再生 32 遥か遠くへ
私はそれまでの出来事と、今、目の前で起きた出来事が信じられなくて、気づいたら声を出して泣いていた。
高等部に編入して初めてできた友達が精霊によって作られたものだった。その現実は私にとってあまりにも大きな衝撃だった。
信じられなくて、悲しくて、涙が止まらない。
彼女に名前を呼ばれた私は少しだけ顔を上げた。顔を上げるとぼろぼろと涙が頬を伝う。
彼女は私の涙を拭うと、目を見て問いかけた。
「…全部話してくれないか?」
葵も私と同じように苦しい顔をしていた。
「………で?」
保険医の実月は小さく溜息を吐くと足を組み直した。
実月の目の前には麗、中西、大野が座り、その後ろには滝河、トウマ、梁木が立っている。
あれから六人は安全を考え、保健室に移動したのだった。
「だから、保健室は溜まり場じゃない………と言いたいとこだが、中西先生までいるという事は、何かあったな?」
実月は呆れていたが、教師である中西が一緒にいるため、そこまで表情には出さなかった。実月は麗のまぶたが少し腫れていることに気づくと、椅子から立ち上がり、保健室の奥にある冷蔵庫から濡れたタオルを出した。
それを麗に差し出すと、いつもとは違う少し困ったような表情で問いかける。
「…どうした?」
麗は実月から濡れたタオルを受けとり、顔にあてた。いつも用意してあるのか分からないが、熱い身体と腫れたまぶたを冷やすにはちょうど良かった。冷たくて気持ちいい。
「……どこから話せば良いのか…」
麗の状態を考え、梁木が代わりに説明しようとしたが、タオルを顔にあてていた麗は顔を上げると実月の顔を見つめる。
「…先生はユーリが風の精霊シルフって知ってたの?」
麗は言葉を選ばずに、思っていたことをそのまま口にした。梁木達もそれは疑問に思っていたことだった。
僅かな間の後、実月ははっきりと答える。
「ああ」
『!!』
麗達はどこかで実月は知っていたと思っていたが、本人の口から答えを聞くと驚きを隠すことはできなかった。
「じゃあ、どうして教えてくれなかったの?!」
麗は驚いて椅子から立ち上がる。少しは落ち着いたと思っていたが、瞳は潤んでいた。
「あいつの気持ちも少しは考えろ。とりあえず、座れ」
「………はい」
実月に言われて、麗は再び椅子に腰を下ろした。
さっきまでの出来事は確かに信じられなかった。しかし、それは自分の気持ちだけで、実月の一言で麗の気持ちは少しだけ変わっていく。
「ユーリの気持ち…」
中西は、俯いて胸に手を当てている麗の肩に触れて顔を覗きこむ。
「…きっと、私達が知らないところでずっと悩んだと思う」
「うん…」
今までの自分だけの気持ちが変わり、中西の言葉は麗の心にすっと入っていくようだった。
麗がやっと落ち着いた表情を見せたのか、中西は胸を撫で下ろして笑い、小さな声で聞く。
「ところで…どうして保健室なんだ?」
「えっと…」
麗達は梁木や悠梨と情報を交換しあったり、実月に話を聞いてもらっていたりしていたが、中西はそれを知らなかった。
麗はどこから話せばいいか分からず考えていたが、それを聞いていた実月は麗達に見せないような表情で答える。
「ああ、中西先生は水沢達から聞いていなかったのですね?私も能力者です」
普段、麗達には俺と言っている実月が私と言っている。麗はその時、生徒と教師で話し方や表情が変わる大人の対応なんだだと改めて感じた。
「そうでしたか。ただ…身体が思うままに動きましたが、何がどうなっているか未だに分からず…」
中西が現れ、彼女が考える間もなくシェイドが襲いかかり、悠梨は精霊によって作られたものだった。それを見て、肌で感じたはずなのに、まるでドラマや映画のように非現実的だった。
中西の後ろ姿を見ていたトウマが口を開く。
「中西先生もいるんだ、これを機にまた情報を整理しよう。まず、覚醒した時期やきっかけだが…」
「覚醒?」
トウマの言葉に中西は小さく首を傾げて後ろを振り返る。
「まあ、瞳の色が変わって、特別な力が目覚めたっていうことです」
トウマは中西の顔を見ると分かりやすいように答えた。戦いから時間は経ったが、トウマは中西が、自分に何が起きたか分からず、気持ちの整理ができていないと思ったようだった。
トウマの一言に麗達は納得したように頷き、トウマは麗の顔を見る。それに気づいた麗は、身体ごと後ろを向けて話し始める。
「私は去年の学園祭の前日、ユーリと図書室で本を見つけて…学園祭当日の夕方に、図書室のパソコンから文字が浮かび上がってレイナって入力したら剣が出てきたの。…ユーリはもしかしたら、その時から気づいていたかもしれないけど…」
「僕は学園祭が終わってちょっとしてからでしょうか…当時、同じクラスの人の代わりに図書室へ本を返しに行ったら本を見つけました。その時、見たこともない獣に襲われ、レイとユーリが助けてくれました。その三日後くらいに…廊下で獣の群れが襲ってきて、図書室に逃げたらレイが戦っていて…後はレイと同じ、パソコンの電源がついて、無意識に浮かんだ名前…カリルと入力したらパソコンの画面から短剣が現れました」
それを聞いていた滝河と大野の視線が合う。
「なら、俺と大野より後だな。その時には俺達は覚醒していた」
「俺もだ」
トウマも腕を組んで答える。
大野が小さく手を上げると口を開く。
「前年度も今年度もあまり変わりませんが、生徒会の役員は全員、能力者です。しかし、知っているかもしれませんが、朝日生徒会長、久保姉弟はすでに封印されました」
「封印…?」
中西は話を聞きながら、疑問に思った言葉を口にする。
「能力者の中には力を封印できる人がいます。今のところ、生徒会の高屋さんと…トウマ様、あ、さ、相良さんです。物語の能力者として覚醒して、力を封印されると覚醒してからの記憶を全て無くしてしまうそうです」
大野がトウマを苗字で呼び直したのは、自分がトウマのことを様をつけて呼ぶのを中西は知らないと思ったからだった。
「成程、思ったより力を持っている者がいるということだな。後、皆の中で覚醒したのは私が最後なんだな」
「中西先生、僕とレイはユーリから聞きましたが、先生が覚醒したのは今年の二月上旬ですか?」
梁木が中西の顔を見て問いかける。
「そうだ。確か、急に本が読みたくなって図書室に行ったら、WONDER WORLDという本を見つけたんだ。面白そうだから本を読んでいると、風村に会って…それから、ちょっとして地震が起きて、驚いた私と風村が図書室を出ると、突然、骸骨の群れが襲ってきて…一階の食堂の横に大きな鏡があるだろう?そこまで走って逃げたら…」
中西は思い出しながら話していたが、何かを考えて指で顎を押さえる。
「それから、鏡からカードが飛び出して…後は無我夢中だった。そうだ、あれが覚醒だったのか…」
思い出していくうちに、自分が骸骨の群れと戦っていたことを思い出し、自分自身に納得するように話していく。
滝河は鏡という言葉に小さく反応する。
「そうか、去年の舞冬祭で見たのは夢じゃなかったんだ…」
中西は自分自身の言葉に驚いていた。
去年の舞冬祭の時、麗は高屋によって操られていた。その時に能力者としてまだ覚醒していなかった中西は、何故か結界の中に残され、一部始終を見ていた。
麗、梁木、トウマは一瞬、目を合わせ、実月の顔を見る。実月は何も知らないという風に首を横に振った。
隠しても無駄だと分かった三人は再び目を合わせて小さく頷く。
「確かに、舞冬祭の時に中西先生は覚醒していないのに結界の中に残されていました。それが何故かは分かりませんが、覚醒する前触れだったのかもしれませんね」
梁木は舞冬祭の戦いの時、麗のことも考えていたが、覚醒していない中西を見た時にはそれも驚いていた。
それまで話を聞いていた滝河は疑問を口にする。
「俺も聞きたいことがある。さっき、シェイドと戦った時に見たあの体術…俺や兄貴が使う型と似ていた。中西先生は誰の力を持っているんですか?」
滝河の一言に麗達の視線が中西に集まる。物語を知っている五人は、物語の登場人物の中に中西が使った技を持つ人物は知らなかった。
「すまない…私もよく分からないんだ」
「じゃあ、本はどこまで読んだ?」
次に麗が中西に問いかける。
「二月の上旬には第二章まで…それから少しずつ読み進めて物語の最後まで読んだ。後は師匠が色々と教えてくれたんだ」
『師匠?』
中西の聞き慣れない言葉に麗達五人の声が重なる。
「ああ。信じられないかもしれないが、私が覚醒した少し後だったかな。食堂の横にある鏡を覗いていたら、中から誰かに手を引っ張られて…そこにいた師匠に物語の登場人物と同じ力を持つ者がいることや、力について教えてもらったんだ」
『!!!』
中西の話を聞いた五人は驚き、中でも滝河は特に驚いていた。
「先生、その師匠という人の名前は?!」
滝河の質問に中西は再び首を小さく横に振る。
「すまない。それも分からないんだ。鏡の中に入って、いきなり蹴られ、気づいたら私はその人を師匠と呼んでいたんだ。見た目は四十代くらい、腰まで伸びた長い髪、瞳の色は深い青だったよ」
中西は少しずつ思い出しながら話しているが、麗達は初対面の異性がいきなり蹴ってきたことに違った意味で驚いていた。
「それにしても、滝河は鏡が気になるのか?」
中西に言われて、滝河は考える。泣いていた麗を落ち着かせるため、情報を共有するために話を聞いていたはずなのに、自分が気になっていた話になり、つい、表情に出ていたのかもしれない。
「俺はマーリという人物の力を持っています。俺が覚醒した時に使う剣が出てきた場所、それと、氷の竜を召喚した時に出てきた場所が食堂横の鏡です。鏡とマーリ、先生が誰の能力を持っているのか…何か関係があるんじゃないかと思います」
滝河は落ち着き、中西に分かりやすいように説明をする。
「成程、それもあるかもしれないな。私はお前達より知らないことがたくさんある。これから色々と教えてほしい」
中西は滝河の言葉に頷き、麗達の顔を見て笑う。
「はい」
「分かりました」
梁木や大野は声に出して答え、麗も力強く頷いた。
「そうだ、大事なことがある」
トウマは話が一つの話がまとまったと分かり、話を切り出した。
「物語の続きが見つかった」
『えっっ?!』
トウマの一言に五人は声を出して驚く。
それまで机の上にある本を読んでいた実月は、ほんの少しだけ顔を上げて六人を見ると、再び本を読み始める。
「さっき、図書室に行ったら続きが見つかった。一章だけ読んで…要点だけ言うと…シルフは倒される」
『!!』
「………」
トウマはさっき、本を見つけて読んだはずなのに、思い出すと信じられない内容で言葉を詰まらせる。トウマの言葉に五人は言葉を失う。
「他にも驚くことはあったが…俺はそれを読んで、シルフはそれを知っていたんじゃないかと思う。俺はあいつが精霊だと気づいていて、何もできなかった…」
トウマは少し俯き、苦しそうに呟いた。
「本を読んだ後、あいつを探しに行ったら…、シェイドの術にかかったんだ。お前達の声を聞こえる、姿も見えるのに…身体と意識が思うように動かなかった…」
トウマがシェイドによって操られた時、その力ははかり知れず、誰もが足下にも及ばないと肌で感じた。
それに続くように大野が話を始める。
「その後、私が温室でトウマ様の身体を乗っ取ったシェイドに会い…彼は、トウマ様の身体に呪印を刻んだ者を教える代わりに私に駒になれと告げました。…勿論、私は断りました。けれど、シェイドは、…私の目の前で、トウマ様の腕を切り……私は…答えることしか、できませんでした……」
大野は黄昏の温室の前で起きたことを思い出し、表情が強張り身体が震えていた。大野の目から大粒の涙が零れる。
「大野…」
大野の後ろ姿を見ていたトウマは大野の前に回り、その場に膝をつく。
「本当に恐い思いをさせてしまって、すまなかった…。俺はここにいる、だから泣くな」
シェイドによって操られていたが、トウマはその様子を見ていた。自分の意思とは無関係に腕を切られ、血が流れる感覚や鈍い痛みは強く感じる。自分の目の前で大野が恐怖に苛まれている姿を見ていることしかできなかった。その悔しさや悲しみはトウマも感じていた。
トウマはそっと大野の手に触れる。
自分が慕う人が自分のことを考え、安心させるために優しい目で見上げている。それを感じた大野は頬を赤く染め、静かに泣いていた。
「トウマ様…ありがとうございます!」
それだけで恐怖や悲しみが和らいでいくように感じた。
大野はふと思い出して涙を拭うと、立ち上がるトウマの顔を見上げる。
「ところで、何故、図書室から温室に行かれたのですか?」
「………」
大野の言葉にトウマは一瞬だけ顔を反らして答える。
「…図書室を出て、先月、食堂で戦った時に見かけた女性がいて、それを追いかけて行ったら黄昏の温室に着いていたんだ。女性はシェイドが術で変えた姿だったんだ…」
「女性?」
梁木は隣にいた滝河の顔を見る。あの時、梁木もいたが女性の姿は見ていなかった。もしかしたら、滝河は見ていたかもしれないと思っていたが、滝河は知らないという表情で首を横に振る。
それぞれの話や考え方を聞いていた中西は、普段見ない生徒の表情や話し方にただ驚くばかりだった。
「そんなことが学園で起きていたなんて…」
中西は隣に座る麗の顔を見る。
「水沢、どうして相談してくれなかったんだ?」
「…だって、話しても信じてもらえなさそうだし」
麗は困ったような拗ねたような表情でぼそっと呟く。麗の表情を見た中西は思わず椅子から立ち上がる。
「そんなことはない。確かに、最初に知った時は私も驚いた。だが、お前に何かあったら教師としても放ってはおけない」
中西の言葉が気になった麗も椅子から立ち上がり、中西の方を向く。
「じゃあ、葵に言えば良かった?私だって、ゲームや本の出来事が現実に起こるなんて思わなかったし、突然、モンスターに襲われてすごく怖かったんだよ?!」
麗が声を強めて不安な表情で中西を見つめる。
「それは、私もレイと同じだ。突然の出来事で驚いたし、恐怖で身体がすくみそうになった…」
「………」
麗と中西が向かい合って見つめる中、二人に声をかけたのは梁木だった。
「あの…ちょっと良いですか?」
梁木の声に二人は同時に後ろを振り返る。
「僕や実月先生は前に聞いてるから知ってますが…トウマ達は二人のことを知りませんよ?」
梁木に言われて二人はようやく気がついた。麗と中西は普段通りの話し方をしていたが、学校では教師と生徒、教師に友達のように話す生徒もいるが、梁木と実月以外は二人の関係を知らなかった。
トウマ、滝河、大野は不思議な顔で麗と中西を見ている。
麗はばつが悪いように苦笑し、中西も困ったような顔つきになる。
「えっと……」
「すまなかった。私と…水沢は幼馴染みなんだ」
中西は麗の呼び方を改めて、三人に話した。
『幼馴染み?!』
トウマ、滝河、大野は声を揃えて驚いた。
「うん、私が小さい頃からの付き合いで、今でも二人っきりの時は普段の話し方になっちゃうんだけど…」
「私も気をつけなくてはいけないな」
麗と中西の話を聞いて、三人は納得したように頷く。
トウマは周りを見て、話しても大丈夫だと思い口を開く。
「話はまとまったようだな。とりあえず、まだ能力者がいるかもしれないし、まだどこかに精霊が潜んでいるかもしれない。今まで以上に警戒したほうがいいな」
「覚醒した場所はそれぞれ違っても、きっかけは図書室にある本を読むこと…。兄貴、今から本の続きを読みに行くか?」
滝河はトウマの顔を見て問いかける。滝河は今のうちに多くの情報を手にしておきたいと思っていた。
しかし、トウマは少し考えて首を横に振る。
「いや、さっき…といっても俺が操られてる時、シェイドは生徒会室に行き、神崎、結城、高屋に会ってる。もしかしたら、図書室に罠を仕掛けるかもしれない。それよりは、落ち着いてから改めたほうがいい」
トウマは中西、麗、大野の顔を見てから滝河の方を見て答える。
滝河は何か言いかけたが、覚醒して戦いの経験の少ないと思われる中西、仲の良い友達が精霊だと分かり精神的にも動揺している麗、自分が慕う人が操られ目の前で腕を切るところを見てしまった大野、その三人のことを考えると今、行くのは良くないと判断した。
「…分かった」
「それに、もうすぐ夏休みだ、機会はまだある。それぞれ強化しないとな」
トウマは何か考えて麗達を見て笑った。
「そうだな」
何かに気づいた滝河も麗達を見て笑う。
まだ起こった出来事を受け止めきれなかったり不安はあったが、麗達はそれぞれもっと強くなりたいとそう強く思った。
遡る事、約一時間前。
生徒会室にはまだ神崎、結城、高屋の三人がいた。
高屋はトウマの身体を乗っ取ったシェイドの背中を思い出す。トウマの身体を乗っ取ったシェイドの魔力と威圧感は自分の予想を遥かに上回っていた。自分でもシェイドの足を止めることは容易ではないと痛感した。
「まさか、中西先生も能力者だと思いませんでした」
高屋は知ってたような知らないような雰囲気で笑った。高屋は後ろの振り返り、窓際の椅子に座る結城と神崎の様子を伺う。
「放っておいて良かったのですか?さっきまで、そこには能力者ばかりいましたよ?」
結城は高屋の顔を見ずに机の上にある書類の束に目を通している。
「今はまだ泳がせておくのも良いだろう」
結城は書類の束の一枚に目を通すと机の端に置いた。
結城の後ろの窓際には神崎が立ち、校庭を見下ろしている。
「それに…鍵は近いうちにやって来る」
神崎は高屋の顔を見ると、企むように笑っていた。