再生 42 幕開けの一ページ
心の奥底に隠している真実を伝えることができたらどれほど楽だろうか。
けど、僕と彼女は物語に関わりを持ってしまった。
僕の願いは決して叶うことはないだろう。
それでも僕は僅かな希望を抱きながら戦う。
もしも物語に関わらなかったら、貴方の隣にいるのは僕だったかもしれない。
僕の隣で貴方は優しく笑っている。
「………!」
高屋ははっとして目を開く。
一瞬、何があったか分からなかったが、夢だと分かると溜息をつく。
「……夢?」
枕元に置いてある時計を見ると二時を過ぎていた。
「夢に関わる一族の人間が夢に翻弄されるとは…」
少しだけ自嘲気味に笑うと、再び目を閉じる。
「(…明日は学園祭なのに)」
布団の中で身体の向きを変える。
「(まさか、代役が彼女だと思わなかった…)」
家庭科室の準備室を出ると、王女の衣装を着ていたのは彼女だった。
「(あの時は驚いたなあ…)」
互いに驚いたのは記憶に新しい。
それから、高屋は舞台担当の実行委員と演劇の代役の両方をこなす日々だった。
「(今になって疲れが溜まっているのかもしれない……早く寝よう)」
寝ようと分かっていても、もやもやした気分は晴れなかった。
学園祭は午前中から大勢の人で賑わっていた。
トウマと滝河は三階の廊下を歩いていた。
周りの生徒が自分達を見ている。歓声とまではいかないが、見れて嬉しそうに笑う人が多いような気がした。
「兄貴のこと見てるんじゃないか?」
それに気づいたのは滝河だった。
「…そうなのか?」
トウマは周りの視線を気にしていないのか、手にしているパンフレットを楽しそうに見ている。
「去年のライブを見た人もいるだろうし、ライブ以外でバンドを知っている人もいると思うんだが…」
「お前も見られているぞ?」
「え?」
トウマの言葉に、滝河は周りを見る。確かに、トウマを見ている人もいれば自分を見ている人もいた。
「まさか」
「生徒会役員で元水泳部のトップ。それなりに人気はあっただろ?」
「前の話だ」
そんな話をしているとトウマは教室の前で立ち止まる。
教室の扉は二つとも開いていて、それぞれ入口、出口と書かれた紙が貼られていた。入口には力強い文字で『おにぎりと豚汁』と書かれている看板が置いてある。
二人が教室に入ると、三角巾と割烹着をつけた女子生徒がにっこり笑って軽くお辞儀をする。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませー。あ、トウマ、滝河さんも」
机と壁で仕切られた場所からひょこっと顔を覗かせたのは麗だった。
麗も三角巾に割烹着をつけていた。
トウマと滝河は麗を見つけると、手を上げて合図を送る。
「案内します」
そう言って二人に近づいたのは白いエプロンをつけた梁木だった。
「ショウは割烹着じゃないんだな」
梁木についていきながら、トウマは教室を見る。よく見ると、一部の生徒は三角巾と割烹着、他の生徒は白や落ち着いた色のエプロンをつけていた。
「家にあった人や、複数持ってる人から借りたりしたんです」
机と机をくっつけて白のテーブルクロスが敷かれている席があり、梁木は空いていた席を案内する。
「どうぞ」
梁木は笑っていたが、少しだけ緊張しているようだった。
二人が席につくと、机の上に一枚の紙がおかれている。
「なになに…当クラスはおいしいおにぎりと豚汁を出しています。メニューはそれだけですが、心をこめて作りました。…だってさ」
トウマは紙に書いてある文字を読み上げる。
「お米や味噌を使うか…予算とかは大丈夫なのか?」
去年、自分が学園祭に携わっていた滝河は、学園祭の飲食店であまり採算の合わない米を選んだことが気になった。
「うちのクラスに料理部の人もいるし、家がお店をやっている人から材料を分けてくれたりしたんだ」
そう言いながらトウマ達の席に来たのは麗だった。麗は黒い持ち手のついたお盆を持っている。
麗はお盆を机の上に置くと、二つの小さめのお盆をそれぞれ二人の前に出した。
お盆の上には大きめのおにぎりが一つとお碗に盛られた豚汁、使い捨てのお手拭きが乗っていた。
「意外としっかりしてるな」
トウマはそう言うと、滝河と同時に両手を合わせてから箸とお碗を持つ。
二人がお碗に口をつけると、驚いた様子でその場にいた麗を見る。
「うまい…!」
「おいしい」
二人の反応を見た麗は嬉しそうに笑う。
「やったっ!」
そのまま二人は黙々と食べ続け、気づいたらあっという間に食べてしまった。
『ごちそうさまでした』
二人は手を拭くと、同時に手を合わせる。
「おいしかった」
「ああ」
トウマと滝河は満足したように笑っている。
「ありがとう」
「相手の反応を見ると、頑張った甲斐がありますね」
麗と梁木が顔を見合わせて頷く。
その時、入口の近くにいた女子生徒が麗に声をかける。
「水沢さん、昼過ぎから劇だよね?今のうちに、色々見てくる?」
それを聞いた麗は嬉しそうな顔で喜ぶ。
「俺も講堂に行かなきゃいけないが、良かったら俺達と一緒に見て回るか?」
「え?いいの?」
トウマの言葉に麗はさらに喜んだが、梁木と滝河は一瞬だけトウマの顔を見た。
その間に麗は仕切られた場所の中に入り、少しすると三角巾と割烹着を外して出てきた。
「じゃあ、行くか」
トウマはポケットから財布を出すと、椅子から立ち上がり、会計と書かれている場所へ歩き出す。
滝河も椅子から立ち上がると、少しだけ不安な表情を浮かべる梁木に声をかける。
「兄貴が水沢を誘ったのは、多分、あいつ一人だと誰かに狙われるかもしれないって思ったんじゃないか」
「…え?」
急に言われ、梁木は滝河の顔を見る。
「一瞬だけお前が兄貴の顔を見たから、どうして水沢に声をかけたか気になったんじゃなかったのか?」
滝河の言葉を聞いて梁木は驚いた。滝河の言葉は、自分が考えていたことだった。
「純哉、行くぞ」
滝河が気づくと、トウマと麗は教室を出ていた。
「分かった」
滝河は早足で教室を出ていく。
「あれ?代金は?」
「俺が出した」
二人の会話を聞きながら、梁木は自分に手を振る麗を見送った。
廊下に出ると、トウマはパンフレットを開きながら麗に尋ねる。
「どこか行きたいとこはあるか?」
麗はパンフレットを見ずに正面を指した。
「凛のクラス。確か、今の時間なら中西先生もいるはず」
「中西先生?」
「担任じゃないのに?」
麗の答えにトウマと滝河は疑問を抱く。
「行けば分かるよ」
麗は笑いながら歩き出す。よく分かっていないトウマと滝河は麗についていく。
凛の教室が見えた時、悲鳴のような歓声が聞こえた。
三人が教室を覗くと、入口の近くに凛がいた。
「あっ、姉さん」
凛は麗達の顔を見ると嬉しそうに笑い、その後ろにいるトウマと滝河にお辞儀をする。
「あ、やっぱりいた」
「中西先生でしょー?」
麗と凛は顔を寄せてにやにや笑っている。
トウマと滝河が教室の奥を見ると、白のシャツに黒のベストとズボン、前掛けを身につけている中西がいた。珍しく髪はポニーテールだった。
中西は飲み物が乗った銀のトレイを持って、女性が座っている席に向かって歩く。
「おまたせしました」
「は、は、はいっ!ありがとうございます!」
飲み物を置いてにっこりと笑う中西を見た女性は、顔を赤らめて憧れの人に会ったような眼差しで中西を見つめていた。
トウマと滝河はその様子を見ていた。
「なかなか似合ってるな」
「いや、待て。男もいるけど、なんか女のほうが多くないか?」
滝河に言われて麗とトウマが教室を見回すと、男性も女性もほとんど中西を見ていた。
「トウマ様?」
三人の後ろから声が聞こえる。振り返ると、フリルのついたエプロンをつけた大野が立っていた。
「大野か」
トウマは大野がつけているエプロンを見ると、笑って答える。
「似合ってるぞ」
「……ありがとうございます」
大野は頬を赤らめ、恥ずかしそうに微笑む。
入口から聞こえる声に気づいた中西は、入口に近づく。
「水沢達も来てくれたのか」
「この時間なら中西先生がいると思ったけど…すごい賑わってるね」
教室の中で中西を見ている人もいれば、通り掛かる人も中西を見ていた。そのほとんどは、憧れの人に会ったような表情だった。
「ああ、模擬店が人気なのは生徒達が頑張った結果だ」
「(…違うよ、葵。模擬店もそうだけど、お客さんは葵を見てるよ)」
麗は本当のことを言おうとしたが、中西は気づかずに楽しそうに笑っているので言うのを止めた。
「三人とも来てくれたのは嬉しいが、今は満席なんだ。私が手伝いに来た時からずっとこんな感じなんだ」
「(葵さん、前から男子にも女子にも人気だったからなあ…)」
それを察したのか、凛も言いたいのをぐっと抑えた。
「じゃあ、また後で来るね」
麗はそう言うと、凛達に手を振って後ろを向いた。
「来てくれてありがとう」
凛はにっこり笑って手を振る。
「……」
滝河は凛の顔を見て、麗と似ているのに笑った顔が違うと感じながら教室を離れる。
「満席なら仕方ない。他のところに行くか」
「兄貴、早目に食堂に行かなくていいのか?」
滝河に言われてトウマはあることを思い出す。
「そうだ、早く行かなきゃ無くなるかもしれない」
「もしかしたら、食堂のおばちゃんが作るプリン?」
食堂と聞いて、もしかしたらと思った麗はトウマに聞く。
「やっぱり有名なんだな」
「去年はユーリと一緒に、色々見て回ったけど、ライブ前に食堂から出ていくトウマを見たよ」
「あ、見られてたか」
トウマは見られていないと思っていなかったようで、麗に言われて苦笑する。
「プリンは好き?」
「甘すぎるのは苦手だが、甘いものは好きだ。バレンタインの時にもらったクッキーもおいしかった」
トウマはバレンタインの時にもらったクッキーのことを思い出して笑う。
「あ、ありがとう」
トウマの笑顔を見て、麗は恥ずかしくなって視線を反らす。
「気になる場所を見つつ、食堂に行こう」
三人は右を向いて歩き出し、食堂を目指す。
食堂は普段と違って、生徒以外の人もいるおかげで賑わっていた。
カウンターの角に『食堂特製カスタードプリン』と書かれたポスターが貼られ、その下にはエプロンをつけた体格のいい女性がいた。
「あ、あそこだ」
「話には聞いていたがすごい人だな」
カウンターの角には二十人くらいの人が集まっている。女性は一人でてきぱきと動いている。
「私が買ってくるから、二人はそこで待ってて」
二人が返事をするより早く、麗は大まかにできているだろう人の列に並び始める。
数分後、人を掻き分けて麗が戻ってきた。両手で器用にプリンと小さなスプーンを三つずつ持っている。
「俺の分まで買ったのか?」
滝河はプリンが三つあることに驚く。滝河の中でトウマと麗の二つだと思っていたらしい。
「あっ!滝河さんも食べるかなって思ったんだけど…」
トウマは食べると聞いたけど、滝河は食べるとは言っていなかった。
麗はプリンを持ったままあたふたしていたが、滝河は麗が持っているプリンを一つ取る。
「貰う」
「良かった」
滝河の笑った顔を見て、麗はほっとしたように笑う。
「最初から食べるって言えばいいのに」
トウマは麗からプリンとスプーンを受け取りながら笑う。
三人はプラスチックの蓋を取り、スプーンですくって口に入れる。
「おいしー!」
「濃厚なのにしつこくない。それに、去年のプリンと何か違う」
「小さい時に食べたような懐かしい味だな」
気づくと三人は笑顔で黙々と食べていた。
『ごちそうさま』
三人は食堂の角にある返却口に空の容器とスプーンを置くと、食堂を出る。
その後も三人は気になる場所を覗き、いつの間にか時間は過ぎていった。
携帯が鳴ったような気がして麗がスカートのポケットに触れると、壁にかけられた時計を見る。
「私、そろそろ講堂に行くね」
「じゃあ、俺も行くか」
トウマも時計を見てから滝河を見る。
「分かった。俺はもう少し見てから講堂に行く」
麗とトウマは滝河と別れ、講堂に向かった。
午後二時前。
講堂の舞台の幕は下りている。
舞台の袖には衣装を着た演劇部員と麗、松葉杖をついた柿本がいた。
「水沢さん、代わりに劇に出てくれてありがとうね」
「まだ始まる前だよ」
柿本は笑いながら、自分が着るはずだった衣装を眺める。
「そうだったね。衣装も似合ってるよ」
「靴は踵が低いからいいんだけど、ドレスの中にもスカートみたいなのを何枚か穿いてて、こっちのほうがちょっと動きにくいかも」
「お姫様だしね」
「そうだね」
二人で笑っていると視線を感じる。麗が振り返ると、裏口の近くにトウマ、カズ、フレイ、エイコが待機していた。
カズとフレイは手を振り、トウマは力強く頷いた。
自分のことを励ましてくれていると感じた麗は、トウマの顔を見て笑う。
講堂の照明が消えて、開演を知らせるベルが鳴る。
ゆっくりと幕が上がっていく。
−ある国に、一人の愛らしい王女がいました。王女は国の誰からも好かれていました。
ある日、王女が侍女を連れて森を歩いていると、一人の王子様に出会います。
二人は一目で互いを好きになりました。しかし、王女が好きになったのは敵対する隣の国の王子様だったのです−
舞台が暗転して、森や花畑のセットから玉座が置かれ、背景が赤い幕に変わっていく。
舞台には王様と王女が立っていた。
「許さん!絶対に許さんぞ!!」
「お父様、どうか許してください。私はあの方を愛しているのです!」
「駄目だ。お前には許嫁がいる。大人しく私の言うことを聞きなさい!」
威厳がある中で諭すように伝えると、王様はどこかに行ってしまう。
−王女は部屋に戻ると、悔しさと、森で出会った人にもう一度会いたい気持ちで涙が止まりませんでした−
再び舞台が暗転しすると、今度は別の王様と王子が立っていた。
王様は怒りを露にしている。
「お前は本気なのか?あの国は我が国の敵だぞ!?」
王子も分かっていて、それでも懸命に訴えている。
「分かっています!それでも僕の気持ちは揺るぎません!」
「そんな気持ちなど一時の気の迷いだ。忘れなさい!」
王子は怒りに震えそうになったが、ぐっと堪えると王様に背を向けて走り去っていく。
−王子様と王女様の気持ちは揺れています。敵対する国といつ戦争になるか分からない。親が決めたことに従わなきゃいけない。それでも会いたいという気持ちは変わらなかったのです−
薄暗い場所でバルコニーに座り込んで王女は泣いていた。
その時、何かがコツンと当たる音が聞こえる。
王女が振り向いて立ち上がると、目の前には森で出会った王子様がいた。
「貴方はあの時の…!」
その姿を見ると、王女は飛び出すようにバルコニーの手すりに手をかけて見下ろす。
「貴方が僕の国と敵対する国のお姫様と知っています。…それでも、僕は一目見た時に心を奪われました」
会いたかった気持ちと親や国のことが交差する。
手を伸ばせばそこにいる。
「…私も森の中でお会いしてから、胸の高鳴りが止まりません。こんな気持ちは初めてです!」
目の前にいる人は苦しさで、今にもうずくまってしまいそうな表情だった。
王子はバルコニーにいる王女に向けて手を伸ばす。
「…たとえ、決められた運命で…僕と貴方は敵かもしれませんが、僕は他の誰より貴方を愛しています!」
「……!」
その言葉に、麗は演じているということを忘れてしまう。
「(…高屋さん、演技と思えないくらいすごい…。本当に苦しそう…)」
顔が赤くなっているのが分かるくらい、胸がどきどきして動揺している。
麗は本番ということを思い出すと、落ち着いて意識を集中させる。
「私は…!」
次の言葉を言いかけたその時、突然、天井から黒い幕のようなものが現れる。
それは、舞台を遮断するように覆っていった。