再生 22 思い巡る過去
五月も中旬を過ぎ、長袖のシャツだと汗ばむような気温になってきた。
「失礼します」
放課後。高等部の校舎では朝日が生徒会室の扉を開き、廊下に出てきたところだった。
朝日は小さく溜息を吐くと目の前の階段を下りていく。その表情は険しいようにも見える。
「(神崎先生と結城先生に機嫌が良くないと思われるなんて…不覚だ)」
朝日が生徒会室で書類をまとめている時に、顔に出ていたのか、近くにいた神崎と結城にそれぞれ気を使われたのだった。
体調が優れていないわけでもない。それは、朝日自身も分かっていた。
「(久保姉弟が封印され、生徒会側の能力者が少なくなった。滝河と大野は生徒会から離れ、高屋は本気を出している様子が無い。鳴尾は気まぐれ…)」
新年度を迎える前に久保姉弟はトウマによって封印され、鳴尾は前から生徒会室に来ない時があった。
階段を下りながら再び溜息を吐く。
「(水沢麗達は着実に強くなり、まだ知らない強い気配も感じるようになった)」
生徒会の役員として学園内で会わないということは無い。更に強くなる前に自ら戦いに出向く。そう考えていた。
朝日はそれに加えて別のことを考えた。いつも何を考えているか分からず、戦いを遊びのように楽しんでいるような人物…。
「高屋…」
「はい?」
思っていたことを口にしたことも分からないくらい考えていたのか、朝日は自分の声と聞いたことのある声に驚いて、顔を上げた。
自分の目の前には高屋がいたからだった。
「何かありましたか?」
高屋は向かい側から階段を上っていたようで、小さく驚いたまま朝日の顔を見ている。
「……何でもない」
朝日は驚いた顔を隠し、また不機嫌そうな顔で高屋に答えた。
「それとも何か悩んでいることでも?」
高屋は笑みを浮かべて朝日を見ている。
それが自分の様子を見て何かを考えていると思った朝日は、眉間に皺を寄せて高屋を睨んだ。
高屋は思いついたように右手の人指し指を上に向けた。
「ああ、礼拝堂に行ってみてはどうでしょうか?」
高屋の突然の言葉に朝日は驚いたが、次第に不快な顔に変わっていく。
「……お前、俺が以前、礼拝堂に行ったら大野に警戒されたのを言わなかったか?」
朝日は生徒会役員だった大野を呼びに礼拝堂に行った時、何度も大野に不思議な顔をされたようだ。
「さあ」
高屋は知らないような素振りで笑っている。
「もしかしたら、何か見つかるかもしれませんよ」
高屋の目つきが変わり、後ろを振り返ったが、すぐに顔を戻すと朝日に向かって会釈をする。
「僕は生徒会室に用があるので、失礼します」
高屋は笑みを浮かべながら朝日の横を通り過ぎ、再び階段を上がっていく。
「…………」
朝日は去っていく高屋の背中を睨んだままだった。
何かを考えてながら一階まで下りると、昇降口を左に曲がり外に出ていく。
「この俺があいつの言うことを聞くなんて…!」
朝日の苛立ちは治まらなかった。
何を考えているのか分からない性格の高屋に言われたからだと思いたくない。
吐き捨てたような言葉をどこかにぶつけたかったわけでもない。
しかし、朝日は礼拝堂の前に立っていた。
「中を覗いて帰るだけだ」
朝日はそう自分に言い聞かせ、礼拝堂の扉を開いた。
礼拝堂の扉を開くと目の前に大きな十字架が飛び込み、その前には一人の女子生徒が立っていた。
背を向けた女子生徒は扉の音に気づき、ゆっくりと振り返った。
「こんにちは」
「……」
耳の下くらいまでの短い髪、柔らかい笑み、朝日は目の前にいる人の顔を見ると、苦手な人に会ったような少し困った顔に変わっていく。
「(高等部三年の西浦愛、この女…前に大野を呼びに来た時に何故かずっと見ていた…)」
朝日の前に立つ女子生徒は、にっこり笑いながら真っ直ぐな瞳で朝日を見ている。
しかし、ゆっくりと目を閉じて開くと、彼女の瞳の色は淡い緑に変わっていた。
彼女の笑みがどこか変わる。
「ルイアス、やっと来ましたね」
「……………!!」
その言葉を聞いて、彼女の背後に一人の人物が重なる。
蜂蜜のようなブロンドの長い髪と淡い緑の瞳。透き通る蝶のような羽に、妖精のような尖った耳。女性のような美しさに隠れた冷酷さ。
「さあ、行きましょうか」
彼女の右手首には黒いブレスレットが身につけられている。
どうして初めて会った時に気づかなかったか。
どうして言ってくれなかったか…。
何故、その人はいないのか。それは、覚醒してから考え、ずっと探していた。
「あぁ……っ!」
朝日は信じられない物を見たように驚き、いつの間にか瞳は薄い紫色に変わっていた。
込み上げる思いを読まれないように、ゆっくりと近づくと彼女の目の前まで歩き跪ずいた。
「はい…リーク様」
朝日は顔を上げるまでのほんの少しの間、微笑していた。
女子生徒を連れて朝日が再び生徒会室の扉を開くと、神崎と結城は待っていたように残っていた。そして、高屋もそこにいた。
「確か三年の西浦愛、だったかな?まさか、お前がリークの能力者だとは思わなかった」
神崎は朝日と西浦を見ると口角を上げて笑った。
西浦は入口で一礼すると、神崎と結城の前まで歩きその場に跪いた。
神崎の後ろで結城が知っていたかのように笑っていた。
中央の円卓の近くに立っていた高屋は朝日を見て笑っている。
朝日は自分が高屋の思い通りになった事は不快だったが、高屋に問いかけた。
「お前…まさか最初から知っていたのか?」
高屋は朝日を見ると笑ったまま答えない。
西浦が二人の前で立ち上がり、頭を上げた時を見て高屋は西浦に一歩近づく。
「僕が声をかけても動こうとなさらなかったのは、彼のためだったんですね」
西浦は振り返り、友好的な笑みを浮かべている。
その笑みは答えを出しているようにも見えた。
遡る事、およそ三十分程前。
梁木は先日の出来事について考えながら校門に向かって歩いていた。
「あの時…僕は…」
何から考えていいか分からず、同じことを繰り返していた。その時、それを遮るように後ろから呼び止められる。
「おい」
梁木が少し驚いて振り返ると、高等部と大学部の別れ道にトウマが立っていた。
「話がある。ついてこい」
そう言うとトウマは梁木に背を向けて大学部の方に向かって歩いていく。梁木は言われるままトウマの後について歩いていく。
高等部から大学部に繋がる並木道は大学生の下校時間が違うのか、思ったより人が通っていなかった。
人がいないことを確認すると、トウマはゆっくり振り返った。
「ショウ、この前…白百合の間の光を浴びて、お前は何を見た?」
トウマは麗が操られた時のこと言っている。トウマの真っ直ぐな目を見て、すぐに分かった梁木は自分が考えていることを言い当てられたように驚いた。
少し考えた梁木は口を開く。
「…あの光を浴びた時、僕の目の前で、磔にされている女の子がどこからか放たれた矢に刺さり、炎に包まれるのを見ました…。彼女はカリルに似ていて、そう、ルキア…彼女はカリルの妹のルキアだ!」
梁木はゆっくりと絞り出すように言葉を探し、記憶を辿る。
話していくうちに瞳の色が変わっていた。
「……動きたくても動くことができなくて、背中と右頬に鈍い痛みが走って顔を上げると…ルキアに…幾つもの矢が刺さって…」
声が震える。
思い出したくない。
「ショウ!」
一つ思い出すと次々に出てくる記憶を辿り、梁木は苦しそうな、悔しいような声で吐き出している。
梁木の言葉を遮り、トウマは声を上げて梁木の両肩を掴んだ。
トウマの声を聞いて、梁木は驚いて我に返る。
「トウマ…?」
「お前、覚醒してるぞ?落ち着け!」
梁木は怒りと後悔が混じったような複雑な表情を浮かべ、知らないうちに涙を流していた。
梁木の瞳は紫色に変わっていた。
トウマの手は梁木から離れ、梁木は少しでも落ちつこうと何回か大きく息を吐く。
「その記憶はカリルのものなのか…?」
目を閉じて、再び目を開くと梁木の瞳の色は元に戻っていた。
「分かりません…ただ、カリルの右頬には古い傷があったような気がします。…もしも、その傷がその記憶の時のものだとしたら…」
「あの光は過去を見せるものなのかもしれない」
「トウマもスーマの過去を見たのですか?」
少しは落ち着いたのか、梁木は俯いていた顔を上げてトウマを見る。
トウマの顔が曇っている。
「俺は…どこか西洋の城のような所で何かに捕まり組み伏せられ、顔をあげると、虚ろな目をした双子と…高らかに笑い、俺を見下したロティルがいた…!」
トウマも話しているうちに覚醒し、静かに怒りを見せていた。
「ルイアス…」
「は?」
梁木は思い出したように呟く。話を聞いている間も記憶を思い出したようだ。
「そうだ…ルキアに矢を放ったのは褐色の肌の弓使い…ルイアスだった!!だから本の中でカリルはルイアスを知っていて、怒りをあらわにしていたんだ…」
梁木は、ルキアに矢を放ったのは、褐色の肌に左手首のブレスレットを身につけたルイアスという人物だと気づく。
「褐色の肌…それって生徒会長の朝日じゃねえか?」
「え?」
トウマに言われて驚いたが、学園で褐色の肌の人物はほとんどいない。その時、行事の挨拶などで見かける生徒会長の顔が浮かんだ。
「生徒会長の朝日奏、俺と一緒で大学部の生徒だ」
「…ますます怪しいですね」
「ああ」
話していく内に落ち着いたのか、トウマの瞳の色は元に戻っていた。それから少し考えると、トウマは梁木に問いかける。
「ショウ」
「…はい?」
「お前は戦うのが怖いか?」
それは突然だったかもしれない。しかし、梁木が心のどこかで思っていたことだった。
「お前が実月によって片方の翼が生えた時、後は…有翼人の特殊な言葉を発動させた時…何かを躊躇ってるように見えた」
トウマはほんの少しだけ困ったような顔で梁木を見つめる。
梁木は驚き何か考えていたが、やがて少しずつ答えていく。
「トウマは…トウマは怖くないのですか?突然、本やゲームの出来事が起こって、非現実的な日常に変わって……痛みも魔法も、あの記憶も、全部本物で受け入れなきゃいけない、分かっているつもりです。……でも、僕は怖いです…」
突っかえていたものが取れるように、梁木は気持ちをあらわにしていく。
それを聞いていたトウマは梁木の言葉が終わるのを待つと、ゆっくり息を吐いて空を見上げる。
「俺だって怖くないと言ったら嘘になる。けど…」
空を見ていたトウマは何かを考えると、梁木に視線を戻した。
「封印された者は、覚醒してからの記憶が消えてしまうと言われている」
「覚醒してからの記憶が消える…?」
梁木はトウマの言葉を繰り返す。
「ああ。俺が久保姉弟の力を封印した後、学園内で何度かあいつらに遭遇したが、殺意や敵意は全く無く、まるで今までの事を知らなかったような感じだった」
それを聞いた梁木は驚き、自分も何かなかったか考え始める。
「確かに僕が高等部の校舎で見かけた時も、敵意みたいなのはありませんでした」
「久保姉弟しか封印していないからはっきり言えない。けど、本当だとしたら…」
トウマは小さく口唇を噛み顔を歪ませる。
「覚醒しなかったら、俺は双子やショウ、レイに出会わなかったかもしれない…」
「レイ…」
梁木は考えた。何も無い日常だったのが非日常に変わってしまったが、麗や悠梨、トウマ達と出会えた。
皆と出会い、考え方も変わり始め、楽しいと思える時間が増えた。
力が封印されたら記憶が無くなってしまう。
楽しいと思える時間や関係性、それが消えてしまう。
「…嫌だ」
そう思った梁木は寒気を感じ、本人も気づかないうちに呟いていた。
梁木の頭に麗の笑顔がよぎる。図書室で初めて会った時に見たこともない獣に囲まれて戸惑っていたが、麗を見て何か惹かれるものを感じていた。
「俺もだ」
トウマは強く真っ直ぐな目で梁木を見つめる。
「だから、俺は強くなる。この呪いと戦い続けても…!」
「そういえば、トウマの呪印はいつから?」
梁木は呪印という言葉を聞いて疑問を投げかける。
トウマ首を横に振って答えた。
「分からねえ。覚醒して、ちょっとしてからだったかな、突然、焼けつくような痛みが襲い、気づいた時には呪印が浮かんでいた」
トウマは自分の鎖骨辺りに手を添えて眉間に皺を寄せる。
「呪術を使うような人物がいるのかもしれませんね」
「ああ」
「封印術を使うのはトウマと高屋さんだけ……」
梁木は何か引っかかっていたものを解いていくように小さく呟く。
「トウマ…前に高屋さんが、相良の名は有名と言っていましたが、何か関係はあるのですか?」
梁木の言葉にトウマは何か考え、大丈夫そうだと思ったのか答える。
「忍びの末裔」
「え?」
「俺の家は代々、忍びの血を受け継いでるんだ」
梁木はトウマに言われて何故か納得する。
「だから、動きが早いのですね」
「身体を動かすのは好きだな。ああ、護影法も力の一つだ」
梁木の頭にエイコの存在がよぎる。初めてエイコを見た時は口数が少なくどこかミステリアスな感じがしたが、麗からトウマのバンドでドラムを叩いていると聞いて驚いたのを思い出した。
その間にトウマはじっと梁木を見ている。
「…どうしましたか?」
「いや、お前を初めて見た時は大人しそうだと思ったが、俺のことを色々聞くっていうことは、それなりに俺にも興味を持ってるんだな」
トウマは楽しそうに笑っている。しかし、梁木は詮索してしまったと思い、少し俯くとトウマに謝った。
「すみません…」
「謝ることはない。寧ろ、嬉しいと思ったくらいだ」
トウマは笑っていたが、暫くするとまた厳しい表情に戻る。
「まだ、誰が潜んでるか分からねえ。お前も力をつけろ」
「え?」
「魔力や記憶じゃなくて、咄嗟の判断力と…体力だな」
トウマは厳しい表情から困ったような顔に変わった。
「すみません。運動はあまり得意ではなくて…」
梁木は以前、鳴尾との戦いで力の差を見せつけられ、剣術も体力も考え直そうと思っていたのだった。
「魔力や記憶の連結は早いと思っている。…今、一番気配が強い場所は分かるか?」
梁木は言われるまま考えて瞳を閉じると、ゆっくり息を吐く。
梁木の脳裏にぼんやりと図書室の扉と地下に続く階段が浮かび上がる。
瞳を開くと、瞳の色は変わり、遠くに見える高等部の校舎を見上げた。
「図書室の扉…後、地下に続く階段が見えました…」
それを聞いたトウマも梁木と同じく高等部の方を見つめる。微かに何か感じたトウマの瞳の色も変わっていた。
「地下に続く階段、高等部なら食堂側の西階段だな」
「本のこともありますし、先ずは図書室に行ってみますか?」
「そうだな」
いつの間にか二人の瞳の色は元に戻り、顔を見合わせて頷くと、二人は高等部の図書室に向かって歩き出した。
その時、校庭が微かに揺れたような気がした。