再生 60 雪どけの白い花
二月下旬。
もう少しで春が訪れようとしていても、まだまだ寒い日が続いていた。
雪が降るある日、生徒会室には神崎と結城がいた。
「その後、あの二人の様子はどうだ?」
「月代は、何日か前から学校に来ていないようです。橘は…私も先程、確認しましたが、家の都合で休学しているそうです」
職員室にいた時、二人の担任に聞いたところ、そのような答えが返ってきた。
結城は知らなかったというような表情で答える。
「休学か…」
結城の言っていることが本当だとしたら、休学ばかりは何も言えない。もしも、登校しているのであれば、橘の状況をこの目で確かめたかったのだ。
「強制的に登校させることはできない。月代が登校したら状況を確認しろ」
「かしこまりました」
結城は頭を下げて生徒会室を出ようと踵を返した時、神崎が言葉を続ける。
「そういえば、先日のバレンタインは水沢凛のみ受け取ったみたいだな」
結城は少し考えると、振り返って神崎を見る。
「私が彼女を拒否をしたことによって、今後に影響がないとは言えませんから」
「そうか」
結城はいつも通り、表情を変えることなく答える。
それを聞いた神崎はそれ以上話しかけることもなく、結城は再び踵を返して生徒会室を後にした。
三年間は長くて短い。
そう思いながら、高屋は並木道を歩いていた。
左側を向くと、見慣れた高等部の校舎が見える。
「もう少しで卒業式…あっという間ですね」
三年生にとって、バレンタインが終われば卒業式も近い。業務の引き継ぎはあるが、高屋は大学部に進学するので、卒業するという実感はそれほどわかなかった。
透遥学園の生徒会は高等部と大学部の生徒が運営している。高等部の行事は高等部の生徒、大学部の行事は大学部の生徒が主体で行われるが、会議などは高等部と大学部の生徒全員で行われている。
「(生徒会役員も増えたし、一先ず安心でしょう)」
最初は自分に役員が務まるか考えたが、いつの間にか生徒会のことが当たり前になっていた。
「(…それにしても、 まさか赤竜士も進学するとは思いませんでした)」
高屋は同い年である鳴尾のことが頭に浮かぶ。
歩きながら持っている書類を見る。手にしていたのは大学部の入学案内の冊子や書類だった。
大学部へ必要な書類を提出した時に、窓口にいた男性から、鳴尾も大学部に進学することを知った。
「(まあ、今はそれは置いておきましょう)」
高屋は特に気にする様子もなく、その場に立ち止まって高等部の校舎を見上げる。
「(学園内で変わった気配を感じるようになった…。気配を辿れることはできても、辿れば辿るほど掴めないというか、知っているようで感じたことのない感じがする)」
何かに似ているようで、感じたことのないようなはっきりしない感覚だった。
高屋は歩き出して左に曲がろうとする。
「…っと、今日はもう帰るだけでしたね」
いつも通り、高等部に向かおうとしたが、書類を提出するだけで高等部に戻らなくても良かった。
高屋は右に曲がって校門をくぐろうとした時、あることを思い出す。
約二週間前、職員室で中西からカップケーキをもらった。
正確には、中西が食べていたカップケーキを一口、中西がちぎって高屋の口の中に入れた。
その時は特に何も気にしなかったが、カップケーキを作った差出人の名前を見てしまったのだ。
「(中西先生が食べていたものが、彼女が作ったものだとは…)」
気づいた時には食べていたので何かを言うことはできなかったが、あれは不意打ちだった。
高屋は色々と考えたが、眉間に皺をよせてゆっくりと首を横に振る。
「…僕は僕のやるべきことをするだけです」
悲しげに呟くと、校門をくぐって外に出ていった。
「ふあ…」
凛はあくびを抑えながら東階段を下りていた。
バレンタインも終わり、凛は期末テストに向けて勉強をしていた。赤点ギリギリの成績ではないが、勉強する理由は結城の言葉以上に、情報処理のテストで赤点をとった場合、また補習ががある。情報処理の教科を受け持つのは神崎と結城、また何かあるんじゃないかと思い、少しでも勉強をしていたのだった。
「今日は早く寝ようかな…」
そう思いながら、眠たい目をこする。
一階に着くと左を向く。
「あたしが精霊を召喚したこと、まだ言ってなかったし…実月先生、いるかな」
保健室の前に立った凛は、扉を小さく叩いてから扉を引いた。
「失礼します」
「おう」
凛が保健室に入ると、実月は机に向かって何かを書いていた。
「どうした?」
「ちょっと話したいことがあって…、今、時間ありますか?」
「ああ。まあ、入口のほうは寒いから、こっちに来て座れ」
実月は書いていた紙を裏返すと、手招きをする。それを確かめた凛は実月の近くにある椅子に座る。
「実は…」
座るために一瞬だけ視線を落としてから顔を上げると、実月の瞳は深い青色に変わっていた。
「あれ?瞳の色が変わってる」
凛も瞳の色が変わり、覚醒していた。
「お前が話したいのは、そいつのことだろ?」
実月は凛ではなく、その後ろを指差す。凛が後ろを振り向くと、そこには、第二プールで見た風の精霊シルフがいた。
「あーーーーっっっ!!」
覚醒したということは結界が張られて、能力者が近くにいることは分かるようになった。
しかし、それまでいなかった風の精霊が現れ、凛は驚いて大きな声をあげる。
シルフは何もしないで凛と実月を見ている。
「どうして風の精霊が…?」
「ココナラ安全ダカラ」
シルフは困ったような表情で実月を見る。
シルフが何もしないと分かった凛は話し始める。
「今月の始めに、第二プールから歌声が聞こえて行ったら、人魚のようなものがいたんです。それで、あたしはこの…」
凛は後ろを向いてシルフを見た。
「風の精霊シルフの声を聞きました。あたしが名前を呼ぶと、シルフが現れて、その人魚のようなものを倒したんです」
「精霊を召喚する呪文を唱えたのか?」
実月の質問に凛は首を横に振る。
「じゃあ、第二プールから歌声が聞こえたということは、気配を探れるようになったのか?」
別の質問に、今度は首を傾げながら思い出すように答える。
「何となく、です。はっきりとは分からないんですけど、漠然と…何か、変な感じだなっていう…」
「ほう」
実際に強い力を感じるというよりは、何かを感じるというくらいだった。魔法もまだ使ったことがない。
それまで凛の後ろにいたシルフは、ふわりと移動して凛の前に回る。
「人魚ノヨウナモノ、アレハ、セイレーント言ウ」
「セイレーン?」
聞き慣れない名前に凛は首を傾げる。人魚のようなものはセイレーンという名前らしい。
「イナクナッタト思ッテイルケド、セイレーンハ、貴方ガ身ニツケテイルネックレスノ中ニイル」
「ネックレス?」
シルフに言われて首元に手をあてると、いつの間にか凛の首にはネックレスがかけられていた。
「貴方ガ望メバ、我ヤセイレーンハソレヲ媒体ニシテ現レヨウ」
シルフは凛の首にかけられているネックレスを指差す。
「貴方ハ精霊ヲ召喚スル力ヲ持ッテイル。コレカラ、他ノ精霊ヲ召喚デキルカモシレナイ。ケレド、力ヲ利用スルニハ魔力ガイル」
凛はシルフの言葉に耳を傾けている。実月はその様子を黙って見ていた。
「最初ハ負荷ガカカリスギテ、疲レタリ眠クナッタリスルケド、ソノウチ慣レルト思ウシ、意識スレバ気配ヲ探レルヨウニナルカモシレナイ」
「…だから、あの時」
凛には思い当たることがあった。覚醒して敵に襲われた後、疲れたり眠くなることがあった。
それに、シルフを召喚してセイレーンを倒した後、短い時間だが意識を失っていた。
「シルフ」
それまで黙って話を聞いていた凛は、それをどう呼んでいいか分からず、確かめるように名前を呼ぶ。
シルフは声に反応して凛の顔を見る。
「聞きたいことがたくさんある。どうして、あたしに力を貸すの?」
「ソレハ、貴方ガティムノ能力者ダカラ。物語ノ中デ、ティムハ動物ト心ヲ通ワセルコトガデキル」
精霊が本を読むのかどうか分からない。そもそも、半透明な身体だから本を持つことができるのか。
そう思いながらも、凛はシルフが物語を知っていることを知る。
「ソレニ、ネックレスガ弓矢ニ変ワルノモ同ジ」
物語の中で、ティムが身につけていたネックレスは不思議な形状で、自分の思った形に変えることができる。
それを聞いた凛は、少しだけすっきりしたような顔で息をつく。
「何となくすっきりしたかも。何も分からないままじゃ変わらないし、これから何かあった時に、他の方法が見つかるかもしれない」
「(水沢、変わったな)」
凛の顔を見ながら、実月はそう思った。
物語に関わる能力者だと知り、自分にティムと同じことが起きていることを知り、不安や悲しみが入り交じったような表情をしていた。
しかし、今は不安が残っていても、何かをしようというような表情だった。
「我ハソレヲ伝エタカッタ」
「最後に一つ。初めて会ったような気がしないのは、前に会ったことがあるの?」
凛は自分でも不思議なことを言っていると思っていた。初めてシルフを見た時、何故か初めて会ったような気がしなかったのだ。
それを聞いたシルフは驚いたような表情をしたが、少しすると優しく笑う。
「風ハ全テヲ見テイル」
そう言うと、シルフは風に包まれて、ネックレスの中に消えていく。
「消えた…」
凛はネックレスに触れる。
「すっきりしたか?」
それまで黙って見ていた実月が口を開く。
瞳の色は元に戻っていた。
「あ、はい。先生に精霊のことについて話したかったのに、精霊…シルフが現れて話してくれるとは思いませんでしたが…」
自分の口から説明しようと思っていたが、シルフが現れたことにより、どうしてシルフが現れたのか、幾つかの疑問が解決された。
それが結果に繋がるかは分からない。けれど、これからに繋がるかもしれない。
「シルフの言うように、お前に召喚する力があるとすれば、これから他の精霊と接触するかもしれない。気配を感じるのは難しいかもしれないが、意識をするようにしてみたらどうだ?」
実月の言葉はすっと胸に入っていくような気がする。
できないことでも、やってみようと思えるようになる。
「まあ、いきなりできるわけでもないから、頭の片隅にでも覚えておけ」
「はい」
凛は頷いて答えた。
「悪いが、俺はまだやることがある」
「あ、すみません!」
凛は慌てて椅子から立ち上がる。
手招きされた時は保健室に入っても大丈夫だと分かったが、実月の口から時間があるとは聞いていなかった。
「話を聞いてくれて、ありがとうございます」
「また何かあったら、保健室に来ていいからな」
凛は入口の前で実月に頭を下げると、扉を引いて保健室から出ていく。
扉が閉まった後、実月は再び机に向かうと裏返していた書類を元に戻した。
「わざわざ説明するとは、あいつらしいな」
そう言うと、くすりと笑った。
保健室を出た凛は下足場で靴を履き替えようとした。
靴箱を開けて靴を取り出そうとした時、どこからか猫の鳴き声が聞こえる。
「猫?」
凛は辺りを見ると、目の前には猫がしゃがんでいた。
「校舎の入口は開いてるから、入ってきちゃったのかな?」
登下校の時間には校舎の入口は常に開いている。学園内は広いし、どこからか迷いこんだのかもしれない。
茶色の毛並みの猫は首輪をしていない。飼い猫ではなさそうだ。
「おいでー」
凛はその場にしゃがんで手招きをすると、猫は一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、凛を呼ぶように鳴くと、凛に向かって走りだし、そのまま廊下を走っていく。
「ち、ちょっと!」
凛は慌てて靴箱を閉めると、廊下を走る猫を追いかけていく。
「待ってっ!」
凛の声が聞こえないくらい猫は振り向かずに真っ直ぐ走り、食堂が見えると右に曲がった。
猫の後を追い、凛も右に曲がる。
「あれ?」
すると、猫の姿は消えていた。
「外に逃げちゃったかな?」
目の前にはプールに続く道がある。外に繋がる扉が開いていたから、もしかしたら外に逃げていったのかもしれない。
そう思いながら辺りを見回すと、あるものに気づく。
「あれ?ここの鏡、前は無かったはずなのに…」
一階の食堂の横には大きな鏡があった。
凛が編入した時にはあったが、三学期に入った時には鏡は無くなっていたのだった。
その鏡がまた食堂の横に置かれるようになったのかもしれない。
「あっ…!」
凛は鏡を見て、自分の瞳の色が変わっていることに気づく。
「覚醒してる!」
凛の首にはネックレスがかけられている。
凛は急いで周りを確認した。
覚醒するなら、近くに能力者がいるかもしれないし、結界が張られたかもしれない。
しかし、周りを見ても他に誰もいないし、景色が変わったり結界が張られた様子はなかった。
「誰かいる様子はない…。……えっ?」
凛は警戒しながら鏡を見ると、そこには自分ではなく別の人物が映っていた。
「鏡に誰かいる?!」
腰まで伸びた髪に、顔には目立つ大きな十字傷、そして右目には黒い眼帯をつけている。
睨むような鋭い目つきの男性は、鏡の中で凛と向かい合うように立っていた。
凛は一歩下がって意識を集中させる。ネックレスの形が変わり、弓と矢に姿を変える。
「お前が水沢凛か」
その時、鏡が光りだし、鏡が水のように揺れると中から男性が姿を現した。
「!!」
凛は咄嗟に弓を構えると矢を引いた。
しかし、凛が瞬きをしたその時、男性は凛の目の前に移動していた。
「弓矢は近距離向けではない」
男性は矢に触れるすれすれのところに手を出した。
「話を聞かなければ、多少の仕置きをしようと思ったが、どうやら話ができそうだ」
男性はにやりと笑う。
凛は一瞬で目の前に移動したことと、男性から感じる威圧的な雰囲気に恐怖を感じて動くことができなかった。
「私は敵ではない、安心しろ」
「…どうして、あたしの名前を知ってるんですか?」
凛は弓を構えたままだった。
凛は男性と会った覚えがなかった。
「私も能力者だ。それに、お前がここに来たのは理由がある」
「…え?」
凛は驚いて、思わず構えていた弓と矢を下ろしてしまう。
鏡に映っていた時から男性の瞳は深い青色だった。
「私は、お前がこの力を必要としているのを知っている。今はまだ微弱だが、確かにそれなりの魔力を持っているようだ」
「それが、あたしがここに来たことと何が関係あるんですか?それに、貴方は誰ですか?」
気づけば戦う意識は途切れ、弓矢は形が変わり、ネックレスとして凛の首にかけられていた。
「そうだな、私の名前は…静、とでも名乗っておくか」
「静さん?」
名前を聞いても、会った覚えがなかった。もしかしたらどこかで会ったのかもしれないが、学園内は広いし、生徒以外にもここに通う教員や事務員はいる。思い出すのは難しかった。
「お前がここに来た理由は…」
そう言いながら、静と名乗った男性は両腕を頭の後ろに持っていくと、何かをしている。それが右目を覆う眼帯を外していると分かると、眼帯が取れて右目が見える。
「それは…」
静の右目には魔法陣が描かれていた。
「あいつの顔に免じて、力を分け与えてやろう」
凛はネックレスを手にすると、意識を集中した。
「セイレーンの属性は水だ。水の力が強く流れるこの場所で、お前の力で私に攻撃できると思ったか?」
「どうして分かったんですか?!」
凛は何も言っていなかった。
それなのに、静は凛がセイレーンを呼び出そうとしていたことが分かっていた。
凛は驚きながら静に問いかける。
「そのネックレスを媒体にして、セイレーンとシルフを呼び出せることは知っている」
静は面倒だというような顔で溜息を吐くと、小さく呟いた。
「ディーネ」
静が呟くと、身体が青く光り、右目から霧のような蒸気が吹き出すと人の形に変わっていく。
水のように透き通る身体に揺れる髪と尖った耳。氷のような法衣を纏っている。
それはゆっくりと瞳を開いた。
「我ハ水ノ精霊ディーネ。天上ノ輝キヲ身ニ纏イ、永久ノ瞬キヲ抱ク者ナリ」
それを見た凛はディーネを見上げてまま言葉が出なかった。
シルフと同じ尖った耳に透けた身体、片言のような話し方。これが精霊なんだと改めて感じる。
「………」
ディーネは何かをする様子はなく、ただ凛の目の前で佇んでいる。
精霊がまた一人、自分の前に立っている。
セイレーンを見た時は何が起きたか分からなかった。シルフを見た時はただ驚くだけだった。けど、ディーネを前にして何かされたわけではないのに、強い力に押さえつけられている感覚に陥ってしまう。
「……何もしてないのに、身体が動かない」
身体を動かすことは簡単なのに、それが怖くて身体を動かすことができなかった。
「自分より強い相手を前にして警戒するということは、自分が弱い証拠だ。一度に大きな負荷がかかるが、私達がお前に力を与えてやるんだ。それをよく考えろよ」
静は見下すように笑うと、それまで佇んでいたディーネは流れるように凛の周りを移動する。
「精霊や妖精の全てが友好的とは限らない。好戦的なのもいれば、そうでないのもいる。頭に入れておけ」
ディーネが両手を上げると、突然、凛の真下から水が流れ出して、それは凛の身体全体を覆っていく。
「何、これ?!前が見えないっ!」
自分を覆う水に驚きながら辺りを見回すと、その水に触れようとする。
「ちっ!ガキが気づいたか…」
激しい水の流れでよく聞こえなかったが、どこかで静の声が聞こえる。
やがて、凛を覆う水が消えると、凛の目の前にあった鏡と静、水の精霊ディーネは消えていた。
「…消えた?」
何が起きたか分からない凛は辺りを見回す。
その時、凛の背後から声が聞こえる。
「…何をしてるんだ?」
凛が驚いて振り返ると、そこには滝河が立っていた。
「嘘…」
滝河の瞳は薄い水色と深い青色だった。
それが何を意味しているか理解した凛は、信じられない気持ちだった。
凛は滝河が能力者だということを知らなかったし、自分が能力者だということはばれてないと思っていた。
「滝河さんも能力者だったんですか?」
滝河はあまり驚いていない様子だった。
滝河は何を言おうか考えながら、思っていることを口にする。
「俺は、お前が第二プールで倒れていた時、瞳の色が変わったのを見ていた」
「えっ?」
第二プールで滝河と会った時、まだ覚醒したままだった。
それを知った凛は驚きと同時に滝河を警戒する。
滝河が誰の能力を持っているか知らなかった。
「第二プールから強い力を感じて行ってみたらお前が倒れていて…」
滝河は何を言おうか、どう伝えようか悩んでいるように首を横に振る。
「俺はお前が能力者だって知ってた」
知りたいようで知りたくなかった事実が胸に突き刺さる。
自分が能力者だということを知ってるのは実月、麗、生徒会だけだと思っていた。
自分が知らないとこで、歯車がぐるぐると回っている。そんな気分だった。
「お前が編入した時、すでに物語は進んでいた。お前の姉はすでに覚醒していて、編入する前からお前に物語に関わってほしくないと言っていたんだ」
「姉さんが…?」
「他のやつらも、ずっとお前を気にしていたんだと思う」
滝河は凛が混乱しないように、分かりやすいように話していく。
滝河の言葉を聞いていると、滝河や自分の姉の周りにも能力者がいることが分かる。
恐らく、自分がティムの能力を持っているのも知っているのだろう。
「さっきの質問に戻る。ここで何をしてたんだ?」
「それは…」
滝河が誰の能力を持っているか分からない。けど、疑わないのは、滝河は自分の敵ではないと思ったからだ。
意を決して話そうとした時、突然、滝河の後ろで炎が巻き起こり、二人が驚いて炎が起きた場所を見る。
「炎?!」
炎は天井に届くくらい広がり、二人がいる場所に向かっていく。
一瞬にして炎は二人を囲んでしまう。
首にネックレスがあるということは、まだ覚醒しているということは分かっていても、魔法を使ったことがない凛はどうやって燃え盛る炎を消すか考えていた。
「炎を消すとしたら水か風…」
凛がネックレスを掴もうとした時、滝河は凛の前に立つ。
「滝河さん?」
滝河は振り返らずに凛に伝える。
「お前が力を出したくないならそれでもいい。話したくないなら話さなくてもいい」
炎が巻き起こる音が大きいのに、何故かはっきりと聞こえる。
「お前は一人じゃない」
一人じゃない。
どうして一人だけこんなことになったんだろう。
何度も自問自答していた。
滝河のその一言が凛の胸にすっとおりてきて、気づけばつっかえていたものが取れたように涙を流していた。
「俺が守る」
顔が赤いのは炎の熱のせいだと思いたい。
滝河は意識を集中させる。
すると、滝河の立つ場所から水が溢れて出して広がっていく。
溢れた水は廊下を流れて燃え盛る炎を消そうとするが、炎の勢いは強く、水は蒸発していってしまう。
「水が消えちゃう!」
炎は更に勢いを増したような気がする。
焦りだした凛はネックレスに触れる。
「(強くイメージして…)」
あの時のように名前を呼べば、また現れるかもしれない。そう思いながら凛は集中していた。
滝河は笑う。
「捩れた水に潜む氷の化身よ。渦を反らし、力を示して我に従え…アクアトルネード!」
滝河が呪文を唱えると、滝河の回りの水が渦を巻いていく。それは勢いを増して幾つかに分散すると、燃え盛る炎に向かって加速していく。
覆い被さるように水は炎を包み、炎は徐々に小さくなっていく。
小さくなった火が消えようとした時、再び火は大きく燃え上がる。
「ちっ!」
滝河は舌打ちをして、もう一度魔法を発動させようとした時、後ろから声が聞こえる。
「シルフ!」
凛の声に反応するように、凛の頭上に淡い光が浮かびあがり魔法陣が描かれる。
「!!」
滝河は驚いて後ろを振り返る。
凛が魔法を発動させた。それは改めて彼女も能力者だと思い知ることだった。
凛の周りに風が巻き起こると、魔法陣から白のような水色の光が現れて人の形に変わっていく。
シルフは凛の顔を見る。
「汝、何ヲ望ム?」
凛は頷くと、再び広がっていく炎を見た。
「あの炎を消して!」
それを聞いたシルフは笑い、ふわりと右手を肩のところまで上げる。すると、風は渦を巻いて吹き荒れ、炎に向かっていく。
炎は一瞬にして消えていってしまう。
「消えた」
炎が消えると、凛の頭上に浮かび上がった魔法陣もシルフも消えていく。
「水沢…」
滝河は凛の行動に驚いてばかりだった。
凛が覚醒して約二ヶ月、その間に何があったか見ていないが、呪文を唱えずに精霊を召喚する力を持っていることになる。
滝河が言葉を発するより先に、凛が口を開く。
「あの時、第二プールから歌声が聞こえたんです。そこには人魚…セイレーンがいて、セイレーンの歌声を聞いた途端、身体が動かなくなかったんです。その時、シルフの声が聞こえました」
高等部の職員室に用があった滝河は、帰る前に水泳部の様子を見に行こうとしていた。
階段を下りてプールに向かっていると、突然、大きな魔力を感じて第二プールへ向かったのだった。
「シルフの力のおかげでセイレーンは消えて…。シルフが言うには、あたしは精霊を召喚できる力を持っているみたいです」
第二プールの扉を開けた時には、凛はすでに気を失って倒れていた。
大きな魔力を感じてから第二プールに向かう間、そんなことが起きていたとは思わなかった。
「ここに来たのは、前はなかった鏡があって、そこで静さんという男性が水の精霊ディーネを呼び出して、あたしに力を分け与えてやると言って…気づいたら鏡も静さん達も消えていました」
滝河なら話しても大丈夫だと思った凛は包み隠さずに答える。
「鏡があった?!」
「はい」
それを聞いた滝河は聞き返した。
二学期の終わりに、神崎が鏡の中に侵入して梁木に呪印を刻んだ。その時に、滝河が師匠と呼ぶ声が男性は水の精霊ディーネを呼び出して、滝河に力を与えた。
鏡の外に出ると、まるで最初から無かったように鏡は消えていたのだった。
話を聞いて、凛に精霊を召喚する能力が備わっていると理解する。物語の続きの中でティムは出てきていない。もし、また彼女が登場するなら凛と同じ能力をもっているかどうか疑問が生じる。
「師匠…一体、何を考えてるんだ?」
ぶつぶつと呟く滝河の声は凛にも聞こえていた。
「滝河さん、もしかしたら、会ったことがあるんですか?」
「あ、ああ」
ひとり言のように呟いていたのが、凛にも聞こえていたとは思わず、滝河は少しだけ驚く。
「俺はマーリの力を持っている。お前がどこまで物語を読んだか分からないが、師匠は静と名乗っていたんだな」
「滝河さんがマーリの能力者…」
滝河が師匠と呼ぶ人物は、物語で氷竜ブロウアイズの力を持っている。マーリが師匠と呼ぶように、滝河も自然と師匠と呼んでいた。
それが彼女には静と名乗った。それが本名なのかは分からない。
「あ…、さっきも言ったが、話したくなければ話さなくていい…」
滝河はまだ凛に聞きたいことがあった。しかし、凛のことを考えて聞くのを躊躇う。
「さっきのこと…」
二人はさっきの言葉を思い出す。
俺が守る。
言ったほうも言われたほうも、今になって思い返すと顔を赤らめていた。
瞳の色は元に戻り、二人が話している後ろでは、再び鏡が現れる。
そこから人影が見えたような気がする。