、去年の六月、この場所で月代を襲おうとした時、月代の身体から黒く光る衝撃波のものが勢い良く吹き出し、首に呪印のような古代文字が浮かび上がったことだった。
その時に感じたことと似ていた。
「…物語に関するのは、背徳の王と呼ばれるルシファーという存在ですが、物語の続きが書かれていない以上、我々は警戒するしかなさそうですね」
結城の意見は間違っていなかった。
シェイドは何をするか言っていなかった。姿を見せないとなると、何をするか見当もつかない。
「何かを引き寄せたか、何かに引き寄せられたか…」
何かは起きる。
自分に一礼して生徒会室から出ていく結城の背中を見ながら、神崎は二度目の胸騒ぎを覚えるのだった。
ホームルームが終わり、麗と大野が教室を出ると、同じタイミングで梁木と凛が廊下に出てきていた。
顔を見合わせると、何も言わずに廊下の端に集まった。
「どうだった?」
麗は鞄から二つ折りの白い紙を取り出しながら凛に聞く。凛も鞄から二つ折りの白い紙を取り出して苦笑する。
「ぎりぎりー」
互いに中身を見ようとしないが、中身を見るまでもなく麗も苦笑いをしている。
「だよね」
期末テストは教科が多い。それに加えて、三年生に進級すれば問題も難しくなる。
「三年生になるも問題も難しくなりますね」
「平均点が低い教科もありましたし」
梁木と大野も胸を撫で下ろしている。
半年もすれば試験がある。それまでに赤点は避けたい。
「週末から夏休み!遊ぶぞ!…って言いたいけど」
「学校説明会はあるし受験勉強はあるけどさ、ちょっとは遊びたいよねー」
麗と凛がぼやくのも分からなくはなかった。
受験生だから勉強はしなくてはいけない。
けれど、息抜きはしたいし遊びたい。
「もうすぐ、凛が透遥学園にきて一年になるね」
「うん。最初は本当にやっていけるかどうか不安だったけど、皆のおかげで学校生活が楽しいよ」
本と同じことが現実に起きている。それは今でも信じられないし、自分がされたことは変わらない。
けれど、姉である麗がいて、大野や梁木、滝河と出会えて不安だった気持ちは少しずつなくなっていった。
「去年、夏休みに編入手続きをした後、姉さんに薦められて駅前のショッピングモールでケーキを買ったんだけど、おいしかったよ。あれから、あそこでケーキを買うようになってさ」
「駅前の?一階にある?」
凛の言葉に大野が反応する。
「うん。大野さんも知ってるの?」
「たまに、あそこのケーキを買いますよ」
大野が言うには、家族が甘いもの好きで、たまに買ってくるよう頼まれるらしい。
凛は大野が年相応の話をするのが意外だと思いつつ、他愛のない話ができるのを嬉しく思っていた。
「気を張り過ぎていても良くないですし、たまになら息抜きも必要だと思いますよ」
「そうだね」
考えていることは四人とも同じだった。
「そういえば、肝試しの話は聞いた?」
凛と同時に鞄の中に二つ折りの白い紙をしまいながら、麗は三人の顔を見る。
「ホームルームの時に先生から聞きました。今年初めてなんですよね」
「夏と言えば肝試しだけど、夜の学校って言うのがまた怖いよね」
梁木に続いて凛が答える。
眉をひそめているのは、恐らく凛も怖いものはあまり好きではないのだろう。
「凛は学園の噂は知らない?」
「…噂?」
編入してもうすぐ一年。麗は噂話くらいは聞いたことがあるだろうと思っていたが、知らなさそうな凛は首を傾げている。
「高等部の校舎は…昔、大きな病院か医療施設だったみたいだよ。ほら、美術室は半地下だし、食堂前だけ地下に繋がる階段があって、地下の倉庫が霊安室だって」
「やーだー!!やーめーてー!」
麗の言葉を遮って凛が耳を塞いで声をあげる。
「ごめんごめん。私も初めて聞いた時は、しばらく意識して地下の倉庫に行けなかったもん」
どこの学校にも七不思議のような噂はあると思っていた麗も、その話を聞いた時には怖くなってしばらく意識していた。
慌ててフォローをする隣で大野と梁木も落ち着かせようとする。
「あくまで噂ですよ」
「確かに教室の向かい側にも教室があって、リネン室って書いてある場所もありますけど、噂ですから」
「(ショウ、あんまりフォローになってないよ…)」
麗は梁木を見ながら苦笑する。
二人の言葉も虚しく、凛は顔を引きつらせて首を横に振っている。
「凛、参加は自由だよ。日が沈んでから開始って言ってたし」
「…姉さんは参加するの?」
泣いてはいないものの嫌がっているのは確かなので、麗達はこれ以上、その話は止めようと考える。
部活動をしていない麗は、夜に学校に行くことはない。
怖いのが好きなわけではないが、夜の学校は少しだけ興味がある。
「うーん、二学期になったら息抜きできるか分からないし、夏の思い出にはなりそうだから参加してみようかな」
「確かに」
麗の言葉を聞いて梁木が頷く。
二学期になったら、今みたいに他愛のない話ができるかどうかも分からない。
「生徒会の催しと言っても、今の役員は能力者ではない人もいます。純粋に楽しんでもいいとは思いますが、参加するなら家族の許可が必要ですね」
大野は参加するとは言っていないが、前向きに考えている。
凛は三人が思っていたより乗り気だと知り、自分だけ仲間はずれになるのかもしれないと思う。
「うーん…佐月さんにも聞いてみようかな」
「…呼びましたか?」
突然、声が聞こえて四人は横を向く。そこには、教室から出てきたばかりの佐月がいた。
「佐月さん!」
「佐月さんは肝試しに参加する?」
凛は佐月に問いかける。
仲間はずれとまではいかないものの、三人は肝試しに参加するかもしれない。
怖いのが好きなわけではないけど、自分だけ参加しないのは寂しい気持ちもあった。
「あ、生徒会企画の。 生徒会は色々な企画を出しますよね」
佐月は考える素振りもなく答える。
「はい、参加します。 勿論、家族に参加していいか許可をとってからですけどね」
「でも、夜だよ?」
「あたくしも部活で遅くなることはありますし、合宿で利用する部活もありますよ?」
凛の言いたいことが伝わっていないのか、佐月は夜に学校に行くことを言っていると思っていた。
凛の考えていることが分かっている麗は、凛の肩に手を置く。
「凛、怖いなら参加しなくてもいいんだよ?」
痛いところを突かれて驚いたのか、凛は顔を赤らめて麗の方を向く。
「べ、別に怖くないし!あ、あたし、もう高校生だよ?!」
慌てる様子を見ながら大野、梁木、佐月は察する。
凛は怖いものが苦手だ、と。
「さ、参加するなら寮長に許可をもらわないといけないね!」
そう言うと、凛は廊下を早足で歩いていく。
このまま廊下で話していても良かったが、凛が歩いていくのを見て、麗達も後について歩いていった。
「はあ……」
足取りが重く感じるのは分かっていた。
ホームルームの時、期末テストの結果が返ってきた。
三年の期末テストは大事だ。そのために、バンドの練習も控えて勉強した。
しかし、自分が思っていた結果ではなかった。
「補習と追試か…」
週末からは夏休みだが、その前に補習と追試がある。
月代は、これからどうしようか考えながら廊下を歩いていた。
「そういえば、夏休みに生徒会が企画する肝試しがあるんだっけ…」
テストの結果を見て落ち込んでいたが、担任の言葉を思い出す。
ホームルームが終わった後、クラスメイトに企画の詳細を聞かれたが、月代自身も初めて聞いたことだった。
「そもそも、生徒会役員じゃないのに」
何度か生徒会室に行っているため、月代が生徒会役員だと思っている生徒もいる。
「進路か」
できることなら好きなことだけしたい。
それができるのは学生時代だけなのかもしれない。
進路も勉強も大事だけど、今は歌いたいしライブもやりたい。
やりたいことが多すぎる。
そう思いながら、階段を下りていった。
「ふと思ったんだけどさ」
梁木と大野と別れて寮に向かって歩いていると、思い出したように凛は麗の顔を見る。
「大学部にも、能力者はいるんだよね?」
凛が能力者であることを自分から話せるようになり、少しずつ物語について聞くようになった。
「うん。滝河さん以外なら、鳴尾さん、高屋さん、カズさん、フレイさん、エイコさんかな」
麗は指を折りながら数えていく。
大学部にはトウマもいる。しかし、すでに能力を封印されているので数に入れなかった。
「カズさんとフレイさんは、確か、トウマさんのバンドにいる人だよね?」
「そうそう、トウマのバンドのギターとベースを担当してるよ」
カズとフレイは、物語の過去に登場するスーマの側にいたフォスとダモスの能力を持っている。
スーマは物語の中で最も強いと言われている人物である。
「私が一年の時、学園祭の実行委員でさ、トウマ達とはそこで会ったの。滝河さんに会ったのもその時かな」
「人のこと言えないけど、カズさんもフレイさんもそっくりだよね」
「うん」
麗は笑って答える。
自分達も今まで似ていると言われたことが何度もある。それでも、二人から見てもカズとフレイは見た目も仕草もよく似ていた。
「物語の中での能力は分からないけど、カズさんとフレイさんは無効化にする魔法を使ってたかな。自分達にしか使えない、血が繋がってるからこそって言ってたかな」
「へえー」
カズとフレイも何回か会ったことはあるが、能力者としてどんな能力を持っているかは知らない。
凛は二人のことを考える。
「今度の大学部の説明会の時、会えたらいいなあ」
「大学部は高等部より人が多いし、説明会の時にいるとは限らないよ」
説明会には多くの人が参加する。高等部からの参加者も多いが、大学部に知っている人がいると心持ちが違う。
笑いながら答えたが、麗も当日、カズやフレイ、滝河がいたら嬉しいという気持ちはある。
「そうだよねー」
凛も分かっていて苦笑する。
物語の続きがどうなるか分からないし、これから受験勉強の時間も増える。
けれど、約半年前の自分とは違う。
一人じゃない。
凛は鞄を持っている手と反対の手で麗の手を握る。
「どうしたの?」
前触れもなく手を握る凛に対して、麗は手を握り返しながら凛の顔を見て笑う。
「べっつにー」
隣に麗がいることが嬉しくて、凛は歩きながら少しだけ麗と距離を縮めて歩いていく。