再生 57 背中合わせの光と影
今にも雨か雪が降りそうな空だ。
そう思いながら、麗は空を見上げて寮の入口に立っていた。
「学校は休みなのに、どうしたんだろう?」
コートのポケットに手を入れて辺りを見ていると、滝河がこっちに向かって歩いてくる。
「水沢」
滝河に気づいた麗はポケットから手を出して、滝河に手を振った。
「滝河さん」
「せっかくの休みに呼び出してすまない」
「それはいいんだけど、滝河さんが私に連絡するのって珍しいと思って…」
同じ物語に関わる能力者として接点はあっても、麗と滝河では学年も違う。それと、休日に連絡があるのは何かあったと考えていた。
「本当は昨日のうちに話したいことがあったが、夕方だったし急だと思ったんだ」
心なしか何か困ったような表情に見える。
「…昨日の夕方、物音が聞こえたのと強い魔力を感じて第二プールに行ったら水沢の妹がいた」
「第二プール?今は冬だから授業はないし」
「この時期に使うとしたら、水泳部くらいだ」
高等部には屋外と屋内で二つプールがある。屋内にある第二プールは夏に雨が降った時に利用するくらいで、部活に所属していない麗はあまり立ち寄らない場所だった。
滝河は高校時代、生徒会に所属しながら水泳部にも所属していた。
もしかしたら、今でも高等部に赴いて教えているのかもしれない。
「…俺が第二プールの扉を開けた時、あいつは倒れてて、声かけたらすぐに目が覚めてすぐに外に出ていったんだが…、その時、あいつの瞳の色が変わったような気がしたんだ」
それを聞いた麗は、妹が第二プールで倒れていたことよりも瞳の色が変わったということに驚く。
麗の表情を見た滝河はすぐに察知した。
「あいつも能力者なのか?」
「…うん」
麗は悔しさに似た表情で頷く。
できるなら妹には物語に関わってほしくない。前から水沢から聞いていたことが起きてしまい、それを知らなかった滝河は言葉が出なかった。
「…いつ?」
「三学期入って少ししてからかな。一緒に帰った時に結界に閉じ込められたことがあって、能力自体は見たことないけど、妹はティムの力を持ってるみたい。ショウや大野さん、佐月さんには話した…」
「だいたい一ヶ月前か…」
思っているより麗は落ち着いて話している。それに至るまで、ずいぶんと悩んで涙を流したのかもしれない。
「その結界を張ったのが神崎先生で、凛は神崎先生に呼ばれてついていっちゃったの。それまでなんともなかったのに、神崎先生を見た途端、何かに怯えたような表情だった…」
麗の表情と言葉に滝河は血の気が引いていくような気分になった。
物語の過去で、レイナの双子の妹であるティムはロティルに襲われてしまう。凛がティムの能力を持っているなら、もしかしたら同じことが起きてしまったのかもしれない。けど、それを確認することはできないし、当人に聞くこともできなかった。
それは麗も滝河も分かっていた。
「水沢の妹が能力者だとしたら、何かあって第二プールに行ったのかもしれないな。俺は高等部に行ってくる」
「私も…私も行くっ!」
「分かった」
滝河が言い終わる前に、麗は前に乗り出すように言っていた。
滝河が頷くと、麗はすぐに寮の中に入っていった。
制服に着替えた麗は滝河と一緒に高等部にある第二プールにいた。
「久しぶりだな」
辺りを見回している滝河は、特に何もないことに少しだけ安心しているように見える。もしも、結界が張られていて敵に襲われるようなことがあれば、自分が麗を守らなければいけないと考えていた。
「滝河さんは水泳部だったんだよね?」
「ああ、高等部を卒業するぎりぎりまで籍をおいていたし、今もたまにだけど水泳部に顔はだしている」
麗は卒業しても滝河は部員を見ているんだと思いながら滝河を見ている。
「部活で使っていたから第二プールが好きっていうのもあるが、俺が覚醒してからプールの真ん中から何か力を感じるようになった」
「…それって水の精霊ディーネ?」
「それは分からない。力を探ろうとすると、逃げていくように探れない時もあった…。今は特に何も感じない」
それは滝河が率直に感じたことだった。
周りを見ても何もないし、麗を見ても瞳の色が変わっていない。
「トウマがいない今、もっともっと強くなって…もっともっと警戒しなきゃいけないんだよね…」
麗の瞳が潤む。
頭の中では受け止めなきゃいけないと分かっていても、物語の中で一番強いと思っているスーマの力を持つトウマが封印されたことは今でも信じられなかった。
「水沢は、兄貴たちの計画は知ってたか?」
「うん、大野さんと佐月さんから聞いたよ。ショウも一緒にいた」
「…俺もカズさんとフレイさんから聞いた」
滝河が少しだけ悔しそうな表情をしたのは、カズとフレイと会って話をしたことを思い出したのかもしれない。
「高等部には能力者が多い。人のことは言えないが、気をつけろ」
「うん」
そう言って頷きあうと、二人は第二プールを後にした。
月曜日。
月代は教室にいた。
肘をついて窓際の席から外を見つめて溜息を吐く。
「…物語の続きが見つかって、マリスの片割れだっていうミスンが出てきて、不思議な技で消えた…。ミスンの能力者と遭遇して、戦うことになったら…マリスと同じことが起こるんだろうか?」
最初は神崎や結城に言われて読むようになったが、いつのまにか物語の続きが気になって図書室に足を運ぶ回数が増えた。
「黒い翼もなくなって、そうしたら…俺はどうなるんだろう?」
もしも、自分の能力が封印されたら結城との接点も記憶も無くなってしまう。
月代は自分が自分でいられなくなるような不安に襲われて首を振った。何がどう怖いか分からないけど、頭の中で嫌だと感じる。
「…結城先生に話を聞いてもらおう」
月代は椅子から立ち上がると、教室から出ていった。
答えが分からない。
橘は一人残った教室で窓から外を見ていた。
物語の続きが見つかって、ミスンがどうなるか分かってしまった。それによってマリスの黒い翼は抜け落ちて、マリスは混乱したまま消えていってしまう。
「もし、物語のことが現実になるなら…私はどうなるんだろう?」
ミスンが消えたように、自分も消えてしまうのではないか。橘は自分という存在はどうなってしまうのか不安になっていた。
「このまま彼がマリスのようになるのは嫌な予感がする…」
物語を読むにつれて、理由もなく不安になることが増えた。それは学業や自分のことで情緒不安定になるのと少し違っていた。
「生徒会や他の能力者も私のことに気づいている」
俯いていた顔をゆっくり上げる。
「あの人が封印されて、そろそろ神崎先生や結城先生が何か動くはず。その前に…」
意を決した橘は教室を出ていく。
教室を出た橘は五階の生徒会室に行こうと階段を上ろうとした。
その時、反対側の廊下を歩く月代を見つけてしまう。
二人は互いを見て驚き、月代は橘を見て直感する。
「お前…ミスンの能力者だな?!」
橘を見た月代は一瞬にして敵意を見せて橘に向かって走り出した。
「こんなタイミングで遭遇するなんて…!」
橘は驚いて月代に背を向けると、逃げるように走り出す。
階段を駆け上がりながら橘はあることに気づく。
「嫌な空気が流れてる…結界が張られたのかもしれない」
橘の瞳の色が青くなっていた。
追いつかれないように走るだけで精一杯だったが、橘は後ろを振り返る。
「(やっぱり月代さんの瞳の色が変わってる…!)」
睨みながら追いかける月代の瞳は青色だった。
橘の両手が動く。
橘の後ろ姿が見えて階段を駆け上がろうとした月代は、突然、壁のようなものにぶつかってしまう。
「何だ…これ?」
階段の前に突然現れた壁に驚いた月代は、壁に手をついた。
壁のようなものに見えたが、目をこらして見ると、張り巡らされた無数の糸に気づく。
月代の目の前で屋上に続く扉を開ける橘の両手が光り、指に糸のようなものが絡まっているように見える。
橘は屋上へ出ていってしまう。
「この糸…やっぱりミスンの能力者だなっ!」
月代が意識を集中させると、右手の近くには翡翠色の剣が現れる。それを握って両手で構えると、腕を振り上げて張り巡らされた糸を切ろうとする。
しかし、糸は切れずに固いものに当たったように弾かれてしまう。
「剣で切れない…?」
剣で糸が切れないことに驚いたが、剣を下ろして左手だけで持つと右手を前に出す。
「フレアブラスト!」
月代が魔法を発動させると、周りから無数の炎の刃が現れて目の前の壁にぶつかる。炎の刃が爆発すると、張り巡らされた糸は切れて壁は無くなっていた。
「…嫌な予感がする」
月代は不安になりながら、橘を追って階段を上っていく。
屋上に出ると、目の前には橘がいた。
攻撃する体勢も取らずに、ただ月代が来るのを待っているようだった。
空は日が沈み、大きな満月が出ている。
橘を見た月代は切りかかろうと剣を構えたが、何故か躊躇ってしまう。
「…お前はミスンと同じ力を使うのか?」
月代が何か戸惑っている。
それに気づいた橘は何もせずに首を横に振る。
「分かりません。でも、私がミスンと同じ力を使ったら…私も、貴方も消えるかもしれない」
自分の敵だと感じて自分の身に何が起こるか不安になっても、彼女が嘘を言っているように思えなかった。
「もしも、本当に力があったら…俺はマリスみたいに黒い翼が消えて…」
「ミスンみたいに消える…」
物語と同じことが現実になってしまうのなら、自分は消えてしまうかもしれない。
月代は橘に近づくと力を使われるかもしれないと思い、橘は月代に近づくと力の差で自分が倒れるかもしれない。そうなると高屋のとこに連れていかれて封印されるかもしれないと思いながら警戒していた。
二人は迂闊に近づけないと思いながら、どうすればいいか考えていた。
月代は空を見上げて満月を見る。
「俺はあの方の力になりたい…!」
「私は元に戻りたい。だから…戦います!」
二人の表情には、不安が入り交じった中にも強い意思がある。
二人の声が重なる。
『隠された真実よ!!』
声に反応したように、月代の背中は黒く光り、橘の背中は白く光りだす。月代の背中からは黒い翼、橘の背中からは白い翼が現れる。
二人は同時に翼を広げて飛翔すると、先に月代が橘に接近する。
剣を構えて橘に切りかかろうとするが、橘は両手の指を動かすと、突然、月代が持っている剣が動かなくなってしまう。
「何!?」
急に動かなくなった剣を握ったまま力を加えようとしたが、ぴくりとも動かなかった。
よく見ると、剣は幾つもの糸がかけられていた。糸は屋上のフェンスやドアノブにもかけられていて、蜘蛛の巣のように見えた。
「さっきと同じ糸か!」
屋上に向かう途中で見たものと同じものだと気づいた月代は、剣を左手で持ち直すと呪文を唱える。
「吹き荒れる孤高の大火、その力を破り、ほとばしる赤き刃を包め…フレアブレス!」
月代の周りに炎と風が吹き出し、それは月代の腕に集まると渦を巻いて放たれる。
月代が呪文を唱えるのと同じくらいに、橘も呪文を唱えていた。
「空の一雲薙ぎ払う瞬く光よ、輝く刃となり風を弾け。ライトエッジ!」
橘の目の前に光り輝く魔法陣が描かれ、そこから無数の光の刃が飛び出した。
月代が放った炎は糸に燃え移る。
糸は切れるより先に、橘の放った光の刃にぶつかると予想した月代は、剣を離して翼を羽ばたかせ糸と魔法が当たらない場所に逃げようとする。
燃え移った糸が切れていくのを見た橘は、指を動かしながら翼を広げて月代の周りを移動する。すると、橘の指には再び糸がかけられる。
糸は月代の身体を張りつくように絡まり、動きを封じてしまう。
「目的は彼を倒すことじゃない。今は結界が消えて逃げられれば…」
橘は屋上に出た時から校舎を覆う結界の存在に気づいていた。
「日が沈んで満月が出てる…。そんなに経ってないような……」
冬で日が沈むのは早いけど、それにしては早い。
橘が空を見上げていると、月代もあることに気づく。
「そうだ……」
屋上に出た時から違和感があった。
橘も月代も勘違いしていた。
「本当ならまだ夕方のはず…!」
放課後に一人で教室にいたことを考えても、教室を出た時はまだ空は暗くなかった。
「…もしかしたら、この力は!」
それが何かに気づいた時、突然、空気が重くのしかかるような感覚に襲われる。
二人は校舎を覆う結界を張った人物に気づいてしまう。
「この力…」
橘は翼を広げながら力を感じるほうを見ると、フェンスに近い場所に結城が立っていた。
「結城、先生…」
いつの間にそこにいたのか分からない。
月代と橘は互いのことを忘れて結城を見た。
「ここにいたか」
結城が右手を上げて、すっと下ろすと、突然、橘の白い翼に異変が起こる。
「!!」
それまで自由に動かせた翼が、鉛のように重くなり、橘は翼を広げようとしたが重力によって勢いよく落下してしまう。
痛みに耐えながら立ち上がろうとしたが、身体が思うように動かなくて、片膝をつくのがやっとだった。
「橘、六月に言った答えがこれか?」
「………」
橘は少し俯いただけで何も答えようとしない。
「物語のようになっては、計画に支障がでる」
結城は橘を見下ろしている。
もし物語と同じなら、ミスンの力を持つ橘は魔法を使うだろう。そうなれば、月代が消えてしまうと思い、神崎の言っていた計画に支障がでると結城は考えていた。
月代と橘を接触させないようにしていたのは、そのためだった。
「…屋上に出た時に気づくべきでした。まだ日が沈む時間ではないのに、空は真っ暗。それに、満月は不思議な力を持っている。時間を操れるのは結城先生しかいない、と」
橘は片膝をついたまま踏ん張って立ち上がろうとする。
橘が指を動かそうとした時、結城は右手を振り払うに動かした。すると、橘の周りに黒く光る槍のようなものが現れ、瞬時に組み合わさると四角い檻のように囲ってしまう。
「私の力と月の関連性を推察したのは良いとしよう」
橘は六月の時と同じように、結城の魔法を消そうとしたが、それより早く結城の魔法は完成していた。
「結城先生の目的は私を封印することなんですか?」
「答える必要はない」
結城は神崎の命令として、何かあれば捕まえるか抑制しようとしていた。
二人の様子を見ていた月代は疑問を抱く。
「…あいつは結城先生に会ったことがあるのか?」
六月は自分が神崎に襲われそうになったり、自分の背中から黒い翼が現れたりした。
同じ学園内に在籍しているのなら、自分が知らないとこで結城と橘が会っていても不思議ではない。
月代が見ていたことに気づいたのか、結城は振り返って月代を見る。
「もう動けるはずだ」
結城が現れて驚いていたが、いつの間にか月代に絡みついていた糸は切れてなくなっていた。
「…あ」
自由に動けることが分かり、月代は結城に近づこうとする。
結城の顔を見ると、結城は月代の後ろを見ていた。
「結城先生?」
結城の視線が気になった月代は後ろを振り向く。
その時、それが合図のように屋上の扉が開く。
やってきたのは麗、梁木、滝河の三人だった。