再生 38 失われた空の音
辺り一面が炎に囲まれている。
それが夢だと気づいたのは、見た目より炎が熱くないと感じたからだった。
炎が燃えさかる中、どこからか優しい風が吹いて僕は目を閉じる。目を開けると、目の前に見たことがあるような男性が背を向けて立っていた。黒の上下の服に黒が混じった金の髪、そして、彼の足元は炎が燃えて光り輝いていた。
僕に気づいた彼は振り返る。苦しそうな表情ではなく、力強く気高い感じだった。
「思いは、力になる」
光り輝く炎に包まれた彼は強気に笑っていた。
「!!」
声を聞いてはっと目を覚ました。
梁木は身体を起こし、はっきりしない意識の中、枕元の時計を見る。まだ深夜と言われる時間だった。
「(あの夢は何だったんだろう…)」
再びベッドに入り、目を閉じる。
「(トウマ…いや、スーマ……?)」
梁木は物語のことを考えながら、再び眠りについた。
合唱会の二日前の放課後、クラスでの歌の練習が終わり、麗は教室を出て音楽室に向かおうとした。
時間がある時には妹の凛と一緒に帰っているが、温室での出来事からあまり歌の練習ができていないと思っていた。
階段を上ろうとすると、後ろから声が聞こえる。
「レイ」
麗が振り返ると、梁木が立っていた。梁木は少し不安な表情で問いかける。
「これから音楽室ですか?」
「うん」
「………」
梁木はほんの少し俯いて何かを考え、麗の顔を見る。
「…二学期に入ってから左手首に包帯をしていますが、怪我したんですか?」
「怪我というかひねったというか…」
麗も少し考えてから答える。
「レイもトウマと特訓ですか?」
梁木は前に滝河が特訓をしていた話を思い出す。滝河のような傷は無かったが、麗もよく見るといくつか打撲のような痕があった。
「ううん」
麗はすぐに首を横に振って答える。
「そうですか…変なことを聞いてすみません」
梁木は麗の左手首の包帯や打撲の痕が気になったが、これ以上聞くと麗が嫌な思いをするかもしれないと思い、疑問を投げかけるのを止めた。
麗も何か言いたい様子だったが、笑って手を振った。
「…ううん、また明日ね」
「はい」
梁木も手を降り返す。梁木の笑顔を見ると、麗は階段を上っていく。
「(ショウ、心配してたなあ。隊長も自分が能力者であるのを秘密にして欲しいって…)」
麗は言われた事とはいえ、いまいち納得していないように息を吐いた。
五階に着いて廊下を歩き、音楽室の扉をノックしてから扉を開ける。
扉を開けると、内藤が椅子に座りハープを膝の上に置いて弾いていた。扉を開けた麗に気づいた内藤は手を止めて椅子から立ち上がった。
「水沢さん」
「先生、よくハープを弾いてますね」
内藤はハープを近くの机に置くと、すぐ横に置いてあった楽譜を手にする。
「このハープは我が家で受け継がれていて、たまにここで弾いてるの」
内藤が軽く弦を弾くと、一瞬だがハープの回りに炎が見えたような気がした。
「!!」
それを見て麗は驚く。内藤は麗に気づかずピアノの譜面台に楽譜を置く。
「そのハープって……」
もしかしたら能力者かもしれない。そう思って麗が口を開いた時、廊下を走る音が聞こえる。
麗と内藤が廊下の方を見ると、足音は音楽室の前で止まった。力強く扉が開き、音楽室に来たのは佐月だった。
扉を閉めた佐月は俯いて息をきらしていたが、顔を上げて麗の顔を見ると驚いた顔でボロボロと涙を流していた。
彼女の瞳の色は明るい緑色だった。
「能力者?!」
麗の瞳の色も変わっていく。
「…お会い、できた…」
佐月を見て麗は彼女も能力者かもしれないこと、そして、自分の顔を見て突然泣かれたことに驚いていた。
佐月は溢れる涙を手で拭い、麗の前まで歩くとその場で膝をついて頭を下げる。
「…やっと、お会いできました。レイナ様の能力を持つお方ですね?」
「あ、はい…」
咄嗟に聞かれ、麗は驚いたまま答えた。
それを聞いた佐月は顔を上げる。初めて会う彼女は本当に嬉しそうな表情だった。
「申し遅れました。高等部二年、佐月絢葉。大天使にお仕えしていた巫女のフィアの力を持っています」
「あ、水沢麗です」
佐月は自分の名前を名乗り、ゆっくりと立ち上がった。
「大天使…」
麗は自分も挨拶して頭を下げると、物語のことを思い出す。フィアはスーマの過去に出てきた人物だった。
物語のことを考えていたが、佐月の言葉を思い出す。
「…え?同い年?!」
「はい。内藤先生から同じ学年と聞きました。以前、後ろ姿をお見掛けして、優しくどこか懐かしい何かを感じました」
麗が後ろを振り返ると、内藤もまた瞳の色が緑に変わっていた。
「水沢さんも私達と同じだったのね」
「先生もやっぱり能力者だったんですね」
「驚かないの?」
内藤は佐月の行動よりあまり驚いていない麗を見て、不思議に思う。
「さっき、先生がハープを弾いた時、一瞬だけど炎が見えました」
「相良君と同じね。やっぱり、このハープは物語と何か関係があるのかも…」
内藤の言葉を聞いて、あまり聞きなれない名前だと思ったが、気づいた時には声を出していた。
「相良って…トウマ?!」
麗の言葉に内藤は頷いて答える。
「一学期の終わりにトウマ様は音楽室に来て、そのハープについて聞かれました。あたしは物語を読んでフィアという人物の能力を持っているのは分かりましたが…」
佐月に続いて内藤も答える。
「私も図書室で物語を読んだけど、物語の中でハープを持った人物はいなかったの」
内藤は困ったような顔で答える。
「物語に余白があったので続きはあると思いますが、いつ続きがでるのか分かりません。せっかくだから今から…あっ!」
麗は思い立って二人に提案をしようとしたが、自分の目的を忘れていたことに気づく。
それに気づいた内藤は小さく笑った。
「水沢さん、練習しに来たんじゃないの?」
「…はい、すみません」
「私も物語の続きは気になるけど、準備もあるし合唱会が終わってからにするわ」
二人が話している時、扉をノックする音が聞こえる。扉を開けて音楽室に来たのは高屋だった。
「失礼します、生徒会です。学園祭のプリントを持ってきました」
高屋は佐月と麗の横を通り過ぎ、内藤を見る。
三人ははっとして顔を見合わせる。いつの間にか三人の瞳の色は元に戻っていた。
ほっとした内藤は高屋に近づいてプリントを受けとる。
「ありがとう」
「いえ。それでは、失礼します」
高屋は笑って答え、踵を返した。
「………」
高屋は机に置いてあるハープを一瞥すると、何事もなかったように麗の横を通り過ぎる。
音楽室を出た高屋を見た佐月は怪訝な顔をしていた。
「嫌な感じ…」
「…えっ?」
佐月の呟きを聞いた麗は振り返って佐月の顔を見る。麗に気づいた佐月は呟きが聞こえたと思い、慌てて手を振る。
「い、いえ、何でもありません。ところで、トウマ様から麗様に双子の妹がいらっしゃるとお聞きしましたが、透遥学園に在籍されているのですか?」
佐月は物語を読み、自分がいずれはレイナやティムの能力者と関わると思っていた。
佐月の質問に麗は困ったような表情で答える。
「…妹は二学期から透遥学園に編入してきました。けど、まだ学園に来たばかりで分からないこともあるし、能力者じゃないので物語に関することは妹に話さないで欲しいです」
「分かりました」
「…それと」
麗はさっきとは違った表情で佐月の顔を見る。
「同学年だから敬語じゃなくてもいいです。嫌っていうわけじゃないんですけど、堅苦しいというか、なんか恥ずかしくて…」
あたふたする麗を見て、佐月は物語は物語だと思って、くすっと笑う。
「難しいですけど、ちょっと考えます」
それは佐月の中の素直な気持ちだった。
麗と佐月の話を聞いていた内藤は、思い出したように声を出す。
「水沢さん、合唱会は明後日だけど、今日は屋上に行かない?」
「えっ?」
「水沢さんは上手く歌うことを意識しすぎてると思うの。それは悪くないんだけど、歌は気持ちをこめて歌うものじゃないかな?」
「………」
内藤の言葉は麗の胸をチクリと刺した。不安から上手く歌いたいということばかりを気にしていたのだった。
「たまには外で歌うのも悪くないかもしれないわよ」
「…はい」
どこかで焦っていた気持ちを落ち着け、麗は頷いて答えた。
「決まりね。佐月さんはどうする?」
「あたしも一緒に行きます」
佐月は楽しそうというより、どこか心配しているようだった。
「じゃあ、行きましょう」
内藤は再び楽譜を机の上に置いて、ハープと音楽室の鍵を持つ。
麗も楽譜を鞄の中にしまい、佐月と内藤の後に続いて音楽室を出た。
鍵を閉めて廊下を歩き、屋上へ続く階段を上がっていく。
階段を上りきり、内藤が屋上の扉を開けてると、そこには月代が立っていた。
屋上に出て、内藤は月代を見て特に何も思わなかったが、月代は内藤の後ろにいる麗を見て驚き、瞳が青色に変わっていく。
「水沢!!」
それを見た内藤は月代が能力者だと思わず、口を両手で覆い驚いた。
三人の瞳の色が変わる。
月代が走りながら右手を開くと、虚空から長剣が現れ、瞬時に構えると麗に向かって切りかかろうとする。
麗は内藤の前に立ち、右手の辺りから長剣が現れると、両手で握って構えようとする。
「!!」
その時、麗の左手首に強い痛みが走り、一瞬だけ判断が鈍る。
「(しまった……!)」
佐月は麗の前に出て、呪文を唱えようとした。
月代が麗に切りかかろうとした時、どこからか声が聞こえる。
「フレアブラスト!!」
月代の近くから無数の炎の刃が現れて加速していく。炎の刃が爆発すると、爆風で月代が吹き飛ばされる。
「大丈夫か?!」
三人が声が聞こえた方を見ると、覚醒したトウマが宙に浮いていた。
「物語の続きが書かれてて、強い魔力を感じると思ったら…お前らだったか!」
トウマの言葉を聞いて三人は驚いた。
月代は吹き飛ばされ、屋上から落ちてしまう。月代は少しだけ驚いていた様子だったが、笑って小さく呟く。
「隠された真実よ」
その瞬間、月代の背中が黒く光ると漆黒の翼が現れる。
『!!』
それを見た全員はさらに驚く。
漆黒の翼が開くと、落下していく月代の身体はピタリと止まり、翼を羽ばたかせて屋上に戻ってくる。
「ショウとは違う真っ黒な翼…」
麗は驚きながら梁木と同じように翼がある月代を見ていた。
トウマは月代を睨み、不快な顔をする。
「まさか、お前がマリスの能力者だとはな!」
トウマは去年の学園祭の時に月代に会っていたことを思い出す。
月代もトウマを睨み返す。
「マリスに滅ぼされたスーマの能力者か」
「物語と同じにはならねえよ!!」
トウマは宙に浮いたまま加速し、片手でそれぞれ短剣を構えると、月代に向かって切りかかる。
月代は長剣でトウマの短剣を受け止めて弾こうとする。
その時、別の方から声が聞こえる。
「ライトニング!」
突然、月代の上空に白く輝く魔法陣が現れ、魔法陣が光るとそこから光の球が勢いよく降りそそぐ。
月代は翼を広げて避けていくが、避けきれずに光の球にぶつかってしまう。
「トウマ様、ここはあたしが!」
佐月は魔法陣が消える間に、トウマに近づいて援護をしようとした。
「困りますね」
突然、佐月の背後に気配を感じて振り返ると、高屋が至近距離で魔法を放とうとしていた。
「!!」
佐月は驚いて瞬時に呪文を唱えると、佐月の目の前に光る壁が現れる。佐月は軽やかな足取りで高屋の放った魔法を避けていく。
「貴方が大天使に仕える巫女の能力者だと気づいていましたが、このままだと影響を及ぼすとも限りませんし…早目に対処しないといけませんね」
笑っているはずなのに、その眼差しは冷たかった。
高屋は呪文を唱え、次々に黒く光る球を生み出すと、佐月に向かって投げるように放つ。
佐月は黒く光る球に当たりながらも、踊るように避けていく。
「佐月!」
トウマは佐月の顔を見ようとするが、目の前の強い気配に気づく。
「よそ見をする余裕なんてあるんだな!」
トウマは考えるより先に両手に握っていた短剣を目の前で交差させる。
「!!」
傷を負った月代はトウマに向かって剣を降り下ろしていた。
「隙を作ってやってるんだよ!」
互いに剣を撃ち合い、弾き返しながら距離を縮めたり離したりする。
それを見ていた麗は、左手が思うように動かないと考えると意識を長剣に向ける。
「(剣が握れないなら魔法で…!)」
麗の右手から長剣が消え、呪文を唱えるとする。その時、麗の後ろにいた内藤はハープを構えると弦を弾き、すっと息を吸うと、突然、歌いだした。
『!!!』
「あ」という音を出しているだけなのに、どこか懐かしい歌のように響き渡る。
内藤が歌いだしたことに驚いたが、その瞬間、ハープについている赤い玉が輝きだした。内藤の周りに激しい炎が巻き起こると、炎の渦は屋上を囲うように広がっていく。
内藤の動きを見ていた全員に異変が起こる。トウマと佐月は身体が軽くなった感覚に、高屋と月代は身体が重くなったような感覚になっていた。
「身体が…!」
「変ですね…」
月代は自分の動きが鈍くなったことに驚き、高屋も驚き、内藤がハープを弾き始めたのが原因だと推測する。
「どこかで聞いたことがある歌声…」
「やっぱりあのハープから巨大な炎の力を感じる」
トウマは内藤が弾いているハープを見てから、動きが鈍くなった月代を見る。
その様子を見ていた麗は何を思ったのか、内藤の言葉を思いだし、内藤と同じように歌いだした。
戦いの中、気持ちよく歌う麗を見てトウマ達は動きを止めてしまう。
そして、麗から淡い光が流れ出していることに気づく。
「なんて綺麗な歌声…」
佐月は何かを思いだしたように麗を見つめ、トウマは自分の記憶に何かが流れこんでくるような感覚だった。
麗の高音が少しだけかすれる。
脳裏に純白の翼を生やした女性が浮かぶ。
トウマはどこか懐かしさを感じて笑う。
「ああ…そんなところまでそっくりだな」
気づいたらトウマはそう言って笑っていた。
やがて、内藤はハープを弾くのを止め、麗も歌うのを止めた。麗を包んでいた淡い光も消えていく。二人は顔を見合わせて頷いた。
身体が動くようになった月代はトウマではなく内藤の方を向く。
「先にそのハープから壊してやる!」
月代の右手から長剣が消えると、小さく呪文を唱える。
「彼女は後にしましょう」
高屋も佐月への攻撃を止め、小さく呪文を唱える。
「佐月!内藤先生を守れ!」
トウマはそう言うと、内藤に攻撃しようとする月代と距離を縮めようとする。
それぞれが動く中、僅かに早く高屋の魔法が完成する。
「ディープミスト」
高屋の両手から紫の霧が噴き出し、屋上を囲う炎まで広がっていく。紫の霧は麗達の視界を遮る。
「霧で周りが見えない…」
麗は困惑して辺りを見回し、佐月は内藤の気配を頼りに近づこうとする。
その時、一つの気配が消える。
月代も霧の中、辺りを見回してあるものに気づく。
トウマも辺りを見回しながら呪文を唱える。呪文を唱えながら下の方にぼんやりと赤い光が見えた。
「ホーリーウインド!!」
トウマの放った輝く竜巻は大きな音をたてて紫の霧を散らしていく。
霧が晴れていくその時、赤い光の方から弦を弾く音が聞こえる。危険を察知したトウマは大声を出す。
「弾くのを止めて下さい!!」
視界が悪い中で音を出すということは、自分がここにいるという合図だった。
月代の魔法が完成する。
「フリーズスピアー!」
月代の周りに幾つもの細い氷の刃が生まれ、赤い光に向かって降り落ちる。
だんだん霧が晴れていき、霧が消えると、幾つもの細い氷の刃は内藤が持っているハープを狙っていた。
内藤が気づいた時には遅く、氷の刃はハープと内藤の右手に直撃して弦は切れてしまう。
「!!」
右手に激しい痛みを感じてハープを落としそうになった瞬間、内藤の背後に消えていた一つの気配を感じる。
その時、屋上の扉が大きく開かれ、梁木と滝河が息を切らして現れる。
『!!!』
梁木と滝河は状況を理解する前に目を疑った。
高屋は二人がやって来たことに見向きもせず、笑って内藤の背中に触れる。
「……えっ?」
内藤は驚いて後ろを振り返る。
「交差する世界で眠れ」
内藤から淡い緑のような気体が吹き出すと瞳の色が元に戻り、内藤の姿は次第に消えていってしまう。
『!!』
高屋以外の全員が驚く中、トウマは苦い顔で地面に下りると高屋に向かって走り出した。
内藤が消えてしまった後、ハープはそのまま落ちてしまう。ハープは壊れ、赤い玉は外れて転がっていく。
トウマと高屋は転がる赤い玉を拾おうと走りながら手を伸ばす。麗達も後に続く。
赤い玉は転がり続け、誰かの足元にぶつかって止まる。
赤い玉を拾ったのは、麗が温室で出会った男性だった。
男性の瞳は薄い橙色だった。