再生 45 揺れ動くシグナル
学園祭も終わり、十一月の半ばを過ぎると少しずつ肌寒く感じるようになった。
もうすぐ十二月。冬休みやクリスマスのことを考えながら、生徒達はその前にある出来事に悩んでいた。
「一週間前に戻りたいー」
麗は両肘をついたまま溜息をつく。
「ちょうど一週間前は修学旅行でしたね」
梁木は笑いながら、教科書を開いてマーカーで線を引いている。
二人は放課後に残り、一週間後に控えている期末テストの対策を練っていた。
向かい合わせに机をくっつけて、それぞれ別の教科書を開いている。
「修学旅行楽しかったね」
「はい。皆で何かをするのも新鮮でした」
「中西先生から聞いたけど、去年は九月だったみたい」
麗はちらっと入口を見る。教室の扉は開いていて、誰かに聞かれるとまずいと思い、ちゃんと中西先生と呼ぶようにしていた。
「僕達と同じじゃなかったんですね」
「麗様?梁木さん?」
近くで声が聞こえ、麗と梁木が顔を上げると、教室の入口から佐月が顔を覗かせていた。
「佐月さん。今、帰りですか?」
麗は佐月が鞄を持っているのを見て、質問する。佐月は首を横に振って答える。
「いえ、来月に向けて練習しようと思って」
よく見ると佐月は一枚の紙を手にしていた。
来月という言葉を聞いて、梁木が気づく。
「今年も舞冬祭に出るんですか?」
「はい、今年も参加しようと思います」
佐月は楽しそうに笑って答えた。
去年、佐月は音楽教師の内藤の弾くハープに合わせて踊っていたところを、中西に声をかけられていた。
麗はほんの少しだけ声を抑える。
「佐月さん、去年の舞冬祭の時はもう覚醒してたんですか?」
佐月は周りを見ると何かに気づいたのか、教室の中に入り、麗と同じように声を抑えて答える。
「いいえ、舞冬祭の時にはまだ覚醒していませんでした」
「確かに、あの時、佐月さんが覚醒していたら内藤先生も覚醒してたはずですね」
去年の舞冬祭の時、高屋の結界に閉じ込められた中に佐月と内藤の姿は確認できなかった。
佐月は手首にある腕時計を見ると、申し訳ないような顔をする。
「申し訳ありませんが、あたしはこれで失礼します」
「あ、呼び止めてしまってすみません」
「いえ、それでは」
佐月は頭を下げると、廊下の反対側を見て小さく頭を下げ、くるりと振り返って廊下を歩き出した。
佐月の様子に梁木は首を傾げる。
「舞冬祭に参加する人は練習の他にテスト勉強もしなきゃいけないから大変だよね」
麗は自分の言葉に別の意味を思い出して、はっとした。
梁木もそれが何を指しているか気づき、顔を曇らせる。
そこにいた人はもういなかった。
「大丈夫だよ」
麗はまっすぐな目で梁木を見ると優しく微笑む。
「何の話?」
佐月とは別の声が聞こえて二人が振り向くと、そこには凛が立っていた。
「凛」
「えっと、…期末テストと舞冬祭の話をしてたんですよ」
梁木は凛に気づかれないように普通に答える。
「舞冬祭…?あー…中西先生から聞いたような気がする」
いまいちぴんとこない凛は、何かを思い出している。
「うーん…ダンスでも舞踊でも、とにかく踊りに関するイベントかな。踊りが好きな人もいるし、中には自信をつけるために出る人もいるんだよ」
「あっ、さっき、佐月さんがいたよね?あたしに気づいて挨拶してくれたし」
麗はそこまで考えていなかったが、佐月と凛は多少の面識はあったことを思い出す。
「でも、期末テストの後に舞冬祭って大変だよね。期末って中間テストに比べると教科も倍はあるのに」
「音楽、家庭科、保健体育…後は情報処理とか。神崎先生も結城先生もまた難しい問題を出すんだろうね」
麗の言葉の一つに反応した凛は深く考えたような表情をする。
「結城、先生…」
それを見た麗は不思議な顔で凛を見る。
「凛、結城先生は知らない?情報処理の臨時の先生なんだけど」
「知ってる知ってる。何回か授業で見てるよ」
凛は思っていたことを気づかれないように笑いながら答える。
麗は、自分が結城のことを知らないと思っていたのだろう。
「ところで、テスト勉強するのにどうして図書室じゃないの?」
凛の言葉に二人は答えを探す。勉強をするなら図書室が適している。しかし、図書室に行くと敵に襲われるかもしれない、それと、本の続きが気になるから教室を選んだのだった。
「図書室だと、あまり話ができませんから」
麗が答えを探している間、梁木が答える。
「なるほど」
梁木の言葉に凛も納得して頷いている。
それを見てほっとした麗は、ふと、あることを考える。
「そういえば、凛は部活はしないの?」
「うーん…二年の二学期に編入したから入部するにも人間関係とか大変そうだから、多分、部活はやらないと思う」
「前の学校では部活やってた?」
「うん、ここに来るまで弓道部だったよ」
凛は前にいた学校のことを楽しそうに話していたが、あることを思い出す。
学園祭の後に獣に襲われた時、身体が勝手に動いたこととはいえ、突然、目の前に現れた弓と矢を構えて撃退していた。
一瞬だけ表情が強張った凛を見て、麗は不安がよぎる。
それは学園祭後に見た表情に近かった。
「凛、…学園祭で何かあった?」
何となく感じただけで確証はなかったが、ちょうど学園祭あたりから凛に違和感があった。
麗の言葉に反応して凛は思っていることを口にしようとした。隠し事はしたくない、けど、話しても信じてもらえないと思っていた。
心配する麗を見て、さらに話せないと思い、凛ははぐらかす。
「別に何もないよー。もう、姉さんは心配性なんだから」
凛は笑って答えてから何かしようと思い、ふと、窓の外を見る。
「あ、姉さんの教室だと、また違った景色だね」
凛は教室に入ると、麗と梁木の横を通りすぎて窓際まで歩く。
窓に手をついて校庭を見下ろしている凛の後ろで、麗と梁木は凛に聞こえないように顔を近づけて話す。
「レイ、心配ですか?」
「うん…何かあったと思うけど、私も分からないことはあるし…」
麗は凛の背中を見つめる。
「…凛には物語に関わってほしくない」
それは麗の心からの願いだった。
二人の会話が聞こえていない凛は外を見ながら何かを見つける。
「あ、トウマさんと滝河さんだ」
それを聞いて麗と梁木は椅子から立ち上がり、窓際に近づく。
高等部と大学部を繋ぐ道にはトウマと滝河がいた。
トウマと滝河は高等部と大学部を結ぶ道にいた。
外は薄着だと肌寒く感じるくらいだった。
二人が話をしてると、高等部の方から中西が歩いてくる。
中西はトウマと滝河に気づくと、やや早足で近づいた。
「すまない。待たせたな」
「いえ、期末テストや舞冬祭で忙しい中、呼び出してすみません」
トウマは、中西が今の時期は忙しいと思い、来てくれたことに頭を下げる。
「ところで、私に何の用だ?」
「先生は物語の第三章は読みましたか?」
滝河の急な質問に中西は頷いて答える。
「ああ、学園祭の後に読んだ。多分、私はティアの能力を持っていると思ったし、ティアとマーリは同じ人から技術を学んでいたというのも知った」
「俺達も第三章を読んでそう思いました。けど、先生は身体を剣に変えることはできませんよね?」
トウマは念のため確かめる。
「私が気づいている中では、それは無かった」
中西は考えられないことだと思いつつ、思い返して首を横に振る。
「そうでしたか」
「中西先生、俺達は気になることがあって来てもらいました。先生はティアと同じで、カードを使って特殊な方法で魔法を使いますが、カードを使わず呪文を唱えて魔法を使うことはできますか?」
覚醒してから全部を知っているわけではないが、中西は体術とカードから魔法を出すこと以外は知らなかった。
「私も気になって前に試してみたが、魔法は発動しなかったんだ」
中西もトウマ達と同じことを考えていたらしい。
それを予想していたトウマは、あることを考える。
「先生、カードを使った魔法を足から出すのは可能ですか?」
「……それは、一体どういうことだ?」
トウマの言っていることが想像できなくて、中西は首を傾げている。
「俺や兄貴のような技を使うことができるかどうかですが…。実際にやってみたほうがいいな」
滝河も考え、トウマと顔を見合わせて頷いた。
トウマは左右でそれぞれ離れた場所を見る。
「見渡しのいい場所で力を使ったら、誰かに気づかれないか?」
中西は辺りを見て不安に思う。高校部と大学部を結ぶ道はいつも生徒が行き来していて、いつ誰が通るか分からなかった。
「すでに結界を張ったので、能力者でも意識を集中させないと、ここに俺達がいることは分かりにくいでしょう」
トウマがそう言うと、いつの間にか周りには薄い金色の結界が張られていた。
中西はいつ結界が張られたか分からず、驚いているようだった。
三人の瞳の色が変わっていくと、滝河が一歩前に出る。
「先生は、呪文を唱えることによってカードから魔法が発動すると思います」
滝河が腕を前に出して、手のひらを上に向けて小さく呟くと、手のひらが光り、氷のような球体が現れる。
「例えば、今、俺が出した基本の魔法ですが…」
手のひらの上に浮いていた球体が消えると、滝河は再び小さく呟いた。
すると、今度は滝河の右足が青く光り始める。
「!!」
滝河が同じ言葉を呟き、最初と今と光った場所が違っていた。
中西は驚いている。
滝河は両足を開いて構えると、その場で右足を振り上げる。右足は霧と氷のようなもので覆われていた。
「こんな感じです。呪文を唱えて、手ではなく足に集中させて放出する…。もし、先生も俺達と同じことができたら、今後、戦い方が変わるかもしれません」
滝河の右足は元に戻っていた。
「分かった。やってみる」
滝河が簡単そうにやっているのを見て、中西はできるかどうか分からなかった。考えるより先にやってみようと考える。
「(指先じゃなくて、足から放つイメージ…)」
目を閉じて意識を集中させる。右のズボンのポケットからカードを一枚出すと瞬時に絵柄を見る。
「青き水の弾丸、光が示す空より撃ち落とせ…」
中西が持っていたカードが消えると、右足が光り、真下に青白い衝撃波のようなものが現れる。
「アクアショット!」
中西が足を振り上げると、水に覆われた右足が波を打つように激しく揺れる。
それを見たトウマと滝河は、改めて中西の能力や感覚に驚く。
「できた…」
自分もできるとは思わず、中西自身も驚いていた。
トウマは左右を見て合図を送ると、トウマ達の周りを覆っていた薄い金色の結界がゆっくりと消えていく。
三人の瞳の色も元に戻っていた。
「一回で、すごい…」
滝河は驚いた。覚醒した時期は自分のほうが早い。しかし、自分が覚醒した時期が早く、戦いや物語について話すことはあっても、感性や技術は目に見えるものではなかった。
「相良、滝河、こんな感じなのか?」
中西は僅かに何か手応えを感じている。
「はい、そうです」
「やっぱり、やってみて良かったな」
トウマと滝河は顔を見合わせて笑う。
「今までカードの絵柄から言葉が浮かび上がって、それを出していたが、こんな使い方もできるんだな。二人とも、ありがとう」
中西は頭を下げた。それは、自分が二人に比べると戦い方や経験が不足していたと感じていたからだった。
「スーマとマーリの戦い方が似ていると思いますし、それと、マーリとティアはブロウアイズ…師匠と呼ばれる人から技を修得した。もしかしたら、俺達にも関係があると思いました」
滝河は今まで自分が思っていたことを説明する。
「確かに俺もそう思う。それに、魔力があって魔法が使えないのは彰羅と同じだと…」
トウマも自分の考えを話している時、何かを思い出して言葉を失う。
思い出していくうちに、トウマはばつが悪い顔をする。
「合唱会の前日だから約二ヶ月か。怒ってなきゃいいが…」
トウマが呟いていると、滝河は何かに気づく。
「兄貴、どうした?」
「合唱会の前に彰羅に手合わせをする約束をしたんだ。レイと一緒だと言った手前、あいつにも連絡しないと」
「彰羅と兄貴が手合わせ?前にやらなかったか?」
トウマの言葉を聞いて滝河は不思議に思う。トウマと鳴尾の手合わせは何度か見ていた。それなのに、手合わせをするだけで、そこまで困ったような顔をする理由が思い浮かばなかった。
トウマは言葉をつけ足して話を続ける。
「あいつは次にレイと手合わせをしたいと言い出したんだ。どうやら、隊長と呼ばれた男とレイが剣の練習をしていたのを気づいたらしい」
トウマが分かりやすいように話してくれたのか、滝河は納得した顔で苦笑する。
「あいつ、勘が鋭いからな」
「水沢と鳴尾の手合わせか…。鳴尾が能力者なのは聞いているが、どんな戦い方をするか気になるな」
中西は特に何も考えていない様子で二人を見ていた。
「鳴尾はヴィースの能力を持っています」
「ヴィース…ああ、不思議な剣を持つ人物か」
三人が話していると、突然、後ろから強い気配を感じる。
『!!』
三人は咄嗟に振り返り、高等部の校舎を見る。しかし、そこには何もなかった。
「何か感じたような気がするが…」
「気のせいか」
トウマと中西はほっとした様子だったが、滝河は不安な顔で校舎の一階を見ていた。
その頃、結城は三階の廊下を歩いていた。
歩いていると、どこかで何かが聞こえる。不思議に思いながら近づいていくと、それは歌声だった。
結城は扉が開いている教室を覗く。そこには誰もいない教室で机に座り、涙を流しながら歌っている月代がいた。
「…!」
結城は表情こそ出さなかったが、目の前で涙を流しながら歌う月代を見て驚く。
「……結城先生?!」
結城に気づいた月代は驚いていた机から立ち上がり、姿勢を正して涙を拭う。
「すみません…変なとこ見られてしまいました」
結城は涙を流しながら歌うという状況が分からず、とりあえず、思ったことを口にする。
「どこか痛いのか?」
「……よく分からないんですけど、俺…しばらく歌ってないと、なぜか歌ってる時に涙が出るんです」
月代は胸を押さえて苦笑している。
「テストの前で歌ってないと?」
「いえ、テスト勉強してないわけじゃないですけど…」
結城の前で、テスト勉強をせずに現実逃避をしていると思われたくなかった。
結城は困った顔をしている月代に質問する。
「歌は好きか?」
「はい、好きです」
月代は真っ直ぐな目で頷いて答えた。
結城は、月代がバンドを組んでいて学園祭で歌ってる姿が頭に浮かぶ。その時の月代は、楽しそうな表情だったり、自分の感情をぶつけたような表情をしていた。
「そうか。好きなことは大事にするのものだ」
「はい」
真っ直ぐな目を見た結城は、今だけは何も考えずに普通の生徒として月代を見ていた。
「けど、机に座っていたのは感心しない」
結城は教師として、月代に注意した。
「…はい」
見られていると思わなかった月代は言い訳をしないで頭を下げる。
二人に気づかれないように、廊下から橘が見ていた。