再生 7 不思議な境界
あの時、いつもの場所を歩いて帰ろうとした。
突然、どこかで鈴の音が聞こえたと思ったら、紫と黒を混ぜたような暗い霧が広がりはじめて壁のようなものが僕を覆う。
「これは……?」
僕は辺りを見回した。何も聞こえない。さっきまで前を歩いていた知らない生徒も消えている。
よく分からないのに、咄嗟に不安に襲われた。
また鈴の音が聞こえる。そう思った僕は鈴の音を頼りに歩いた。
歩いていると話し声がする。
「誰かいる」
やがて姿が見えると、僕は目を疑った。
僕の目の前にいた二人の瞳の色が違う。同じ制服を着た生徒は光に反射したみたいな暗い藍色の髪に濃くて赤い瞳。この人は四月の新入生歓迎会で見たことがある。確か高等部二年の高屋雫、生徒会に所属していたはずだ。もう一人は金と黒の髪に両耳のピアスが目立つ男性、制服を着ていないから大学部の生徒かもしれない。
僕は状況を理解できず辺りを見回した。
「ここは…何でしょう…?」
二人も僕を見て驚き何かを考えている。
「ここは一旦、引きましょう」
僕が立ち尽くしていると、指を鳴らす音が聞こえて僕達を囲っていた黒い空間が溶けて消えていく。しばらくすると何もなかったように元に戻っていた。
いつの間にか僕の目の前には金髪の男性しかいなかった。男性は舌打ちをすると溜息を吐いた。
何が起こったか理解できない僕は男性に問いかけた。
「あ……貴方達は一体、何者なんですか?」
夢でも見たような感覚だった。
「覚醒してないみたいだな…」
「え?」
僕は聞き返した。
覚醒という言葉さえ理解できずにいると、男性は何事もなかったように僕に背を向けて歩いていく。
「さっきのことは忘れろ」
僕はその後ろ姿を見ることしかできなかった。
僕は夢でも見たんじゃないか。
それとも僕が僕じゃなかったのか。
「…………ぎ、梁木?」
自分の名前を呼ばれた少年が我に返ると、三人の男子生徒が机の周りを囲っていた。
「ぼーっとしてたぞ。大丈夫か?」
「次は教室移動だぜ」
「あ…ごめん」
梁木は机の上に置いてあった筆記用具と教科書を持ってクラスメイトの後を追って教室から出て行く。
廊下を歩いてると、前を歩くクラスメイトの話が耳に入る。
「期末テストが終わったら舞冬祭だな」
「なあ、中西先生が隣のクラスの水沢っていう子を推しているって知ってるか?」
「マジで?」
「俺は風村も推薦してるって聞いたぞ」
「期末テストの後に舞冬祭って大変だよな~」
他愛のない会話をぼんやり聞きながら、梁木はずっと同じことを考えていた。その時、前を歩いていた一人の生徒が振り返り、両手を合わせた。
「そうだ、梁木。図書室に用事あるか?」
「え?」
「俺、部活で本を返しに行けないんだよ…」
「いいよ。僕も本を返しに行くから」
「サンキュー」
男子生徒は教科書の間から一冊の本を出すと梁木に渡し、梁木は笑って本を受け取り片手で持っていた教科書に重ねた。
放課後、梁木は図書室にいた。期末テストが近いせいかいつもより多くの生徒がいる。受付で返却手続きを済まして帰ろうとしたが、何かを感じて後ろを振り返った。
「…ん?」
自分を見ている人はいない。梁木は軽い気持ちで本棚の間を歩き、何かを見つけた。
「…WONDER WORLD?」
深い緑色の表紙の本は少し色あせていて、金色の文字で『W0NDER WORLD』と書かれている。本棚の端を見るとSF・ファンタジーの札がついている。
「たまにはファンタジーの本も良いかな」
本に興味を持った梁木はゆっくりと本を開く。すると、突然、本から光が溢れ、強い風が吹きだした。
強い光に梁木は目を閉じる。
「!!」
本は音を立ててめくれ光が輝く。光と風はしばらく止むことはなかった。
やがて光と風が止まり本が閉じると、梁木はゆっくりと目を開いた。
「…なんだったんだろう…?」
梁木は恐る恐る本を開いて読み始めた。
「この本…読んだことないのに、なんか懐かしい」
まるで、自分が体験したような出来事が書いてあり、梁木は驚きながら本を読むことに集中していた。
その時、何かが崩れるような音が聞こえ、梁木は驚いて辺りを見回した。
「人がいない……?」
それまで本を読んだり勉強していた生徒がいなくなってる。何か違和感を覚えた梁木は本を閉じて本棚に戻すと、ゆっくり歩きだした。
「ここの図書室、広いんだよな」
本棚がある場所から離れると、何か声が聞こえる。恐る恐る歩いていると、出入口に見たこともない鈍色の大きな獣の群れが何かを探していた。
「!!」
梁木は驚いて、後ずさりした。その時、梁木の足は本棚に当たり本が落下してしまう。
「!!」
音に気付いた獣の群れは一斉に吠えると、梁木に向かって走り出した。梁木は出入口から離れるように獣の群れから逃げた。
「これは…何なんだ…?」
走りながら何度か後ろを振り返り、事態を把握しようとした。今まで見たことがない獣の群れ、誰もいなくなった図書室、不思議なことだらけだった。
「こんな感じ、前にも、見たこと、ある…」
息がきれてきたのか、走る速度も落ちて足が重たくなってきた。それと同時に後ろから何ががぶつかってきた。
「痛……っ?!」
床に倒れた梁木が何かに気づくと鈍色の獣が牙を剥いて唸り声をあげている。
怖い。
感じたことのない感覚に声は出なかった。両腕で獣を押し出し、今にも食いかかろうとするのを必死に抵抗していた。
「前にも感じたことがある……」
何を考えたのか、梁木は違った感覚で震えていた。
「動かないで!」
その時、どこからか声がした。
それを探すより先に、目の前で牙を剥いて襲いかかっていた獣が絶叫している。
「矢が…」
獣の背中には無数の矢が刺さり、獣は梁木から離れるとその場でうずくまり、やがて灰になって消えていく。
何が起こったか分からず呆然としていると、今度は違う声が聞こえた。
「風の精霊シルフよ、汝の力を宿し刃と化せ…ウインドブレイド!」
梁木はゆっくりと声のするほうを見る。すると、一人の少女はボーガンを握り、もう一人の少女は風を纏った剣を振り上げて次々に獣の群れに切りかかっていた。
何が起こっているのか理解できず、ただ、目の前の出来事から目が離せなかった。
少女によって傷つけられた獣は次々に絶叫し、灰に変わり散っていく。やがて、全ての獣が消えていくと、少女達は顔を見合わせて話しだした。
「レイ、やるう」
「ユーリこそ」
いつの間にか二人が持っていた剣とボーガンが消えている。次々に起こる出来事に梁木は何かを疑い考えていると、少女達が梁木に気づいて近づく。
「大丈夫?」
剣を持っていた少女が梁木に手を差し延べる。その時、もう一人の少女が何かに気づいて口を開いた。
「レイ、待って!今、結界の中だよ…?」
少女達は何かに気づいて辺りを見回した。梁木も辺りを見回すと、図書室の天井や壁に赤いもやみたいなので覆われていた。
「じゃあ、この人も能力者…」
ボーガンを持っていた少女も、明るめの茶色の長い髪を手で払いながら梁木に近づく。
「あなたも覚醒してるの?」
覚醒という言葉に反応して梁木は立ち上がり、二人に問いかけた。
「…覚醒?昨日見た金髪の男性も同じことを言っていました。それは一体、なんですか?」
「昨日見た男性?」
「暗くなってたからよく見えなかったけど、金髪の男性が「まだ覚醒してない」、そう言ってました」
梁木がそう言うと二人は顔を見合わて何かを考えた。
「金髪…もしかしたらトウマさんかな?」
「レイ、結界が消えたよ。このままここにいるよりも、保健室に行かない?」
「そうだね」
結界と保健室。梁木は話が見えず話に割って入ろうとしたが、それより早く二人は梁木のほうを振り向いた。
「私は水沢麗」
「あたしは風村悠梨。あなたは?」
剣を持っていた少女とボーガンを持っていた少女が答える。
「僕は…梁木翔」
それに釣られて梁木も答えた。
「一先ず、保健室に行こう」
いつの間にか、天井と壁を覆っていたもやみたいなのも消えていた。
梁木は二人についていく形で、図書室を出て階段を降りていく。
「………で、俺のとこに来たのか?」
保健室のテーブルの上にはアイスティーの入ったコップが三つ置かれている。
「お前ら、ここをたまり場だと思ってねえか?」
三人は椅子に座りながら答えを返すことができなかった。
「だって、図書室から近かったし」
「実月先生なら何か分かるかなって思って」
二人も慣れてきたのか少し頭を下げるとアイスティーのコップに口をつけた。柑橘系の香りのするアイスティーは少し甘くて飲みやすかった。
実月は溜息を吐くと、自分の机に置いたマグカップを持つ。今日はカフェオレらしい。
「そう、気になったんだけど、梁木君はどうして図書室にいたの?」
「…借りた本を返しに行ったんです。そしたらWONDER WORLDという本を見つけて……本を開いたら光が飛び出したんです」
『WONDER WORLD!』
麗と悠梨が同時に声を出した。
「その本を知っているのですか?」
梁木も驚いて問いかける。
「知ってるも何も、その本を見て私達は戦うようになったの」
「WONDER WORLDっていうゲーム、知らない?」
「僕、ゲームはやらないんです」
梁木は首を横に振って答える。話が見えてこない。
「あたし達はゲームをやってるから知ってるけど、そのゲームと図書室で見た本は同じ内容で、この学園に『WONDER WORLD』のキャラの力を持つ人達がいるの」
「それは覚醒という形で登場人物のままになってるから、魔法や技を使ってくるみたい」
「ゲーム?魔法?」
梁木は目を丸くして驚いた。今日は驚いてばかりだ。
「そんな…非現実的です」
「私達も最初はそう思ったよ」
「でも、あの獣…見たことなかったでしょう?あれは多分、誰かが召喚したんだと思う」
麗と悠梨は互いに目を合わせて苦笑する。現実離れしたことが目の前で起きて、最初は誰もが疑うものだ。
「先生、私達が図書室に来た時は結界は張ってあったけど、パソコンの電源はついてなかったの」
麗が実月の方を向いて話している時に、梁木は再び聞き慣れない言葉を口にした。
「結界?」
「梁木がどこまで本を読んだかは知らねえが、力が有るものだけをその場所に残したり、攻撃を反射したり防ぐものだ。まあ、そのうち嫌でも分かるだろう」
「はあ…」
梁木は曖昧な返事をする。三人の表情は嘘を言っているように見えないが、突然の出来事にまだ落ち着いていなかった。
「この様子だとまだ覚醒してないな」
「…僕も本の中の誰かなんですか?」
「飲み込みは悪くねえな。それは俺にも分からない…まあ、しばらくは気をつけろ」
「はい…」
梁木は実月の言葉に頷くしかなかった。もう何がなんだか一つずつ考えても分かりそうにない。
アイスティーを飲み終えたコップを机の上に置くと、悠梨が何かを思い出したように口を開いた。
「ねえ、さっき言ってた金髪の男性って?」
「あ…。昨日…帰ろうとしたらどこかで鈴の音が聞こえて暗い霧が広がったんです。そしたら僕の目の前に瞳の色が違う二人の男性がいたんです」
「瞳の色が違う…」
「一人は四月の新入生歓迎会で見た人だったのですが、もう一人が…制服を着てなかったから大学部の人だったのかな…金髪に両耳のピアスをつけてる男性でした」
梁木は思い出しながら答えていく。何度思い出しても、あの出来事は夢でも見たような感覚だった。
「レイ」
「うん、トウマさんかもしれないね」
麗と悠梨は顔を見合わて二人が知る人物を思い浮かべた。
「お前ら、もう五時だ。ほら、それ飲んだら帰れ」
実月は壁にかけてある時計を指指すと、白衣のポケットから煙草とライターを取り出し煙草に火をつける。
『はーい』
二人は特に気にすることなくアイスティーを飲み終え椅子から立ち上がる。咄嗟に梁木も立ち上がった。
「梁木」
実月は麗と悠梨の後に続いて保健室から出ようとする梁木に声をかける。
「信じられないかもしれないが、そのうち分かるさ」
「はあ…」
梁木は曖昧な返事をすると頭を下げ、保健室から出て行く。
一人になった実月は煙草をくわえながら何かを考えながら笑っていた。
それから三日後の放課後。
梁木は黒い表紙の日誌を持ち、五階の廊下を歩いていた。
「職員室に提出したら帰ろう…痛っ!」
急に肩甲骨に痛みがはしり右手で押さえる。前から肩甲骨に違和感はあったが、三日前から痛む感覚が短くなっていた。
「前より痛む…何かあったのかな」
小さく呟いて溜息を吐くと、どこからか声が聞こえる。辺りを見回しても何も聞こえない。僅かな緊張がほぐれて目の前を見ると、前に図書室で見た鈍色の大きな獣が群れをなしていた。
「!!」
獣の群れは梁木に気づいてる。いっせいに吠えると、梁木に向かって走ってくる。
梁木は獣の群れから逃げるように走りだした。階段を降りて廊下を走る。
「(あの時の獣がどうして…)」
廊下ということを忘れ、梁木は必死に走った。放課後にも関わらず、人の気配を感じない。そんなことを気にせず廊下を走り、梁木は扉が開いている部屋を見つけると、思わず飛び込んだ。
「梁木…君……?」
その声に気づいて梁木は落ち着こうとして目を見開いて驚いた。
そこには、三日前と同じ獣の群れが麗を囲んでいる。
それと同時に図書室の扉が大きな音を立てて閉まり、獣が追ってこないことに気づいたのもその時だった。
図書室の天井や壁には赤いもやみたいなので覆われていた。