再生 4 暗闇に笑う者
その日、高等部の生徒会室では役員全員が集まっていた。入口付近に立つ女子生徒が手に持つファイルを見ながら口を開く。彼女は右手の人差し指に黒い指輪をしている。
「昨日、本を開いた生徒がレッサーデーモンを倒し、その後、能力者と接触したようです」
「その生徒は?」
女子生徒の報告に黒いシャツを着た男性が足を組んだまま呟いた。
「…高等部一年の水沢麗と風村悠梨の二名です」
女子生徒はファイルを見たまま淡々と答えている。
「大野、その能力者の名前と本を開いたのはいつ頃だ?」
大野の呼ばれた女子生徒は束になった紙をめくる。
「保健室で気配が消えたことから保健医の実月先生だと思われます。本を開いたのは…恐らく二日前だと思います」
「ふーん…俺が召喚したレッサーデーモンが何もしないで戻ってきたからな」
「仕方ないですよ。それだけ結界の力が強かったのです」
大野の報告を聞いた他の生徒もそれぞれ何か考えながら話をしている。
黒いシャツを着た男性が椅子から立ち上がり、外を見つめた。
「まだ覚醒していない者もいる…だが…」
不敵な笑みを浮かべている。
「私が試してやろう」
学園祭が終わり、今日は振替休日。
高等部と大学部が休みのために学園内は静かだが、学生寮は大広間で話し合う者もいれば、部屋でのんびりする者、部活や勉強のために学園に向かう者がいた。
麗もまた自分の部屋でゲームをしていた。初めての学園祭はすごく楽しかったが、この数日で起きた出来事は全て現実離れしている。
「ゲームのキャラが存在してる。それに覚醒して、技や魔法を使う…実月先生は信じるしかないって言うけど…」
ゲームのストーリーは進んでいるが、麗は同じ疑問を繰り返していた。
その時、扉を叩く音が聞こえる。
「レイ、入るよ?」
扉の向こうから悠梨の声が聞こえる。麗は椅子から立ち上がり、扉を開けて悠梨を部屋に迎える。部屋に入った悠梨は真っ先にパソコンの画面を見つめ苦笑した。
「あ…やっぱり気になってたんだ?」
「うん…昨日の事もあったしね」
目の前で起きた非現実な出来事と実月から伝えられた現実。それを理解するのは安易ではなかった。
「ユーリ、昨日の事信じられる?」
「マジありえないけど…さ、武器を持って戦ったのは本当だから、信じるしかないのかな…」
麗は悠梨の助言もあり物語は赤竜の章まで進んだ。
ベッドに座りながら、ふと、悠梨が口を開く。
「ねえ、あたし達の他にも覚醒してる人がいるんだよね?」
「うーん…それってカリルやスーマもいるっていうこと?」
「レイがレイナなんだから、似たような名前だったりしてね」
「うーん、どうなんだろう?まだ昼過ぎだし、実月先生のとこに行ってみる?」
「うん」
二人はこれからの事を考えながらゲームを進め、やがて区切りがつくとパソコンの電源をきり、身仕度をし始める。休日に学園内に入ることはできても、制服を着たり学生証の提示が必要だからだ。
悠梨が制服を着ていたので、麗も制服を着て部屋を出た。
学生寮から高等部に向かう途中の中庭で、二人は後ろから聞こえた足音に足を止める。
「レイ」
名前を呼ばれて麗が振り返ると、髪を結い普段よりラフな服装の中西が近づいている。
「あお…中西先生」
「今日は振替休日で人も少ないだろうから、いつもの呼び方でも良いぞ」
麗は苦笑すると言葉遣いを変えた。
「それで、今日はどうしたの?」
中西も柔らかい表情で笑い、麗の肩を叩く。
「十二月に行われる舞冬祭に推薦していた」
「ち、ちょっと!この前の話は本気だったの?」
悠梨と話すような口調で麗が話す。これが普段の会話のやり取りなんだろう。
「お前ははぐらかしたつもりだが、今朝、提出書を出した」
中西は笑顔で麗を見つめる。中西の性格を見抜いたのか、麗は小さな溜息を吐いた。
「…分かったよ」
「あ、それと、内藤先生が探してたぞ」
「え?音楽の内藤先生が?」
話題が逸れたのか、中西の言葉に驚き何かを考え込んでぶつぶつ呟いている。
「この前の独唱のテストかな…でも…」
「内藤先生ならまだ職員室か音楽室にいるから行ってきたらどうだ?」
麗は悠梨の方を見て手と手を重ねて小さく謝る。
「ユーリ、ごめん。先に行ってて?」
「オッケー」
悠梨は笑顔で頷くと、高等部の校舎に向かって走る麗を見送った。
何かに気づいた中西は悠梨を見て謝った。
「風村、すまない。レイと何か用事があったみたいだな」
「いいえ。…中西先生はレイと仲が良いんですね」
「ああ、幼なじみなんだ。それと、あいつは運動神経が良いから、よくうちのダンス部に呼んでるんだ」
「その舞冬祭って何をするんですか?」
透遥学園は行事が多く、学園祭と舞冬祭の間にも特別講義やレクリエーションが組み込まれている。
「舞冬祭は舞踊やダンス、踊りと言われてるもの全ての発表会だ。趣味で参加する者もいれば、本番慣れするために強い意識を持って参加する運動部も少なくないな。…なんだ、お前も興味あるのか?」
中西は何かを感じて悠梨を頭から爪先まで見つめた。
「体育の成績は良いし、動きも良いし…レイと出てみるか?」
「い、いいえっ!じ、じ、じゃあ、失礼しまーす!」
満面の笑みを浮かべる中西にたじろいで後ずさりすると、悠梨も高等部の校舎に向かって走っていった。
五階の音楽室から出てきた小走りで廊下を走っていた。高等部の敷地だけでも広く、五階にある音楽室と一階にある保健室は近いとはいえない距離だった。
「やっと終わったー。話だけで良かった」
階段を降りていると何かが視界に入る。麗は立ち止まり、窓から外を見下ろした。
「あれって、トウマさん…?」
そこには小さな温室があり、その中をトウマが何かを探すように歩いていた。
「学園祭は終わったのに、どうしてトウマさんがいるんだろう…大学部にいるのかな?」
学園内は学生や職員、関係者などが在籍、生活している。容易に侵入できなくないが学園内の警備は万全である。学園内にいるのは学生や職員、関係者くらいだろう。
「ま、いっか」
麗は特に何も考えず、また階段を降りて保健室に向かって行く。
階段を降りていると反対側から一人の男性が階段を昇ってくる。黒く長い髪、黒いスーツ、首元から黒いチョーカーが僅かに見える。
「(生徒会にいる神崎先生だ…苦手なんだよね…)」
麗は声に出さずに顔をしかめて、神崎と呼ばれた男性に一礼だけすると、そのまま走り去って行った。
神崎は走り去る麗を見つめ、麗が見ていた場所から外を見下ろした。そこにはもう誰もいなかった。
「見つけた」
何かを楽しむように温室を眺めて笑った。
麗が保健室に着いた時には三時を過ぎていた。呆れていたと思っていたが、悠梨は笑顔で手を振っている。
麗が近くの椅子に座ると、実月が給湯室からカフェオレが入ったマグカップを二つ持ってきた。
「中西先生と内藤先生に呼ばれたんだってな」
麗がカフェオレを飲むと実月が笑って椅子に腰掛ける。
「はい。どうして私が高等部にいるのが分かったんだろう?」
「そうだよね」
「ユーリ、私がいない間に何か話してた?」
「うん、実月先生にゲームの話をして、後は覚醒してそうな人とかいないかなーって聞こうとしたの」
悠梨は持っているマグカップをテーブルの上に置いて答えた。
「ま、風村が言ってた名前が似てる奴がどうのっていうのは俺にも分からねえし、覚醒してる奴を特定するのは難しいと思うぞ」
実月はカフェオレを飲み干すと白衣のポケットから煙草とライターを取り出して火をつけた。
「魔力や気配を読んだり、感覚を頼りにしてみたらどうだ?」
「気配………あっ!」
「レイ、どうしたの?」
「さっき、音楽室からこっちに来る時にトウマさんを見たよ」
何気ない麗の一言に悠梨と実月は違った反応をした。
「マジでっ!?」
「へー」
実月は何も動じずに煙草を吸っている。
「寮に向かう道に小さな温室があったでしょ?あそこにいたよ」
「じゃあ、帰る時に寄ってみよう」
「いいよ」
「…お前ら、今日は携帯電話持ってるか?」
それまで黙って何かを考えていた実月は煙草を灰皿に置くと二人のほうを向いた。
「あ、はい」
「持ってます」
「ならいい」
二人が返事をするとそっけなく答え、また煙草を吸い始める。
話は続き、色々なことを知った。力を持つ者の気配が複数存在していること、力を封印することができること、認識していないと力が発揮されないこと、気づいたら日が傾き始めていた。
「レイ、そろそろ寮に戻らないとやばいよ」
「本当だ」
二人は時計を見ると五時を過ぎていた。二人が立ち上がり、実月に頭を下げると実月は真面目な顔で何かあるかのようにに告げる。
「温室に寄るんだろ?帰りは気をつけろよ」
『はーい』
そんな実月の言葉に二人は何もないように笑顔で答えて保健室から出ていく。
外に出ると冷たい風が頬を撫でる。十月の終わりになると気温も下がり制服のジャケットだけでは過ごしにくくなってきた。
二人は温室に向かっていた。
「ねえ、レイ。温室の別名って知ってる?」
「別名?」
「黄昏の温室って言うんだ。温室ってガラス張りでしょ?夕方になると温室がオレンジ色に染まって超キレイなの」
悠梨が目の前を指すと、鳥篭のような小さな建物が見えてくる。誰が管理しているか分からないが、季節に応じて様々な花が植えていて綺麗に手入れされている。
「本当だ、綺麗」
「でしょ?あたしもここは好きなんだ」
二人は温室に入り、色とりどりの花を見ながらトウマを探した。教室より一回り小さな温室では見回すだけで誰かがいる様子はない。二人が温室から出て寮に向かっていると、麗は急に振り返って温室を見た。
「レイ、どうしたの?」
「ううん、今、誰かいたような気がして…」
悠梨も振り返って辺りを見回したがそこには誰もいなかった。
「気のせいじゃない?温室も見たし、早く寮に帰ろう?」
「そうだね」
二人が温室に背を向けて一歩を踏み出した瞬間、地面から黒い霧が噴き出し、温室の周りを覆い始める。麗と悠梨も黒い霧に包まれ、霧はドーム状に広がり膜のようになっていく。
『!!』
驚いて辺りを見回す二人の前に、黒い膜から黒い水のようなものが滴り落ちるとそれは球体に変わり、中から長い体毛に尖った牙と耳、こめかみには太い角が生えた獣が現れた。図書室で見た獣より色が黒く、一回り大きかった。
「図書室で見たのと違う……」
麗が目を見開いて驚いていると隣で悠梨が呟いた。
「マジありえない…デビルデーモンだよ…」
悠梨の声は震え、顔を強張らせている。
「…デビルデーモン?」
「ゲームの後半で出てくる敵だよ…。図書室で見たレッサーデーモンよりずっと強い…やばいよ、これ…」
いつも明るくて元気な悠梨がうろたえている。そう感じながら、また麗も恐怖に震えていた。
その間にも幾つもの黒い水のようなものが滴り落ちて球体からデビルデーモンが姿を現した。瞬く間に麗と悠梨は囲まれてしまう。
「…ユーリ、二十くらいいるよ」
「……うん」
麗の頬から汗が流れる。悠梨は何かを思い出して、麗の顔を見た。
「そうだ!携帯!」
「あっ!」
麗も思い出し、二人はスカートの上から携帯電話を握り意識を集中させた。すると、二人の目の前には保健室で見た剣とボーガンが現れて宙に浮かんでいる。
二人は息を飲み、宙に浮かぶ剣とボーガンを握って構えた。
緊迫した空気が張り詰めている。
校舎の窓から神崎がその様子を見て笑っていた。