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再生 59 ほろ苦い思春期

落ち着きがない。

動き回ったり動揺していたり、そういうことではなく、何となくこの時期になると落ち着かなかったりする。



二月上旬。

クラスの女子生徒達がお菓子作りの本を片手に楽しげにおしゃべりしたり、それを見た男子生徒がいつもと違った落ち着きのなさを見せる。

「バレンタインも近いし、なんかそわそわしてるね」

凛は目の前に座って本を呼んでいた大野に声をかける。

「…えっ?あ、そうですね」

本を読むのに集中していたのか、大野は少し遅れて返事をする。

「(大野さんはバレンタインだからって浮き足だったりしなさそう)」

何となくそう思いながら、凛は机の中から教科書と筆記用具を取り出す。

「水沢さん、大野さん」

その時、自分を呼ぶ声を聞こえて二人は声がする方を向く。

そこには二人の女子生徒が立っていた。

「二人はバレンタインに誰かにあげるの?」

「気になる人はいる?」

それを聞いた二人は顔を見合わせて考える。

「(…覚醒する前から自分のことを気にかけてくれた実月先生か、覚醒してから自分のことを気にかけてくれた結城先生に渡したいけど、彼女達にどう説明しよう)」

「(トウマ様に渡したいけど、能力を封印されて記憶はなくなってるからどうしよう…)」

二人が自分の気持ちをどう話すか考えていると、女子生徒達はあげる人に悩んでいると思いながら笑う。

「同じ学年に双子のお姉さんがいるよね?お姉さんには渡さないの?」

「別に異性だけにしか渡しちゃいけないっていうルールはないしね」

確かにバレンタインデーは異性だけに渡しちゃいけない決まりはない。現に家族に渡す人もいれば、友人に渡す人もいる。

「生徒手帳にも書いてないし、校則違反じゃないし」

「先生も、生徒の自主性を尊重し、節度ある行動を心掛けるようにって言うだけだもんね」

高校生にもなればある程度の節度は持っている。

この学園は生徒達の自主性を重んじている。

「姉さんか…」

自分の姉のことまで考えていなかった凛は、ふと姉のことを考える。

約二年前、二人が中学生だった時に互いにチョコを交換したが、それ以来渡していなかった。その前は何度か中西に渡したこともあった。

「うーん、姉さんと中西先生に渡そうかな」

凛は笑いながら答える。

「あー、確かに中西先生は女子にも人気だよね」

「去年も、女子からたくさんもらったみたいだよ」

小さい頃から中西はもう一人の姉のような存在だった。気づいた時には同性にも慕われていた。

彼女達の反応は納得できる。

「伊藤先生もこの時期の授業って、バレンタインにあげやすいものを作るよねー」

伊藤は家庭科を担当する教師で、格好いいというより若くて可愛い感じの人だった。

「確か、今回はカップケーキを作るって聞いたよ」

女子生徒達が盛り上がって話していると予鈴が鳴る。

「あ、予鈴だ」

「水沢さん、大野さん、ありがとう」

そう言うと、二人の女子生徒は自分達の席に戻って椅子に座った。

予鈴が鳴り、大野は開いたままの本を閉じる。

「大野さん」

身体の向きを変えて正面を向こうとする大野を呼び止める。

「大野さんは誰かにあげたりするの?」

「えっ?」

「あ、えっと、大野さんは他の子みたいにはしゃぐ感じじゃないから、バレンタインに興味ないのかなって思って…」

凛からも聞かれると思っていなかった大野は考える。

「(凛さんは私が能力者ということを知らない。トウマ様のこともどう説明すればいいか…)」

バレンタインにお菓子やチョコをあげるのは悪いことではないが、周りに比べると自分は興味がないように見えるのだろう。

「そうですね、強いて言うなら前年度で同じ役員だった滝河さんや、麗さん達にあげようか考えています」

大野はトウマ以外に渡す選択肢として、二人の名前を挙げる。あくまでも予定だった。

そう言うと、正面を向いて机の中から教科書とノートを取り出す。

「滝河さん、か…」

実月と同様に、滝河も自分が覚醒する前から気にかけてくれた。

「(もしかして…)」

先に知り合ったのは姉だ。その妹だから心配したり仲良くしてくれてる。凛はそう思っていた。

第二プールで気を失った時、気づいたら滝河に抱きかかえられていた。

あんなに焦った滝河は見たことがなかった。

もしかしたら、滝河も能力者なんじゃないか。

「(まさかね)」

凛は考えながらくすりと笑う。

色々と考えようとしたが、本鈴が鳴ったところで考えるのを一時中断した。


放課後。

梁木は机に向かって日誌を書いていた。

女子生徒達が足早に教室から出ていく。麗も足早、というわけではないが梁木に挨拶すると教室を出ていった。

「(女子達が早く帰ったのは調理実習の準備かな…)」

次の調理実習でカップケーキを作るらしい。

自分で直接誰かに聞いたわけではないが、クラスメイトの話は耳にする。バレンタイン、調理実習、カップケーキなどの単語が出れば、自ずと予想はつく。

「(去年はチョコチップクッキーだった)」

去年の今頃、麗から手作りと思われるクッキーをもらった。後から調理実習にチョコチップクッキーを作ったということが分かった。

そう思いながら日誌を書いていると、横に誰かが立っていることに気づく。

「梁木」

梁木が顔を上げると、クラスメイトの男子が立っていた。

男子生徒は顔を近づけて小声で話す。

「お前さ、水沢と付き合ってるの?」

一瞬、何を言っているか分からず梁木はきょとんとする。

「だから、付き合ってるのか付き合ってないのか、どっちなんだよ?!」

男子生徒はきょろきょろと辺りを見ながら問い詰める。

怒りや嫉妬の表情ではなく、ただ焦っているようだった。

「付き合っていません」

下手に言葉を足したり言い訳をすると怪しまれると思った梁木は、首を横に振って答える。

「そ、そうか、良かった。じゃあな」

それを聞いた男子生徒は安心したのか、ほっと一息吐いて顔を離すと、手を上げて教室から出ていく。

「(本の中の出来事が現実に起きていて、その登場人物と同じ力があるなんて信じてもらえませんしね)」

梁木はただ笑顔で手を上げて応えた。


教室を出て一階で靴を履き替え外に出ると、目の前を歩く生徒達の中である人物を見つける。

「大野さん」

その声に気づいた大野は立ち止まって振り返る。

「今、帰り?」

「はい。麗さんが正門側から出てくるのは珍しいですね」

麗達が住んでいる学生寮は今いる場所とは反対側だった。

「今度の調理実習用にラッピング袋とか買いに行こうと思って」

「私のクラスでもバレンタインの話題ばかりです」

麗が歩き出したのを見て、大野も並んで歩く。

「去年はトウマやカズさん、フレイさんにもあげたんだけどさ、今年はどうしようかなって思って…」

麗も大野と同じで、感謝の気持ちをこめてトウマに渡したいと思っているが、力を封印されて自分と出会った記憶がないことを知っていた。

「でも、やっぱり感謝の気持ちは伝えたいから、カズさんとフレイさんにトウマの分も渡してもらおうかなー」

去年は トウマ、カズ、フレイ、実月、梁木、一つ多く作ってしまい高屋にも渡した。高屋にあげたのは大野に言わないでおこうと考える。

麗は去年、高屋にあげたことを思い出す。去年同じクラスだった倉木が能力者であり、麗に襲いかかった。その時、何故か分からないが、高屋は麗を助けてくれた。

何となく考えたことが、大野にとっては大きく左右されるようなことであり、普段より少しだけ声を出す。

「あ、あの!私も一緒にお願いしてもいいでしょうか?」

「えっ!?」

大野からそんな反応が帰ってくると思わなかった麗は驚いた。

麗の中で大野はバレンタインデーを前にして、はしゃいだり楽しみにするようなイメージではなかったが、麗が覚醒した時から大野がトウマを慕っていたのは知っていたので、何故か微笑ましいと感じる。

形は違うかもしれないがトウマに渡したいのは自分だけじゃなかった。

「その…私もトウマ様に渡したくて、でも、私のことは覚えていないと思って、どうしようか考えていたんです」

大野は自分が勢いよく声を出したことに驚いて顔を赤らめる。

「じゃあ、カズさんとフレイさんに聞いてみるね」

初めは敬語を使っていたが、同じ学年であり同じ能力者ということもあり、麗は大野にも敬語を使わず接するようになっていた。

『呼んだ?』

「うわっ!」

突然、麗の後ろから声が聞こえ、驚いた麗は思わず声をあげてしまう。

麗が後ろを振り返ると、カズとフレイが立っていた。

「カズさん!フレイさん!」

「何の話?」

後から連絡をしようとしていた矢先だった。驚いて一瞬、何を話すか考えたが、麗は二人に説明する。

「今度の調理実習でお菓子を作るんですけど、トウマにも渡してほしいんです」

『トウマ様に?』

カズとフレイは聞き慣れた名前に反応する。

「トウマが私達のことを覚えていないのは分かります。けど、今までのお礼というか、感謝の気持ちだけでも伝えたいなって思って…」

能力を封印された者は覚醒してからの記憶が消えてしまう。

実際にトウマに会った時、自分のことを覚えていなかった。

四人はそう思いながらも、トウマのことを忘れることができなかった。

「あ、もうすぐバレンタインデーだったな」

「去年はありがとう」

カズとフレイは麗と大野の気持ちをくみ取り、去年、自分達もクッキーをもらったことを思い出す。

「俺達がトウマ様に渡すよ」

「麗ちゃん達は優しいね」

フレイの言葉に自分も含まれている。大野がそれに気づく。

「でも」

「今年は僕達にはくれないの?」

笑いながらカズとフレイは麗に顔を近づける。

「(人のこと言えないけど、二人ともそっくり。格好いいし、間近で見るとドキドキする…)」

それが、からかわれていると分かっていても、麗は顔が赤くなり慌ててしまう。

自分も妹と似てると言われることはよくある。よく見ると見分けがつくけど、カズとフレイもよく似ていた。

「わ、分かりましたっ!」

麗の反応を楽しんだのか、カズとフレイは麗と顔を離して笑う。

「ありがとう」

「麗ちゃんもいい反応だね」

からかわれていると分かっているので、麗も苦笑するだけだった。

「じゃあ、俺達は職員室に用があるから行くよ」

「じゃあね」

そう言うと、カズとフレイは二階にある来客用の入口に向かって階段を上っていく。

「では、私も失礼します」

「また明日」

分かれ道の前で麗と大野は手を振って挨拶すると、それぞれの道に歩いていく。


決して近い場所にいるわけではないが、ふと、外を見ると彼女を見つけた。

高屋は生徒会室の横にある資料室の窓から外を見下ろすと、偶然、彼女達四人を見つける。

「何かあるわけでもなさそうだ」

カズ、フレイ、大野と分かれた麗は並木道を歩いて校門をくぐると外へ出ていった。

ふと、高屋は壁にかけられているカレンダーに目がいく。

「もうすぐ、バレンタインデーか」

去年の今頃、彼女と同じクラスに能力者が潜んでいた。それを知らなかった彼女はうろたえていたことを思い出す。

「あの時のクッキーはお礼だったのか、それとも…」

彼女を狙った能力者は封印した。高屋にとってはただ邪魔者を排除しただけのことだった。

彼女はバレンタインで作りすぎたからと言っていたから、あれは、確かにバレンタイン用のお菓子だった。

棚を開けて中から何冊かファイルを取り出すと、棚を閉める。

「でも、おいしかった」

同じ能力者でも敵対する立場である高屋は、何かを考えて首を横に振る。

「今年は無理でしょうね」

生徒会役員の能力者は神崎と結城の命令で動くこともある。命令以外にも興味だけで攻撃を仕掛けたこともあるし、彼女達が信頼していたトウマの力も封印した。

あれは運が良かった。

そう言い聞かせながら、高屋は資料室から出ると鍵をかけて階段を下りていった。



二日後。

高等部はどこもかしこも甘い香りに包まれていた。

ホームルームの最中だというのに、男子も女子もそわそわしている。

その理由は単純だった。

この時期の調理実習は、狙ったかのようにバレンタインデーに向けて多く作れて、尚且つ、渡しやすい焼菓子を作ることが多い。

家庭科を担当する教師の一人である伊藤は、三年間という長くて短い学園生活に、勉強も然ることながら、誰かに気持ちを伝える心を育みたいと話していた。

午後の授業は調理実習であり、今年はカップケーキを作っていたのだった。

因みに、この時期の調理実習は女子限定であり、男子は選択科目の授業が行われる。

クラスの雰囲気を察してくれたのか、担任は早めにホームルームを切り上げる。

日直当番が号令をかけて担任に頭を下げると、それぞれが動き出した。

麗も梁木にさっと挨拶すると、教室を後にする。


数十分後。

カズとフレイは高等部を結ぶ並木道を歩いていた。

大学部の校舎が見える頃、こちらに向かってくる人物がいる。

「トウマさん」

最初に気づいたのはカズだった。

二人はトウマの能力が封印された後、覚醒する前、普通にバンドメンバーとして名前を呼ぶようにした。

「おっ」

トウマも二人に気づいて手を上げて応える。

トウマはカズとフレイが持っている大きめの紙袋に気づくと、にやにやする。

「バレンタインか?」

紙袋は中が見える状態で、綺麗にラッピングされた四角やハートの形の箱が幾つも入っている。

「まあ、こっちは俺達ですが」

「こっちの紙袋は全部、トウマさん宛です。高等部に行ったら、ファンの女の子から頼まれました」

二人は嘘は言っていなかった。

麗の約束のために高等部に行き、大野の分も合わせてカップケーキをもらった。麗も大野も、ちゃんと二人の分も用意してくれていた。

二人と別れて大学部に戻ろうとした時、見計らったように複数の女子生徒が待っていて、ご丁寧に二人用とトウマ用と二つの紙袋にまとめて入れてくれていたのだった。

フレイは持っていた赤い紙袋をトウマに渡す。

「そっか」

トウマは二人を問い詰めることなく赤い紙袋を受け取った。

「俺達の音楽を聴いてくれるっていうのは嬉しいよなー」

そう言いながら、トウマは嬉しそうに紙袋を広げて中を見る。

「(これなら、疑われずに済むかな)」

「(僕達の分も同じくらい用意してくれていたのは予想外だったけど…)」

二人はどうやって麗と大野のお菓子をトウマに渡そうか考えていた。その矢先の出来事だったので、ちょうど良いタイミングだった。

二人はトウマに声をかけて大学部に戻ろうとした時、トウマは紙袋の中から二つの小さな紙袋を見つける。口の部分にハート型のシールが貼られていて紙袋と一緒にメッセージカードが添えられていた。

それを手にしたトウマは、まるで、愛しいものを見るような穏やかな表情で笑っている。

二人はトウマの表情を見ていた。


麗はホームルームが終わってから早めに教室を出た。

カズとフレイと待ち合わせしている場所に向かう前に大野と会い、小さな紙袋を受けとる。

大学部に向かう途中、並木道で二人が待っていてくれたので、麗は大野と二人分のカップケーキを渡した。

「カズさんとフレイさんにも渡せたし、後は…」

高等部に戻り、下足場で靴を履き替える。

そのまま保健室に向かって歩いていると、目の前の階段から誰かが下りてくる。

『あっ』

互いに顔を見て声を出す。

階段から下りてきたのは凛だった。

「姉さん」

凛も麗と会うとは思わなかったようで、驚いた後、ほんの少しだけ警戒する。

二人は能力者であり、凛は物語の内容を知ってしまってから、神崎に揺さぶられていた。

物語に関係なければ、ある程度普通に話せるが、いつ結界が張られて戦いに巻き込まれるか警戒はしていた。

凛の気持ちに気づいていて、それでも麗は元の関係に戻りたいと思っていた。

「凛も保健室に?」

見た感じだと、どこも怪我をしている様子ではないし顔色も悪くない。

互いに手にしている紙袋を見て、何のために保健室に来たか察する。

「じゃあ、姉さんも?」

「うん。調理実習でカップケーキを作ったから実月先生にも渡そうと思ったんだ」

「あたしも。クラスメイトから先生黙認のバレンタインって聞いてびっくりしたよ」

凛はこの時期の調理実習が焼菓子で、多めに作っても問題ないことを知らなかった。

バレンタインで浮かれてるのか、物語のことは意識していないのか凛は普通に話している。

「調理、片付け、掃除、レポート、時間内に終わればたくさん作っても問題ないみたいだよ。去年はチョコチップクッキー作って渡したしね」

「へえー」

普通に話してくれる。それだけで麗は嬉しかった。

『(それにしても、実月先生も能力者だって知ってるのかな?)』

他愛のない話をしながら二人は互いのことを考える。

二人が話をしていると、保健室の扉が開く。

「誰か話してると思ったらお前らか。保健室に用事か?」

『実月先生』

扉をノックする前に実月が出てきたことに少し驚いたが、二人は同時に持っていた紙袋から小さな袋を取り出す。

「はい、今年も」

「調理実習でカップケーキ焼いたので、先生にも渡そうと思って」

二人は言葉を省いたが、実月はすぐにバレンタインのことだと気づく。

「わざわざ俺の分までどーも」

実月は面倒臭いとまでは言わないが、軽く笑いながら二人が差し出した袋を受けとる。

「あ、喜んでくれてない」

「頑張って作ったのに」

「この時期になると調理実習にお菓子を作るのは知ってるし、毎年、他の生徒からも貰うんだよ。まあ、学園はそこまで規制してるわけじゃないから有り難く貰うがな」

むくれた感じで口を尖らせている麗と凛を見ながら、実月はなだめるように説明する。

あまりに持ち帰ることができない量や、生徒達の協調性に欠けることがあれば、バレンタインに授業でお菓子を作ったり誰かに渡すことを規制することは考えられるが、今のところその話はなかった。

麗が保健室を覗くと、実月がいつも座っている場所の横に椅子があり、その上に中くらいの紙袋が置いてあった。

「それで、察するところ、まだ他にも渡すんだろ?」

実月は二人が持っている紙袋を指さす。

「あ、中西先生とショウ、後は滝河さんにも渡すよ」

「滝河さん…」

滝河の名前を聞いた凛は、彼の存在を意識する。

「凛、どうしたの?」

ぽつりと呟いた凛の声を麗は聞いていた。

「う、ううん、なんでもない!あ、そうだ、中西先生と梁木さんには渡したよ」

凛は何とか話をそらしながら、さっきのことを話す。

凛はホームルームが終わってから、中西と梁木にカップケーキを渡していた。

「ショウはどこで待ってるんだろう?教室だと渡しにくいから、どこかで待っててって言ったんだけどな…」

「とりあえず、用が終わったら帰れ。俺はやることが残ってるんだ」

凛が麗と反対側から保健室を覗くと、机の上には本やファイルが幾つか積まれていて、傍らにはまだ湯気のたっているマグカップが見える。

『はーい』

実月が嘘を言っていないと分かった二人は、素直に返事をする。

『あっ』

二人が別々の方向に向かって歩こうとした時、あることを思い出す。

目が合うと、自然とそれに気づく。

「もしかしたら」

「姉さんも?」

二人は互いに持っていた紙袋に手を入れると、中から小さな袋を取り出す。

「同じことを考えてたんだね」

「ふふふ」

二人にとっては学園に編入して初めてのバレンタインだった。

物語のことで色々思うところはあっても、感謝の気持ちとして渡したいと考えていたのだった。

「(物語に関わらなきゃ普通に仲のいい姉妹だな)」

互いの顔を見ながら笑っている二人を見る実月も自然と笑みがこぼれる。

二人は笑って実月に挨拶すると、凛は下足場に向かって歩きだし、麗は階段を上っていった。


凛と別れた麗は、階段を上りながら考えていた。

「(まさか、凛も同じ考えだったんだなあ。次は葵とショウを探さなきゃ…)」

階段を上りながら紙袋の中身を覗く。幸い、自分が用意した袋は赤いリボン、凛からもらった袋にはオレンジ色のリボンが結んであった。間違えることはない。

二階に着いて廊下を歩いていると、職員室から出てくる中西を見つける。

「中西先生ー」

麗は自分に背を向けて歩こうとする中西を呼び止める。

「水沢」

中西は麗に気づき、麗は早歩きで中西に近づく。

「調理実習でカップケーキを作ったので、良かったら食べてください」

麗は持っている紙袋に手を入れて、小さな紙袋を取り出す。

周りに誰もいなければ普段の話し方にするが、二階の職員室の前となれば誰が通るか分からない。麗も中西も分かっていた。

「ありがとう。生徒達が頑張って作ったお菓子をもらえるのは嬉しいが、皆、あげる人がいないのか?」

中西は麗から紙袋を受けとると、嬉しい反面、自分にくれた生徒のことを心配するような顔をしていた。

「いや、多分、違うと思う」

麗は思わず、普段通りの言葉で呟く。

中西に渡した生徒達は、あげる人がいない訳ではなく中西の分も用意したと考えられる。本人はあまり気づいていないのかもしれないが、中西は男子生徒からも女子生徒からも好かれていた。

「そういえば、水沢の妹からも貰った」

「あ、保健室の前で会った時に言ってました」

「後、梁木にも会ったぞ。どこに行ってもお菓子の受け渡しが行われてるから離れたけど、教室に戻るそうだ」

梁木が言うには教室で待ってようとしたが、人目を気にする男女が何人かいたので、一端、教室から離れたらしい。

「分かりました」

そう返事をすると、中西と分かれて階段を上っていく。

中西の言う通り、教室に戻ると梁木はいた。

自分の席で本を読んでいた梁木は扉を開ける音を聞いて顔を上げる。

「あ」

「教室も受け渡しする人いたでしょ?」

「はい、何人かのグループがいたので、一先ず人が少ない場所を探したんですが…」

「バレンタインだから、皆、色々な場所で渡すからね」

麗は扉を閉めると、梁木の顔を見て苦笑する。

実際に調理実習の後から教室や廊下、並木道や屋上など至るところで授受が行われていた。

「クラスメイトにも私とショウが付き合ってるって思われてるみたいでさ」

「僕も聞かれました」

麗は紙袋に手を入れて、小さな紙袋を取り出す。

「はい」

苦笑しながら麗は小さな紙袋を梁木の前に差し出す。

「今年もありがとうございます」

梁木の頬が赤くなっているように見える。

梁木は小さな紙袋を受けとると、大事そうに鞄にしまった。

「じゃあ、僕は帰ります」

「私も。もう全部配ったしね」

麗は紙袋の中を覗く。

去年は何故か一つ多く作ってしまったが、今年はちゃんと数を確認した。もらったもの以外は紙袋の中は空っぽだ。

一緒に教室を出るとまた憶測が飛び交うので、二人は時間をあけて教室を出ることにした。


保健室で麗と別れた凛は靴を履き替えて大学部に向かっていた。

「まだ大学部にいるかな?」

別れ道で右に曲がり並木道を歩いていると、前から滝河が歩いてくる。

「滝河さん」

「…水沢?」

考え事をしていたのか、目の前を歩いてくる凛に気づかなかった滝河は少し驚いた様子で立ち止まる。

「良かった。まだ学園内にいた」

「俺に何か用か?」

凛は滝河の前で立ち止まると、手にしていた紙袋から小さな紙袋を取り出す。

「調理実習でカップケーキを焼いたんです。バレンタインで配ってて…」

にっこり笑って滝河に差し出す。

その笑顔がまぶしくて滝河は顔を赤らめる。

「さっき、水沢の姉にも貰った。そ、その…ありがとう」

滝河は笑って小さな紙袋を受けとる。紙袋にはオレンジ色のリボンが結んであった。

「呼び止めちゃってすみません」

鞄を持っているから帰るのかもしれない。しかし、二つしか離れていなくても高校生と大学生は違う。急いでいたかもしれないし、別の場所に向かう最中だったのかもしれない。

「今日はもう帰るから問題ない」

「良かった」

凛はほっと胸を撫で下ろして、来た道を向いて歩き出す。

その後ろを滝河も歩く。

「(あれは、気のせいだったのか…)」

凛の後ろ姿を見ながら滝河は、先日起きたことを思い出す。

高等部の第二プールで倒れている凛を見つけた。怪我をしている様子はなく、彼女はすぐに第二プールを出ていったが、去り際に彼女の瞳が変わっていたのを見てしまう。

それ以来、滝河は凛のことを更に意識するようになっていた。

もしも、彼女がティムの能力者であり物語と同じことが起きているなら、彼女本人に能力者であることを聞くのを躊躇っていた。

「じゃあ、俺は失礼する」

「はい、さようなら」

別れ道で滝河は一端、足を止めて挨拶をする。そう言うと、正門をくぐって出ていく。

凛も手を振りながら滝河の後ろ姿を見送り、並木道を歩き出した。

「後一つ…」

高等部の校舎に戻りながら、凛は持っている紙袋を覗いて確認する。紙袋の中には自分で作ったカップケーキと、麗から貰ったカップケーキがあった。

最後に渡そうと思う相手は、まだ見つからない。

「職員室か生徒会室か…」

用事がないし、役員でもないのに生徒会室に行くことはできない。それに、もしかしたら神崎に遭遇する可能性が大きい。

どこへ探しに行こうか考えて、とりあえず寒さをしのぐために高等部の校舎に戻る。

靴を履き替えて職員室に向かうために階段を上ろうとした時、その人はいた。

「結城先生!」

階段の先に結城を見つけた凛は、走らないように階段を上り、踊り場で立ち止まる結城に近づく。

「私に何か用か?」

凛は紙袋に手を入れて、小さな紙袋を取り出す。

渡すだけなのに、何故か意識して胸がドキドキする。

「あ、あの…調理実習でカップケーキを焼いたんです。良かったら食べてください」

凛はそれを結城の前に差し出した。

結城はほんの少しだけ考えて溜息を吐く。

「生徒の自主性と節度ある行動は尊重するが、私はバレンタインデーという習慣を好ましいと思わないし、甘いものはあまり好きではない」

それを聞いた凛はショックを受ける。

去年の二学期に編入した凛は結城が甘いものをあまり食べないことや、バレンタインに対して好意的ではないことを知らなかった。

申し訳ない気持ちと、受け取ってもらえないことが苦しくて瞳が潤む。

「…だが、今回だけだ」

差し出した紙袋を引っ込めようとした時、結城はそれを受け取る。

「…えっ?」

一瞬、何があったか分からなかったが、気づくと結城は階段を上っていた。

「半月もすれば期末テストだ。バレンタインデーも良いが、勉強を疎かにしないように」

その声は、いつも聞く冷たいような厳しい声ではなかった。

「はいっ!」

結城が自分が作ったものを受け取ってくれた。

それだけなのに、凛にとっては何よりも嬉しいことだった。



高屋は生徒会室での業務を終えて職員室に向かっていた。

「後はこの書類を渡せば終わり…」

身につけている腕時計を見ると四時半を過ぎていた。

「流石にこの時間だと、バレンタインの受け渡しは見かけませんね」

ホームルームが終わり、職員室を経て生徒会室に向かった時は様々な場所でバレンタインの授受が行われていたのだった。

二階に着いて職員室の扉を開けると、教室とまではいかないがここでも、ほんのり甘い香りが漂う。

高屋が目的の場所に向かうと、彼女はいた。しかし、いつもより微かに頭の位置が下がっている。

「(いつもはもう少し高かったような気がする…)」

そう思いながら近づいていくと、中西はほんの少し屈みながらカップケーキを食べていた。

気づいてなかった中西は、ほぼ目の前にいる高屋に声を出して驚く。

「た、高屋?!」

「…中西先生?」

高屋は呆れるというより、ただ普通に驚いていた。

中西はいつもより嬉しそうな顔をしていたのだった。

「これはだな…、先生達も少ないし、課題を作る前に一つだけ食べようと思って…」

生徒である高屋が近づいてると思っていなかった中西は慌てて説明する。

高屋が机の上を見ると、各学年の体育の教科書やスポーツに関する書籍が置いてあった。

「先生達も大変ですね」

それは嫌味でもなく本心だった。

各教科に複数の教師がいても、テスト毎に問題を考えるのは相当大変なことだ。それも各学年分。

「あ、これ生徒会からです」

「ありがとう」

高屋は、中西が手を拭かなきゃいけないと思い、持っていた二種類のファイルを空いている机の上に置く。

「生徒達にとって今は大変なことでも、学園を出て、大人になればいつか役に立つこともあるかもしれない。私達教師はその手伝いをするだけだ」

中西は机に視線を落として教科書を見る。

純粋で真面目な感じが生徒達の人気なのかもしれない。

「せっかく来たんだ」

そう言うと、中西は持っていたカップケーキを少し割って、高屋の口に入れる。

「あ」

「もしかしたら甘いものは苦手だったか?」

「いいえ」

極端に甘いものは苦手だが、これはそれほど甘くなかった。

食べたのはカップケーキだと分かっていても、誰かが中西に渡したものだ。この時期ならバレンタインのために調理実習で作ったのかもしれない。

そう思いながら咀嚼して飲み込む。

「それなら良かった。…しまった、貰ったものを勝手にあげてしまった。後で謝っておくか」

そう呟く中西を見ながら、高屋が机の上にあるあるものに気づく。

机の端に開封された小さな紙袋とメッセージカードがある。

「!!」

人のものを勝手に見てはいけないと分かっていながら、それを見てしまった。

「そ、それでは僕は失礼します!」

「ああ、気をつけて帰るんだぞ」

急いで踵を返して職員室を出ていく高屋を、中西は何も気づかずに暖かく見送る。


カップケーキの差出人は同じ苗字、双子の妹と間違えないようにフルネームで書いていた。

間接的だが、今年も彼女が作ったお菓子を食べたことになる。

メッセージカードの最後には水沢麗と書いてあった。

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