再生 63 風の架け橋
春休みに入り、少しずつ春の訪れを感じるようになった。
物語でのわだかまりが無くなった麗と凛は、時間を取り戻すように二人で出掛けたり、一緒にいることが多くなった。
ある日、昼食をとり終えた二人は春休みの課題をやろうと話し、麗の部屋に移動した。
麗は勉強机の前にある椅子に座り、凛はテーブルの近くに腰を下ろす。
「そういえば、さ」
「ん?」
机とテーブルに筆記用具と教科書やノートなどを置いて勉強しようとした時、麗は思い出したように口を開く。
「終業式の時、保健室で話せば良かったんだけど、実月先生がやることがあるって言っててたから話せなかったから…。物語でティムが精霊を召喚したとこで終わったけど、凛は精霊を召喚することができるの?」
本当は話したいこと、知りたいことはたくさんあった。
しかし、実月にやることがあると言われて麗達は保健室を後にしたのだった。
麗達は凛に話したくないことがあれば言わなくていいと言われていたので、言えることだけ話している。
周りに自分がティムの能力を持っていると知られているし、隠すことではないと思った凛は麗に説明する。
「魔法は使えないけど、精霊は召喚できるよ。保健室で第二プールに行ったって言ったじゃない?あれは、一階で歌声が聞こえて、それを探しに行ったら第二プールに着いたんだ。第二プールはセイレーンっていう精霊の力で海に変わっていて、セイレーンの歌声であたしは身体が動かなくなって、どうすることもできない時に風の精霊シルフが現れたんだ」
「えっ?」
シルフという名前を聞いて、麗は驚く。
セイレーンもシルフもちょうど物語に出てきた精霊だったが、それ以上にシルフという名前に反応する。
「そのシルフの力のおかげでセイレーンは消えたんだけど、突然、気を失っちゃって…目が覚めたら滝河さんがいたんだ」
あの時は、ただ滝河が高等部に来ていただけだと思っていた。凛も滝河も互いに能力者だと思っていなかった。
「後、 先月の終わりくらいに一階で野良猫を見つけて追いかけてたら、食堂の横に鏡があって、あれって一時期なかったよね?」
食堂の横にある鏡は凛が編入した時はあったと思っていたが、冬休みくらいに無くなっていた。
「…信じられないと思うんだけど、鏡の中に静さんっていう男の人がいたの」
鏡に映るのは自分ではない。しかも、鏡の中から人が出てきたのも信じられない出来事だった。
「鏡の中ってブロウアイズさん?」
「姉さんも知ってるの?」
麗も凛も互いにその人物を知っている事に驚く。
鏡の中にいた男性は、物語の中でブロウアイズという名前でマーリとティアが師匠と呼ぶ人物だ。その人は静という名前らしい。
「うん。私、滝河さん、葵の三人はその人に会って力をつけてもらったの」
「そうなんだ」
教科書とノートは開いたものの、二人は話に集中して手を動かしていなかった。
「あたしはその人に水の精霊ディーネの力をもらったの」
ディーネを発見した時から、校内であの猫を見かけるようになった。しかし、凛はただ野良猫が校内にいるくらいにしか思っていなかった。
「姉さん?」
凛が先月のことを思い出していると、麗は知らないうちに俯いて何かを考えていた。
「…どうしたの?」
悲しそうな表情を見て凛は察する。大切な話だ。
「凛に話したいことがあるの」
話さなくてもいいことかもしれない。けど、その内、話すことかもしれない。
「私が一人で学園に編入して、周りが中等部からの持ち上がりが多い中で、友達ができるか学園に馴染めるかどうか不安だったの。そんな中、話しかけてくれたのが風村悠梨っていう女の子だった」
一人だけ編入することになり、周りは持ち上がりの人達がいる中、期待より不安の方が多かった。
校舎の入り口に貼られているクラス編成の貼り紙を見ていたところ、彼女に話しかけられた。
「彼女…ユーリと寮の部屋も近いし、同じクラスだと分かって、私たちはすぐに仲良くなった。グループ分けの授業、体育祭や学園祭、いつも一緒だった。彼女は私の初めての友達なの」
過去にしたくない。
無意識に過去形にしなかった。
「二年の一学期の終わりに風の精霊シルフが現れて、精霊は思いの強さに惹かれて特別な言葉を言えた人に力を与えるって言って、それに応えたのが葵だった」
「えっ?」
話の先が見えない。
そう思っていた時に中西の名前があがる。
どうして、中西が関係しているのだろう。そう思った。
「葵はシルフの力を得て強くなって、シルフは仮の器を作って私達を見ていたって言ってたの。…その日から目の前の部屋が空き室になった」
麗の部屋の目の前は今でも空き室である。寮長に確認した時、入寮予定はないと話していた。
凛は気づいてしまう。
これ以上、言わなくてもいい。そう言おうとした。
「シルフはユーリだった。…風村悠梨という人物を作り、普通の女子高生として学園にいたの」
言葉がうまく出てこない。
麗は思い出して今にも泣きそうな顔をしている。
それを聞いた凛は言葉を失う。
「それを知った時、信じられなかったし、それまで彼女を知っていた人達もまるで最初から知らなかったようにしてて…。この学園に来て初めての友達がユーリで、現実を受け止められなくてずっと泣いてた…」
麗の声が震える。
あの時は、学校にいる時以外は泣いてたかもしれない。
「彼女はシルフとして、ちゃんといるのは分かってるよ」
月日の流れと周りにいる人達の暖かさが麗の気持ちを変えてくれた。
麗は笑う。
「あたしが編入する前にそんなことがあったなんて…」
一人で学園に来て、不馴れな環境の中で初めて友達ができた。
その友達が精霊だった。
もしも、それが自分の立場だったら同じようにずっと泣いてたかもしれない。
「私も精霊を召喚する力があるかは分からない。でも、シルフ…彼女は優しいよ」
いつかその時が来たら、ちゃんと笑顔でいたい。そう思っている。
凛はすっと立ち上がると、麗の目の前に来て麗に抱きつく。
「話してくれてありがとう」
物語に関わって、辛い思いをしたのは自分だけじゃない。
「…うん」
辛いことも含めて今がある。それを教えようとしてくれたのかもしれない。
二人は暫く抱き合っていた。
透遥学園の高等部に編入して最初の日。
校舎の前にある並木道でクラス編成の紙が貼り出されていた。
その紙を見て周りを見ると、同じ一年生なのに仲良さげに話している人達が多い。
「そっか、ここは中等部からそのまま来る人が多いんだ…」
透遥学園は中等部、高等部、大学部で成り立っている。
編入する生徒より持ち上がりの生徒のほうが多かった。
「馴染めるかな…?」
まだ校舎にも入っていないのに、すでに不安になり、気づいたら溜息を吐いていた。
「ねえねえ」
後ろから声が聞こえたので振り向くと、そこには私と同じ真新しい高等部の制服を着た女の子が立っていた。
腰くらいまでのやや明るい髪、よく見ないと分からないが化粧をしている。
「貴方もこの学園に編入してきたの?」
彼女はにっこり笑いながら質問をする。
貴方も、ということは彼女も同じなのかもしれない。
「はい」
私は素直に頷いた。
「マジで?あたしも!」
私の答えに彼女は嬉しそうな顔で私に一歩近づく。
「何組?」
ここにいるということは、同じ一年生だと分かる。
「A組…」
「嘘っ?!一緒!」
彼女は驚きながら、貼り紙のやや左上を指した。
一年生は五クラスある。
「あたし、風村悠梨。貴方は?」
「私は水沢麗」
別の学校から編入してきた人もいることに私は安心して、緊張していた気持ちも和らいだような気がする。
彼女は右手を出す。
「麗、か。ねえ、レイって呼んでいい?あたしもユーリって呼んでよ」
私の名前を音読みにすると「れい」になる。中学の時も呼ばれることがあった。
私は照れながら彼女、悠梨と握手をする。
「うん」
透遥学園に編入して、初めて友達ができた。
「えっ?!レイも寮生だったの?」
始業式とホームルームが終わり、別の寮生の案内で校舎の北側にある学生寮に行くと、案内された部屋の前に悠梨はいた。
「ユーリも同じだったんだね」
私と同じ編入組で同じ寮生、偶然と言えど、私は嬉しかった。
朝、貼り紙の前で不安になっていた気持ちが嘘のようだ。
編入してきた生徒も寮暮らしをする生徒も、たくさんではないがそれなりにいる。
「これから一緒に勉強したり、部屋に遊びに行ったりできるね」
「うん」
私は笑顔で頷いた。
「ここのご飯、超美味しいよねー」
ある日の昼休み。食堂でご飯を食べて教室に戻る途中、悠梨はお腹を押さえながらそう言った。
「そうだね。種類も多いし、たまにデザートもあるし」
確かに高等部も学生寮も食堂のご飯は美味しい。種類も多いし、お弁当を持ってくる人のためにスープだけ、ご飯だけというのもある。
それに、毎日じゃないけどデザートもある。
「あたしさ、おばちゃんが作るプリン、好きだなー」
月に何回かプリンが出る日がある。
いつ出るか分からないけど、知っている人は知ってるし、その時は先生たちも買いに来るくらいだ。
中等部や大学部にもファンがいるらしい。
甘すぎなくてどこか懐かしい味で、プリンが並ぶ日はいつも悠梨と買っている。
「私も好きだよ」
「えっ?ユーリってゲームやるの?」
彼女の口からゲームという言葉を聞いて、私は聞き返した。
「あ、もしかして意外だって思ったでしょ?」
図星だった。
悠梨の部屋に遊びに行った時、私と同じでパソコンがあることを知った。その時、ゲームをしていることを知る。
「…うん」
人を見た目で判断してはいけないけど、悠梨がゲームをするイメージがなかった。
「携帯でもゲームはあるし、あたしは…これっ!」
悠梨はパソコンの横に置いてあるケースを手にとって私の前に出す。
「WONDER WORLDっていうRPGなんだけど、超ハマってて、絵も綺麗だし歌もカッコいいんだ」
主人公の女の子が魔法を使う男の子と一緒に旅をするゲームで、パッケージに描かれている絵は綺麗だった。
それから熱く語ってくれて、楽しそうに話す悠梨を見て、私も少しだけやってみようと思ったのである。
「レイ、学園祭の実行委員なんだけど、面白そうだから一緒にやらない?」
ホームルームが終わった後、悠梨が私の席までやって来てそう提案する。
ホームルームの内容は来月に行われる学園祭についてだった。クラスや部活でお店を出したり、何かを発表したりする。
先生の話を聞いてるだけでわくわくする。
私も悠梨も部活は入っていない。実行委員をやってみるのもいいと思っていた。
「次のホームルームの時に立候補してみようか」
もしかしたら、他の人も実行委員に立候補するかもしれない。その時はクラスの出し物に専念しよう。
悠梨は色々なことに挑戦している。その姿はキラキラと輝いていた。
「ゴメンナサイ…」
片言のような話し方でそう呟くと、彼女は風のように消えていく。
彼女が精霊であり、悠梨は作り出されたものだった。
私にとって、それは信じられなくて認めたくなかったことだった。
思い出が映画のようにスライドされて断片的に見える。
「…ユーリ」
気づいたら私は泣いていた。
どこか懐かしくて、忘れられない夢だった。
大学部と高等部を繋ぐ並木道の木々が芽を出し始めた。
新学期には桜が咲くだろう。そう思いながら歩いていると、分かれ道の前である人物を見かける。
『あっ』
相手も自分を見ると、会うと思っていなかったのか、ほぼ同時に声を出した。
「滝河さん?」
「佐月」
二人、滝河と佐月は名前を呼ぶと軽く頭を下げる。
佐月は少し足早に門を抜けて学園を出ると、左に曲がる。
滝河もその後を着いていくように、門を抜けて学園を出ていく。
滝河が左を向くと、そこには佐月がいた。
「春休みに学園にいるのは珍しいですね」
佐月は滝河に気づくと、改めて頭を下げる。
「お前もな」
それは滝河も同じだった。まだ三月だが、春休みに学園にいる生徒は多くない。
いつからか、下校時に能力者の誰かに会った場合、その場ではなく学園を出てから話そうという案があった。それは、学園内にいると結界を張られて敵に狙われるのを防ぐため、学園を出れば結界を張られないと考えた結果だった。
滝河も佐月も互いに下校すると思って学園を出たのだ。
「あたしは部活の帰りです」
佐月は一年の時からダンス部に所属している。
「俺は教授の手伝いだ」
大学部も春休みだが、春休みの前に手伝いを頼まれていた。
滝河が歩き出したのを見て、佐月も歩き始める。
滝河が高校生の時から、あまり佐月と会うことはなかった。麗達を通じてどんな能力を持っているか聞いているが、実際に見たことはほとんどなかった。
佐月が知らないと思い、滝河は話し始める。
「水沢姉妹が互いに能力者だって分かったみたいだな」
十日ほど前、麗から連絡があった。
佐月は水沢と聞いて、柔らかい笑みを浮かべる。
「終業式の時に話したみたいでしたが、あたしは部活の集まりがあって行けなくて、後から麗様から連絡がありました」
凛が神崎に呼び出され、その時、凛も能力者だということを知った。
凛はティムの能力を持っていると聞いた時、自然と彼女の前で膝をついていたという。
「俺はその前に高等部の第二プールであいつを見つけて、二週間後くらいに能力者だということを知った」
「ティム様の能力を持っているみたいですね。お二人のわだかまりが無くなったのは喜ばしいことですが…」
話している途中で、佐月の表情が曇る。
物語の過去でティムはロティルに襲われている。もしかしたら、ティムの能力を持つ凛が同じ目に遭うんじゃないかと恐れていた。
「多分、お前以外もそれは考えていることだと思う。けど、自分から言えないと思うし、確認することもできない」
滝河も、双子の姉である麗も気になっていることでも、それを本人に聞くことはできなかった。
「分かってます。物語の続きも見つかりましたし、あたしはあたしなりにお二人を守ります」
佐月は俯いていた顔を上げて前を向く。
「その割には、あまり水沢達と一緒にいるのを見ないな」
滝河は何となく思ったことを口にする。
クラスは違っていても休み時間や放課後には会うことはできる。
「部活がありますし、過度に一緒にいると狙われやすいですから」
佐月は特に気にする様子もなく答える。
確かに佐月の言うことは間違っていなかった。部活に入っていれば、いつも一緒にいることはできないし、麗達といると、それを見計らって神崎たちに狙われるかもしれない。
「確かにそうだな」
「そういえば、中西先生に会った時、先生もお二人のことを気にしていました」
佐月は思い出したように話す。
「麗様、凛様、中西先生は幼馴染みなんですよね」
「ああ」
能力者として麗に出会ってから少しして、中西が覚醒して二人が幼馴染みということを知った。気をつけているが、二人きりの時や気が緩んでいると今でも言葉遣いが戻ってしまうらしい。
「生徒としても幼馴染みとしても、お二人のことを心配していると言ってました」
真っ直ぐ歩いて大通りが見えた時、バスが停留所に近づくのが見える。
「あ、バスがきた。すみません、あたしは失礼します」
そう言うと、小さく頭を下げて横断歩道を渡ってバスに乗り込む。
「(そういえば、佐月と二人きりで話すことってほとんどなかったかもしれない…)」
何となく佐月が乗ったバスを見送ってから、滝河は駅に向かって歩き出した。
「あれ?」
ある日、部屋にいる凛は、窓から茶色の毛並みの猫を見つける。
「前に学校で見かけた猫だ」
それは、前に校舎で見かけた野良猫だった。
約一ヶ月前、一階で見かけて食堂に向かって走り出したのを追いかけた。しかし、食堂の角を曲がり姿が見えなくなってから、見ていなかった。
「寮の方まで来ちゃったのかな?」
猫は寮の入口の前で座り、左前足を舐めて顔を撫でている。
「……」
何となく気になった凛は部屋を出ると、廊下を歩いていく。
階段を下りて扉を開けて外に出ると、そこに猫の姿はなかった。
「いなくなっちゃった」
鎖で繋がれているわけじゃないから、気ままにどこかに行ったのかもしれない。
「凛」
凛が部屋に戻ろうとした時、後ろから声が聞こえる。
後ろを向くと寮に向かって歩いている麗を見つける。
「姉さん」
「どこかに行く…わけじゃないよね?どうしたの?」
麗は凛の格好を見て考えていたことを止める。凛もどこかに出掛けると思っていたが、さっと上着を羽織っただけの格好は出掛けると思えなかった。
「あ、この前、学校で見た野良猫がいたから見にきたんだ」
さっと上着を羽織っただけの凛とは反対に、麗は手に取っ手がついたビニール袋を持っている。
確か、新学期に必要なものを買いに行くと言っていた。
「でも、いなくなってたんだ」
「野良猫なら、どこかに行っちゃったんだよ」
首輪があれば飼われているかもしれないし、学園に野良猫が全くいないとは限らない。
「そうだね」
寮ではペットの飼育は禁止されている。隠れて飼っている話も聞いたことなかった。
特に気にする様子もなく、凛は麗と一緒に寮に入っていく。
草むらの影から茶色の毛並みの猫が姿を現すと、二階を見上げながら鳴いた。