再生 37 赤い鍵穴
それが夢の中だと気づいたのは、自分が飛んでいたからだった。
何かの乗り物に乗っているわけではなく、背中に生えている真っ黒な翼を広げて飛んでいた。よく見ると西洋の服を着ている。急いでいるはずなのに、自分はあの物語に出ている漆黒の翼の少年なんだと感じた。
揺れが激しくなり、上から土砂や石が崩れている中、急いで上に向かう。
目の前の外れかけた扉を開けると、壁にあいた大きな穴と崩れた壁、そして、結城先生によく似た男性が瓦礫に埋もれていた。物語を読んだ俺は、それがラグマ様と呼ばれる人物だと分かっているはずなのに、それが信じられなくて、胸が引き裂かれる思いだった。
頭から血を流すその人は結城先生じゃない。
俺はマリスじゃない。
あいつらを先に行かせたのは俺だった。
信じたくない思いと苦しさと憎しみが込み上げて、建物が崩れ落ちる中、声が潰れるくらい叫んだ。
「!!」
気づいたらベッドから飛び起きてた。
夢だと気づいて、現実じゃないと分かっていても、呼吸は乱れて、ゆっくり呼吸をするまで時間がかかった。
外はまだ静かで暗い。明日から新学期なのに夢でうなされるとは思わなかった。
「夢で、良かった……」
身体中が汗ばんでいるのは蒸し暑さのせいだけじゃなかった。
夢の内容が何かを予感してるようで寒気がした。
「物語の中でラグマ様はレイナ達によって倒されたのか…?もしかしたら……」
落ち着いて再びベッドに潜って寝ようとしたが、中々眠れなかった。
長い夏休みが終わり、新学期が始まる。
早目に身支度を整えて部屋を出た麗は寮の廊下を歩き、別の部屋の扉をノックする。少しの間の後、部屋から出てきたのは真新しいブレザーの制服を着た凛だった。
「おはよう。寝れた?」
麗は照れ笑いしている凛に挨拶する。
「…おはよう。緊張して寝た感じがしないよ」
凛は自分が今まで通っていた制服ではないことにまだ慣れていない様子だった。
「今日は式とホームルームだけだから、引っ越しは今日でも良かったのに」
凛は夏休みの最後の日に引っ越ししてきたのだった。麗の中では、今日は叔母が住む家から来ると思っていたようだ。
「少しでも早くこの学園に馴染みたかったから」
凛は扉を閉めて鍵をかけると、麗と並んで歩き出した。
麗の時と違い、凛の編入は二年の二学期から。授業や部活動、人間関係などで人一倍悩むと思ったのだろう。
「大丈夫。最初は緊張するけど、私もいるしゆっくりでいいんだよ」
麗の言葉を聞いて、凛は安心したように笑う。
「制服、似合ってるじゃない」
「そう?中学も高校もセーラー服だったから、ブレザー着てみたかったんだ」
凛は立ち止まり、腕を広げてその場でくるりと回る。その表情はなんだか嬉しそうだった。
寮から校門までの道を歩きながら、二人は色々な話をした。
校門を抜けて校舎が見える頃、凛は小さな溜息を吐く。
「あー、やっぱり緊張する」
「事務室までついていこうか?」
麗の言葉に凛は首を振る。
「大丈夫。高校生なんだし、一人で行くよ」
「分かった」
本当は凛が心配でついていきたい気持ちはあったが、凛の意見を尊重して麗は入口で手を振って別れた。
「(同じクラスだと良いな)」
そんなことを考えながら靴を履き替えて自分の教室に向かう。
二学期の初めは始業式とホームルームだけなので、午前中で終わった。
凛は教室を出て辺りを見回しながら廊下を歩く。廊下の端の手前で麗と誰かが話している。それを見ると凛は少し早く歩いた。
「姉さーん」
声に気づいた麗は振り向いて手を振る。
「凛」
凛は麗に近づき不安そうな表情で話しだす。
「クラス、離れちゃった」
凛もまた麗と同じクラスになりたいと思っていた。
「さっき、一年の時のクラスメイトが凛のこと話してたよ。離れちゃったのは残念だけど、二年生のクラスは全部三階だし、この学園は行事もあるから、一緒の機会もあると思うよ」
「うん」
麗の笑顔に凛も笑ったが、二人じゃないことに気づいて慌てて麗の隣を見る。
「あっ、すみません。話の途中でしたか?」
「いいえ。初めまして、僕は梁木翔です」
穏やかに笑う梁木は小さく頭を下げる。
「は、初めまして、水沢凛です」
「ショウは同じクラスの友達だよ」
麗は梁木の顔を見て凛に答える。
「同い年ですし、敬語じゃなくていいですよ」
梁木は緊張している様子の凛を見ている。
「やっぱりレイと似ていますね」
「うん、小さい頃からよく言われる」
麗と凛は顔を見合わせて、麗が答える。
「そうだ。姉さん、合唱会は去年もあったの?」
凛は思い出したように口を開く。
「ううん、去年は無かったよ。前に、音楽の内藤先生が合唱会をやりたいって言ってた。学園祭の前にやるって聞いてびっくりしたよ」
「ちょうど、その話をしていたんです」
「あたしはこの学園に来たばかりだから、正直、最初の行事で…あ、クラスの人達は優しそうな人ばかりだったよ」
凛は、教室の前で自分が紹介されるまでの間が一番緊張したとつけ加えた。
麗は凛が思ったより不安な表情ではないことに安心する。
その時、廊下を歩く大野が三人を見つけて近づく。
「…水沢さん?」
大野の声に反応して、麗と凛が同時に振り向いた。
「大野さん」
大野に気づいた凛は手を振る。
麗は凛が大野のことを知っていると思わなくて驚く。
「凛、大野さんのこと知ってるの?」
麗は凛に聞いたが、それより早く大野が答えた。
「やっぱり、二人は姉妹だったのですね。水沢さん、あ…もし宜しければ名前で呼んでも良いでしょうか?」
大野は普段、人を苗字で呼んでいるが、麗の妹が編入して苗字では相手が迷ってしまうと思い、一言伝える。
『はい』
麗と凛が同時に頷いたことに大野は安心して話を続ける。
「凛さんは私のクラスに編入したんですよ」
大野の言葉を聞いた麗も、知っている人が妹と同じクラスにいることに安心する。
「大野さんと同じクラスで安心しました」
「そんなこと…」
麗が笑うと、大野は照れた表情で小さく首を振る。
それを見ていた梁木は麗との話を思い出す。
「合唱会の話でしたね。今月末に行われ、歌は自由だそうです。学園祭の前だから大規模ではないと思いますが…」
「私達のクラスは歌は決まったんだけど…」
麗は何かを思い出して溜息を吐いた。
「私と何人かだけで歌う部分があって、今から不安なんだ」
「姉さん、歌は嫌いじゃなかったよね?」
凛が麗の顔を見る。
「うん、嫌いじゃないんだけど…こう、うまく歌えるかどうか意識しちゃって…」
「…何の話だ?」
麗達が話している後ろから声が聞こえる。麗が振り返るとそこには滝河が立っていた。
「滝河さん」
滝河は麗達の周りを見て、見慣れないような顔を見つける。ぼんやりと麗に似ていると気づき、麗のほうを向いた。
「もしかしたら、水沢の妹…」
今度はしっかりと凛の顔を見ると、滝河は驚いて言葉を失った。
「…似てる」
滝河の言い方は梁木や大野とは違う言い方だった。
「よく言われる」
小さな頃から言われ慣れている麗と凛は笑っている。
「初めまして、水沢凛です」
「あ、ああ…。滝河純哉、大学部一年だ」
何か驚いたような顔の滝河に気づいた梁木は、滝河の別のものに視線を落とす。
「滝河さん、傷や打撲のようなものが目立ちますが、何かあったのですか?」
梁木の言葉を聞いて、麗達は滝河を見る。よく見ると顔や腕、首の回りは痛々しい切り傷や打撲が幾つもできていた。
「これか?まあ、一ヶ月以上の特訓の結果だ」
滝河は何事も無かったように平然としていたが、凛以外の三人は滝河の特訓した相手がトウマだと思い、苦い表情を浮かべる。
「姉さん」
麗と仲良く話す梁木達を見て、凛の中で小さな疑問が生まれる。
「梁木さんや滝河さん、大野さん、クラスや学年、性格も違うのに、どうやって仲良くなったの?」
凛の疑問に対して、麗、梁木、大野は本当のことは言えず、目を泳がせて何か言葉を探そうとした。しかし、滝河は麗の悩む顔を見て、さらっと答えた。
「俺と大野は元生徒会のメンバー、水沢は去年の学園祭の実行委員だったな。そこで知り合った」
滝河の言葉に対して、麗、梁木、大野はほっと息を吐く。
「そうだったんですね」
それを聞いた凛は納得して頷いた。
麗は凛の見ていないところで滝河の前で手を合わせて、小さく呟く。
「滝河さん、ありがとう!」
滝河は特に気にしていない様子で凛と麗を見た。
「そうだ、二人を呼ぶ時に悩むから、俺も兄貴みたいに呼んでもいいか?」
「うん」
麗は特に気にしない様子で笑って答えた。
「姉さん、今日はもう帰る?それとも、歌のこと気になるなら音楽の先生のところに行く?」
凛は話を思い出して麗の方を向く。
「うーん…とりあえず、相談だけしに行きたいけど、校内を案内しなくても大丈夫?」
二人の話を聞いて、大野が口を開く。
「あの…私で良ければ校内を案内しましょうか?高等部だけでも色々な場所がありますし…」
「良いんですか?」
麗は大野の言葉を聞いて、大野なら事情を知っているので頼んでも大丈夫だと思った。
「あたしは大野さんに案内してもらうから、姉さんは行ってきたら?」
「凛がいいなら」
初日から凛と離れてることは不安だったが、高校二年になればもう大人だ。本に関わらなければ、他は自分で判断できるだろう。そう考えた麗は大野の顔を見て答えた。
「じゃあ、お願いします」
「分かりました」
大野はにっこり笑うと、少し考えて凛の方を向く。
「では、行きましょうか」
「うん」
大野と凛は麗達に背を向けて廊下を歩きだした。すると、何かを考えていた滝河は麗の横を通りすぎる。
「俺も方向が一緒なんだ」
そのまま大野達の後を歩いていく。
「梁木、来い」
突然、名前を呼ばれた梁木は驚いて声をあげる。
「えっ?!ち、ちょっと…」
梁木は滝河に声をかけようとするが、滝河は振り返ることなくそのまま歩いている。
「レイ、ごめんなさい。また明日」
梁木は驚いたまま、麗の方を見て小さく頭を下げると、理由も分からず滝河の後ろについて歩いていく。
「私も音楽室に行こう」
麗は滝河と梁木の行動に疑問を感じたが、特に深く考えずに、後ろを振り返って階段を上った。
その頃、月代は教室を出て生徒会室に向かっていた。
「(夢のおかげで寝れなかった…)」
憂鬱な気分のまま階段を上り、生徒会室の前に着く。
「後で音楽室か屋上で歌の練習をしよう」
あの人がいてほしい、そう思いながらノックして扉を開ける。
「失礼します」
俯いたまま入り、扉を閉めて前を見ると、そこには結城が机に向かって何かを書いていた。
「月代か」
その声を聞いて、月代は顔を上げる。
自分が会いたい人物が目の前にいる。それは高等部の中では珍しいことではなかったが、今の月代にとって驚くくらいの出来事だった。
驚いたまま動こうとしない月代を見て結城は不思議に思ったが、月代の顔を見て、手を止めて椅子から立ち上がる。
結城は月代の前まで歩き、少し心配そうな表情で月代の顔を覗きこんだ。
「…何かあったか?」
結城にそんな表情をさせてしまうくらい自分は辛そうな表情だったのか。月代は話そうかどうか躊躇ったが、結城が自分を気にかけてくれていることが嬉しいような申し訳ないような複雑な思いになり、俯いて少しずつ呟くように話し出した。
「……夢を見たんです。どこか城のような場所で、俺は真っ黒な翼を広げて飛んでいて…たどり着いた場所には結城先生によく似た男性が瓦礫に埋もれてて…。本で読んだ情景が浮かんだから、それはラグマ様だと思うんですけど…、それが信じられなくて、結城先生と重なっちゃって…」
月代は声を震わせながら話を続ける。自分がそう言って結城がどう反応するか気になったが、月代は自分が苦しい表情を見せたくないと思いずっと俯いていた。
結城は物語の中の出来事と似ていると思い、ただ黙って話を聞いていた。
月代が話さなくなったのを見て結城は口を開く。
「私は覚醒して、神崎先生の計画に興味を抱いた。もし、力を封印されたら計画は崩れてしまう。月代、…私はお前の力が必要だと思っている」
「…え?」
結城の言葉を聞いて、月代は驚きを隠せなかった。
自分が物語と関わっていて、よく分からないまま覚醒して、何のためにこの力があるか今でもはっきりしなかったが、結城の言葉で自分が必要にされていると感じることができた。
「私も覚醒した時は、本の中の出来事が実際に起こるなんて考えられなかった」
「結城先生も俺と同じことを思ったんですね」
月代は結城が自分と同じ考えを持っていたことに驚く。月代にとって結城は常に冷静で、何事にも驚かないと思っていた。
月代も本の中の出来事が現実に起こっているなんて信じることができなかった。
「それは誰でもそう思うだろう。…計画のために、お前にも力をつけてほしい」
「はい」
「今みたいなことでもいいから、また何かあったらすぐに話せ」
「分かりました」
結城に話をして落ち着いた月代は、頭を下げて扉を開けて生徒会室から出ていった。
扉を閉めた月代は大きく息を吐く。
嫌な夢を見て憂鬱だった気分が少し晴れたような気がする。
「…俺が戦う理由」
月代は何かを決意したように頷く。
ほんの一瞬だけ、瞳が青色に変わったような気がした。
麗は音楽室にいた。
たまたま合唱会の譜面や資料を整理するために音楽室にいた内藤に会い、歌のことで相談しようとしていた。
隣にある別室に入っていった内藤を待つ間、椅子に座っていた麗は音楽室を見渡す。
「…微かに力を感じる」
前とは違う感覚に麗は警戒した。
その時、音楽室の扉が開く。そこにいたのは月代だった。
「(同じ学年の…)」
麗は月代の顔を見て、去年の学園祭でライブを行ったバンドを思い出す。月代は麗を見て、どこかで見たことがあったかもしれないと思っていた。
「あ、水沢さん。月代君も」
別室から出てきた内藤は麗と月代の名前を呼ぶ。
互いの名前を聞いた二人は同時に驚いた。
「…月代って?!」
「水沢…!」
生徒会に月代がいてマリスの能力者かもしれないと聞いていたが、それが学園祭のライブで歌っていた生徒とは思わなかった。麗は驚いたまま月代を見ていたが、月代は突然、麗を睨みだした。
「二人とも、どうしたの?」
内藤が心配そうに二人を見ていたが、月代は関係のない人がいる前で力を使うのはまずいと感じる。
手を出したい衝動を抑え、月代は拳を握ると顔を反らした。
「…すみません、失礼します」
そう言うと、扉を閉めて勢いよく走り出した。
「………」
麗は驚いていた。もしも彼がマリスの能力を持っていたらいつかは戦うかもしれない。そして、内藤が名前を呼んだ途端、麗に敵意を見せた。
麗が考えていると、後ろから内藤が声をかける。
「月代君、何かあったのかしら?」
事情の知らない内藤は首を傾げたが、話を続ける。
「水沢さん、せっかく音楽室に来てくれたけど、急な用事ができちゃって…今度でもいいかな?」
「あ…はい」
麗は振り返って答える。それまで月代のことを考えていたが、内藤を見ると楽譜の他にファイルのようなものを持っていた。
麗は椅子から立ち上がり、鍵を持って音楽室を出ようとする内藤の後について音楽室を出る。
音楽室の前で内藤と別れ、麗は行くあてもなく階段を下りていく。
「皆はまだ校内にいるのかな…?」
一階まで下りると、靴を履き替えて別の昇降口から外に出ていく。
「…何か感じる」
外に出ると、何か気配を感じる。麗はそれを頼りに歩いていく。
温室の前を通り過ぎようとすると、中に誰かがいることに気づいた。気になって温室の扉を開けると、そこには四十代くらいの髪の短い男性が立っていた。
学園内には教師の他に用務員や事務員もいる。教師の中で見たことが無かった。
男性は麗を見て笑う。
「お前か」
男性は敵意を見せる様子もなく、ただ暖かく見守っているようだった。
「私が誰か分かるか?」
突然の男性の質問に麗は首を傾げる。透遥学園に編入して約一年半、色々な人を見ているが目の前で笑っている男性は見たことがなかった。しかし、ふと物語のことが頭をよぎり、ある人物が浮かぶ。
麗はおそるおそる答える。
「…ファーシル、隊長?」
男性は満足した様子で笑う。瞳の色が薄い橙に変わっていく。
「そうだ」
「でも、今まで温室に行っても誰もいなかったはずなのに…」
麗は何度か温室の前を通っているが、誰かがいたことはなかった。
「ここは、そこまで人が来るわけでもないからなあ…」
男性は苦笑して温室を見回す。教室より一回り小さい温室は草花の手入れは行き届いているが、あまり多くの人が訪れる場所ではなかった。
「次はお前の力を見てやる」
そう言うと、温室の回りに赤いガラスのような壁が現れ、円を描くように温室を囲っていく。
「結界?!」
麗の瞳が深い水色に変わる。温室を見回して、再び男性を見ると、その手にはやや大きい長剣が握られていた。
麗も意識を集中させると目の前に長剣が現れ、それを構える。
「今から片手、または左手だけ使って私の攻撃を受け止めろ。見たところ、片手でも扱える重さの剣のはずだ」
「…えっ?」
初めて会ったはずなのに、自分が持っている剣の見た目や重さを推測した男性に驚いた。
「あいつよりは優しくしてやる」
男性は麗に聞こえるか聞こえないくらいの声で呟くと、握っていた剣を構えなおす。突然、目つきが変わり、男性の周りから炎のようなものが吹き出した。
「!!」
男性に言われたものの、麗は片手で剣を持ったことがなかった。どう構えるか悩んでいる間に炎は結界の中を覆っていく。
「剣を交わしていけば身体が勝手に動くさ」
男性は右手で剣を持ち直して構える。麗も見よう見まねで右手で剣を構えた。
「もっと強くなれ」
男性は楽しそうに笑う。
その表情はほんの少しだけ鳴尾に似ていた。