再生 16 動きだした計画
二月も終わり、朝晩はまだ肌寒いが、少しずつ春が近づいていた。
土曜日のある日、午前中には授業も終わり、麗と梁木は校舎の廊下で会うと何も言わずに横に並び歩き出した。
「まだ寒いね」
「はい、まだまだ寒いですね」
「土曜日に授業があるのって珍しくない?」
「たまに、土曜日の午前中だけ授業がありますよね」
階段を下りて、それぞれの下駄箱で靴を履き替える。
麗が入口に向かうと、すでに梁木が待っていた。下駄箱の場所は違っても、二人で話す時間がある時は、どちらかが待っているのが日常になっていた。
「期末テストも終わりましたし、僕達ももうすぐ二年生ですよ」
「そうだね。私とユーリが覚醒してもうすぐ半年、それからあっという間に色々なことがあったよね」
麗は辺りを見回して近くに誰もいないことを確認すると梁木の顔を見る。誰が聞いてるか分からない中、能力者であることや覚醒という言葉は注意していたのだ。
「レイとユーリが学園祭の後、その数日後に僕が覚醒した」
「で、中西先生は二月の始め頃。この学園にはどれくらい能力者がいるだろう…」
麗は空を見上げると小さな溜息を吐く。少しずつ春は近づいているが、吐いた息はまだ白かった。
「この学園は中等部、高等部、大学部があり、学園の敷地には礼拝堂や寮などのもあるので、せめてもう少し気配を読めたら良いのですが…」
麗も梁木も少しずつ強くなっていた。
「ところで、今日はこのまま寮に帰るのですか?」
「うん、せっかくだからゲームの続きをしようと思う。まだ第六章の前半なんだ…」
麗は梁木の顔を見て異変に驚いた。さっきまで普通に話していたのに、梁木は背中に触れるように肩を抱き、顔を歪ませてしゃがんでいた。
「ショウ!ど、どうしたのっ?!」
「…覚醒する前から違和感はあったのですが、最近、背中…肩甲骨あたりが痛むことが多くなって…」
麗もしゃがみ、梁木の顔を覗きこむ。痛みが引いたのか梁木は目を閉じて一呼吸すると、再び目を開けた。
「少し経てば痛みは無くなるのですが…」
「それってまさか、カリルと同じようにショウにも翼が…?」
梁木はゆっくり立ち上がると麗も不安な表情のまま立ち上がった。
「分かりません。…カリルは有翼人で悪魔と天上人の混血…仮に僕にカリルと同じ翼が生えたとして、正直、それを見るのが怖いです…」
梁木の顔が曇り、何かを考え俯いてしまう。
「ショウ…」
ゲームの世界が現実に起きていても、全てを理解するのは難しかった。
梁木は顔を上げると、踵を返して高等部の校舎に向かって歩き出そうとする。
「ショウ、どこに行くの?」
「今日は時間があります。レイが寮に帰ってゲームをするなら、僕は図書室に行きます。少しでも知っておきたいのです」
真っ直ぐな目で高等部の校舎を見つめる梁木を見て麗に不安が募る。
「でも、そんな様子じゃ…」
「レイ」
梁木は麗の顔を見ると、ほんの少しだけ近づいた。
「僕だって少しは強くなってるんですよ」
梁木は優しく微笑むと高等部の校舎に向かって歩き出した。
その笑顔に何も言えなくなった麗は、ただ背中を見送ることしかできなかった。
部屋に帰った麗は鞄を机の上に置くと、着替えるより先にパソコンの電源をつける。
しばらくするとパソコンが起動して、何かを考えながらゲームを始めた。
「確か…街で女性ばかりが襲われてミイラになる事件が増えて、ターサという人を探しに教会に向かったっけ…」
画面が暗くなり、ゲームの続きが始まる。
ある街では女性ばかりが襲われてミイラになる事件が相次いだ。そこで、三人はターサと呼ばれた不思議な力を持つ女性と遭遇する。
教会を訪れた三人にターサは自分が人間ではないことを明かし、三人に自分のことを話し始めた。彼女が十字架の前で何かに祈り、立ち上がった瞬間、彼女は何者かによって殺されてしまう。
「このターサっていう人…どこかで見たことあるような…」
麗は小さく呟き、ゲームを進めていく。
「ん?スーマが私って言ってる?」
ターサを殺した敵と遭遇し、戦いが始まる。
ゲームを進めていると、麗は何かに気づく。狼のような牙と耳を生やした女性と戦っていたスーマの一人称が変わっていた。
「スーマもトウマも俺って言ってるのに」
狼のような牙と耳を生やした女性はスーマによって滅ぼされ、吸血鬼のような少年は激昂して氷の竜を召喚する。しかし、氷の竜は少年の意思に逆らい暴走し、少年を喰らってしまう。
「この二人もどこかで見たことある…」
麗はゲームとは思えない感覚に、ただ見入っていた。
第六章は終わりにさしかかり、三人は魔族や竜族を支配するロティルという男がいる城に向かうことを決める。
次の日の朝、スーマは教会に立っていた。
そして…、
「……嘘」
ゲームは進み、第六章が終わった。
セーブ画面に切り替わり、麗の手は震えていた。いや、身体全体が震えていた。
セーブをしてパソコンの電源を切ると、麗は勢い良く椅子から立ち上がり部屋から飛び出した。
ゲームを終えたのは、帰ってきてから一時間後だった。
麗は学園に戻り、誰かを探して走っていた。
息を切らしながら、それでも会いたいと思い走り続ける。
分かれ道が見え、真っ直ぐ行くと高等部の校舎が見えるが麗は右に曲がった。
大学部の校舎は近くを通りかかるだけで、実際はほとんど知らない場所だが、それでも高等部より見つけやすいと思った。
大学部の校舎の手前でその人を見つけると、麗は震える身体を堪えて駆け寄った。
それまで我慢していたものが切れて、大粒の涙が零れ落ちる。
「トウマッ!!」
麗の叫び声に気づいたトウマは振り返り、急に自分に抱きつく麗に驚きを隠しきれなかった。
「…レイ?!」
「…トウマ。…スーマが、トウ、マが…」
声も震え、麗は必死に抱きついていた。
その様子に気づいたトウマは悲しいような困ったような複雑な表情を浮かべる。
「第六章…見たんだな?」
麗は泣きながら何度も頷いた。
「スーマは竜族の中で最も強いと言われる神竜らしい。もしも、本の世界の結末なら…スーマの力を持つ俺は誰か殺される…」
本やゲームの出来事のまま現実に起こるとしたら、スーマの力を持つトウマは殺される。トウマはずっと前からそのことを恐れていた。
トウマは麗を抱きしめ、今にも消え入りそうな声で呟いた。
「…俺だって死にたくない」
トウマの声は震えている。
「俺は大事な奴らを守りたい…」
俯いたまま何も話さないトウマはただ麗を抱きしめたままだった。
やがて、ゆっくりと麗の身体を離すとトウマは困ったような顔で麗を見つめる。
「話しておきたいことがある」
トウマは後ろを向いて声をかける。
「大野」
トウマの声に麗も並木道を見た。木々の間から高等部の制服を着た少女が現れる。
大人しい雰囲気で、腰まで伸びた緩やかな髪は一つに纏めてあった。
「この人、どこかで見たことある…」
少女は麗を見ると、困ったような顔で小さく頭を下げる。
「初めまして、大野智沙と申します」
大野と名乗る少女を見ていくうちに、一人の少女が頭に浮かぶ。
「………ターサ?!」
「はい」
それは数時間前に見たゲームのキャラクターと似ていた。
「貴方も能力者なの?」
麗の問いかけに、大野は困ったような悲しいような顔で頷く。
「はい…私はターサの力を持っています」
「じゃあ……」
麗は何かを察知して恐る恐る問いかける。
それより先に大野が口を開く。
「地司ターサ…彼女は神竜に仕えていた巫女であり、ロティルという男から逃げるため、神竜を捜すために逃げだしました。…レイナさん達を出会い…何者かによって殺されます」
「俺達はスーマとターサの結末を知り、何か方法がないか探しているんだ」
ゲームの内容を思い出して、麗の瞳から涙が零れ落ちる。
「もしも、現実に起こるとしたら私達は殺されます。…私はトウマ様の呪いを解くため、何か方法がないか生徒会に所属してます」
「生徒会…」
「生徒会に所属してる人は全て能力者です」
大野の言葉を聞いて麗は驚きを隠しきれなかった。
「一刻も早く生徒会から離れたいのもありますが、トウマ様の呪いを解く方法を探すため生徒会に残ったほうが良いのか…」
大野は俯いて独り言のように呟いた。
「大丈夫だ」
トウマが大野と麗を見つめる。
「レイも大野も俺が守る」
トウマは真っ直ぐな瞳で二人を見つめていた。
突然、強い風が吹き荒れて大きな力を感じる。
『!!!』
麗は何か大きな気配を感じて高等部の校舎のほうを見つめた。
何故かいつも隣にいる少女のことを思い出した。
「ユーリ…」
約一時間前。
悠梨は保健室の扉をノックすると気配を感じて中に入った。
保健室に入ると、実月が足を組んで椅子にもたれ掛かり、煙草を吸っていた。
「よお」
実月は悠梨を見ると待っていたように笑い、自分の目の前にある椅子に座るように手招きする。悠梨は実月の前の椅子に座ると、苦笑した。
「動き出すな」
「ええ」
悠梨の口調が変わる。
「春になり、近いうちに風の流れも変わる。…私は白百合の間を見てこようと思うの」
「五階の中央階段の上にある部屋。昔、通りかかった生徒が百合の香りがすると聞いて、つけられた名前が白百合の間、だったか。だが、一般生徒は立ち入り禁止とされているぞ」
実月は一般生徒という言葉を強調すると、再び煙草を吸って煙を吐き出す。
「その下には生徒会室がある。あいつらに見つかりそうね」
「お前、何か決めたな?」
実月は立ち上がり睨むような目で悠梨を見ると、煙草を机の上にある灰皿に置いて、右手で悠梨の頬に触れる。
「まだ先の話よ」
実月は笑い、指で悠梨の顎を軽く上げる。
「俺が助けてやろうか?」
実月と悠梨の顔が近づく。
悠梨は驚くことは無く、優しく笑うと椅子から立ち上がった。
「大丈夫。それに、貴方に何かしてもらうと対価が必要になるでしょう?」
悠梨は後ろを振り返ると保健室を後にする。
実月は灰皿に置いた煙草を持つと、再び煙草を吸う。
「対価か」
椅子に座り足を組むと、机の上にあるパソコンの電源をつけて、壁に掛けてある時計を見た。
「ある意味、もらってるんだがな」
実月の瞳は赤く光っていた。
保健室を出て廊下を歩き階段を昇っていく。
「あの人は気づいてた」
五階まで上り、目の前にある生徒会室の扉を見つめると、再び階段を上ろうとする。
足を止め、その先の扉を見つめる。
「白百合の間…意識しないと分からないけど、前よりかなり強い結界が張られている…」
悠梨は意を決して足を踏みだした。
「そこで何をしている!」
その時、悠梨の後ろから声が聞こえる。
悠梨は驚いて振り返ると、階段の下には神崎が立っていた。
「この先、一般生徒は立ち入り禁止区域だ」
「(神崎玲司…!よりによってこの男と遭遇するなんて)」
悠梨は目の前にいる人物に驚き動揺する。気づかれないように落ち着くと口調を変えて笑った。
「そ、そうだったんですか。あたし、知らなかったんですー」
悠梨は出直そうと決め、階段を下りようと一歩踏み出した瞬間、神崎が口を開く。
「それとも…あそこに何か用かな?」
神崎の瞳の色が赤く変わる。
「(覚醒…!)」
それに驚いた悠梨の瞳の色が瞬時に変わる。悠梨の周りに風が現れると、それは渦巻いて悠梨の手に集まる。手を振り下ろすように前に投げ出すと、幾つもの竜巻が神崎に向かって放たれる。
「やはりお前の力か」
突然、悠梨の背後に殺気が生まれた。
振り返るとそこには結城が立っている。結城の瞳の色は黄金に変わっていた。
「!!!」
悠梨は驚いて一歩後ろに下がった瞬間、階段から足を踏み外してしまう。
結城の口唇が小さく動くと、落ちていく悠梨の真下に黒い魔法陣が浮かび上がり、そこから触手のようなものが現れると格子状に組まれていく。
「(こ、声が出ない。それに力が抜けていく………静…!)」
悠梨の意識は遠ざかり気を失ってしまう。
悠梨を覆う鳥篭のようなものは宙に浮かび、神崎の元に近づいていく。
「まさか彼女自らこちらに来てくれると思わなかった。さあ、楽しくなりそうだ…」
神崎は気を失った悠梨の身体を見て舌舐めずりをした。
神崎は生徒会室の隣の部屋に入り、それに引き寄せられるように鳥篭のようなものも部屋に吸い込まれていく。
結城は階段を降りて神崎の後についていった。
同じ頃。
中西は食堂の横にある鏡に向かって真っ直ぐに立っていた。
「あの時、私は誰かに憑かれたように骸骨の群れに向かっていった…」
約一ヶ月前の出来事を思い返し、鏡に写る自分を頭の先から爪先まで見つめる。
「奇妙なことばかりなのに…身体が勝手に動いてた」
標本の骸骨が大量に動いて自分達に襲いかかったり、講堂に向かう道が壁で覆われていたり、初めて見るものばかりだった。
「それに風村も別人のような雰囲気だった」
いつも麗の側で笑い、今時の軽い感じの喋り方をする少女のことが頭を過ぎる。その少女が中西には別人のように見えた。
「鏡から飛び出した不思議な模様のカード…私はどこかで見たことがあった…」
中西が鏡に手をついた瞬間、鏡は水のように揺れ始める。
「!!!」
鏡に映る自分の腕の後ろから別の腕が現れ、鏡から手が伸びると中西の手首を掴む。
中西は驚いて腕を引こうとするが、鏡の中から現れた手はそれより強い力で中西の手を引っ張った。
「わっ、わっ、っ!!」
中西は驚き、水のように鏡の中に吸い込まれていく。
その場所は水晶のように輝き、水のように揺れていた。
中西は誰かに引っ張られた勢いで膝をついていた。顔を上げて立ち上がると目の前に広がる空間に呆然としていた。
「ここは…」
辺りを見回そうとすると背後から声が聞こえる。
「この中に入ってこれたなら、多少の力はありそうだな」
中西が驚いて振り返ると、そこには腰まで伸びた髪の鋭い目つきの男が腕を組んで立っていた。
瞳は深い青色だった。
「貴方は…?」
「私が誰か分かるか?」
男の問いかけに中西は何も分からず首を横に振る。
中西が何も知らないと判断した男は突然、中西の背後に移動し、身体をひねると腰を目がけて蹴り上げた。
「!!」
突然の出来事に中西はかわすことができず、水晶のような壁にぶつかって倒れてしまう。
男が溜息を吐くと、咳をする音が聞こえ、しばらくすると中西はゆっくりと立ち上がった。
「……いきなり何をするんですか!師匠!」
痛みに顔を歪ませ、目の前に立つ男を睨みつける。
中西の瞳は赤くなっていた。
「それなりの滞在能力はあるようだな」
それを見た男は鼻で笑う。
「そういえば…鏡の前で呟いていたな。お前が疑問に思っていることを話してやる」
男は強気に笑い、指を自分の方に動かし手招きをする。
「ただし、私は甘くはない。身体で思い出させてやる」
上から何かが水の中に落ちていく音が聞こえる。中西が天井を見上げると、幾つもの青色カードが浮いていた。
「このカードはこの前見た…」
中西がカードを眺めていると、突然、前から殺気を感じた。
前を見ると、男は中西に向かって殴りかかろうとしていた。中西はそれを避けると、横から男が回し蹴りをする。
「ぐっ…………」
「この世界のこと、あの世界のこと、お前の名前、全て私が教えてやる」
男は挑発するように笑い、中西は男の攻撃をかわしながら距離を保っていた。
「…はいっ!」
力強く答える中西の顔は何かを感じたように笑っていた。
夕方。
麗はさっきまでの嫌な感じを引きずったまま寮に帰り、悠梨の部屋の扉を小さく叩く。
「…帰ってきてないのかな?」
二回繰り返したが内側から反応が無かったので、麗は自分の部屋に帰ることにした。
部屋に戻り部屋着に着替えると、携帯電話を開いて指を動かす。メールの宛先は悠梨だ。
「電話にも出なかったしメールも無いし…どうしたんだろう…?」
いつも部屋にいない時はメールや電話があるが、連絡がないことに麗は不安になる。
「…ユーリ」
電気もついていない薄暗い空間には特殊な結界が張られていた。
悠梨は気を失ったまま、壁につけられた鉄のような枷に手首を押さえられて捕まっていた。
その目の前には神崎が悠梨を見ながら笑っていた。