再生 47 アンバランスな氷
舞冬祭も終わり、終業式が終われば冬休み。
生徒達は待ち遠しいと思う反面、テストの結果という現実にどこか落ち着きがない様子だった。
ホームルームが終わり、教室を出る生徒の顔は悲しみと喜びで分かれていた。
「……ぎりぎりで良かった」
麗は二つ折りの白い用紙を見ながら安堵の息をつく。開いた紙をまた二つに折って鞄に入れると、席を立つ。
後ろを振り向くと、ちょうど梁木が椅子から立ち上がり、こちらに向かおうとしていた。
「大丈夫でしたか?」
梁木が何を言っているか分かった麗はほっとした顔で笑う。
「ぎりぎりだけどね」
「今回、難しかったですね」
梁木もテストの結果が不安だったのか、胸を撫で下ろした様子だった。
「うん、平均点も低かったし…。でも、これで安心して冬休みを迎えられるよ」
二人は教室を出て廊下に出ると、佐月の姿を見つける。
「佐月さん」
麗の声に気づいた佐月は麗の元に近づく。いつもと様子が違うように見える。
「佐月さん、どうかしましたか?」
いつも明るく、にっこり笑う佐月が今日は少しだけ落ち込んでいた。
佐月は考えると、苦笑する。
「…いえ、来週の補習が憂鬱だと思いまして」
それを聞いて麗と梁木は何があったか察する。
「嫌なことを聞いてすみません」
「そんな…。麗様が気にすることはありません。補習と言っても教科は少ないので問題ありません」
麗と佐月は互いを気にして申し訳ない気分だったが、佐月の方が思っていたより気にしていない様子だった。
「それでは、失礼します」
佐月は二人に頭を下げると階段を下りていく。
「佐月さんは舞冬祭に参加したから、テスト勉強と並行するのは大変だよね」
「そうですね」
二人が話していると遠くから声が聞こえる。
「姉さーん」
麗が声が聞こえた方を見ると、凛が早足に近づいていた。
「凛、どうしたの?」
困ったような顔で近づく凛を見て、麗は不思議に思う。
凛は麗に抱きつくと、溜息を吐く。
「来週から補習だよ…」
「え?赤点だったの?」
凛は身体を離し、明らかに嫌そうな顔をする。
「ぎりぎり足りなかったの」
「教科は?」
「…理科と情報処理」
情報処理と聞いて、麗と梁木は今回のテストの中でも特に難しかった教科だと思ったが、それ以上に情報処理を担当する神崎と結城が頭をよぎる。
「補習は何曜日?」
麗の顔つきが変わる。
「確か来週の月曜と火曜だよ」
麗はできたらついて行きたいと考える。しかし、自分には補習が無く、用事がないのに学校に行くことはできなかった。
「凛、補習が終わったら寄り道しないようにね」
用心するように凛に言う。それは、妹が本に関わりを持ってほしくないのと、物語に関わりそうな神崎や結城から少しでも離れさせるためだった。
「うん」
凛は麗の不安な表情を見て心配されてると気づいたが、どうして心配されているかよく分かっていない様子だった。
「今日はもう帰る?」
麗の問いに凛は少し考えた後、首を横に振る。
「…ううん、ちょっと用事があるんだ」
「そっか。じゃあ、先に帰ってるね」
凛のことを考えると心配になる。けれど、過度に心配したり干渉するのは良くないと思っている。
麗は笑うと梁木と一緒に階段を下りていく。
「……」
麗の背中を見ながら凛は表情を曇らせる。
職員室を出た凛は廊下で見慣れた後ろ姿を見つける。
「滝河さん」
凛の声に気づいた滝河はくるりと後ろを振り向いた。
「水沢」
「職員室に用事ですか?」
「ああ。…だが、タッチの差で資料室に行ったようだ」
「そうだったんですね」
最初はどこかぎこちなく感じたが、少しずつ話していく間に二人は打ち解けてきた様子だった。
「…水沢」
「はい?」
「その…、突然かもしれないが、何があったか?」
滝河の言葉に凛はどきっとした。
滝河の言うように突然だったが、自分が心の隅に隠していることを気づいてくれたような気分だった。
もしかしたら滝河なら話を聞いてくれるかもしれない。そう思い、話そうとしたが、凛は苦笑する。
「…赤点で。冬休みに補習なんです」
凛の答えに、滝河は申し訳ない気持ちで謝る。
「そうか…。変なことを聞いてすまなかった」
滝河は凛が気分を悪くしなかったか気になったが、凛はただ困った顔で滝河を見ていた。
「あ…、勉強でも他のことでも、話を聞いてほしかったら俺が話を聞くからな」
滝河は何か引っ掛かるような気分だったが、それ以上に自分が言ったことに驚いていた。
「(俺はどうしてそんなことを言ったんだ…?)」
そんな滝河の思いを察したのか、凛は安心したように笑う。
「滝河さん、ありがとう」
凛の笑顔に滝河は何故か戸惑い、凛に背を向ける。
「じ、じゃあ、俺は資料室に行くから…」
そう言うと、そのまま早足で廊下を歩いていく。
「(滝河さんにも心配されちゃった…。そんなに、顔に出やすいのかな?)」
凛は心に思っていることを考える。
「(確かに補習は憂鬱だけど…、本のことを話しても信じてもらえないよね)」
凛は滝河と反対の方を向いて歩いていく。
その後、凛は図書室に向かい、物語の続きを読んでいた。
本の中のことが現実に起こるなんて、今でも信じることができない。けど、中途半端に読まないのはあまり気分が良くないという気持ちもあった。
それから、時間のある時に少しずつ読んでいたのだった。
凛は本を開いたまま溜息を吐いて俯く。
「…レイナの妹のティムって、双子で、しかも、鞭や弓矢を使って戦う…。もしかして…、あたしはこの子の力を持ってるの…?」
物語ではロティルがいる城に着いたレイナ達は生き別れの双子の妹と再会する。レイナが喜んでいたのも束の間、双子の妹のティムはレイナが生まれ育った村を焼き払い、村の人達を殺したと思っていた。
「お母さんは遠くであたし達のために働いてるって叔母さんが言ってたし、前に住んでた場所も火事は起きてない。…それに、双子って姉さんももしかしたら物語に関係してるのかな…?」
不安が不安を呼び、ぐるぐると頭を回っている。
「…どうしよう?結城先生か神崎先生に話してみようかな?」
凛は覚醒してから、敵に襲われたり本を読んで不安になると、生徒会準備室に足を運んでいた。役員ではないのに生徒会室に行くのはできないので、神崎や結城が準備室にいる時だけ話を聞いてもらっていた。
周りに話せる人がいない中、自分と同じ境遇の人がいるという安心感があった。
その後も続きを読んでいく。
ティムの過去は食い違っていたものだと分かるが、ティムはラグマの放った魔法によってどこかに消えてしまう。マーリとマリスと戦った後、レイナとカリルはラグマと戦う。
激しい戦いの後、レイナ達はロティルの企みを阻止し、レイナを娘と呼ぶ人物の協力を得てロティルを滅ぼした。
「ラグマとロティル…どこかで聞いたことあるような気がするし、何か嫌な感じがする」
「物語を全部読んだか?」
本を読みながらぶつぶつと呟いていていて、突然聞こえた声に驚いて顔を上げる。
凛の目の前には神崎がいた。
「神崎先生、いつの間に…?」
自分は人が来るのに気づかないくらい本に集中していたのか。どこかでそう思いながら、神崎に対して僅かに疑い、警戒した。
凛の気持ちに気づかず、神崎先生は困ったような表情で凛を見つめる。
「まだ君には言っていなかったかもしれないが、結城先生はラグマ、そして私はロティルの力を持ってる」
それを聞いて凛は驚いた。学校でまだ知らないことや物語のことは教えてもらっていたが、神崎と結城が誰の力を持ってるのか知らなかった。
「物語を全部読んで、今、私や結城先生が誰の力を持ってるのか知ったところで、少なからず君は私達に警戒すると思っていたよ」
「…えっ?」
「私は物語の結末を変えたい。その為に私達に協力して欲しい」
「物語の結末…」
神崎は悔やむような悲しい顔で視線を落とす。
神崎の言葉に驚いたが、それ以上に凛は物語の内容を思い出して考えた。
もしも、自分がティムの能力を持っていて、その力で物語の内容を変えられることができたら。
もしも、物語の内容が変わって姉が能力者にならなかったら。
凛は考えた後、顔を上げて神崎の顔を見る。
「…あたしにできることがあれば」
「そうか」
凛の答えに神崎は驚いた顔で凛を見る。
「私はこれから用事がある。本を読むのも大事だが、来週の補習に備えたらどうかな?」
「…あ、はい」
本を読んでいて忘れていたが、終業式が終わっても冬休みの最初には補習があったことを思い出す。
凛が本を本棚に戻していると、神崎は凛に背を向けると出入口に向かって歩き出した。
凛に背を向けて歩き出す神崎の顔は、何かを企むように笑っていた。
数十分後。
どこかでガラスが割れるような音が聞こえ、大きなものが崩れる音が響き渡る。
異変に気づいた中西は職員室を出ると足早に廊下を歩く。
「(この感じ…能力者か?)」
教師として廊下を走るのははばかれると思ったが、それが特別なものだと気づいた時は身体が走り出していた。
その時、近くの扉が開く。
「…中西先生?!」
「滝河か。お前も何かに気づいたのか?」
中西は立ち止まり、上を見ると滝河が出てきた場所は資料室だった。中西の思っていたことが当たる。
滝河は覚醒していた。
「あっちから強い力を感じます。どこか懐かしいような…」
滝河は左を向いてから中西の顔を見て頷く。
「とにかく行ってみよう!」
二人はそのまま廊下を走り、階段を降りていく。
階段を下りると、目の前に麗、梁木、トウマが一点を見て驚いていた。
足音に気づいた麗は左を向く。
「葵…、滝河さんも」
麗の顔は驚いたままだった。
「さっき、何かが崩れる音が聞こえたんだが…」
中西は麗達に近づき、三人が見ていた方を見る。
「これはっ!!」
中西と滝河は驚いた。食堂の横にある大きな鏡が割れていたのだった。
「私とショウがここに着いたら、すでにトウマはいたんだけど…」
「俺が来た時にはすでに鏡は割れていました。鏡に触れてみても、何も起きませんでした」
トウマは前に麗、滝河、中西から聞いたように鏡に触れてみたが、何も起こらなかったという。
「ここから大きな力を感じる」
「師匠が心配だ…」
中西は鏡の前に立ち、おそるおそる鏡に手を当てる。
すると、突然、鏡が青白く光りだし、五人を包んでいく。
目を開けると、自分が前に見たものとは違う光景が広がっていた。
「ここは?」
「前に見た時と違う…」
中西と滝河は辺りを見回す。以前、鏡に触れた時は鏡の中から誰かに引っ張られ、水の中にいるような空間が広がっていたが、今、二人の目の前には刺々しい水晶が立ち並んでいた。
「それに、水沢達がいない」
「探そう」
二人は大きな水晶の間に入口のような細い隙間を見つけ、中へ進んでいく。
それと同じ頃、麗とトウマもまた目の前に広がる光景に驚いていた。
「…ここはどこだ?」
トウマは見たことの無い場所に警戒している。
「鏡の中だよ。私、滝河さん、葵は鏡の中に入ったことがあるけど…前はこんな感じじゃなくて、海の中みたいな感じだったよ…」
麗は少し戸惑っている様子だった。
麗とトウマの目の前には壁のような大きな水晶が並んでいた。
トウマは水晶に手を当てると疑うような不審な表情になる。
「この中から大きな力を感じる」
「トウマ、あそこから中に入れそう」
麗が辺りを見ると、水晶と水晶の間に道ができていた。
「純哉達がいないのも心配だ。行ってみるか」
トウマは水晶から手を離すと、水晶と水晶の間の道を歩き出す。
目を開けた梁木は見たことの無い場所に驚いていた。
「これが、レイ達が言っていた鏡の中でしょうか?」
梁木の目の前には大きな水晶が幾つも立ち並んでいた。梁木は辺りを見ると、自分一人ということに気づく。
「レイ達がいない。…それに、あそこから嫌な気配がする」
梁木は目の前に広がる水晶を見て顔を歪める。
水晶と水晶の間に道があることに気づくと、意を決して進んでいく。
水晶の中に進んでいくと、迷路のようだった。
水晶は反射して鏡のように映り複雑に見えたが、慣れていくうちにそこまで複雑な作りではないことに気づく。
「最初は行き止まりばかりだったけど、気配を辿ればいいのかもしれない」
それでも梁木は奥に進んでいるか分からず、麗達を探して歩いていた。
気配を頼りに歩いていると、だんだん重々しい空気が流れてより強い力を感じるようになる。
「…この先から強い力を感じる」
真っ直ぐ歩いていくと、視界の端に麗と中西の姿を見つける。
「!!」
梁木は驚いて振り返ったが、そこには誰もいなかった。
「気のせい…?」
見間違えたのかもしれない。そう思いながら、もう一度辺りを見回してから、また歩き出した。
曲がり角から人の姿が見え、おそるおそる近づく。
どこかで見た後ろ姿に警戒しながら、梁木は目の前に広がるあるものを見て驚いた。
目の前に氷のような青い水晶があり、その中に髪の長い男性がいた。
そして、梁木に背を向けている人物が梁木に気づいてゆっくり振り向く。
それは神崎だった。
「…神崎先生?」
梁木はどうしてこんなところに神崎がいるか分からなかったが、あることに気づくと警戒する。
神崎の瞳は赤色だった。
「神崎先生も能力者?!」
梁木は呪文を唱えようとしたが、梁木に気づいた神崎は梁木に向かって歩き出す。
「まさか、私の気配に気づいた者がいたか」
梁木が呪文を唱えるより先に、神崎は梁木の顔に手をかざす。
「褒美をやろう」
今までに感じたことのない恐怖に梁木は後ろに下がろうとした。しかし、突然、梁木の身体中が熱くなる。
「ぐあああぁーーーーっっ!!!」
身体が焼けるような痛みが身体中を駆け巡る。
梁木はその場に膝をつく。
「フレアブレス!!」
その時、水晶の壁越しにトウマの声が聞こえ、大きな音が響くと水晶は砕け落ちる。
砕け落ちた場所に穴が空き、そこから麗達四人が姿を現す。
『!!!』
目の前の光景に四人は驚いて言葉を失った。
神崎がいること、神崎の目の前に氷のような水晶があり、その中に髪の長い男性がいること。膝をついていた梁木が声に気づいて顔を上げた。
何か変だ。
そう思い、水晶に映る自分を見る。
「!!」
激しい痛みは消えたものの、いつの間にか梁木の右頬には逆十字の黒い印が浮かび上がり、それまで何もなかった背中には真っ白な翼と、悪魔のような禍々しい翼が生えていた。
「…うああぁぁぁーーーー!!!!!」
梁木は水晶に映る自分を見て、信じられないものを見るような顔で叫ぶ。
それは、物語の過去で読んだカリルのようだった。
同じ翼だ。
僕は本当にカリルと同じになってしまうのか。
怖い。
梁木は力無く座り込んでしまう。
梁木の右頬に浮かぶ逆十字の呪印を見て、トウマは今までに探していたことが分かり激昂する。
「…てめえか……神崎!!!!!」
その瞬間、トウマの周りに赤い気のようなものが吹き出し、両手が赤く光る。手のひらから炎の球が現れると、炎の球は大きく膨れ上がっていく。
トウマが怒りを露にしている。それを見て、麗は怖いと感じる。
「…兄貴に呪印を刻んだのが神崎先生だったのか!!」
滝河はトウマに呪印を刻んだ人物が分かり激しい怒りを覚えたが、目の前にいるトウマを見ると、次々に魔法を生み出して神崎に目掛けて放っていた。
「さっきから呪文を唱えていない…。まずい!魔力の消費が激しい!」
滝河が気づいた時には遅く、トウマの首筋には黒い呪印が浮かんでいた。
「兄貴!!!」
いつの間にか周りの水晶はトウマの魔法によって粉々に砕け、幾つもの大きな穴が空いていた。
中央にある大きな水晶だけは傷一つつかず、水晶の中にいる男性がこちらを見ていたように感じる。
トウマは苦しさで息があがり、身体中の痛みでその場に膝をついてしまう。
神崎は余裕の表情でトウマの攻撃をかわしていたが、かわしきれず全身に血が滲むくらい怪我を負っていた。
「…氷竜も動かずじまい。これ以上ここにいる意味はないな」
膝をついて動かないトウマと座り込んで動かない梁木を一瞥した神崎は、何か聞き取れない音を呟く。
すると、水晶の壁一面に黒い魔法陣が浮かび上がり、そこから人のように二本足で立つ獣の群れが現れる。
神崎は何かを思い出したように中西を見る。
「ああ、中西先生も能力者でしたね」
「…神崎先生」
神崎のは笑っていたが、どこか見下しているようだった。
中西は神崎がどこか普通の人とは違った雰囲気だと感じていたが、能力者だと思わず複雑な表情で神崎を見ていた。
神崎は中西から麗に視線を移すと、見下すように睨みつけ、そのままどこかへ消えていってしまう。
神崎の視線は不快なものだったが、目の前にいる敵と梁木のことに意識を向ける。
「ショウ!」
麗は座り込んだまま動かない梁木の元に駆け寄り声をかける。
「…ショウ!!」
強く呼びかけても、梁木は全く動かなかった。
「…駄目だ、聞こえてない」
麗の後ろからトウマの声が聞こえる。麗が振り向くと辛そうな表情のトウマが立っていた。
「トウマ…」
「俺がずっと探してた呪印を刻んだ人物、それが神崎だった。そして…ショウはどこかで自分がカリルと同じになることを恐れていたんじゃないかと思う…」
トウマの首筋にはまだ黒い呪印が浮かんでいる。その痛みや苦しみはトウマにしか分からないのかもしれない。
「レイ、相良」
二人が話している中、中西が声をかける。
「来るぞ…!!」
険しい顔で睨むその先には、獣の群れが麗達に向かっていた。
動かない梁木を囲うように、四人はそれぞれ構える。
梁木は全てを遮断するようにうなだれていた。