再生 35 無意識の衝動
麗と梁木は図書室に向かって歩いていた。
図書室に入り、奥に向かって歩いていると、見慣れた後ろ姿を見かける。
麗がそれを見つけると声をかけた。
「中西先生」
声に気づいた中西は振り返り、立ち止まる。
「水沢、梁木」
麗は何かを考えて中西に近づくと声を押さえて話し始める。
「…もしかして、物語の続きを探しに来たの?」
中西は辺りを見回して、近くに誰もいないことを確認するとやや小さな声で答えた。
「ああ。土曜に相良から物語の続きがあることを知り、月曜日に凛の編入を知った。これから何が起こるか分からないし、私も物語の続きを読んでおこうと思ったんだ」
中西は麗に答えると、梁木の顔を見た。
「梁木も続きを探しに来たのか?」
梁木は小さく首を横に振る。
「僕は月曜日に大野さんと一緒に続きを読みました」
「そうか」
中西は、一人より誰かといる方がもしも敵に襲われた場合に対処できると考えて頷いた。
三人は奥に向かって歩いていく。
本がある本棚の前で立ち止まって見上げると、そこには麗と中西が見たことのない濃い青色の本があった。
「あの青色の本が物語の続きです」
梁木は指を差すと本棚から本を抜いた。梁木は一度読んでいるためか麗と中西に見えやすいように本を向ける。
「これが…」
麗はゆっくりと本に触れると表紙を開く。
本を開くだけなのに期待と不安が入り交じったような不思議な気持ちだった。
その頃、鳴尾は温室に向かっていた。
「この前は誰もいなかったけど、この感じ…」
何かを感じて楽しそうに笑いながら温室の扉を開ける。
教室より一回り小さな温室にいたのは、四十代くらいの男性だった。
「!!」
男性の瞳の色が薄い橙に変わっていく。
「やっと来たか」
鳴尾の目の前にいる男性は呆れたように溜息を吐く。鳴尾の瞳も紅色に変わっていく。
「やっぱり師匠だ!…けど、この前は誰もいなかったはず…」
「それはお前が気づかなかっただけだろう」
嬉しそうに笑う鳴尾に対し、男性も嬉しそうだったがそれ以上に厳しい表情だった。
男性は鳴尾を睨みつける。
「それより、私には時間が限られている。お前の力を見てやろう」
そう言うと、温室の回りに赤いガラスのような壁が現れ、温室を囲っていく。鳴尾が温室を見回し、再び男性を見ると、男性の右手にはいつの間にか長剣が握られていた。
「へへっ、楽しみだっ!」
鳴尾は犬歯を見せて嬉しそうに笑う。
意識を集中させると、鳴尾の目の前に大きな長剣が現れた。それを両手で握って構える。
男性も右手で剣を構える。
「私は静とは違うからな」
鳴尾と男性は同時に駆け出して剣を振り上げた。
同じ頃、滝河は高等部の一階にある鏡を見ていた。
「(中西先生は前にこの鏡に触れて、中から腕を引っ張られたって言っていた。もし、それが俺が思う人物なら…)」
滝河は意を決してゆっくりと鏡に触れる。すると、鏡は水のように揺れ始める。
「えっっ?!」
鏡に影が生まれ、鏡に写る自分とは別の腕が現れる。鏡から手が伸びると滝河の手首を掴んだ。
滝河は驚いたが、何かを感じて、そのまま誰かの手に引っ張られる。
水の中に入っていくような感覚の中、鏡の中に吸い込まれていく。
その場所は水晶のようにきらきらと輝き、水のように揺れていた。
滝河が辺りを見回し、目の前に広がる空間に驚いたが、どこか懐かしいと感じていた。
「これが中西先生の言っていた…」
「やっと来たか」
背後から聞こえた声に驚いて振り返ると、無数の氷の刃が加速して滝河に襲いかかっていた。
「!!」
滝河は迫り来る氷の刃をかわしていく。咄嗟のことに驚いて顔を上げると、目の前には腰まで伸びた髪の長い四十代くらいの男性が腕を組んで立っていた。
睨むような鋭い目の色は深い青色だった。
中西から話は聞いていたが、目の当たりにすると鏡の中に人がいると思わず、少しだけ戸惑いを覚えた。目の前に立つ男性を見て滝河は笑う。
滝河の瞳の色が変わっていく。
「…やっぱり俺が召喚した時に鏡から出てきたのは師匠だったか」
「勘違いするな。私が出てきてやったのだ」
滝河の言葉に対して男性は冷たく返す。
「鏡の中が師匠の空間だとしたら、どうして、中西先生は鏡の中に入れたんだ…?」
滝河の中で一つの疑問が生まれる。物語の中でマーリに師がいるのを知っていたが、中西が誰の能力を持っているか分からない中で男性と何か関係があると思ったからだ。
「そのうち分かることだ」
「……中西先生の戦い方が俺や兄貴に似てるのはそういうことか」
男性の一言で滝河は何かを察した。自分の考えていることは間違っていないのかもしれない。
「あいつは覚醒してまだ間もなかったから優しく教えた…が、お前は別だ」
男性は足を開いて身構えると、足元に青く輝く魔法陣が浮かび上がる。
「………」
「私には時間がない、優しくは教えんぞ」
滝河は危険を感じながらも小さく呪文を唱えた。滝河の足元にも青い魔法陣が浮かび上がる。
「身体に教え込むやり方は相変わらずかよ…」
初めて会ったはずなのに、気づいたらそう呟いていた。
二人の足元は冷気に包まれ、周りの空気も冷えていく。
男性の目は滝河を挑発している。
「私は暁とは違うからな」
互いに右足を半歩下げて、地面を蹴るように踏み出す。
七月半ばなのに、流れるくらいの汗は冷たかった。
『…………』
本を開いたまま三人は言葉を探していた。
麗と中西は話は聞いていたが、実際に物語を読むと、それを認識して受け止めるのは簡単ではなかった。
月曜日に一度物語を読んでいた梁木が口を開く。
「…余白はあるのでまだ続きがあると思いますが、新たな疑問が幾つかできました」
梁木の隣で麗が思い出しながら話し出す。
「まず新しく出てきたファーシルとロゼッタ、それにカリルの翼が両方あること…」
カリルという名前を聞いて、中西は梁木の顔を見る。
「梁木、お前は翼があるのか?」
中西はそれを見たことがなく、ただ思ったことを聞いただけだったが、梁木の顔が苦しそうな表情をしていたので何かに気づく。
「…すまない、答えたくなかったか?」
梁木は少し悩んだ後、首を横に振って答えた。
「いつかは先生も知ると思いますし…。覚醒時に特別な言葉を発すると翼が生えます。ちゃんと神経も通っていて動かすこともできますし宙に浮くこともできます。…ただし、翼はまだ片方だけです」
「そうか。辛いことを思い出させてしまってすまなかった」
中西は梁木の事を考え謝った。梁木は空気を変えてしまう前に話を続けた。
「ところで…レイ、物語に出てくるファーシルという人物に心当たりはありますか?」
梁木の疑問に麗は首を横に振る。
「ショウやトウマから物語の続きがあるって聞いてから色々思い返してみたんだけど、特に思い当たる人はいないんだ」
「そうでしたか…。後、気になったのはマリスです。彼は生きていて、精霊の力を解放した。まだ僕達はマリスの能力者と会っていません。これから気をつけたほうが良いですね」
「そうだね」
「それからシルフを滅ぼしたヴィースですね。ヴィースの力を持つのは鳴尾さんですが、彼は僕達を狙うというよりは、ただ戦うのが好きという感じがします」
「うん」
麗も梁木も鳴尾を見て、能力者だから自分達を狙うというより、戦うのが好きというのを感じていた。
それまで二人の会話を聞いていた中西は何かを思いだし、右手を顎にあてる。それに気づいた麗は中西の顔を見る。
「葵、どうしたの?」
図書室の奥で人気のない場所と分かったのか、麗は中西に対して普段の話し方になっていた。それを気にしていない様子で中西は答える。
「いや、物語を読んでロゼッタと風の精霊に関係があるなら、私が精霊の力を得た時の槍も何か関係があるんじゃないかと思ったんだ」
中西の言葉を聞いて梁木は考えた。物語の中で、ロゼッタは訓練の様子を見ていたが、槍を持っていた描写は無かった。宝石が壊れた後、その中から風の精霊が出てきた。
中西が風の精霊の力を得た時に、鍵爪から槍に変わった事と関係があるかもしれないと梁木は考える。
「まだ第一章しか無いですし、これから先がどうなるかまだ分かりません。明日から夏休みで学校に行けませんが、続きが見つかり次第ですね…」
梁木が答えている横で麗は開いたままの本を一枚めくり、その指が止まる。
「えっ?」
麗の声を聞いて梁木と中西は麗の顔を見る。
「…ショウ、これって、前はあった?」
二人が麗の視線の先を見ると、そこには『第二章 再会の音色』と記されていた。
「…!!」
中西は特に驚いた様子はなかったが、梁木はそれを見て驚いていた。
「…いいえ、僕が大野さんと一緒に読んだ時はありませんでした」
梁木は首を横に振る。
「再会の音色…誰かと再会するのか、それとも、音に関する話なのか…?」
中西は推測しつつ、次のページをめくる。
しかし、その後は真っ白だった。
「いつ続きが記されるか分かりません。この事はトウマや大野さんに知らせたほうが良いですね」
「うん」
三人が顔を見合わせて頷くと、突然、天井から黒い霧のようなものが吹き出して広がり始める。
『!!!』
次第に霧のようなものは図書室全体を覆っていく。
どこかの部屋で高屋が目を閉じて、目の前に手を広げていた。
高屋の真下には黒い魔法陣が描かれている。
ゆっくりと目を開くと瞳は赤く光っていた。
ズボンのポケットに手を入れると小さなナイフを取り出した。
「冥刻使の力には及びませんが…」
小さなナイフを左手の小指に当てて、躊躇いも無くナイフを引く。小指から血が溢れ、地面に滴り落ちる。
高屋の真下に描かれていた黒い魔法陣が赤く光りだす。
「もっと強くなってください」
高屋は顔を上げて楽しそうに笑っていた。
図書室を覆う黒い霧は壁のようなものに変わり、いつの間にか図書室にいた他の生徒はいなくなっていた。
「これって…?」
「…結界ですね」
三人は辺りを見回して警戒する。三人の瞳の色が変わっていく。
麗は本を閉じて本棚にしまうと本棚から離れた。机が並ぶ場所まで行くと、机や壁、天井から黒い魔法陣が浮かび上がり、そこから幾つもの膝下くらいの小さな黒い鬼のようなものが現れる。
小さな鬼は赤と黒の光のようなものに覆われ、短剣を握っている。
「これは…」
「知ってるの?」
梁木が目の前に現れたものに対して、僅かに驚く。梁木の声を聞いた麗が梁木の顔を見る。
「僕と大野さんが本を読む前に現れた敵に似ています。その時はもう少し小さかったような気がします。動きが速く、呪文を唱えようとすると襲いかかってきます。後、分裂するのかは分かりませんが、倒しても数が減らないような気がしました」
小さな鬼の群れの中で一匹が梁木を見て大きな声をあげると、その周りの小さな鬼達は梁木だけを狙って襲いかかる。
「!!」
「ショウ!」
梁木は驚いて一歩下がると、剣を構えた麗が梁木の前に出て、梁木に襲いかかる小さな鬼を倒していく。
「猛き狼の怒涛の牙…キラーファング!」
声が聞こえると中西の両手指が光り、指輪のようなものが現れる。そこから鋼の刺のようなものが伸びると爪の形に変化した。
中西は目の前から襲いかかる小さな鬼に向かって鍵爪を振り上げる。
梁木だけを狙う小さな鬼の群れを麗と中西が連携して倒していく中、梁木はまた一歩下がり様子を伺う。
辺りを確認して、一瞬の隙を狙って呪文を唱える。
「空と海を渡りし聖なる鳥、導き出す光、永遠に…」
梁木の両手には、光の球が生まれ、次第に大きくなっていく。
梁木が麗と中西に合図を送ろうとした瞬間、小さな鬼はいっせいに奇声のような音をあげだした。小さな鬼の群れは口を開くと、そこから炎の球が生まれて梁木に向かって放たれる。
「!!!」
梁木は危機を感じて別の呪文を唱えようとしたが、それより先に一枚のカードが梁木の前にひらひらと舞い下りる。
「慈母が施すのは聖なる防壁、クロスシールド!」
中西の言葉に反応してカードが光り、梁木の前に光り輝く十字の壁のようなものが現れる。小さな鬼の群れが放った炎の球は光り輝く十字の壁にぶつかり消えていってしまう。
梁木が両腕を顔の前に出していたが、それが中西の放った魔法だと分かり中西の方を見る。
「梁木、大丈夫か?!」
梁木が中西の顔を見ると、小さな鬼の群れに背を向けて魔法を放っていた。その時、小さな鬼の群れが声をあげていっせいに中西に飛びかかってきた。
「!!」
中西は驚いて避けようとしたが、小さな鬼の群れは上から覆い被さるように積み重なっていく。
梁木の前に現れていた光り輝く十字の壁のようなものは消え、別の小さな鬼が梁木に向かって再び口を開く。小さな鬼の口から炎の球が生まれる。
麗は次々に襲いかかる小さな鬼を倒し、中西に飛びかかる小さな鬼を倒そうとするが、目の前の小さな鬼はいつまでたっても減らなかった。
中西のところへ行きたくても行けないもどかしさと、脳裏にどこかで見たことのあるような情景が浮かび上がり、麗は恐れを感じて無意識に叫ぶ。
「ティアーーー!!!」
その時、中西に積み重なっていた小さな鬼の群れの中から激しい風が巻き起こり、中西に覆い被さっていた小さな鬼は吹き飛ばされてしまう。
その様子を見た麗と梁木は驚いたが、梁木はふと頭上に浮かぶ光の球に気づく。
「(まだ効力は失われていない…?)」
梁木は麗と中西が光の球に背を向けていることを確認すると、光の球に手を伸ばして言葉を発動させる。
「ストレイ!!」
光の球が強く輝き出すと辺りに広がった。光を見てしまった小さな鬼の群れは、苦しそうにうめいて動きを止める。
咄嗟に目を閉じた麗と中西は少しだけ瞼を開き、小さな鬼の群れが動きを止めていることに気づく。
中西は全身に切り傷を負っていたが素早く立ち上がり、両手の鍵爪が風に包まれると、白銀のような水色の槍に変わっていく。
麗は光を見て、何かを思い出すように呪文を唱え始める。
「光の精霊ウィスプよ、輝く風を束ね聖なる光を剣に宿せ、ホーリーブレード!!」
麗が握っている長剣がまばゆい光に包まれる。
それを見た梁木は驚いて麗を見る。
「(僕が鳴尾さんと戦った時に使った魔法をレイが使った?!)」
やがて光が弱くなり、鬼の群れがゆっくりと動こうとした時、麗と中西は距離を縮めて背中を合わせて構える。
「行くぞ!!」
「うん!」
二人は顔を見ずに声をかけ合い、再び動き始めた鬼の群れに向かってそれぞれ走り出した。
中西が槍を振り払うと風の刃が巻き起こり、鬼の群れを倒していく。
中西の死角を狙った小さな鬼が短剣を振り上げる。中西が気づくより先に麗は剣を振り上げて小さな鬼を倒す。
二人の動きを見ていた梁木は呪文を唱えながら驚いていた。
「(二人ともいつもと目つきが違う…)」
梁木が右手を突き出すと、麗と中西の身体が淡く光り、小さな鬼によって負った傷が癒えていく。
麗が剣を振り払うと、光に包まれた長剣から無数の光の衝撃波のようなものが現れ、次々に小さな鬼を倒していく。
やがて、鬼の群れが一匹残らず消えると、図書室を覆っていた黒い霧のようなものが少しずつ消えていく。
「…結界が消えた」
梁木が図書室を見渡すと、三人の瞳の色は元に戻っていく。
「終わったのか?」
「…そうみたい」
麗と中西の持っている武器が消えていく。
中西と麗は顔を見合わせると、落ち着いたのか大きく息を吐いた。
「レイ、中西先生、大丈夫ですか?」
三人は近づき顔を見合わせる。
「ああ」
「うん」
「僕が戦った時より敵の力は強くなっていましたが、二人の連携した戦い方には驚きました」
「気づいたら身体が動いていて私も驚いたよ」
麗が自分の行動を思い返しながら苦笑する。
中西は麗に疑問を投げかける。
「そういえば、私が敵に襲われている時にティアと言わなかったか?」
「あ…」
麗は中西に言われて改めて思い返す。
「戦いに集中していてはっきり覚えてないけど…言われてみるとティアって言ったかも」
「僕も聞こえました。誰かの名前ですか?」
「ううん…気づいたらそう叫んでて、私もよく分からないんだ」
梁木の質問に麗は首を横に振って答える。
「もしかしたら、本の中で私と何か関係のある人物かもしれないな」
「うん」
「結界は消えましたが、いつまた敵に狙われるか分かりません。図書室から離れませんか?」
「そうだな。私ももうすぐ会議がある」
中西は壁に掛けられている時計を見ながら答えた。
「じゃあ、また何かあったら連絡するね」
梁木と中西が頷くと、三人は図書室の出入口に向かって歩いていく。
高屋の真下に描かれた赤く光る魔法陣が消えていく。
瞳の色が元に戻ると小さく息を吐いた。
「思っていたより早く終わりましたね」
高屋は壁に掛けられている時計を見た。机の上に置いてある鞄を持つと、部屋から出ていこうとする。
「これから、また面白くなりそうだ」
部屋から出ると、右から階段を下りる複数の足音が聞こえた。
「もっと苦しむ顔を見せてください」
それが何か気づいた高屋は冷たい目つきで笑っていた。